あまりにも膨大な
某都市の片隅に、その施設はあった。
人が住まぬ土地。誰も近寄らぬ場所。そう言われて連想する物と言えば何か。そのひとつとして危険物質がある。
そう、核すら生温く見える超兵器がこの施設には封じられていたのだ。
諸々の事情によりこの恐ろしい――言葉にするも恐ろしい物を私は管理していた。
四阿野室長、そう呼ばれて久しい。
しかし最近になってその兵器とは全く別の意味で、人を尻込みさせるモノが出るというのだ……魔物じみた何か。そう、髑髏面の男を見た、という証言をしばしば耳にした。
要はつまらぬ噂話である。大小なりとも不安さを掻き立てる場所ではよくあることだ。珍しくもない。
まあ巨大な施設ではよくあるオカルトじみた幽霊話というだけならばまだ良い。だがもしそれがテロ組織や海外からの工作員のことであったら? 怪談の様に見せかけたカモフラージュか、或いは逆に尻尾を出しかけたその手の輩を見てしまった目撃例だとしたら?
この封印場を荒らされ、下手を打てば世界が滅ぶのだ。見つけ出したらこの手で殺してでも止めねばならぬ……そう私は決意した。
しかし施設の噂は止まらぬ。髑髏のような面を被ったスーツ姿の男の目撃例は次第に増えていった。
そして幾日か経ったある時――唐突に自室で聞きなれぬ声がした。
「もし」
その者は静かに立っていた。噂通り髑髏のような顔を見せ、スーツを着こなした男が、どこからともなく部屋の中に出現していた。
それを見たと同時に私は思わず殴りかかった。上手く人を呼べる位置に居たわけではないのもある。だがその怪人物に対する勝算もなく、ただがむしゃらな使命感と恐怖心が起こした反射的な攻撃だった。
しかし、霧に景色が溶けるような不可解な動きと共にすり抜ける。
何奴。そう絶叫にも似た声が出た。
「無駄ですよ。私は敵ではありません」
問いただす暇もなく彼奴は淡々と言葉を紡ぐ。
「ただの……そう、ただの死神です」
なんと。
信じがたい。が、今の人知を超えた挙動は確かに人では為し得ぬ事。この髑髏の面……いやハッキリと見れば髑髏そのものが顔となっている死神とやらは、私を彼岸へ迎えに来たとでも言うのか。
冗談ではない――今急に私が仕事を離れれば、それだけここを危険に晒す事となる。
「ま、待て。せめて仕事の引き継ぎをさせてくれ。ここの管理体制は私が統制しているのだ……此方にあるおぞましい兵器を封じておくためにはまだ私は死ぬわけにはいかない」
何か勘違いをしておいでだ。
しゃれこうべの顎が滑らかに動き、ハッキリとした声が聞こえた。
その響き渡る声に面食らい私は喋りが止まる。それは低い笛の音にも似ていた。
「先にただの死神、と申しましたが。細かく言えば私は通常の死神と違っております。迎えるのは個人ではありません――私は集団の魂を一度に迎える事を役目としております」
「貴方にお会いしたのはあくまでこの場の責任者に挨拶をと思っただけに過ぎません」
それは、つまり。私だけが死ぬということでなく。
ここいらで大規模な死が――多数の死者が出る、ということなのだろうか。
大規模な死を巻き起こす要因。心当たりは一つしかない。
あの超兵器だ。無数の隔壁と特殊な装置で封じてあるあれが、何かの拍子で発動してしまうのではないか。
「まさか、それはあの……我々が封じた……」
私は迷いつつも彼の髑髏頭の男――死神に対し、たどたどしく聞いた。
対して神妙に(とは言っても眼球やら表情筋の類は無いので所作からの推測だが)死神は反応する。肯否を問われれば、それは紛れもなく肯定に類する反応であった。
私は思わず部屋を飛び出した。
ありえない。ありえてはならないのだ。何事ですかと驚く部下を黙殺しつつ、セキュリティを必死で確認し、何度も防衛システムを見た。
不備はない。
落ち度もない。
ただ……あの超兵器は非常に不安定な存在なのだ。故に危険すぎるため運用を禁じ封じられた。
こちらの対処が正しくとも収容物の方がキャパシティを上回る暴走をする可能性も……無いわけでは、なかった。
絶望が脳を支配する。我々は今まで優秀な体勢で管理していた。危険に対し己こそが最善を尽くし完璧に対処しているというプロとしての自負があった。
しかし現実問題、いくらやっても事故の確率を完全なゼロにはできない。そんな残酷な事実を突きつけられた気分だった。
あるいはやはり某国の工作員の仕業かもしれない。
件の噂話の正体は物理を超越した存在である死神であったのだが、他にこれから海外工作員やらテロリストが来襲しないとも限らないのだ。
それならまだ阻止のしようもあるかもしれない。
いや、もう此処には死神がやって来ているのだ。どの様な要因であろうとこれは天命やもしれぬ。逆らったところで無意味なのか?
