第12話





「ちょっと出て来い」



会社に出勤した途端に佐倉からの呼び出しが来た。しかも掛かってきたのは携帯にでは無く会社の外線からだ。



事務も気が利かない。

ワイズフードから直で電話が掛かってくるような用はないのに、「江越さん、一番にワイズフードの佐倉局長からお電話です」と大声で呼ばれた。当然一緒に出勤した(テへヘ)水嶋に隠せない。



電話を置いた後、振り返って見た水嶋の顔……。

人類滅亡まで後一週間って顔してる。



水嶋が目を剥くと結構デカい。

昨日間近で見た。(テヘ)



「俺か?俺だよな……何で江越に……」

「違いますよ、佐倉とは…」

「局長」

「佐倉局長とはあれから時々飲んだりしてるんです、あの、そう、あ……プリ……そう、アプリを作るって約束したんです」

「は?嘘付け!そんなもんワイズフードなら博報○とか電○に頼むわ、どこだ?行ってくる」

「駄目ですよ!」


それは駄目。佐倉に何か言われれば今度こそ全部言いなりになる。

しかも貫通済みなのだからすんなり……


そんなの嫌です。


「あのね、佐倉局長は俺に電話して来たんです、水嶋さんは関係ありません」

「関係無くてもいい、どこで待ち合わせた?言え!言わないならワイズに行くぞ」

「駄目ったら駄目!」


飛び出して行こうとする水嶋をふん捕まえてフロアに押し返した。

ちょっと殴られたけど慣れてる。

この際縛って倉庫かトイレにでも放り込んで鍵かけて上から登って出る。生憎人目があり過ぎてそこまでは出来ないが気持ちはそれくらい。


それにしても……普段が普段だからかこれだけ大声で言い争っても誰も気にしない。

部長でさえのんびりお茶を飲んで温泉マークが頭から出てる。


奥田万歳。済めば都って本当。


「駄目って何だよ」


「これは完全なプライベートなんです、ほんとです、嘘じゃ無いです、間違いありません。」

「………本当か?」

「本当です」


はっきり言ってこれ以上の「プライベート」は他に思いつかない。


「ふーん……」


ジト目の水嶋。


「可愛い」の汎用性に今更驚く。

子猫が可愛い赤ちゃんが可愛いパンダが可愛い。

そこに混じってダイオウグソクムシが可愛いってのもある。


水嶋はその部類。


水嶋が可愛いって他の誰かが聞いたら入院を勧められそうだが可愛いんだから変でもいい。



「水嶋さんは昨日の分が押してるでしょう、悪いけど先に出てください。すぐ追いつきます」


「……つまり今すぐって事だよな、どこだ?一応俺も話を聞く、佐倉局長が駄目だと言うなら…」

「あ?!違いますよ!夜です。深夜です。朝方です。まだ時間も決まってないし場所もまだなんです。その連絡をしたら追い付くって言ってるでしょう、ほら早く行ってください」


水嶋は前日の予定を森長工業の接待に使ってる、時間が無いのは本当だった。


物凄い胡散臭そうな目を向けてきたがどうやら諦めてくれたらしい、「局長と呼べ」と相変わらずの注意をして、渋々…うだうだ、振り返りながらも一人で外回りに出かけていった。



