第10話
9
携帯の画面を見つめて考え込んでいた。
高梨からの連絡が入ってる。
──会えないか?飲みに行こう
……どうすべきか……
高梨が親友である事に変わりは無い。突然ぶっ込んで来たあの衝撃の告白を聞いても普通に付き合う自信はある……が、それはこっちの理屈だ。
構図としては水嶋と佐倉と全く同じ、高梨が本気だと言うなら答える事は出来ないのだからもう会うべきじゃ無い。
「でもな……」
高梨がどんな気持ちでいたのか、聞いても考えてもよくわからないが長い間友人として仲良くしてきた。その絆は本物だと思えるし失いたくは無い。
ぷっつりと無視はどう考えてもよくない、ちゃんと話を聞いてどうしても現状維持が無理ならもう会えないと言えばいい。じっくり話をしてから結論を出すべきだ。
「行くか……」
──金曜、時間はまた連絡する
連絡に返信をして携帯を閉じた。
水嶋の代わりをする外回りはいつもより時間が早く過ぎる。
関口が何を言ってあの場を治めたのか、矢田は水嶋に詫びを入れて大人しく仕事をしていた。
(矢田は謝ったのに水嶋は謝らない。子供)
一人になってわかった事は、何をするにも完璧にフォローされていた、という事。
担当の話をメモに残し、目に付いた雑用を手伝う。水嶋の真似は一人でやると思ったよりも大変だった。
初日は水嶋が全ての案件に電話をしてくれていたがその後は自分で考え、自分で段取り。
二人で回った同じ道なのに要領が悪くて時間がかかる。
金曜日は仕事の途中でHeavenに立ち寄り、変な事を聞かれる前に徹夜で作った急増アプリを渡してすぐに逃げた。
まともに付き合っていたら長いから嫌。
残っていた外回りを2件済ませ、高梨と待ち合わせたイタリアンのダイニングに遅れて行くと変わらぬ笑顔が迎えてくれた。
ここだ、と手を振る高梨にホッとした。目が血走ってたHeavenにいた人とは違う人。
「待たせて悪いな高梨。今ちょっと忙しくてさ」
「そんなに待ってない、ビールでいいか?」
返事をする前に店員に合図を出して注文してくれた。高梨はもう既に飲みかけている。温くなったビールが「待ってない」って嘘だと言っていた。
やっぱりいい奴。
「何か……久しぶりだな」
「あれは先週?先々週か……とにかくそんなに経ってないよ」
「でもちゃんと話してからはもうひと月以上前だろ」
「……そうだな…」
カツンとグラスを合わせた高梨はいつもと同じ。会う事を悩んだのが嘘みたい
「いっつも忙しいくせに「忙しい」って何かあったのか?働きすぎだろ」
「色々あってさ……聞いてくれよ」
人生を揺るがす水嶋トピックはまだまだ山ほどある。相変わらず黙って聞いてくれる高梨は"黄ばみも食べこぼしも綺麗さっぱり驚く白さ"匂いも分解してくれる高機能濃縮洗濯洗剤みたいだ。
やっぱり高梨最高。
「何?また水嶋?」
「うん…」
だって平日は元より休みの日だって水嶋しか無い。
水嶋の持つ平日と休日のギャップは筋骨隆々のマッチョゴリラが「受け」って事実より受け入れがたく、最近は別の人物だと認識してる。
一連の騒動を勃発した震源地で懲りる事なく飲み潰れていた水嶋の話は身振り手振りまで添えて熱が入ってしまった。
愚かで無用心で馬鹿で……話してるとヒートアップして自然と髪をぐしゃぐしゃと掻き回してる。
「ほんとあの人って賢いのか馬鹿なのかわかんねえんだよな」
「馬鹿なんじゃないの?それより江越……お前そのおでこ何だよ、青いし怪我してる、転んだのか?」
「いや……」
「まさか水嶋にやられたのんじゃ無いだろうな」
「違うよ、あの人はしょっちゅう殴ってくるけど怪我する程じゃない、これは自分でやった」
冷蔵庫の角はもうお馴染みになってる。
酔った水嶋を送り、帰って来てから一回ガツン。濡れた人妻シリーズのDVDで水嶋の顔を思い浮かべてしまい一回ガツン。夢を見ての朝勃ちに……大量出血。
独特の視点で水嶋を見てしまう自分が怖くて記憶を消したいのに消えてくれない。
Heavenを訴えたいから弁護士を探す(予定)
ここ一週間水嶋と別行動を取れるのは天の助けだった。
「自分でって何してたんだ?」
「洗脳から逃れようとしてる」
