小箱の縁

 巷では若人に小箱が流行っていた。

 アクセサリとしては少しばかり大きな、しかし掌には乗るサイコロ程度の小箱である。


「うーむ。ダサい。私のセンスに全く合わない」


 幾らか唸って見せた後、小箱を握りしめ彼女はそう言った。一刀両断である。私は少し笑いながら、流行などは元より個人的感性とはかけ離れたものだと返す。

「いや、もう少し小娘らしい返答をしたらどうなのよ」

 どうやら私の反応の方がお気に召さないようだ。まあ確かに、少なくともそこいらの喫茶店で女子高生二人がする話としては、いくらか七面倒なノリだ。


 そう、学生なのである。私も、そして彼女……田淵という名の女子も。

 しかしねぇ、君。これは願いが叶う箱なのだから、と弁解する。

「あー、おまじないの類か……」

 子供も良くやる、スピリチュアルな願掛け道具。そんな物に確かにまともな理屈やセンスなどなくても道理やもしれぬと、彼女もそう納得する。だがそうではなく。

 願いが叶う小箱とは、字義通りそういう意味でしかないのだ。


「……ガチ系?」

 何がだ。まあ言わんとしたい事はおぼろげに理解できるが、少し引いた眼を向けるのは勘弁してもらいたい。

「私だって正直怪しいキャッチフレーズだと思っているが――まあ、とりあえずこの……箱の、溝の様な部分を適当に捻って」


 ぎぎぎ、と。例えるなら、錆びついた歯車を強引に稼働させたような音が鳴る。だが何も起こらない……と。拍子抜けしたような微妙な空気が漂った瞬間。

 ふと机の上を見るとミニカーが置いてあった。

 何時の間にこんな物がと田淵くんが首を傾げる。

 今さっきだよ。そう言っても、訝しげな彼女の表情は深まるだけだった。




「つまり。これを……なんかガチャガチャ動かしてるとどこからか物が出てくると」

「非常に端的だがその通りだ。というよりそれ以外はサッパリわからない」

 なんじゃそりゃあ、めちゃめちゃ怪しいじゃん。と呆れたように大仰なリアクションが返ってきた。


 確かに怪しい。否、怪しいを通り越して阿呆らしくさえ感じてくる。

 クラスメイトから貰ったものの、現代物理学といった等の科学理論に全面戦争を持ちかけてくるようなこの存在を果たして如何したものやら。


 私は困り果てて数少ない友人の一人である彼女に見せたのだった。

 しかし結果として出てくるのは暫くミニカーやらブロックやら子供の玩具である。数百円出せばそこらの店で買える玩具である。

 ……保育園児程度の年頃に渡されれば奇跡の箱そのものかもしれないが、仮にも花の女子高生である私にとっては別段ちぃとも嬉しくない。

 というかだからあれほど気楽に貰えたのだろうとふと気付く――厄介事ではないが限り無くそれに近い存在な気がしてきた。


「そこらへんに居る子供に押し付ける事も考えたが。どうにも得体の知れない物を渡すのも気が引けて……」

 変な噂になっても困る。

 往々にして都市伝説とはそういった子供に対する大人の奇行や奇人の存在が切欠になりうるものだ。

 私は怪人美人玩具箱女などにはなりたくない。何より色々と語呂が悪いし児童にネーミングセンスは期待できまい……妙な妄想に脱線した自分で自分に呆れつつ、自棄になった私はコーヒーを頼み一気飲みする。旨い。