「で……あいつはどこにいるんだよ」


場所も時間も指定が無かったのは本当。

ただ「出て来い」と一言言って電話は切れていた。


つまり奥田の本社ビルから「出て来い」って意味だと思う。違うのなら無視でいい、何も言わない佐倉が悪い。


エレベーターで一階まで降りて玄関口を出てみたが……佐倉はいない。


はい、無視決定。



今なら水嶋に追い付けるかもしれない。駅に向かおうとすると……気付いてしまった。俺の馬鹿。


建物の影からこっちだと空気を掻く手だけが見える。手だけで見分けられるなんて最悪だが服とか高さで誰だかわかってしまった。



「局長?そこにいるのは佐倉局長ですよね?今日は「局長」の用事ですか?」


今は平日の午前中だし佐倉だって仕事中の筈だ。

わざわざ職位を名乗っての外線呼び出しなのだ。仕事に関係する話だと信じていた。



「佐倉局長……もういい加減にしてください」


呼んでも手から繋がる本体は声を掛けても出てこない。ビルの壁に張り付いて片目だけがチラッと覗いた。


………いつでも安定の変な人。


「何してるんですか」


だから怖いって。

近くまで行ってもススッと身を引いてまだ隠れようとする。壁を掴んだ指でモジモジ字を書い……気色悪い。見た目がいいから余計に不審。


面倒くさいからもう放っとく。



「何か用ですか?俺は下っ端ですがこれでも色々忙しいんです、言いたい事があるならさっさと言ってください」



「……そっちこそ……お前……俺に言う事あるだろう」


「言う事……」


ドキっとギクッとヒヤッがいっぺんに来た。

全部を感じ取れるなんて我ながら優秀。


言う事は無いが言えない事はある。



「な……何の事でしょう」


「俺はな……昨日の夜に信じられんもんを見たんだよ、弁明があるなら聞く、無いならここで絞め殺す」


「き……きき昨日?」


昨日といえば…水嶋のマンションで……正確に言えばマンションの玄関前でかなり長い間抱き合っていた。……キス付き。


「見…見たって何を…」

「惚けても無駄だぞ、俺はそこにいたんだからな」

「……それはまた懲りずにストーキングですか?それはやめるって約束しましたよね」



「使う……」


「は?」

「もう使う!ワイズフードの名前を使わせて貰う!水嶋は取引を持ち出すと俺の言う事聞くんだよな?お前そう言ったよな?二、三件選んで取引を止めるって脅す」

「何ですか!そんな職権無いって前に言ってましたよね?」

「無い!ないけどやる!そしたら水嶋は戻ってくる、違うか?」


これは駄目だ。佐倉の目がいっちゃってる。

滅茶苦茶な人だが強引な行動を慎めって言い付けを律儀に守ってる。佐倉は水嶋に負けず劣らず真面目なのだ。だからこそ若くして局長なんて役職に付いているとも言える。



「見たって何を見たんですか」


もし思ってる事と違ったら墓穴を掘る。多分知られていると確信はあるが一応惚けてみる。

悪あがきだと笑うなら笑え。藁にもすがる。


「そう言えば昨日水嶋はキザでスケベそうなロマンスグレーに腰を抱かれて連れ去られてましたけどね、それとも立ち食い蕎麦でナンパされてた事かな、他にも…」

「ああ……それは困るし気になるよなあ」


乗った。水嶋馬鹿はこんな時は楽。


「そうでしょ」

「でもな俺の見たもんは疑惑でも幻でもねえ」

 

ああ……そうですか……そうだと思ってました。


「そ、それで?」


「会ってくれないから顔だけでも見たくて……マンションに行ったら……」



やっぱりそれ?


「お前が寝てるし…」

「へ?」


そこから?


「何時頃の話ですか?」

「‪五時‬きっかりに会社を出て…まだ……ほんのり明るかったから‪5時半位」‬


そこからっ?!


水嶋が帰ってきたのは‪8時くらいだ。‬

‪6時前から2時間以上ただ見てた?‬

ほんとに変な奴。


「暗くなって…水嶋が帰って来て……」


………見てたんですね。全部。


目頭を抑えてクッと泣き真似をするポーズは相変わらず古臭くて面白いが、見てたんなら酷い事をしている。


ここはきっちりと男らしく説明をして、きっちり男らしく弁解して……最後には適当に誤魔化して逃げるしかない。


恋愛に早いもん勝ちは無いけど水嶋の場合に限り今んとこ早いもん勝ちだ。

佐倉に無駄なチャンスをくれてやる気は無い


はあ、俺って男らしい。

人生でこんなに男らしかったのは初めてだ。


……ってか、これって男らしい?

