第21話 予言2
前回は『ノストラダムス』
今回は『ファティマ第3の予言』である。
コッチの方が個人的には気になっている。
なにせバチカン認定の奇跡である。
1916年春 3人の子供の前に天使が現れ、祈りの捧げ方を教える。
幾度か天使は現れたらしい、約1年後1917年5月13日、聖母マリアが現れ毎月13日に此処に来いと子供達に話したという。
6/13 群衆の数50人 マリアと子供達の会話の内容も記録されている。
7/13 5千人を超える群衆の前で予言が告げられる。
8/13 1万8千人が集まるが子供達は行政関係者のより監禁されていた。
8/19 マリア予告外の出現
9/13 3万人の群衆が集まる。
10/13 7万人の前で太陽のダンスなる奇跡を起こす。
3つの予言とは…
1.第一次世界大戦の終結
2.第二次世界大戦勃発
3.???
この3がポイントなのだ。
教皇暗殺未遂事件だと発表されたが?
軽すぎないだろうか?
世界大戦の予言に比べ暗殺、しかも未遂だ。
この第3の予言は封印され続けていた。
閲覧した教皇は内容に衝撃を受け公開を控えたのだというが…暗殺未遂で失神するかな?
順番からいけば第三次世界大戦という線が妥当なのだろうが…
そもそもマリアとは?
コレが気になる。
天使?マリア? これは当時の宗教観での話である。
つまり…人非ざる者だということだ。
宇宙人だとか、未来人だとか…結びつけたくもなるが、いささか飛躍している。
ちなみに3人の子供は地獄のビジョンを見せられ、祈り続け困難に打ち勝つことで天国行きを約束されたという。
さらに言うなら、このうち2人は間もなく天国へ連れて行くと言われたらしい。
残った1人には苦難に負けるなと…頑張れ的なメッセージを頂戴したという。
よく考えてみよう…
もうすぐ2人は死ぬよ、オマエは元気だけど生きててもツラいよ…頑張れ、そのうち迎えに来るから。
そう言われたのである。
悪魔なんじゃね?
人非ざる者が聖なる者だと決めつけるのはいかがなものか?
『ラプラス』
地球上の物質・運動量の全てを把握できるならば、過去と同じように未来を知ることもできるという、在りえない知性。
量子論からすれば矛盾を孕んだ物理でもある。
不確定な未来を完全に予知することはできない。
未来は計算では測れないのだ。
予知・予言は、全ては後付の解釈が、どうとでも成り立つ言葉遊びだと僕は思う。
でなければ、すでに決まったレールを歩いていることになる。
これは知性の否定だ。
全てが決まっているのなら…人の存在はあまりに憐れだ。
『第3の予言』など僕は無いと考える。
白紙なのだ。
ゆえに公表できない。
もし、あるのなら…
それは『ヒト』の存在を否定する真実なのだと思う。
『我々は存在しない』その証明だと僕は思っている。
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