「……何の?どっかの宗教団体にでも懐かれてるのか?困ってるなら言えよ」
「宗教より始末が悪い変態の集まり……何がHeaven《天国》だ……って……ああ、ごめん」
つい…うっかり……狂乱する変態ゴリラが先に立ってしまったがこれは失言。
気を付けないと関係ないそっちの人全員を侮辱する羽目になる。
案の定高梨の眉がキュッと眉間に寄った。
「誤解しないでくれ、ゲイ全員の話をしてるんじゃなくな、あいつら大人のおもちゃを使いたいとかイキ顔が見たいとか…、お前だって俺が女子の使用済みパンツが欲しいって言ってたら変態って思うだろ?」
「お前あそこでエゴちゃんって呼ばれてんだな」
「ああ、知らん間にそう呼ばれてる。高梨はあそこの常連なのか?」
「……違うけどちょっとあの後どうなったか気になって行ったんだ」
何が気になったかと言えば………江越の言動だ。
高梨は自分の手を見ると握った拳が白くなっている事に気が付いた。
江越の口からは「水嶋」の名前が頻繁に出て来る。頻繁と言うかここに来てからの話は全部水嶋。水嶋で満ち溢れてる。馬鹿を連投しつつ文句を言ってるのに顔がニッコニコ。
Heavenはゲイバーと言っても薄暗い場末感が無い。料理目当ての客も多く女子も来る。どちらかと言えば健全なゲイの社交場に近いが、それでもノンケの男が一人で出入りするには敷居が高い。
ニックネームで呼ばれるほど仲良くなっちゃってるが……江越は今、自分が「どこにいるか」を自覚してない。
ゲイバーは何も特別変わった所があるわけじゃないが空気が違うのだ。
性的趣向が一般と違ってもいい。むしろ犬猫派論争や仮面ライダー派かウルトラマン派か……くらいのレベルで語られる。
難なく順応してる江越が性の常識を広げてくれるのは嬉しいが、嫌な方に向かってる気がした。
「なあ……お前水嶋が好きなの?」
「ん?……それなあ……好きか嫌いかで分別出来る人じゃ無いんだよな。凄いけど時々間抜けだし、真面目の度が過ぎて逆に面白くなってる、いっつも引っ張って貰うだけなのに仕事を離れると引っ張らなきゃ動かないし……」
「俺は惹かれてんのかって聞いたんだよ」
「は?何言ってんの?」
江越は素っ頓狂に目を丸くしたが、ノーマルに今の質問をしたら「好きだよ」とか「きしょい事言うな」で終わる。長々注釈が付くのは肯定そのものだ。
「江越、お前もうHeavenに出入りすんなよ、話してると普通に見えるかもしれないけどあそこはやっぱり異端な奴が集まってる、あんま良くないよ」
本当は会社を辞めろと真面目に言いたい。
水島の事を置いといても毎日遅くまで帰ってないし残業という概念も無くこき使われてる。
江越の特性を一言で纏めれば「容量の大きな人。」
わかりやすく説明するのは難しいが、例えば、ある日お父さんが「今日からお母さんと呼びなさい」と言って女装しても一週間くらいで慣れて当然のように「お母さん」と呼んでいそうなのだ。
ウェイウェイ言ってる集団に混ざればウェイウェイ言い出すし、バイクはいいぞと勧められれば三週間もしないうちに免許を取って来る。
きっと二酸化炭素しかない他の星に行っても順応して息をする。
だから希望を捨てずに何年も待っていた。
水嶋はどう聞いても「こっち」の人だ。ゲイバーの空気に慣れた江越が、無自覚のまま水嶋に傾いている事を気付いて欲しくない。
ぽっと出の新人に出しゃ張られるなんて我慢し続けた5年が泣く。
「行くなって言われてもなあ、俺だって行きたくないけど…もう知り合いになっちゃってるしなあ」
だからそれに疑問を持たない江越が変だって言ってる。普通なら「キモい」の前に怖くて近寄らない。
「よく無いってわかってはいるんだろ?」
「わかってるよ、でもな…話せばみんないい人だし……ただし言っとく、Heavenに来る奴らは普通じゃ無いよ?」
「俺は?……普通?」
「高梨は高梨だよ」
変なサプリとかローション持ち歩いてる変態ゴリラと一緒にはしてない
そう言って笑ってるがそのゴリラと一緒なのだ、信じてくれる江越には悪いがそのアイテムは二つ共今持ってる。
合法サプリが本当に効くのかどうか……マムシとかスッポンとか書いてあるが市販品な割に成分の表記が無い。…って事は医薬品とは言えない。