まあやるしかない。逃げても隠れてもお互い水嶋を中心にして回ってるのだから嫌でも顔を合わす。


「佐倉局長、その手の話なら今は時間が取れません、夜でも構わなければどこかで落ち合いましょう」

「これ以上待てるかボケ、お前は部屋に上がり込んで出てこないし……待っても待っても出てこないし!」


うん、ごめんなさい。でも部屋では何もしてません。って通じるわけない、何にしても佐倉は筋金入りだ。


「相変わらず変態ですね、一体何時まで見張ってたんです。」

「何時だと?朝陽を浴びたわ!俺は一睡もしないまま始発に乗ってお前が出勤してくるのを待ってたんだ、そしたら……そしたらお前…水嶋と一緒に……」


うっと口元に手を当てた佐倉の目には涙が滲んでる。別の事なら面白いだけなのに残念だ。


情熱はわかるがこれは通報レベルと言える。

そこまで詳細に観察されてたなら事実以外他に言える事はない。



「その事は俺からきっちり話をします。あなたも仕事があるんでしょう?ちゃんとした話し合いをしたいなら夜まで待ってください」


「……俺に時間を与えるなら持ち物検査をした方がいいぞ……この手がいけない事をしようって誘ってくる、何をするか俺にも分からん」

「怖い事言わないでください。それからもう一回言っときます。もし職権使って水嶋に何か言ったりしたらそれこそ俺だって何でもしますよ」


ニッと笑い合った顔はお互いに凶悪な皺を眉間に刻んでる。


わかってもらえるなんてあり得ないがこれは避けられない道。佐倉にしたらとんでもない裏切りだと思う。



時間は追って連絡するとHeavenでの待ち合わせを約束した。





問題は……こっちだってまだ付き合ってるとは言い難いって事


水嶋は結構な危険地帯にいる。


女っ気が無いのは救いだが、道すがらにナンパされるし佐倉は勿論の事、Heavenにいた連中も何だか水嶋に興味有りげだった。

これは陥った末の穿った見方なのかもしれないが運送部の関口だってあやしい。「水嶋は危なっかしい」なんて言っていたがそれって意識して見ている証拠じゃ無いか?


あっちもこっちも気になって余す所なくくっついて回りたい。


何の権利もないくせにとんだ束縛野郎に身を落とした気分。


今、この瞬間も気が気じゃなくて水嶋が何をしているのかどこにいるのか心配になる。 



会いたいのに……


電話をかけると何を言う前に飛んできたのは「サンプル持ってあそことここに行って来い。」との命令だった。

30分以内に2箇所、それに2社ともまだ取引が無い新規って事は責任重大。


それは実力を認めて任せてくれたって訳ではない。手足として使っているだけなのだとわかってるから何が何でもやり遂げたい。


走れる所は走って階段は三段飛ばし、長引きそうな担当者の話を無理やり切って2件回ったのに顔を見た瞬間「遅い」と蹴っ飛ばされた。


……まず話を聞いて欲しい。

その上で駄目な所があったら蹴れ。


仕事に恋愛を持ち込むのは基本的に無理。こんな時の水嶋はやっぱり理不尽で可愛げのカケラも無い。



追い付けたのは昼食を終えたらしい水嶋が立ち食い蕎麦屋を出た所だった。「飯は?」とか聞いてくれるような気遣いはない。


……腹減った。

状況が見えてないだけだからいいけどね。


「これでも急いだんです。走れるとこは走りました。俺の能力いっぱいいっぱいこれ以上無理。サボってません」

「何でサンプルを置いてくるだけなのにそんなに時間をかけるんだ、契約取って来いなんて頼んで無いぞ」

「だって色々聞かれたら「知りません」では済まないでしょう」


水嶋相手なら揶揄い半分で言うけど。


「聞かれた事を答えられるようになってから言え、で?何を聞かれた」


「覚えてません」


……また殴る。



持っていったサンプルの種類だってあやふやなのにそんな事はボイスレコーダーを掘り返さないと報告出来無い。水嶋はどうせ待ってくれないから覚えている事を適当に並べてみた。


「倉庫が小さいから毎週月曜と水曜と金曜に分けて350、350、400と少量で納品してくれるなら考えるって言われました」

「どっちの会社だ?何をどこに」


「………何かをどっちかに……」


覚えてるのは数字だけかよ、と足を蹴られた。

もうこの3分ぐらいで3発目、さっきまで……見てない間に誰かに攫われそうな心配してたのに、何でこんな人に会いたかったのか忘れそうになる。


こんな時は心の中で罵倒しておくと落ち着く、バーカバーカ。


「何か言ったか?」


「何でもないで……す……よ…何?」



………?



水嶋と並んで歩いているといやに近くから爆音が聞こえた。揃って振り返ると大きなバイクが蛇行しながら低速で追い抜いていく。


別にいいけど……ここ歩道ですが……


「何あれ……」


どこに行きたいんだかフラフラと暫く走って、止まった……と思ったら出した足が地面に付いてない。デカい車体がそのままヌルーッと傾いていく。

運転している人は立て直そうともしないでトトッと片足を付いて諦めたっぽい。ゴトンと落ちた巨体を避けて「何だよ」とタンクを蹴った。


声が高い?


