最終章

14


膨らんだ桜の蕾が一斉に花開き、街のあちこちがピンク色に染まった。


日本の魅力が満載になるこの時期は観光客の数もマックス。普段はどこに潜んでいるのか、穴倉から湧いて出たみたいに人と車が増える。客を満載した観光バスがあちこちで連なり、そのせいで主要な幹線道路はいつも以上に大渋滞だった。


宅配便は早々に遅延を予告して、コンビニの弁当は「追加待ち」、電車は増便しているが街の循環は麻痺している。


奥田の運送部はシフトを全部深夜に切り替えて昼は休業。小口と近隣は従業員が手で持っていくという地獄が展開されている。営業は勿論の事、事務まで駆り出されて社員が全員で走り回っていた。



水嶋は有給で休みだ。


今ここにいたら「リアカー持ってるか?」って聞かれそうだからいいけどね。


その日三度目の配達は、改造して間口を広げたリュックに30キロ(ハサミで切っただけ、しかもノースフェイス、経費に乗せる)を背負い、両手に30キロずつ担いでの工場巡りはチョモランマにいるシェルパかっての。


地獄の登山を終え、ヘトヘトになって本社に戻るとよく知ってる筋肉の塊が電話番の事務に怒られていた。



「関口さん?」


相変わらずの愛らしい目がこっちに気付いて「おう」と手を上げた。


「何してるんですか?運送部は今寝てる時間でしょう」

「俺は昨日帰って来るはずが今着いたばっかりなの、それなのに怒られてる」


「この人に」って指で指されたのは往年の事務さんだ。事務は全員尖っているけど、その古株の事務さんはシャキシャキと音がするタイプだ。

真顔で淀みない正論を飛ばす。


「机に座るからです」

「ちょっと凭れただけだろ」

「あのねえ、私はここを離れられないからこれがお昼なんです、デカい尻で踏まないでください、電話です、邪魔です、あっち行ってください」


相変わらずだな、と思ったら……うん、おやつの袋が平らになってる。

関口の体重で押し潰したならナノ分解は必至だ。


タイミングよく電話に助けられた関口が、ぽりぽりと頭を掻いて人の良さそうな顔で笑った。


その仕草に毛のない大型犬を思い出す。

名前は普通にジョンだ。


「ん?何だ江越。俺が怒られて面白いか、俺は朝帰りなんだぞ?」


「ご苦労様です。道路はどうでした?少しは動いてましたか?」

「観光バスは朝に観光客をピックアップしてもう散ったんだろうな、まだ混んではいるけど動いてるよ、あんぱん食うか?」

「食います、腹減ってます、焼き肉奢って下さい」


「アホ」っと頭を小突かれて関口も関西なのだと発覚。ホイっと渡されたのはガッチリ歯型の形に欠けたあんぱんだった。食うからいいけど。


「荷物運びはどうなんですかね?まだまだあります?俺はそろそろ死ぬかもしれません」

「社長と部長まで出てるんだ、大分落ち着いてると思うぞ。あんドーナツは?食うか?」


そのあんドーナツは今食べてるそれですね?