背が伸びる薬より怪しい。
だからと言う訳じゃ無いが……性欲の対象にしていると伝えたのに圏外っぽい話し方をする江越にムカついて………飲みかけのグラスにポトン。
見もの……。
「高梨?何笑ってんだよ」
「ん?江越と飲むと楽しいんだよ」
江越と出会って5年、もうすぐ6年目に突入する片想いは今思い返しても長く無かった。
この関係が変わる日はおそらく来ないがチマチマと攻める事くらいは許してもらう。
「俺も高梨といると楽しいよ」
「まあ飲め」
「飲むよ、本当に散々な一週間だったからな」
散々と言いながら笑うなっつーの。
江越のグラスに落としたエロサプリは用法容量すら書いてない。匂いは無臭。
半分残っていたビールを旨そうに飲み干す姿を見てウキウキしていたが……
ビール、焼酎、店を変えてハイボール、カラオケに雪崩れ込んでリンダリンダ。
焦る。
……まがい物だとわかっていたのに買ってしまった怪しい媚薬は効く様子もない。
別にどうこうしようって魂胆は無いが「熱くないか?」とか「体は大丈夫か?」って30回くらい聞いてしまった。俺って馬鹿。
カラオケ屋でも飲み進むビール
飲み散らかしたお酒に混じって薬効があったとしてもトイレとか汗で霧散してる。
気になり過ぎて江越と同じ量のアルコールを取ったのに全然酔えなかった。
一方江越はベロベロ。
ほんのちょっとでも薬が効いたかなんて真偽はもう確かめようもない。
低音で怒鳴り散らす津軽海峡冬景色、気色悪いと言わざるを得ないトリセツ。肩を組まれて抱きつかれて………馬鹿で呑気な江越に今まで……これからも、どんな目で見てるかを思い知らせてやりたくなった。本当の俺を見て驚け。
「なあ江越……」
「ん?次は?何入れる?」
「何にしようかな……」
「?……高梨?」
いつも一緒にいた高梨だ。首に手を置かれても、引かれて顔が近づいても何をしようとしてるか気が付かなかった。
ただ近くで見る高梨を水嶋と比べてしまっただけ。意識した事は無かったが高梨も肩より少し上に顔がある。
一重で切れ長の綺麗な瞳を持つ高梨は中々のイケメンだが、アップになっても水嶋のように性別が揺らいだりはしない。
どう見ても男だなと見ていると生暖かい軟体がペロンと唇を舐めた。
「あの……」
息のかかる鼻の先でニッと笑った顔はいつもの高梨だがヌルっと足の付け根が持ち上がり、飛び上がった。
「わっちょ……」
「そんなびっくりすんなよ、……やっぱりあの薬はバッタもんなんだな、柔らかい…」
「何すんだよ、薬って何?」
シッと高梨の指が唇を抑えた。
そのクサい仕草はゲイの間で流行ってるのか?
何にしても効き目は抜群、条件反射で続きが言えない。
くっと…後頭部に力が入った高梨の手は、離れた顔をもう一度引き寄せようとしている。その顔の角度はどう見てもキス。
「待てよ高梨…そこは一応いいかどうか聞くのが筋合いだろう」
「キスしていいかって?……聞かないだろ、聞いたことあんのか」
場所は狭いカラオケ屋の密室。
今にもくっ付きそうな距離で男同士が話す内容じゃないが、無理に突き離すと高梨が傷付いてしまいそうで出来ない。
思いっきり首を反らして何とか距離を取った。
「無いけど……ほらこの場合特殊だろ、それに聞かなくても普通こんな状況になる時は暗黙の了承があるだろ」
「俺はお前を狙ってるって言ったよな、その上で会ってるんだから合意と取った」
「それは……その事はちゃんと話そうと思ってた」
今の今まで忘れてたけど、思っていた事は思ってた。
「嫌か?」
「嫌とかじゃなくてな……」
「じゃあ一回くらい付き合えよ」
「一回ってこないだ……」
ゲイのおっさんどもに囃し立てられてチューをしたじゃないかと言いたいのに、その前に口が塞がった。
「ふぐ……」
ヌルッと口に入って来たのは弾力のある肉。
背中は暑いのに冷や汗が吹き出して頭に血が上って来る。どうしようと考える間もなくパッと離れた高梨がご馳走さまと笑った。
「お前……舌入れんなよ」
「何入れるって江越が聞いたんだろ、舌にしといてやったんだから有り難く思え」
「「しといてやった」って……」
何を入れようとしてた?