手を貸す暇なんか無かったし事故とも言えない、ただの立ちゴケだから普通に見ていた。



それにしても倒れたバイクを起こすのは厄介そう…

車種はヤマハのV マックス。1200cc……もしかして逆輸入車なら1700cc……

大学時代にマイブームが来たからバイクの車種には詳しいのだ。

バイクの何が良かったって型名がローマ字と数字だけの羅列で品番みたいな所。(覚えただけ、まだ教習所以外で乗ったことは無い)



「………大木に掴まった蝉みたいですね」


大排気量の車種にしてはコンパクトな方だと思っていたが本物を間近で見るとでかい。

そのデカいバイクに乗っていたのはどうやら女だ。ヘルメットがやけに大きく見えて固そうな革ジャンがブカブカしてる。


どう見てもバイクの規格と体格がミスマッチ。


何でもいいからいちゃもんみたいな制限つけて取り締まって欲しいくらいだ。

無免許で大型トラックを運転するのに似てる。


「手伝います?」


バイクを降りると華奢な体が目立つ。

巨体の下敷きになった哀れな鞄を引き出そうとウンウン引っ張っているが無理そう。

そのうちビリって強烈な音がした。


ぱっと見だが本革でできたカバンはそこまで雑に扱っていいほど安くは見えない。


「よっしゃっ」って……成功じゃ無いですよ。

持ち手が破れて取れてます。



「友梨?」


「え?」


今声を出したのは水嶋?


「お前友梨だろ?」


え?

え?


水嶋の知り合い?女?女だよな。うん、絶対女。女以外あり得ない。誰?どこの人?しかも名前呼び?呼び捨て?


嫌です、今頃何ですか、女っ気ないんでしょう?あるの?あるのか?そりゃあるか、皆無なんて本気で思ってた訳じゃ無いけど……


嘘。皆無だと思ってた。



「誰ですか?水嶋さんの知り合い…」


「何やってんだあいつ……江越ちょっと待ってろ」


やっぱり知り合いなんですね。


「待ってください」


タッと駆け出した水嶋の背中を慌てて追いかけた。


もう一度"友梨!"と呼びかけた水嶋に、カパッと開いたバイザーから笑っている目が見える。指の無い厨二っぽいグローブがヘルメットを持ち上げると、長い髪がファサっと落ちて出てきたのは驚く程小さな頭。


水嶋を見て笑った顔は……ヘルメットの中でバイク相手に毒づいたイメージと違い過ぎる。引くほど綺麗って言うか……


まず「誰?」が募のった。


水嶋は驚いているが「お久しぶりですね」って雰囲気でも無い。


これは……佐倉が100人くらいに増殖するより嫌。


ぬぬっと水嶋のスーツを引っ張ってみたがあっさりと振り払われた。



「お前何やってんだ」

「あー……やっぱりしょうちゃんやん、あっちの角で見かけてな、そっかなって追いかけてんけどコケてもうた」


翔ちゃん?


水嶋の名前って何だっけ?


この際何でもいいけど、ミラーにかけたヘルメットがゴツっと地面に落ちましたよ?……チラッと見て無視?「友梨」さん、拾ったりしないの?


テヘって首を傾けるともう綺麗としか言えないが……話す言葉が関西弁。全然雰囲気と違うけど何となく……深い意味は無いけど納得した。



「仕事中?」


「友梨」の声は高くて囀る小鳥のようだった。

コロコロと笑う顔は花が咲いたよう。



「当たり前や、お前こんな所で何してねん、ここ歩道やで?警察おったらどないすんねん」




………今喋ったの水嶋?


「私かて仕事やん、今年からこっちにおんねん、この前は全国放送のドラマ出てんで、見た?」


「見たわ、3秒で死んどった」

「3秒でも全国放送やし褒めてえや」

「まともに顔写ってへんし」

「うっさいな、早よバイク起こしてや、オイル漏れてるやん」


は?

え?

何で関西弁?


憑依?