なぜ半分食うのか知らないが貰えるもんは貰う。

手を出すとやっぱり食べかけが手に乗った。


優しいのか廃棄を手伝っているのかはわからないがこのつぶらな瞳のマッチョは心が大きい。


20時間かかっての朝帰りに、さっきの事務ヒステリーを食らったら俺ならきっと切れてた。


そこでうっかりと筋肉に我慢を溜める機能でもあるのかって意味で「トレーニングは?」って聞いてしまった。


「これはな……」で始まった筋肉自慢。

Heavenでゴリラマッチョに同じ事を聞いて酷い目にあったのにしくじった。

関口はそんなタイプじゃないって思い込んでたのに……そうですよね。トラックを運転してるだけで腕を真下に下ろせない胸筋は付きませんよね。


「腹筋はな正面だけじゃ駄目なんだ」


「はあ」


「二の腕は筋肉付きにくいから」


「はあ」


「ここでちょっとやってみるか?」

「結構です」

「じゃあやって見せようか?」

「はは…」


どんな種類でもオタクに語らせると長い。逃げ道を探して頭の中の検索をフル稼働しているとフロアの入り口から段ボール箱が入って来た。


「なんだありゃ」


正確に言えば段ボール箱を持った誰かだが箱は背丈を越えて見えない。


いいチャンスだから手伝おうと腰を上げると箱の影から顔を出したのは………


ここにいてはいけない人だった。


「水嶋さんっ?!」


「見たらわかるだろう、さっさと手伝え、重い」


「何でここにいるんですか!今日は友梨さんの結婚式でしょう!」

「お前アホか、会社がこんな状態なのにのんびり年休なんか取れないだろ、結婚式は俺がいなくても何の支障も無いけどこっちは支障がある」


「ちょっと!こっちに来てください」


もう諦めて大人しく花嫁に会いに行ってると思ってた。「水嶋」の特性を舐めていた。甘かった。


必ず出席させると……友梨に約束したのだ。

破ると逆襲が超怖そうだし、何よりも水嶋にはちゃんと花嫁を見送り、心の整理をして欲しい。


事務や関口に聞かれないよう、廊下まで連れ出して声を潜めた。


「一体何をしてるんですか」

「うるせえな、何度も言っただろう、家族なんだよ。身内の結婚式より今日はどう見ても仕事優先、さっさと次行くぞ」


「誤魔化さなくていいですよ、そんなにわざとらしく避けるのは友梨さんが誰かに盗られるのを見るのが怖いからなんですか?」

「何だそれは、せいせいするっての」


「………まだ好きなんでしょう」


「アホ、あいつを女として見るのはもう無理」


「嘘をつかないでください」



これの先を言うのは嫌だった。


もし水嶋が自分の気持ちに正直になって動いたらあの奔放な友梨は……きっと何を捨てても戻ってくる。きっとそうする。


二人は、翔ちゃんと友梨はこの世の中全部を探しても代わりの効かないベストカップルなのだ。


もしそうなったら嫌だけど、このまま黙っているなんて出来ない。


「伝えるだけでも……したらどうなんですか、このままじゃ"翔ちゃん"が可哀想です」

「その呼び名を今度口にしたらぶっ殺すぞ」


パチンと指で弾かれた額は痛くない。

そして……そんな顔で笑うな。


「水嶋さん、茶化さないで、今は…」

「俺の……」


「え?」


突然声色を変えた水嶋は下を向いて顔が見えない。覗き込むと困ったように眉を下げて………


笑っていた。



「俺の…障害は……治らない」


ポツンと落ちて来た言葉は予想通りって言うか………正にそれが根底だと思う。


「何を……何を言ってるですか!そんな事は…」

「他人事だからそう言うけどな、無責任な事は出来ないだろ!」

「だから!前に言ったでしょう!それを決めるのはあんたじゃなくて周りにいるそれぞれです!」


「違うんだ…お前が思ってる意味とは違う」

「違いません!俺は…」

「遺伝するんだ!」


「え?」


「俺の障害は……遺伝する」



「それが……理由?……」




ヒリヒリと伝わってくる苦渋の想い。


人によっては壁ですら無い、特に友梨ならきっと「それが何なの?」って笑い飛ばすに違いないのに……


「そんな事……」


「お前も男なんだからわかるだろ」


「俺にはわかりません」

「わかるよ、誰にでもわかる、大学を辞めるって言ったら俺の母は「ごめん」って泣いたんだぞ」


「それはつまりお母さんからの遺伝って事ですか?」

「母方の祖父らしい、俺はもう吹っ切れてたのに……ごめんって……あんなのはもう……見たくない」

「そんな……」


そんなのおかしい。

水嶋の母親だって子供を産んで後悔なんかしている訳ない。



俺には価値が無いって……


もしそれが原因でそんな結論になったのなら水嶋の母は障害を遺伝でプレゼントしたって事よりずっと罪深いミスをした。そんな事で自分の未来を駄目だと決め付けるなんて絶対おかしい。