……しかし諦めるわけにはいかない。
私は超兵器の管理体制だけでなく警備体制をも強化し、髑髏面の男の噂以外にも不審者が居ないか徹底して調べた。部下たちにもその緊張が伝わったのか、髑髏の男は何かしらの陽動か何かで、他に危険人物が入り込んでいるのかもと思い調べていた。
今やこの集団に隙はなかった。濃密な一体感があり、団結を感じる。そうだ、あのとぼけた穏やかな死神に無駄足を踏ませてやろう。そう私は決意していた。
そんな熱の入った我等の仕事とは対照的に、幾日も死神はぶらぶらと施設を周り、何やら確認のようなものをする。その視点は酷く謎めいていた。
目が合えばこんにちわと言い、たまに挨拶をしに自室に来る。
悪意は感じられなかったが、それだけに恐ろしい物を感じた。まるでご近所に居る老紳士のような対応ではないか。あるいはこれから近所で道路工事が起こりますと念押しをしてくる業者の挨拶か。
そして、あくる日――事は起こってしまった。
地震が発生したのだ。
だがそれくらいでこの施設は参るわけではなかった。
耐震設備は整っており、この程度の揺れならば超兵器にさしたる影響はない。
そう思っていた矢先に、無数の落雷が発生した。
どちらか片方だけならまだ問題はなかった。だがそれらが両方やってくるなど正に天文学的に低い確率の不幸だろう。
「監視システムはどうなっている!!」
「高電圧と震動で一時的に回路がく、狂ってます! 復旧まで残り5分20秒!」
私は兵器の部屋に向けて駆け出した。非常用の隔壁が外側から閉まる。
怖い。しかし確かめずにはいられなかった。あれを止める事は出来ないのか。死の運命とは、絶対なのか。
最後の隔壁から中へと入ると……一際大きな落雷と本震によって、内部のチャンバーが歪んでいた。
私は決意と共に部屋へ入る。もし私が超兵器にやられ死んだとしても、この状況で被害が発生する状況ならば結果は変わるまい。
半ばノイローゼじみた行動を続けたせいか――自棄にも近い思考回路をしながら私は突き進む。そして封印室の最終隔壁を室長権限で開け、見えたものは。
そこには超兵器を封じ込めていた場所一杯に膨れ上がった、何やら大きな物質があった。
モヤを凝縮したかのような、粘菌か何かにも似た不定形のかたまり。
それは元来目に見えぬはずの微細な存在……そう、実験的に作ったは良いがあまりにも突然変異を繰り返しすぎて処分の方法すら判明せず、封じておいた『細菌兵器』だ。
超兵器とはこの細菌兵器のことだったのだ。
それが突発的に異常増殖していた。しかも辺りの空間に何かしらそれ以外の変化は起こっていない。対峙している己の身体に変調も見られない。
つまりあれは残骸のようなのだ。
どうやら過度の振動と落雷という時間差の刺激と環境が更なる突発的変異をもたらし、この現象を引き起こしたらしい。
どれが如何なるタイミングでどう干渉したのかは謎だが、最初の変化でそれは想像を絶する異常増殖を引き起こし、そしてその後の変化で一度に死滅した。
感染するキャリアも存在せず、逃げ場もなく全ての群体が、絶滅したのだ。ひょっとしたら空気の流れも関係あったのかもしれない。
兵器としてあまりに弄りまわし変異した細菌であったため、最終的には嫌気性、好気性であるかさえ謎だったのだ。そうぼんやりと考えていると。
「お迎えにあがりました」
背後で声がした。淀んでいた意識が浮かび上がり私はハッと振り返る。
鎌のような何かを持ち、そこには死神が佇んでいる。静かでありながらも、さあ仕事を始めるぞというやる気を感じる雰囲気がそこにはあった。
つまり。
つまり、彼が導くべき――並はずれて大規模な死者とは。
「いや、全く凄いモノですねニンゲンの英知は」
「本来は私がわざわざ来ることもないのですが……こう自然界にもない膨大な規模で一斉に死なれては、それなりの準備や行動も必要でしょう」
そう言いつつ死神は封印室に向かって鎌を振り、半透明の莫大な何かの塊を連れて行った。察するにそれは――どうやら細菌の霊魂のようだ。
私は全ての責任と疲労、プレッシャーから解放された反動から……くたくたと倒れていった。
ふと端末から通信が入る。慌てた部下たちのそちらは大丈夫ですかという叫び声に近い確認に対し私は。
「もう大丈夫だ」
とだけ答えた。
思わず眼を閉じる。意識が淀んでいく中、復旧作業やこちらを心配して駆けつけるばたばたとした部下たちの声と足音、通信の音だけが気絶にも似た眠りにつく私の脳裏へと響いていった――
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