入れるって何?
パッと頭に浮かんだのが水嶋だなんてHeaven産のウイルスは至極強靭。かなり深くまで侵されてもうタミフルでは治療できない。
高梨との別れ際、「コンビニに寄ろう」ってテンションで「泊まりに行ってもいいか?」と聞かれたが前回と同じくキッパリ断りを入れた。
高梨は好きだがどう考えてもそんな関係では付き合えない。
「また来週」と言い捨てた高梨は返事を待たずに帰って行った
高梨には悪いが……少し距離を置こうと思ってる。
「やっぱり……今まで通りって訳にはいかないな」
カラオケ屋から出ると息が白い。もう終電は行ってしまい駅にはシャッターが降りてる。
酔いにふわつく頭の中が何だかむず痒くて、そのまま歩いていると、結構寒いのに春の匂いが風に混じって薫って来た。
忙しい車影、暗く沈んだ高いビルは見えない天辺で小さな灯りがチカチカと光ってる。
水嶋は今何をしているのかと気になった。
あの蕎麦屋で会った日から殆ど顔を見てない。二、三回電話で怒鳴られただけ。
「またどっかで潰れてたりして…」
どうしてか水嶋は飲みに誘ってくれない。
真っ当に店で飲んだのは無言の説教を食らったあの一回だけ。それも佐倉のアホに邪魔された。
「アパートに帰ったら玄関で寝て……は無いか…」
水嶋と顔を合わさないのは気不味いから?
……な訳無い。
意味もなくプルプルと頭を振った。
振りすぎて頭がクラクラする。気が付いたら電柱に阻まれ同じ所で足踏みしてた。
電柱は悪く無いが一応一言だけ文句を言っとく。
「死ね」
「死ね」とか「逝け」とか「アホ」とか「役立たず」を聞くと……いや自分で言ったんだけど、そんなワードは水嶋を思い出す。
未払いの回収は凄んでも脅してもどうにもならない。水嶋の事だからきっと嬉々として走り回り、経理を見直したり足りない手の代わりにと饅頭でも作ってそう。
ああ見えて結構器用なのは知ってる。
細い指はそこはかとなく繊細で体を張る(普通は張らない)営業より医者の方が似合う。
きっと白衣も似合う。
胸に抱いた肩がブルブル震えて首筋が……
だからやめろ俺。
頭が冷えた頃にタクシーに乗ればいいと思っていたのに中々冷めない。歩いた事を後悔する頃には一台も見かけなくなった。
他に交通手段はない。どうしようもなく歩いて、歩いて。二時間半かけてアパートまで歩く羽目になった。
「また午前様……明日起きたら昼過ぎてんだろな」
余計な運動をしたお陰で酔いはアパートが見えた今が最高潮。
ちょっと期待していたのに部屋の窓は暗い。
今の嘘。期待なんかしてない。
真っ直ぐ歩けていない自覚があるのだから人から見ればもう千鳥足だと思う。
最短距離で帰りたいのにふらふらと漂っていると、追い抜いて行ったタクシーに引き潰されそうになった。もっと正確に言えば投身自殺寸前。
言いがかりだがムカついて何か投げてやろうと小石を探していると、そのタクシーがアパートの前に止まった。出てきた足と靴には………思いっきり見覚えがある。
「……あ……嘘だ…」
降りて来たのは今一番会いたく無いと思っていた水嶋だった。
何故自分のマンションに帰らないでここに来る。
本当に冗談じゃない。
全く冗談じゃない。
超絶冗談じゃない。
もう鍵は取り返した。こんな時間に来ても寝てたら気付かないかもしれないし夜中の3時に「お邪魔します」とか言われても普通は困る。
困った。喜ぶな俺。
冷蔵庫の角は遠い。
アパートを見上げキョロキョロしている水嶋はどうやら酔って駄目バージョン。
こっちを見たと思ったら目を細めて中途半端に手を上げた。
「江越だな?」
「違います」
「江越だろ?」
「気のせいです」
違うと言ってるのに……水嶋はヨタヨタと寄ってきて江越だぁと笑った。
「クソ……最悪のタイミング……」
「え?何が?バッチリだろ、俺は天才だって自分を褒めてた所だ」
うん、色んな意味で天才。