「俺にはわかりません」


「わからなくていい、言っとくけど今のは「結婚」とか全般の話だぞ?友梨の結婚式は忙しいから行けない、それだけだ。勘違いするな」

「それでもわかりません、ちょっと来てください」


ムズッと水嶋の手を掴んで強く引き寄せた。


「行きますよ」


「え?!どこに?森長製菓?嶋工業?」


「結婚式に決まってるでしょう」


水嶋は完全に整理を付けて、もうすっかり全部を諦めようとしてる、生きる目的と言えるもの全てを。


何でも出来るのに、むしろ普通の人よりもたくさん出来る人なのに、そんなのは今頑張っている障がいを持った人に失礼だ。


離せと指を捲ってくるけど離さない。

水嶋を引き摺って今度はドーナツを咥えている巨漢を呼んだ。


「関口さん!車で来てるんでしょう?出して下さい!今すぐ!」

「江越!いいって!」

「うるせえな黙って付いて来い!このヘタれ」


関口は「車って言ってもトラックだぞ?」と目を丸めたが緊急に使われるのは慣れっこなのだ、事情を聞くより何より先に動いてくれた。




関口のトラックは前にも見た4トンバン。

こんな所に止めていいのか?って場所に置いてあった。鍵穴にキーを差し込みドアを開けてから困った顔をしている。


「助手席は荷物がいっぱいで移動しなきゃ3人は乗れないぞ?」

「いいです!そんな暇は無い、荷台に乗るから急いで!」


時間はもう午前を終えようとしている。

観音扉を開けて水嶋の背中を押したけどこの後に及んでまだ迷ってる。


「おい?!江越?」

「いいから乗って!」


水嶋は強引に引っ張ると弱い。先に荷台に上がってから無理矢理引っ張って腰を持ち上げると荷台の中にゴソゴソと這い上がった。


「違反じゃねえか、どこ行くんだよ」

「携帯で指示します、関口さんは何でもいいからトラックを出してください」


関口は「運転中の通話も違反だ」とブツブツ言っていたが二人で荷台に収まると観音扉を閉めてくれた。


ドアが閉まると中は真っ暗だった。

自分の指先も見えない。

初めて乗る箱トラックの荷台は動き出すと乗り心地が最悪。


「床……硬いな…」

「荷物用だ、仕方ないだろ」


「そうですけど」


道路の凹凸が直接尻に伝わって「今石を踏んだ」とかアスファルトの轍とか凹みとかを懇切丁寧に教えてくれる。


まだ走り出して五分も経ってないのに尻が痺れて来た。


「渋滞はどうなってんるんでしょうね」


「もう……間に合わないよ」

「行くだけ行きましょう、水嶋さんの義務だと思います」


いいのか?

本当にいいのか?


……と答えの出ない問いが頭を駆け巡る。


もし二人があるべき鞘に戻ったら、のたうち回って苦しむとわかっている。


わかっているけど水嶋が好きだから、笑っていて欲しいから余計に放っては置けない。


知らぬふりしていても、見ないふりしていてもきっと水嶋は変わらないけど、いいのか?って思うけど。


いいよ俺。


のたうち回ってから考える。



「本当に行くのか?」


行くのか?俺。

もう一回聞く、いいのか?


水嶋は隠れた想いを自覚出来てないだけだと思う。何せ上も横も下も見下ろさない。前しか見てない。


だから好きになった。



「行きます」


決意が固まった途端、今の会話を聞いてたように携帯が鳴った。関口からだ。


行き先は隣の県にあるリゾート高原にあるセント何たらかんたらって言う教会だ。関口に伝えると驚いてはいたが何も聞かなかった。




走ったり止まったり、曲がったり止まったり。

トラックは思うように進めてない。


真っ暗な箱の中では自分がどこにいるのか、水嶋がどんな顔をしているのかは全く見えない。間髪的な会話はポツンと話してポツンと終わる。


トラックはやがて繋ぎ目のリズムを刻む直線だけに切り替わった。



「高速に乗りましたね、今何時だろ、式に間に合うかな」

「どっちでもいいよ、式が終わっても「ハイさいなら」って解散しないだろう、どうせ写真だ何だとウロウロしてるさ」


「そうだといいけど」


式は1時からだ。招待状に披露宴の記述は無く、恐らく水嶋の言う通りだが、1時に着くのは到底無理そうだった。


尻は早くももう限界。


荷物を守る毛布を見つけて引いていたが痺れが足まで広がって感覚が無い。



「一緒に遠出するのは2回目ですね、どれくらい進めたのかな」


「仕事は…どうすんだよ、まだまだ手が足りて無いぞ」

「水嶋さん、そこももうちょっと柔軟になるべきです、あんたがいればそれが一番ですけど、いないならいないで意外に回るもんなんですよ……多分ですけどね」


「仕事が俺の唯一の居場所なのに……酷え奴だなお前」


「水嶋さんの居場所はここです、俺の胸」


「………」



およ?……


「死ね」が帰ってこない。


こんな時に、こんな場所でOKの合図?