「んーじゃあさ。返しちゃえば?」

「もらい物をかね。しかもあからさまにあの子も要らんと言いたげだったし……結局は他人に押し付けるだけの様な」

「いやいや。そじゃなくて」

 買ったんでしょ。そいつに返品しちゃえばいいじゃん。

「……成程」

 無難で建設的な選択ではある。




 私達は探し続けた。わざわざ動きまわることに、ただの興味や関心があった事は否定できない。

 だが、自分たちの周りで得体の知れない物品が出回っている……ということが些か不気味だったのもある。

 要は危機意識に近い。

 探せば探すほど小箱の持ち主は無数に見つかった。しかも困った事に、人々の持つ小箱の性質は一種類ではなかったのだ。

 小物のちょっとした延長線上として使っていた人はまあいい。

 ある者は日がな一日小金の出てくる小箱を弄り続ける日常を送り。

 またある者はただ仕事に使える、便利な道具の出てくる箱としてのみ使っていた。

 果ては食材の調理のために用いていたケースすらあった。どうやら熱を放射したり切れ目を入れられるらしい。


 何かがおかしかった。そうだ、誰もがこの奇異極まるわけのわからない小箱を使う事をおかしいと思ってないのだ。

 それに依存している人も、持ってはいるがさして興味を持っていない人もいた。

 だが、皆共通している事は小箱の機能……その存在に何の疑問も有していないことだった。

 ただ流行としてたまに人が持っているのを見ると、ふとそれが当然のものとして浸透しているのを感じた。

 しかしそれは只の飾りとしてだけではなく。確かに道具なのだ。


 小箱の出所を一日ただぼんやりと探していくと、ある時それはあっさりと見つかった。

 情報を持っていたのは私が小箱を貰ったあるクラスメイトの女子、聞いたところある女が小箱を配り歩いているという。

 連絡先を教えてもらい、直接私達は出向くことにした。

 別れ際に我がクラスメイトは不思議そうにこういった。

「アンタァ別段小箱が欲しいわけじゃない、とか言うてたでしょ。なんでそんなものイチイチ調べるん?」

 さて、何故だろう。

 不安だからでもあるし、何やら衝動的な興味でもあると答えると、ふぅんと適当に納得したようだった。

 恐らくこの子もまた、小箱に対する忌避感も――違和感もないのだろう。




 数日後、近所の倉庫街。そこのコンテナの中のひとつに、不自然なドアが付いていた。

 あからさまに怪しいと思いながらもノックをする。


「あら。お客さんね? いらっしゃい。鍵は開いてるわ」


 そう、どこか気取った感じの声がして。反射的にドアを開けると。

 中にはソファが二つほどある簡素な部屋。隣では彼女が少し面白いと言った感じで口笛を鳴らしている。

 片方のソファ中央には、どこかしら浮世離れした雰囲気を持った女が居た。

 

 べたりと墨汁を塗りたくったように黒く、艶や光のない髪と目。

 長袖にスカート、タイツという肌が隠れる服装だが、顔や手など見えている部分は不自然に白い肌をしている。

 年頃はたぶん私より何歳か上……成人前後といったところか。

 ――いかにも怪しい笑顔を見せ、こちらも正面のソファに座るよう促してきた。

 私達はお互い顔を見合わせ。どうする? とアイコンタクトをするが……数秒して他にやるべき事が思い浮かぶでもなしと、座った。


「あなたが、あのよくわかんねー小箱のブローカー?」

 田淵くんがズバリと切り込んだ。流石、割り切りが早い。

 だが向こうの女の方はそれを聞いてどこか悲しそうな顔をしている。

「あら酷い。ブローカーだなんて物騒な響き……私はただ小箱をあげてるだけ。お金だって、一応形として少し貰っているだけで何万円も何十万も貰っているわけじゃないわ」


 ううむ。確かに悪行とは言い難い。が、善行にも到底見えぬのも事実。

「しかしてあの小箱は一体何なのかお尋ねしたい。宇宙人の落し物かはたまたマッドサイエンティストの発明品か、ともあれ何に属するどのような力の産物かサッパリわからん」

 これでは処分にも困る。一体このブツは捨てるにしてもどのゴミの日に出せばよいのだろうか。分解はすべきなのだろうか? プラスドライバーで、或いは星形で?


「知らない」


 …………なに?