「はいはい……あなたは天才です。水嶋さんって目が悪いんですね、時々目を細めてるでしょ」
「悪くないってか測ってない」
「今度測りに行きましょう」
水嶋は会社の健康保険が払ってくれる健康診断も無視、今年は拉致してでも連れて行こうと決めていた。
「全くそんなに酔って…また無茶な飲み方してたんですね、毎週毎週そんなんじゃ今に体を壊しますよ」
うーんと誰かに問いかけるように空を見上げ「壊れてもいい」と困ったように笑った顔は本当にそう思ってるとわかる。
「馬鹿な事言わないでください。今年の健康診断は絶対に行ってもらいますからね、仕事に介護まで付いたらさすがに辞めます」
「今はいいからそん時は面倒みろ」
「今はいいけどそん時は嫌です」
「まあ……そんな事になれば俺が辞めるからお前は辞めるな、仕事は面白いだろ?お前は結構使える」
今それ?……
薄い防波堤は決壊しかけているのにこれ以上ドキドキさせないで欲しい。
水嶋に褒められる日、それはもっともっと一緒にいて…生命保険に満期が来る頃に褒めてもらえたら嬉しいと思ってたのに……意外と早かった。
今はどデカい背中の後ろでヒラヒラしているだけ……酔った上での軽い言葉だとわかってるのに、クラクラ回る頭が歓喜してる。
…………押し寄せる滑らかな波。
頭を越えて溺れそうになるが、何とか浮上して呼吸を確保してるのに幾重にも連なって次々と被る。
これは心の水面に落ちて来た何かが作った波紋だ。
ガブリと……思いっきり水を飲んだ。
「辞めませんよ……」
「お前が辞めても今んとこ困らんけどな…」
「もう…上げといて落とす……送っていきますから自分の部屋に帰ってください」
顔を見れて嬉しいけど、もう一声だけ抵抗を試みてみる。今……水嶋を部屋に入れるのは何となく無理。
「何でだ」
「何でも」
「どうやって?タクシーは行っちゃったぞ」
「………俺は会社の近所からここまで歩いて帰ってきましたけど?」
「俺にも歩けってのか?何だよ、部屋に誰かいるのか?」
「妻と娘が……」
じゃあいいって……おい……信じたのか?
人の気も知らず可愛く笑うな、馬鹿。
もういい。
本当に帰ろうとする水嶋の腕を掴んで止めた。
「………部屋に入りましょう、寒いです」
「いいよ、俺はその辺で寝る」
「また生垣か草むらですか?拾うの面倒くさいから入ってください」
アホとか何とか言いながらヨロついている水嶋をヨロつく足で支え、2人で挑んだドアまでの道は遠い。階段は登山。廊下は田んぼみたいな泥沼。中々刺さらない小さな穴にやっと鍵を差し込んでドアを開けた途端2人で雪崩れ込み、転がった。
水嶋が床に激突しないようにって……抱き込んだのはわざとなのか?そうなのか?俺。
窓から差す仄暗い月明かり、酔ってる、密室、明日休み。計画して用意してもこう上手くは運ばない。
不可抗力で押し倒したみたいな体勢。
でもちょっと寒いから体を寄せる。
大の字に寝転ぶ水嶋。肩が被さり胸の上に上手く乗った腕……ちょっと手を動かせば肩を引き寄せたり出来る。頬を引き寄せたり、首に回して顎を取る……とか。
やめろったら俺。
開いた襟の隙間から地肌が腕に触れていて、手のひらに汗をかいてる。熱を持ってホカホカ。
顔が近い。
「おい、江越……
「洗面所は……あちらです」
頼むから……この自由意志を持った俺の手を振り払って恒例の嗽でも何でもしてくれ。
「洗面所の場所……忘れたとか?…なら神業」
「知ってるわ、アホ、立ちたくないんだよ」
ムッと口を尖らせてこっちを見た顔は益々近い。もう寄り目になる距離。近過ぎてウイスキーの香る息がかかる。
"水嶋が好きなのか"と聞いた高梨の問いが嘲笑うかのように反復横跳びしている。
暗い夜空を眺めながらずっと水嶋の事を考えていた。考えていたと言うか勝手に出てきた。
もし…キスを迫ってきたのが高梨じゃなくて水嶋だったら?どうした?