水嶋の人格が変わって別の人に見える。



「あの……水嶋さん?」


「ああ、ごめん江越、あいつのバイク起こすの手伝ってくれるか?俺一人で起こす自信ない」

「いいですけど……何?どうしたんですか?」


……何か知らないけど戻ってきた。水嶋だ。


どうしたと聞いたのは「いつもなら簡単に重い物を持つじゃん」とか「それぐらいやれよ」って意味じゃ無いのに友梨が激しく同意した。


「そうやんなあ!相変わらずへたれ…非力な男って最悪、引くわ」

「は?じゃあお前のバイクなんだからお前が起こせ、さいなら。元気でな、歯を磨けよ」


水嶋のようで水嶋じゃない人が手をフリフリして行こうとすると「友梨」が腕にぶら下がった。


「嘘嘘嘘やん、起こして、起こしてくれへんかったらこのバイク明日もここにあるで、一生のお願いやから起こして」

「一生のお願いは聞き飽きたわ、それ何回言うねん」


「だって嘘やもん」

「アホ」


"翔ちゃん"と"友梨"は顎を出し合ってウリウリと威嚇してる。



あんた誰?本物?


絶妙な息の合った掛け合いに言葉も口を出す隙も何も無い。

呆然としていると綺麗な目がこっちを見た。


「ごめんなさいね、このバイク重くて一旦転ぶと自力では起こせないの、言っとくけど男の人でもコツがいるわよ」


「はあ……」


水嶋もこの綺麗な女子も二人の会話以外は標準語。キャラチェンジが激しくて付いていけてない。


「おい、見てないで手伝えよ」

「え?あ……はい」


水嶋が手をかけたバイクは男でも手に余るビッグサイズ、起こすには本当にコツがいる。


夢遊病者みたいになって足がカクカクしているが二人で何とか立て直した。


パンパンと手を払った水嶋はこんな何にも無い所でスーツを汚してる。


「友梨」はオイルで汚れた水嶋のパンツを絶対見てるのに何も言わずにニッコリ笑った。


綺麗。


「おおきに」

「おおきにちゃうわ、自分で起こせないバイクに乗るなって言うたやろ、原付かて危ないのにアホやん」

「私の勝手やん、あ〜タンクにめっちゃ傷いった。修理代払ってや」

「何でやねん」


パァンと友梨の小さな頭を引っ叩いた水嶋の手には遠慮が無い。掛け合い漫才を見ているようだった。


「凄い……」


「何が?」×2


「何でやねんってホントに言うんだ」


「普通やで?」×2


仲良しこよし。


水嶋に女っ気が無いなんて誰が言った?

そう思い込んでたけど水嶋だって子供時代もあった訳で28年間ずっと強面営業をしてた訳じゃない。


親だっていれば、もしかして兄弟だっているかも。幼馴染もいて当然。


ここは敢えて「幼馴染」を使う。

一応そこに「只の」を付け足しとく。


今思えば………水嶋は部屋の中に他の誰かがいる状況に慣れていた?


慣れてるから何も気にせずあそこまで見事な水風船になれる………って事?


やり過ぎなくらいくつろいでくれるからこっちも遠慮しないで済んだ。



「江越?どうした」


「いや…あの……何で関西弁なんですか?」


「あ?そうかお前は知らないよな、俺は…ってか奥田の上層部は殆ど全員関西出身だぞ、奥田製薬は元々関西にあったからな」


「でも……」


今まで散々話をしてきたがイントネーションにも関西っぽい雰囲気は無い、強いて言えば口が悪い事と「馬鹿」よりも「アホ」が多いくらい。


ふうん、と顎に手を置いた友梨は……やっぱり綺麗。目が合うとドギマギする。


「何この人、翔ちゃんの彼氏?付き合ってんの?」


「ん?ああそうやで」


「え?………」


え?


え?


えええ〜〜〜っ?!!!



何だよそれ?!


とんでもない問いと、とんでもない答えに口が開いて閉まらない。「彼氏」?「付き合ってる」?「ああそうやで」?!