明かりのない荷台の中は真っ暗で何も見えない。手探りで捕まえた肩を引き寄せると、顎に触れた水嶋の髪がスルンと擦り上げた。


吐息が下顎を撫でている……


と言うことはキスを待ってる。


多分一生一緒にいてもこんなに素直な水嶋に会えるチャンスは何度もない。


ここは会社のトラックだけど別にいい。


欲しいなら何でもあげる。

何でもする。


障がいを肩代わりしろと言われたら喜んで変わってあげる。

小指が欲しいと言われれば切り取ってプレゼントする。

人生が欲しいと言ってくれれば……


最高。



「ケツが……痛いな」


「俺の膝に乗りますか?」

「お前には珍しくいいアイディアだな、お前馬になれ、座ってやる」

「嫌です」


指はあげるけど、何でもするって思ってたけど今は嫌。


見えないけど………音は聞こえる。


吐息の出口にそっと顔を寄せた。





予想された渋滞はもう引けたのか、思ったよりスムーズに進んでいるようだった。


急にスピードが落ちたトラックの中で、横に体が引っ張られるのは車体を回しているからだと思う。止まったな、と思ったら後部のドアがガシャガシャと鳴ってドアが開いた。



「……江越……どうした」


関口がつぶらで愛らしい目を歪めて聞いた。



「………いえ……何でも無いです。」


「何でも無い事ないだろう、口の端から血が出てるぞ?……丁寧に運転したつもりだったけど何かあったか?」


「本当に何でもありません」


水嶋を読み切る研究はまだ始めたばかりなのだ。

大丈夫だと思ったのにキスをしようとすると殴られた。


難しいんだよ。

駄目なら懲りろ。

肩を抱かれた状態、息が掛かる距離、そこで上を向いたらどうなるかいい加減に学習してくれ。


佐倉を誤解させたのも水嶋のせい。

巨乳が好きなのにこれ以下は無い貧乳、そんな所に堕ちてしまったのも水嶋のせい。


人のせいにするなって?


