ネタ切れ続ける
巨大な空間を埋め尽くす本の山。
天を突くが如し本、本、本。
ここは西暦に直せば数千、いやさ数万年代と呼べる未来の図書館である。
「…………異常は、ありませんね」
ただ一人、そこに立つ男が呟く。小さな声だが、がらんとした本だけの空間では響きが良いのか……耳に残る音だった。
いや。
「そこにいらっしゃる方を除いてはね」
一人ではなかった。
男が目をやると、そこには天高く聳える本棚の角に隠れる誰かがいた。
「出てきなさい。私も責める気はありませんよ」
しばらくして、多少迷いつつも誰かが出てくる。
それは少年だった。小学生か、中学生か。判断がつかないくらいの年頃の子だった。
「…………」
少年は男を気まずそうに見つめている。
やがて、男……この図書館における司書の方から話を切り出す。
「ここは国の許可が降りなければ入れませんよ。貴方が如何やって入ったのかは存じませんが……私としては退屈だったので、良しとしましょう」
てっきり怒られるかと思ったのか、訝しげに司書を見返す少年。だが。
「気になるのは『どうやって』ではなく『どうして』ここにいらしたかです」
そう淡々とした口調をぶつけられることで多少落ち着いたのか、少年も答えた。
「俺、は……その……知りたかったんだ」
「何を?」
「ほ、本当に、この……この図書館には、地球上の全ての……本があるんだよな?」
「ええ。最も、貴方のような年頃の方が好む傾向の漫画やら何やらは、ごく普通の図書館でも手に入ると思いますが」
「……家の近くにあるのはもう殆ど読んじゃった」
「それは凄い」
変化せず、淡々としたままの口調で司書は言う。言葉の内容とは裏腹にさして驚嘆したようには見えなかった。
「でも……俺は、自分で話を作りたいんだ。自分で、漫画や小説や……いろんなものを。それでさ、みんなに見せて……雑誌とかに乗せて……」
たどたどしく、ばつが悪そうに言う。
それは己の欲求を罪科であると認識している子供特有の喋りだった。
自分のやろうとしている行為が良くないものであると、日頃から大人たちに言われたであろう――怯えと躊躇の混じった、それでいて我慢ができないと示しているような発言。
「…………聞かなかったことにしましょう」
初めて司書はいささか感情の揺れた言動を、同情するような所作を見せた。
「記録媒体として、出版などを伴う創作行為は今や重犯罪に類する行為ですよ、ご存じでしょう」
「なんでだよ! なんで俺が、俺の作りたいものを作っちゃいけないんだよ!」
少年は激昂する。
「昔はみんな仕事にしたり、そうじゃない人たちもお話を作って見せ合ったり出版してたって……書いてあったんだよ……」
後半になるにつれすすり泣きの混じる声に、司書は溜息をついた。そうして数秒後。ある話をしましょうと切り出す。
「……未来史に入るずっと前の話ですよ。そうですね」
「まず本などの創作物でかつて起こった問題といえば、人権問題などがありますかね」
「特定の何かをからかっている。バカにしている、そういったことで数多の本が消されました。ですがやがて、逆の運動が始まったのです」
「被差別側が逆に過剰に保護されているような感覚に陥ったのですね。権利が保障されれば後は強い存在としての尊厳を保とうとするのは当然の結果です」
「それらは落ち着いた。次は犯罪教唆、精神へ異常をきたすとの規制……ようするに、暴力やナンセンス、性的な表現に対しての忌避感からくるものです」
「これは根強かった。何せ犯罪へのトリガーへとなるんだ、と言われてしまえば、もう言い返せない。本来こういったものは関係があることを証明が必要なはずですが、この場合は無関係であることの証明をしなければならない。そんなことできるものですか」
「数多の創作物が消えました。小説や映画、ドラマは見逃され、漫画などが過剰にやり玉にあげられたこともあった。ゲーム脳などという言葉すらできたようです。ゲームをすることで脳機能に異常をきたすとか……まあ昔のことです、迷信の一種ですよ」
「やがて、創る側の権利というものがとりざたされ、それらの問題はゆっくりと消えていきました」
滔々と語っていく内容はこの星の歴史。ちょっと調べれば誰でもわかるようなそれを、正しく子供に諭す喋りで司書は言い聞かせた。押し黙って少年は聞く。
「まあごちゃごちゃ長々と話し込んでいましたが、全て過去のいざこざです。今はそれらに邪魔されることは、ない」
「じゃあなんで……」
納得しかねる少年を軽いジェスチャーで司書は牽制し、一瞬ためて。
「それはあなた、ようするに」
一言。
「今や書くことがないんですよ」
そうアッサリと言ってのけた。
「いや、個人の価値観においては、いろいろあるでしょうが……既にもう、一人の人間が考え付くようなことは全てアレンジまで含めて書き尽くしてしまったんです」
「作品の創造行為が法的に許された最終期などはすごいものでしたよ。記録映像や音、その他の媒体でその苦悩の様がふんだんに残っていましたがね……世界中の天才や機械をフル動員して今までにない斬新で面白い、いやつまらなくてもいいから今までにない作品を作ろうと……あれはもう集団ヒステリーの域でしたね」
見てきたかのように司書は喋る。
事実それらのデータ、書物は多く残っているのだろう。創作等において最も苛烈で強烈な時代として、有名なことくらいは少年もわずかに知っていた。
「国になんとか許可を取って薬物や催眠を多用し幻覚の中エキセントリックな話を書き上げた者」
「実際に国家レベルの事件に潜入して創作活動の肥やしにしようとした人」