「あの……」

「突然ごめんなさいね彼氏さん。私は相良友梨、翔ちゃんの元妻でーす。絶賛売り出し中、旬のニューフェイス、よろしくね」

「何が売り出し中や、もう28やし結婚するんやろ」

「えへへ……あ、そうや、送ろうと思っててんけど結婚式の招待状今渡しとくわ」

「いらん、俺は行かへんで、忙しい」

「何言うてんの。絶対来てや、教会やしタダやで」

「いらんって」


友梨の鞄は持ち手が取れている上に擦れたタイヤの黒が付いてる。

汚れた鞄を気にする様子もなく鞄を掻き回した友梨はもう宛先が書いてある封筒を取り出した。


パール色に光った白い封筒からは……フワフワと幸せの匂いが漂ってくる。


「はい、絶対来てね」


「だからいらんって言うてるやろ」

「さっさと受け取りぃな、面倒くさ」

「面倒くさいのはお前やろ、貰っても行けないからいらんって」

「いいから!」


友梨が招待状を差し出してるのに水嶋はポケットに手を入れてしまった。


それにしても友梨さん、出し方がおかしいです。

そんな風に顔に突き付けても水嶋の手はポケットの中です。



今初めて気づいたが、「友梨」は街のオーロラビジョンに映っていた女優だ。左手を向けて結婚会見をしていた。その時は平凡な顔に見えて売れないだろうなとは思ったが実物を間近で見るとさすが「女優」、まず体と頭の配分が一般人とは違う。


「ちょっとぉ……ムカつくな、ちょっと彼氏さん、何とか言ってくださいよ、翔ちゃんは昔から出不精で私にだけ冷たいのよ」


「あの……どうして俺が水嶋さんの彼氏だって……」

「勘。そうなんでしょう?」


「いや、その……」


翔ちゃんって何?元妻って何?「そうやで」って何?グルグル回って何も言えない。


「あら?ごめんさない、内緒にしてたの?」


「内緒にしている」より、間違いだって疑いは無いのか?

スーツで昼間で店も何もないビジネス街に並んで歩いてただけだ。


「言っちゃ駄目だった?」


「そうじゃなくて…」


「あのなあ友梨、初対面相手に誰がそんな事公言すんねん、こいつは俺の後輩で同僚なんや、そんな事言わへんわ」


ポンポン飛び交う関西弁に混乱が混乱を呼んでだんだん言葉が通じなくなって来た。


"照れてる"とか"アホ"とか……このままじゃ置き去り。滅茶苦茶入りにくい隙間に無理矢理こじ入った。


「あの!すいません!一旦標準語に戻してもらってもいいですか?、関西弁に惑わされて何言ってんだかわかりません」


「わかるやろ」×2



何だよこの二人の連携。


「わからないって何が?大阪弁か?」


「一個一個説明が欲しいです」


全部。色々。初めから。


「必要ない」

「ええやん、別に。彼氏さんかてこんな美女が知り合いなんて気になるって」

「友梨」


やめろと睨む水嶋を友梨は楽しそうに笑った。

水嶋を見てると揶揄いたくなるのは共通事項?