する。


そして水嶋には責任を取ってもらう。


「江越?」

「何ですか?関口さん」

「何でもいいけど助手席に移ってくれないか?この先検問があるかもしれん、荷物を後ろに運んでくれ」

「嫌です」


「え?嫌なのか?」


「あ……」


何も考えずに自動音声で返事をしていた。

気が付けば水嶋はもう荷台を降りて荷物運びをしている。


「すいません、俺も荷運びやります。正直座席に行けるのは有難いです」

「はは、荷台は思ったより楽じゃないだろ、ほらちゃっちゃと運べよ、重い物持つのはもう慣れっこだろ」

「勘弁してください」


悲しいが慣れっこになっている。世の中の営業とは随分違うような気もするが………それが奥田製薬なのだと今なら胸を張れる。


重いから嫌なのは変わらないけどね。



少しの休憩から20分。


高速を降りて地道を走るうちに大きな杉の木が道路脇に乱立する山道に入っていた。

先の見えないウネウネ道を荷台が空のトラックは力強く淡々と登っていく。

開けた場所にあった大きな駐車場を越えるとずっと黙って運転していた関口が初めて口を開いた。


「で?……どうすんだ?もうすぐ着くぞ?まさか教会の真ん前にトラックを付けるわけにもいかないだろ」

「付けて下さい、怒られてもいいです」


「………いいのか?」

「いいんです」


水嶋は黙ったまま何も言わない。

だって関係者は怒るかもしれないが友梨は笑うだけだって知ってるから。



関口は考える猶予を見越したようにトラックのスピードを落としている。


トラックが走る周りの風景は見通しのいいだだっ広い丘陵になっていた。


なだらかに畝る手入れの行き届いた芝生は海外の様、冬の間はスキー場なのだと思う。遠くの方にはリフトの支柱が山に沿ってロープを繋いでいる。


美しい新緑の中にポツンポツンと点在する建物はホテルとかレストランなのだと思う、それぞれが何だかピンク色に見える。


真っ青に晴れた空にパンみたいな雲が浮かんでいてハイジが生息していそうだ。


「いい所ですね、でもいかにも佐倉が歩いていそうでやだな、会いたくない」


「サクラ?桜は歩いたりしないだろう」


訳がわからん、と関口は笑っていたが、説明する気は無いし、関口も聞いてこない。



アスファルトじゃない敷石の道は荷台の金具をガタガタと揺らす。


遠くに見えてきた美しい尖塔が多分目的地だ。

登ったら見えて、下ったら見えなくなる。


やがて遮るものが無くなると教会を見下ろす小高い丘が見えてきた。そこを指して「あそこでいい」と水嶋が関口の肩に手を置いた。


「水嶋さん、まだ間に合います」


「いいんだ、それでいい」


「でも……」


運転席の関口は何も言わない。


どうしたも、事情を説明しろも、それでいいのかも聞かない。何故こんな所まで来たのか知りたい筈なのに前しか見てない。


本当に……この人は人の心を読み取るのが抜群に上手い。「進むぞ」と一言言って丘の方にハンドルを切った。



舗装道路を外れると、地道に入ったトラックは益々揺れが激しくなった。ガチャガチャとかチャリチャリとか部品が崩壊しているような音が増してる。


ハイキングコースのような道はクネクネと畝り、道幅は狭い、慎重に進むトラックのスピードは歩くより遅かった。


急な曲がり角に入ると道は二手に分かれていた。

片方は丘に続く細い散歩道、片方は車の轍が付いた一応道路と言える幅がある。


関口はトラックを止めてエンジンを切った。


「車はこれ以上入れない、俺はここで待ってるから二人で行ってきな」


「ありがとうございました。水嶋さん、行きますよ」


「……ああ」


真ん中に座っていた水嶋を置いて先にトラックを降りると、ブワッと風に乗った花びらを浴びた。


点在していたピンク色は咲き誇る桜の花だった。


満開の桜は花吹雪を撒き散らし、地吹雪と一緒になって前が見えない程だ。


隙間なく立ち並ぶ桜の中、二人並んで丘を登ると教会は正面に見えた。


来客だろうか、沢山の人が赤い絨毯を囲んで整列をしていた。


見事に晴れ渡った空が青くて……どこまで青くて、街の狭い空よりずっと青くて、桜の花が太陽の光に透けて透明に光ってる。


「凄いな……綺麗ですね、ちょっと遠いけど見えますか?水嶋さん目が悪いでしょう」


「十分だよ」


どうやら最期の最後で間に合ったらしい。


水嶋と並んで教会を見下ろしていると、背中を押すような風がびゅっと駆け抜けて花びらを運んで行く。


気まぐれな風に回ったり落ちたり……


教会に届く頃、秘めた伝言を受け取ろうとしているように教会の大きな二枚扉がゆっくりと口を開けた。


現れたのは風に踊り上がる長いベール。


わっと起こった拍手とかんさいが遠くから聞こえてきた。

白いドレスは太陽に輝き、舞い踊る花びらの中で友梨が笑ってる。



「うわあ、人形みたい、やっぱり……女優さんは綺麗ですね」

「出て3分で死ぬけどな」


「それも悪くないですよ」


「………そうだな」


水嶋はそう言ったきり黙ってしまった。


嬉しそうでもあり、寂しそうでもあり……見るからに切ない表情は……多分見てはいけない。


水嶋から視線を引き剥がし遠くの幸せな光景を眺めた。


友梨は友達と写真を撮ったりブーケトスをしてはしゃいでる。一歩引いて友梨に寄り添っている花婿は優しそうで余計な心配はないみたいだ。


「あれ?」


何をどう感じたのか……恐ろしい二人の繋がり。随分離れているのに水嶋に気付いたのか、友梨がぴょんぴょん跳ねながら手を振ってきた。


見ちゃいけないと思いつつ、水嶋を覗き見ると懐かしむような笑顔を浮かべているが手はポケットに入れたままだ。


「手を……振り返さなくて………いいんですか?友梨さん…気付いてますよ?」


「仕事を置いて見に来てやったんだからそれで十分だろ」



「うん……」


降りしきる花吹雪の中、笑い転げる白い妖精は風に舞う白いベールが羽根のようだった。


夢のように綺麗で、無邪気で、可愛らしい。


降っても降っても絶える事のない舞い散る花びらは、この場面をピンクに染める。


思い出が古い記憶になってもピンク色が褪せる事は無いだろう。



「こんな所で見ているだけで……いいんですか?せめてもう少し近くに…」


「いいんだって、何を言えばいい?幸せになれとか今更気色悪いだろう、素っ裸でプールに入ってちんこ引っ張ったりする奴だぞ、それをくれとか言うんだぞ?今更丁寧な挨拶とか出来るかよ」