「既存の文法、色彩表現から脱却しようと人工言語や人間が認識できない紫外線、赤外線を視れるようにとそういった科学技術を開発する方向へ生涯を費やした人もいましたね」
「それらの作り手の姿をモチーフにした話も、もちろん多く作られました」
「あの姿は……まあなんですか、ロウソクの最後の輝きのようなもので……そして今やロウソクはとっくの昔に燃え尽きている。というだけのことです」
そういうものなのだろうか。釈然としなさが残る理屈だ。
「そうですね……何か適当で出鱈目なキャラクターやストーリーを挙げてみてください」
唐突にそう聞かれ、少し戸惑いつつも少年は従う。
「えっと、大男と美女が宇宙の旅をする魔法と推理の物語……とか」
別段意味はない。少年は本当に適当に答えただけだ。
だが瞬時に司書はそれに対し回答を導き出す。
「西暦5085年『青空を越えた虹』」
そう言うと懐の端末機械を慣れた手つきで弄り検索を開始する。
数秒後司書は、出てきた同名のデータを見せてきた。
「――――これは」
あらすじはと登場人物は先ほど少年が言ったものと同じだった。自分の好みでさえなく、完全に出鱈目であり得ないものを言ったはずなのに。
「あったでしょう?」
焦って他にもランダムな設定を挙げていく。そして司書は答え、調べ、見せた。
段々挙げる設定のパターンがなくなってきて、何時しか少年の出す例もありきたりなものになっていき。
「はは、そこまでいくと逆にメジャー作品もいいところだ」
と、言われた。
「まだ納得がいかないのなら、自分でどんどん調べて御覧なさい」
それで気がすむのならね。そう言われ……少年の口はようやく止まった。
疲れた、と言葉が漏れる。
「そこです」
「……何が」
疲れた、という点。正にそこがポイントなのですよと司書は言う。
「まあこれらは創作関係に限ったことではないんですよ。例えば戦争だってそうだ。純粋に平和だとかなんとかの追及ではなく、もうそういったことを行う大義名分やら理由が出せなくなったんですよ。つまりは……」
「ネタ切れってやつです」
「ネタ切れって……」
「飽きた、と言ってもいい」
そんな滅茶苦茶なと反論が返る。流石に飛躍しすぎではないか。争いに飽きるなどと……もっと、論理的な理由があるものではないのか?
「いえ、そういう物ですよ。大規模な戦争行為自体に人間という種が飽きたんです」
誰が支配するでもなく。管理するでもなく。マンネリズムというものは歴史の争いにすら及んでいるのだと。そう司書は断じた。
「確かにそれだけでもありませんが……結局のところ、平凡な毎日こそかけがえのないなんとやら、というやつですよ」
「現代史においてはある作品とある作品に類似点が見られれば『パクリ』と言って騒ぎ立てたようですが……羨ましいことです。そんな細々としたことが言える時点で彼等の時代にはまだオリジナリティの余地がある」
今はそれが無いとでも言うのか。そう少年は悔しさを隠さず問いかける。だが司書はまたも当然そうに――
「ええ、ありませんよ」
何がどうと言うわけでもなく言い放つ。
「何よりこれほど無数の作品群ができているのです。それこそ平均寿命が数千年まで伸びた我々人類ですが……その全てを読みふけることに費やしても、足りないでしょうね」
図書館、その空間を司書は大げさに手を広げ見せる。あまりにも広い場所でありながら、ビッシリと視界に映る本は奇妙な圧迫感をこちらに抱かせていた。
「機械化電子化などを選ぶ人も数多出てきましたが……既に記録媒体としてこの星が残せる量はこれがいっぱいいっぱいなんですよ」
そもそも、これらの本というものは――
「娯楽なんですよ。娯楽が……そのひとかけらさえ見るのに生涯を呑み込まれるほどの覚悟をさせる世界というのも、おかしな話でしょう」
少年は悟った。人はその積み重ねた歴史、記録。その莫大な情報に対して最早疲れてしまったのだ。誰に言われるまでもなく。
それでも。
「それは」
人々が疲れ切った事が、事実なのだとしても。
「それは時代が諦めただけだ。人が諦めただけだ」
「『俺』が諦めたわけじゃない――!」
そう、言い放ち。少年は図書館を出て行った。
司書は……ただ扉を開け、見送るだけだった。
「まあ、いいでしょう」
「ああやって来た少年少女も、彼が初めてではないのですから」
万年以上生きてきた改造司書である男。歯車が肉と一体化し人外と化した男は、今までの歴史を振り返る。
何十年か、下手をすればそれよりも短いスパンで。あのような子供はこの図書館にやってくる。元来熱意とは若人にあって当たり前。たまにああいう種の持つ若々しさの残滓を見せる子は居るものだ。そしてこの図書館に、自分に訴えかけてきた。この平坦な時代の象徴である自分たちに――どうしてだと。
そして……その子供たちが後にどうなったか、この司書は全く知らない。
捕まったか。矯正施設にでも入ったか。諦めず、裏で何か新たなモノを作り上げたか? それとも挫折したのか。
わからない。外に出て確かめようという気にもならなかった。
この本の詰まった、閉じた空間だけが司書の世界なのだから。誰に言われるでもなく彼はそこに居た。
己は司書である、もうそれだけが彼の存在理由。星立図書館唯一の司書であり事実上の司書長と言える此の男は、何事も無かったかのように書架の間を歩いてゆく。
カツン、カツンと……広大な空間に金属の足音だけが反響していった。
「まったく。実にオリジナリティの残ってない時代ですよ」
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