ちょっと意地悪な顔をしてる。


「あのね、私と翔ちゃんは大阪にある実家が近所なの、親同士が仲良くてさ、なあ、あれ中学やった?」


「知らん、覚えてへんわ、やめとけよ」

「別にええやん、彼氏なんやろ?」

「おい…」


水嶋は困った顔をしている癖に何だか歯切れが悪い。


普段ならもっと一刀両断。

それは比喩じゃなくて口の前に手か足が飛んでくる。


自由な友梨に困った水嶋は無視する事に決めたようだ。クルッと後ろを向いて来た道を戻ろうとした。


「江越行くぞ、こいつの相手してたら日が暮れて明日になる」

「はあ……でも向かってた先と逆方向ですよ」

「別にいい、何も順路が決まってるって訳じゃない」


「翔ちゃんウザい。ちょっと黙っとき、えごちゃんも聞きたいわよねえ?」


うん。聞きたいけど「えごちゃん」はやめて。


来いと行くなで揉めて何かモテてる。

片手ずつ仲良く分けて引っ張られているがもうええって、と溜息を吐いた水嶋が負けた。


ここは勝て。


喋りたくてウズウズしてたんだと思う。

友梨は水嶋を押しやって勝手に続けた。


「中学だと思うんだけどね、翔ちゃんが突然「俺は女を好きになれない人種だ」って言い出したの、笑えるでしょ?普通そんな事言う?あれは肺炎で入院した後やんな?」


「友梨…てめえ覚えてろよ」


「医者のマスクハンサムに惚れたとか何とか、面白いから見に行ったらハンサムなのは目だけで」

「友梨!これ以上何か言うとぶっ殺す、江越も聞くな、先に行ってろ、俺はこいつのバイクを車道に出してから追いつく」


「今更隠す事無いやん」

「江越!行け!」


「…………はい」


先に行けと言われても行き先を知らない。


渋々とモヤモヤをぶら下げて、水嶋に言われた通り少しだけ離れた。


背中からは楽しそうな「ぶっ殺す」が聞こえてくる。


振り返ると水嶋は口喧嘩しながらも友梨がバイクに跨るのを手伝っていた。


「親子か……」


爆音を立てて走り出したバイクは相変わらずフラフラしてる。オロオロと見送る水嶋の手振りは……まるで自転車に初めて乗った娘の心配をするお父さんみたいだ。


バイクが見えなくなるとヘタっと座り込んだ水嶋は頭を抱えて髪をグシャグシャと掻き回してる。戻って肩に手を置くと眉の下がった困りきった顔が見上げて来た。


「悪かったな」


「いえ……」


水嶋と付き合いたいって思ってるのは事実だからそこはいい。それより何より溢れる疑問と疑惑と質問に押し潰される。


取り敢えずこれだけは聞いとく。



「水嶋さんってやっぱりゲイなんですか?」


「やっぱりって何だ、違うに決まってるだろ、あいつの言う事を真に受けるな、つむじ風みたいだったろ?」


「でも言うには言ったんでしょう?」


"女を好きになれない人種"なんて言い方……咄嗟の冗談では出てこない。


「それは……色々面倒で適当な事言ったんだろ、一々覚えてない」


「そうですか……」



その答えはちょっと違う。


ゲイだと告白した話が適当だったとしても、真昼間の街中で一緒にいただけなのに「彼氏なのか?」と聞かれて「そうだ」と答える理由にはなってない。


実は「そうやで」と何でも無い事のようにあっさり認めた水嶋にムッとしていた。


その答えには感情なんて無い。

どうでもいいと思ってる、当然…彼氏じゃ無いと思っているからそんな返事が出来る。


「違う」とムキになってくれた方が嬉しかった。


困惑しながらも必死で「好きだ」と告白したのに、こっちの気持ちは無視……



「そのうちに……認めさせてやるからいいけど」


「あ?何?」


「こっちの話です。それより奥田製薬が元々関西にあったって事は知りませんでした、どうして無理矢理言葉を直したりしてるんですか?関西弁はもう全国区でしょ」

「アホ、郷に入っては郷に従え、だ」


「どういう事ですか?」


「あのな、関西って特別なんだよ」


水嶋の説明によると──関西ではどんな業界でも新規参入はとても難しいと言う。

閉鎖的な京都を筆頭に、大阪も滋賀も元々の繋がりが強固で中々契約が取れないらしい。


「でも関西って……その……ケチって印象が強いんですけど……他より安い価格を提示すれば……」

「そんな簡単な話じゃない、大体関西以外の人間は関西のケチを取り違えてんだ」


「どういう意味ですか?」


「わかりやすく言えば……例えば‪一時‬間粘って100円値切るけどそのまま店員と仲良くなって飲み屋で5000円奢ったりする。そんな感じで元の契約より安い価格を持っていくと「あちらさんはこの値段やねんけどなあ」って談合されて結局契約は貰えない、その点こっちはドライでやり易かったんだよ」



「わかったか?」って?


全然わかりません。


どこが「わかりやすく言えば」なのだ。


まず突っ込みたいのは「店員と仲良くなる」ってまず無い。「飲みに行く」ってのはもっと無い。


それでも納得した事はあった。やたらと言葉の荒い奥田のルーツが見える。


死ねもアホも関西弁では「元気?」と同じ。そこだけは抹殺を免れて隆々と受け継がれているが……


言葉を直すのは比較的容易でもイントネーションだけは結構残るもの。


水嶋が……他の社員もどれくらい真摯に仕事に取り組んでいるか今更だが身に染みた。


「で?……元妻ってのは何ですか?」


「………そこに戻るのかよ」


「戻らせてもらいますけど、その前にちょっと立ちませんか?通行の邪魔だし俺は腹が減りました」


馬鹿みたいに歩道の真ん中で二人一緒にしゃがみ込んで話していたら「コンタクトを落としたんですか?」って親切にされそうになっちゃった。


有り難いけど落としたのは目じゃなくて顎。


丁寧にお礼を言ってから、明らかに話の続きを嫌がっている水嶋を目に付いた牛丼屋に押し込んだ。


注文は牛丼大盛り汁だく温泉卵付き。水嶋には水。


ふてたように椅子に座った水嶋はポリポリと紅生姜を摘んでる。


「続き……いいですか?」


「……いいけど……」


いいなら聞く。


このままじゃ眠れる気がしない。


「友梨さんって……女優とか言うだけあって綺麗な人ですね、元妻って、つまり大阪にいる時に結婚してたって事なんですか?」


「アホ、そんな筈あるわけ無いだろ、俺がこっちに来たのは20歳だぞ。あいつは幼馴染なの、無責任な大人達が「友梨とかけるは仲良しだな、将来結婚するか?」とか言われてな、何となく真に受けてただけ。前にその話はしただろ」