「もらい物ですもの。好きに使いなさいって、たまたま知ったスーツのお兄さんがくれただけ。ヤマダとかナカヤマとか言ってたかしら。まあよくある名前よ」

「あー……アンタも仲介かぁ。裏に誰か居るわけか」

 こちらも揃って少しうんざりした反応をしてしまった。この女性もまた業者に過ぎないのか。何やら巨大組織の陰謀でも絡んでいるのかと警戒したが、女はどこ吹く風で否定する。居ないわよ? と。


「私以外があの人から小箱を貰ったなんて話は聞かないし、今流行りの小箱は全部私が皆にあげたもの。全てを動かしてるのは私であの人は問屋みたいなもの。そこは動かないわ」

「なんでまた、そんなことを」

 思わず疑問を口にすると、数瞬ほど女は考え込む仕草を見せた。とはいえ迷いの類は感じない。どちらかと言えば、自分が喋るタイミングを計っているのだろう――やがて口が開いた。

「便利だから。あとは……そうね、流行のひとつくらいは作ってみたいという欲求かしら」


 ――これもまた、端的である。が、納得はし難い。というより釈然としなさはむしろ強まった。

 そんな軽い理由でこんな奇態な物品を配られては非常に迷惑だ。いや、むしろ迷惑と思えない空気だから困るのだ。反応と対応に困る。

「仕組みもわかんないのに。無責任だなぁ……」

 それを聞いて、女は軽く笑いだす。

「だからね。これはそういう物なの。小難しい原理を一々考えていたら使えないのよ? それとも貴方たちは自分が使う物全ての機構と原理を知っているのかしら」


「……少なくとも、私達よりキチンと知った専門家は居る」

「でも別にその人たちと直接縁はないじゃない。ただ見も知らぬ専門家が安全だと言い、お店が保障をして売る。大多数の人々はそれをロクに考えず買うだけ――」


 無論、例外はあるだろう。しかし誰もが自分たちが使う家電製品やら、車やらの全てを事細かく知っているわけではない。

 何より今のモノに溢れた世でその全てを理解するのは難しすぎる。

「私が貰ったこの小箱――キューブと言ったかしら? まあそれだって、くれたあのお兄さんなら仕組みを知っているでしょう。基本的に危険もないとも言ってくれたわ。信用もできそうだった。ならそれで良いじゃない。私たちがその仕組みを知っている必要が、あるの?」


「だからってねぇ、これはいくらなんでも……おかしすぎるじゃん」

 これは明らかにオカルトの領域だ。箱から何でも出てくるし、色々な事ができる。ひどく大雑把に何でもありだ。

「そうかしら。初めて見る道具やら機械なんて、どれもこんなものじゃなくて?」

 いや、明らかに違うだろ……と、言いたげな約2名の目線が女に向く。無論私と田淵くんだ。


「あら。違うのかしら?」

 そんな我等の声に出さない不満の空気を見て、わざとらしい余裕たっぷりの声色で言う。

 挑発かとも一度思ったが、どうやら元々こういうまどろっこしい立ち振る舞いが染みついた人間のようだ。

「子供の頃大人が使っていた機械は何か不思議なモノにしか見えなかった。小さいころは今こんな道具を使うなんて思わなかった」

 確かにそれは誰しも思う事。まあ何も知らぬ子供の時分としては当たり前のことであろうが。

「当然なのよ。何を使い、どんな道具を用いるのが自然かなんて、常に入れ替わっているんですもの」

 原理を知らなくともこうすれば得をする、という条件によって物を使う。それはまあ、言われてみれば日常で起こっていることだ。

「でも、ホラ。一日の大半を箱を弄る事に費やしてる人だって……」


 そう田淵くんが納得できんと苦く言うと。女はいくらか考え込みだした。

「それは……依存ね。日常生活に支障が出ているのなら、気の毒な話。でも小箱が直接おかしな影響を起こしてるわけじゃないわ……そう、賭け事やゲームにハマるようなものね。たぶんその小箱は出てくる物や使い方にランダム性……あるいはゲーム性のようなその個人に上手く訴えかける要素があるタイプだったのね。心当たりはあるわ」