きっと抱き締めた。
消そうとしてもまた蘇る不滅の水嶋。
無い無いっても笑ってみても頭から離れない。
……なのに益々顔を近づけてクンクン匂ぐな。
「お前……酒臭いな……」
「水嶋さんに言われたくないです、あの……あんまり近付かないで…」
もう知らないからな。
「じゃあお前が退けよ、俺の上に乗ってる腕が重い…眠い、寒い、何か……毛布持ってきてくれ、俺はここで寝る」
「………嫌です」
動きたくない。
仰向けに寝転んだ水嶋の顔がすぐ側にある。
アップで見るとやっぱり……性別の垣根が消える。
「俺もお前もアホだな」と喉の奥で笑った水嶋の居崩れた髪が鼻先を撫でた。
もう無理。
深く考える前、頭に浮かんだまま言ってはいけない一言がツルッと漏れ出た。
「……あの……ュー…しちゃってもいいですかね?」
「ん?…何てった?ちゃんと言えてない」
「聞いたら……嫌って言うでしょう?」
待て待てと理性は止めてるのに嘲るように笑いながら逃げていく。
どうしようも無いのだ。
止めたいのに止まらない。
「何……江…」
「ちょっと……黙って」
水嶋は何も考えてない、身構えもしない。
体を起こした腕の下で半目で見上げて来る性別不明の顔に……グルグル回ってる頭をそっと落とし、尖った唇の頭にチョンと触れた
それでも水嶋はまだ「何をやってんだ」とヘラヘラ笑ってる。
どうして嫌がってくれない。
密かに溜め込んだ熱に体重が乗ってしまう。
何かを言いかけたのか、くっと持ち上がった顎に唇を乗せて押し付けた。
「?!っん……ぅ」
息を飲んだ水嶋の喉が動く。
正体の見えないものに背中を押されてのキス。
開いた隙間に誘われて、歯の間に入り込むと抱き伏せた水嶋の体がピクンと揺れた。
水嶋は敏感
水嶋は感度がいい
佐倉は余計なレクチャーをしてくれた。
もっと見たいのだ。
相変わらず乳首が透けたシャツはネクタイが緩みボタンが外れてる。
暖房の入ってない部屋、それも玄関口は寒いのに長い首に手を添えると汗ばんで指が滑らない。
あの水嶋が……男が相手だなんてどうでもよくなってる。
「ぅ……ふ……」
チュクッと…混ぜかえった唾液の水音が頭の骨に響く。歯の裏側を擽ると逃げる様に顎が上がった。
この世に二人っきりしかいないような気がする。
されるがままの水嶋は動かない。
こんな風に佐倉からのキスも流されるままに受けたのかと思うと体の芯が熱くなる。
チュッと唇を吸い上げてゆっくり離すと水嶋の顔に浮かんでいたのは嫌悪でも怒りでも無く、どう見ても疑問だった。
「お前……何してんだよ」
「何してんでしょうね、頼むから…俺を…何か硬いもので殴ってください」
冷蔵庫の角は遠い、今は最寄りの玄関なのに遠い。ここで思い留まる気持ちはもっと遠い。
「何言ってんだ、取り敢えずどけよ」
「やだ」
「江越?……ちょっと…」
脇腹を撫でるとモソモソと逃げる。正直に帰ってくる反応は止められない盛り上がりに勢いをつける。
シャツの上から滑らせた指が胸の突起をぽちんと越えると今度はビクンと体が捩れた。
きっちり切り揃えた髪は短いのに手を入れると柔らかい。
暗くても耳が赤くなっているのがわかる。
耳朶を囓って狭い穴を舐めると流石に何をされているのかわかったみたい。
わあ、鳥肌立ってる。
「江越?どうしたどうしたこら、酔ってるな?目を覚ませ、俺だぞ?わかってんのか?」
「………うん、水嶋さんですよね?」
「わかってんの?」
「水嶋さんだ……」
ネクタイが邪魔。
「シャツ……脱がせていいですか?」
「何で?!」
「もっと強くお願いします…」
水嶋と俺自身の抗議は無視。
首の根元が見たくて見たくて、真新しいシャツのボタンは間口が硬い。一個失敗、千切れてブチンと飛んだ。
襟を開くと鎖骨が綺麗。
ほんとに誰か止めてくれ。
「おい?」
「首長い……」
「おい?おいおい?ちょっと!」