「水嶋さんかけるって名前なんですね」


ブフっと飲みかけた水を吹いた水嶋は名前を聞いただけなのに動揺している。何故顔を赤くするのかは不明。


「何か文句でもあるのかよ」


「あるわけないでしょ、人の名前に異議を唱えるほど傲慢じゃありません」


「じゃあ笑うな」


「笑います」


かけるの読み方を変えてしょうちゃん……甘酸っぱい匂いのする幼馴染の定義がその呼び方に詰まっている。



「夫婦漫才みたいでした」

「関西弁を聞くとみんなそれ言うよな」


チルっと音を立て水を啜ってる水嶋は居心地が悪そうに足を組み替えたりモゾモゾしている。

話題にしたくないと困っているのは明らかだがこれだけは……聞きたくないが聞いておきたい。



「友梨さん……結婚するって言ってましたけど……いいんですか?」


「いいかどうかなんて俺には関係ないけどな…まあ……あいつは昔っから男の趣味が悪いから心配ではある、まあ少なくとも俺よかマシだろ」



"あなたが好きだ"と告白した俺の前でそれを言う。


「男の趣味が悪いってそれは水嶋さん目線でしょう、友梨さんにしたら大きなお世話ですよ」

「殴る奴でもか?あいつ高校の頃からモデルとかで稼いでて金を目当てに財布にするような奴もいた、頬に傷を拵えて「普段は優しい」とか言うんだぜ?アホだろ」


「……それは……イタい……ですね」



ムカムカして……無理矢理かき込んだ牛丼が重い。吐き出したいのは牛丼じゃないから我慢したけど気持ち悪い。




仕事は諾々と進んでいく。ムカついている気持ちを顔に出したり不機嫌になったりはしない。

それだけは気を付けたが夕方になると胸に溜め込んだムカムカが肥大して屈強な塊が育ってきた。


仕事に気を取られている間はまだマシだった。


ゴロゴロと心の中を行ったり来たりする塊はヒョンな事で欠けて小さくなったりまた育ったり………


角のあるゴツゴツが内壁を抉るだけだったのに暗くなってくると佐倉を気にする水嶋にイラついた。


はっきり言わせてもらえばそんな事はどうでもいいのに……

「どうなった」でムク。

「どこで会う」にムク。


水嶋には仕事しか頭に無いのだ。


昼間あった事は本当にどうでもいいと思ってる。一番喰らいたくないとこから火に油を注がれて、棘のある塊はもう動かないくらいギチギチ。


しつこく佐倉佐倉とうるさい水嶋を何とか誤魔化して振り切ったが……重くて息苦しくて仕事終わりの別れる時には水嶋の目を見れなかった。



「行きたくない」


何で行くと言った?

何でHeaven?


歩けば進路を邪魔する人混みにイライラ、Suicaが空っぽでイライラ、電車に乗ればみんな楽しそうでイライラマックス。全員を蹴って回りたくなる。


今ここで「人類を滅亡させちゃってもいいかな?」って神様に相談されたら「どうぞご自由に」って答える。


Heavenに着く頃には育ち過ぎた塊が外にはみ出てどうにもならなくなっていた。



……水嶋には自覚が無いのだろうか?


俺よりマシだ?


それは殴って蹴って金をせびる男と自分を比べたから………友梨の彼氏を自分を置き換えて考えたから出てくる。


そして友梨自身も歴代屑彼氏より根底にいつも「翔ちゃん」がいるって感じ。

二人の雰囲気は阿吽で話す熟年夫婦みたい、他人が入り込む余地はないように見えた。


何よりも………友梨の話しをする水嶋の言葉尻には、まだ全然心を残した想いがチラチラと見切れてた。


本当に水嶋ときたら馬鹿で馬鹿で超ウルトラスーパーテラマックスの大馬鹿ものだ。地の果てまで吹っ飛ばしたい。



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