 小箱が真新しく珍しげな物であること。そして出方の確率。それらが偶然小箱を得た一人の感性に合い、強く依存させたのだろうと。

 なるほど、いわゆる心理学用語で言うところの部分強化というやつの一種である。確定した損得よりもランダムに得をする状態の方がハマりやすい、というものだ。

 動物実験などでスイッチやレバーを押すとランダムにエサが出てくる箱を与えた結果、延々と没頭し続けたという話を聞いた事がある。

 例え他に餌を得る方法があり、そちらの方が確実に効率の良い状況であっても。

 正に素人の精神分析もどきの如き拙い推察に過ぎないが。つまりは小箱自体は強く異常な精神的影響を放っているわけではないと、そう言いたいのだろう。一種の毒電波でも発信していたのかと警戒したが……違うようだ。


「んな……酷い!」

「そう? でもお金や視聴覚の負担が殆どない分、そっちの方が良いんじゃないかしら?」

 明らかな奇行に見えても、人間としてはずっと健全じゃないかしら。

 そう動じてもいないように女は言う。思わずこちらは言葉に詰まる。

「何も寝食を全くしていないというわけじゃないのでしょう? それならいくら小箱があろうと、とっくの昔に死んでいますもの」


 確かに、賭博やゲームで身を崩す人も世の中には多々居る。

 奇異に見えると言うだけで、元々そういったものに依存しやすい人間ならばまだ……まだ、箱を部屋の中で弄ってる方が健康的やもしれない。

 檻で実験される動物は実験器具の原理を知らなかろうが機能を知れば自分から使う。与えられた物の原理など全く知らなくとも、自然と。


 何が違うのだろう。それこそ博打に使う機械の原理など、世の博打打ちは知るまいし、知ろうともすまい。賭けてる本人には出目だけが重要なのだから。

 ……イカサマのために知りたくなる時は、あるだろうけど。


「確かにこの小箱は本当に不思議ね。理屈もわからず色んな事ができる……でも万能には程遠いわ」

 道具に頼ると言うけれど。便利すぎる風に見えるかもしれないけれど。でも今の世の中ってずっと前から元々そんなものじゃなくて?

「もしも道具に頼りすぎる事が堕落だとか思っているのなら、依存だと思うのなら。それはもう、今の世においては手遅れじゃないのかな」

 こんな小箱を見慣れぬ立場だから貴方たちはおかしいと思い、変な物だと訝しむのでしょうね。


 女は笑っているのだか真顔だかわからぬどこか透けた表情で、そう言った。

 しばらくして。女は懐から見た事のない小箱を取り出した。

 今まで方々で見たのより、少し大きい。何か緑色で、ギザギザの模様が付いている。私は心電図や脳波計を連想した。

「これは私が人にあげないことに決めている小箱のひとつ。売る側の特権というものかしら? この小箱は人々の認識に干渉するの」

「……なるほど、それを使って小箱に対する忌避感や警戒心をおかしくした、という訳か」


「ええ。だけどそれも、全てが意のままにというわけではない」

 CMや宣伝が人々に影響を与えるようなものに近くあり、そういう性質の物らしい。小箱を肯定するようになるのではなく、ただその存在を当たり前だと思うよう働きかけるだけ。

「つまりはこれも絶対じゃないわ。ホラ、貴方たちみたいにこれの働きが効きにくい人も居るし、日本中誰もが小箱を持っているというわけでもないでしょう? 今はまだ」


 おかしいと思う? なら世界はとっくの昔におかしいわ。現世なんてもう、SFに片足を入れているのよ。今が既に夢見た未来でなくてなんなのよ――――


 まくしたてる、というより歌うように、女は朗々と言う。

「これがインチキと言うのなら世はもうインチキだらけ。使うか使わぬかはそれぞれ個人の感覚次第。それだけよ」

 そう締めくくった。

「成程……お前の理屈はわかった。だがやはり」

「コイツを売るのはやめてもらいたいね」

 こちらは確固たる否定の意をつきつけた。くどいと言いたげに女は少し、眉をひそめる。


「しつこいわね。どうしてそんなに意固地なのかしら」

「なんだか野放しにするのも気が乗らないし……理由はそれで充分っ!」

「うむ、それに……」

 

 お前も小箱も揃って胡散臭すぎる。

 