「出来ると思いますよ、大人でしょう」


「友梨のおばちゃんもおっちゃんもいるし…どうせ「あんた彼女は?結婚は?」とか聞かれそうで面倒だ」


「この際だから俺をフィアンセですって紹介しては……」


「アホ」



ピンク色をした華の舞い散る緑の中で、どうでもいいとか言いつつも水嶋は友梨から目を離さない。


ふと気が付けば


水嶋は小さなメロディを刻んでいた。


♪〜………



〜あなたは


私の


青春そのもの……。



「………水嶋……さん……」



俺は馬鹿だ。


自覚が無いなんてあるわけ無かった。

そんな事あるわけない。


思い込みの強さで、真面目過ぎる硬さで……


春も秋も冬も………友梨と二人ではしゃいだまばゆい夏の日に、全てを置いてきたのだ。


友梨の為に……



「何?………何だよ、お前泣いてんの?」


「だって……だって……」


いつもいつも……ずっと隣にいた相棒。

楽しい時も辛い時も笑って、喧嘩して、宿題を手伝って、手を引いて来た。


繋いだ小さな手と手は……

気付かれないように、振り返らないように、そっと離して背中を押した。


水嶋はこれかもずっと……キラキラと輝く光の中にいる友梨の背中を目を細めて見守るのだろう。


「水嶋さんは……馬鹿です」


「酷い事言うな」


「馬鹿です」


涙が溢れて止まらなかった。


感動したのか、水嶋の気持ちに被弾したのかもうわからない。泣けて泣けて……水島に抱きついたらもっと泣けた。


いつものように振り払わないんだね。


水嶋は優しい。


こんな風に友梨を包んでいたのだ……ずっと、ずっと……手を放しても、ずっと。


落ちてくる涙は止まる事を知らず、喉がヒリヒリして胸が、肩が、腕が震える。

ギュッと細い肩を抱きしめると、水嶋は宥めるような声で小さく笑った。


「お前関係ないだろ、びっくりするわ」


「泣けない水嶋さんの代わりに泣いてるんです、止めようと思っても止まらないんです」


「相変わらずキモい奴だな、ポエム刻むな」


ヨシヨシと頭を撫でてくれるのは別の場面なら憤死する程嬉しいが、だんだん情けなくなってきた。


守りたいのに守られてばかり。


泣いて、泣いて……

目が腫れて視界が狭くなる頃、招待客は散り始め、白い派手な車が滑り込んできた。


長いベールをヒラヒラとはためかせて、友梨は車に乗り込む手前でもう一度手を振って寄越したが、水嶋はやっぱり手を振り返したりはしない。


やがて美しい妖精は車の中に消えて、うねうねと曲線を描く美しい緑の中走り去ってしまう。


段々と遠くなり、小さくなって……


見えなくなった。



「行っちゃいましたね」


「戻って来なきゃいいけどな」

「またそんな……」

「アホ、お前はあいつの事知らないから結婚式に拘ってんだよ、酷ければ明日にでも「旦那を殺すから手伝え」ってメールが来るぞ」


「その前に俺と結婚しときましょう」

「出来るかアホ」

「俺となら子供も出来ないし、やり放題ですよ」

「アホ」


「今日やりましょう」

「死ね」

「………さっき車の荷台でやりたそうだったじゃないですか」

「もう一回殴られたいらしいな」



山程の花びらを頭とか体にくっつけた水嶋はいつものようにちょっと間抜けで面白いが、やっぱりかっこいい。


取ってあげると言ったらまた目を閉じて待つのだろう。……だって誘ってる自覚ないから。


真面目すぎて間抜け。唐変木で不器用。生き方が下手。


でもそれが好きになった相手の


水嶋だ。


「さ、帰って仕事をするか」


「水嶋さんの為なら何でもします」

「じゃあ研究所に行ってくれ」

「それは嫌です」

「死ね」



歩けば桜の花びらが付いてくる。

一つ拾って……ポケットに入れた。



終わり。

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水嶋さん ろくちゃん @huutyann

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