 そこは統一見解であると。そう断言した我等に対して女は真顔で。

「あら酷い――――傷つくわ」

 嘘付け、全く平気そうなくせに。




 やがて。少しずつ小箱の流行は終りを迎えていった。

 別にあれからどうしたわけではない。ただ、女には能動的に自分から小箱を広め、売る事をやめさせただけだ。

 我々のように客から探しに来ても絶対に売るなとまでは言ってはいない。しかしそれだけでアッサリと「小箱」のブームは終わって行った。

 ひょっとしたら、テレビか何かで大々的に取り上げられたら、流行は終わらず当然のものとして定着したかもしれない。

 

 だがそうはならなかった。存在が不明瞭なあの小箱ではテレビ局も話の掘り下げようがなかったというのも恐らくあるだろう。

 単に偶然プロデューサー等の目に付かなかったという事も多分に考えられる。

 どちらにせよ理屈のまるでわからないこの奇妙な小箱は、不自然な物として排斥されたのではなく――ただ自然な一過性の流行として処理され、消滅した。まあ、或いはリバイバルする可能性も考えられるが。

 

 賭けやゲームめいた様式の小箱にハマり込んだ男も、家族に無理やり止められたと聞く。手軽な存在であった反面、取り上げるのも容易だったようだ。

 また小箱を買いに来たというわけでもない辺り、熱は冷めてしまったのかもしれない。

 

 そして、当の女は。


「見て。今度はお兄さんにこんな小箱を貰ったわ」

 こうして喫茶店で私達に土産を見せつけていた。

 機能がおかしいものだけでなく。存在が奇妙としか思えない外見やら素材の箱を日々、何が楽しいのかぽんとこちらに見せてくる。

 どうやら使いようによっては危険かもと判断した代物は流石に人には与えず、自分で取っておいてあるらしい。多少ならずとも自分の手元に置いておきたい欲もあるようだが。

 

 明らかに成人しているであろう彼女が朗らかにお兄さんと呼ぶ男も気になるが、何よりどこか怪しいこの女自体が何をして生きているのかさっぱりわからない。

 小箱に負けず劣らずこいつの方が遥か謎の彼方なのではないだろうかと思わせるほどだ。

 世間に広めさせるのは止めたが、これの存在まで一々文句を言う気にもならない。個人的に小箱とやらを買うのくらいは別に良いかと言う大雑把な采配であった。

 そしてそんな女が何故私達と一緒に居るのかと言えば。

「だってね。私はあの小箱を売る事で出会った人たちと話したり遊んだりしていたのよ。寂しいじゃない」

 ということだそうだ。年上にしては奇妙な危うさを感じさせる物言いだった。


「でも本当に今更よね。私の小箱くらい止めたって」

 世の中には理解もせず使う道具がごまんとある……先もしつこく聞かされた話だ。だがそれでも不可解さの質は、やはり違うと判断していた。

 世の中に広めるには少しばかり不思議すぎる。それだけのことだ……

「私に小箱をくれたお兄さんは、もう慣れていると言ってたのに」

 ――――慣れ?

「慣れ……って」

「ええ。みんな慣れていると聞いたわ」

 いや。そんな、それは。

「今はもう他の人に色んな道具を売ったり広めた後で、人の世もそこそこ斯ういった物にも慣れているだろうから」


 だから小箱は君に任せるよ……と、貰ったのよ。


 ふう、と女はため息をつきつつ言った。

 正面では茶を飲んでいた田淵くんが固まっている。

 私は喫茶店の窓へ向けて鈍く首を回し、ゆっくりと外に目をやった。


 雑多に溢れる車や鳥や魚や人の、何が当然の存在なのか。一体どれがおかしな物なのか。

 私達は小箱の影響は比較的効かなかったが、他の何かはどうなのだ。


 いや、逆にそのよく知らぬ男が売った物が真実同じように奇怪な代物であるとも、また人々に浸透しているとも限らないのだ。何もかもごく普通のままなのかもしれない。

 だが……この景色に――今まで違和感すら抱くことのなかったこの景色にどれほどあの小箱の同類が混じっているだろう、と。今の言葉を聞いた瞬間からもう考えてしまっていた。

 全ては窺い知れない。おそらく――これからもずっと。

 がちゃり、と。

 テーブルの上に乗せた小箱が、鳴っていた。

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