「水嶋さんうるさい」
今、ねっとりと深いキスをしたのに……舌を入れたのに水嶋はまだ酔ってふざけてると思ってる。
露わになった鎖骨、唇で辿ると微妙にサイズの合ってないシャツは簡単に肩から落ちた。唾液に色が着いてたらきっと這った跡が出来る。
「馬鹿って書いとく?」
「だから何?!…わ…」
吸ってみたら小さく色が着いた。
その下……胸の粒は怯えるように縮んで舐めてみると硬いしちっこい。
「おい?!何壊れてんだ?」
「うん、壊れちゃいました」
「江越?!こらこらこら!何やってんだ!あ…ちょっと!」
何やってんだって……あんたの乳首舐めてんだよ。
後頭部にゴンゴン落ちてくる拳骨は痛くも痒くもない。例え刺されてもやめない。
「江越!」
「水嶋さん……うるさい」
うるさいからもう一回口を塞いだ。
フギュって何かを押し潰したような声が面白い。
邪魔な手足を抑えるように体を重ねると片足が割った水嶋の腹に異物がある。
膝を押し上げると小さな叫び声を上げた。
「うわぁ……勃ってる」
「わあはこっちの台詞だアホ!触るからだろ!ってか何でお前も勃ってんだよ、離れろよ、ゴリゴリ押し付けんな」
「俺を止めてください、もうダメです」
「何がダメなんだよ!こら」
「駄目なんですったら…」
駄目の意味がわからん?だからこんな事になってんだ。
今度はベルトが邪魔。しかも引き千切るのは無理。
でも女子のブラより余程慣れてる、片手で引くと簡単に外れた。
ズボンのボタンは失敗、また千切れた、ごめん。
これは「はるやま」に持っていくと治してくれる。「青山」じゃなく「はるやま」ね
床を漕いでズルズルと緩慢に逃げていく水嶋の股間を擦り上げると、振り上げていた水嶋の手がピタリと止まった。
「ふ……ぐ……触んな…あ………クソ…」
「敏感ですね……首も耳も胸も……触るとビクビクしちゃって……盛り上がる」
「ふざけんな……何のつもりだ……」
「さあ…俺にもわかりません」
何がしたいのかわかってないのに体が勝手に動いてる。 わかってるのはもう抑えられない事。
持ち上がった水嶋の膨らみから生地を通り抜けて熱が伝わってくる。
スリスリ揉み上げるときつく閉じた瞼の上で眉間に寄った水嶋の眉が垂れて来た。ムクムクと育った征服欲が膨らんでもう破裂寸前。
少しずつチャックを引き下ろし、とうとう生に触れた。もうしたたかに濡れて粘っている。
水嶋の何がそうさせるのか……結果論だがまたパンツに手を突っ込まれてる。手を動かすと鼻から抜けた声が聞けた。
「う……あ……」
「指の……第二関節腹側……」
「何それ、何だよ…何がしたい」
何がしたいってイキ顔が見たい。
佐倉は悪く無いが恨む。呪う。それこそ殺す。
この先……水嶋がどんな顔をするか見たくて見たくて堪らなくなってる。
男とこんな事をするなんてあり得ないって信じていたが突入するとそうでもない、少し位置が違うがそれは個性……か?それでいいのか?
自問は遠くから弱々しく呼びかけてくるだけ、股間の奥深く深淵部に指を差し入れた。
「あっ!やっこら!や……め……ぁ…」
「痛くないですか?」
「痛い!気色悪い!……ふ…ぐ…」
「それ嘘でしょう?」
水分の無いそこは粘膜を手繰るように押し込んでもモソモソとしか進めない。チャックが開いただけのズボンが邪魔で脱がせてしまいたかったがそんな余裕はこっちにも水嶋にも無い。
人の体の中は熱くて狭くて問題の第二関節は意外と遠い。未知過ぎて何をしているのかわからないまま進んでいると、シャツを掴んで止めろと引っ張っていた水嶋の手がギュッと硬くなった。
「……あ……」
「ここ?……」
「ハ!あ……あ」
指を折って中から押し上げると水嶋の体が感電したように硬直してピンと伸びた。
乗り上がって押さえつけているのに指を揺らすと背中が反って浮き上がってる。
「ハァ……う……あ…」
「そんな声……出さないでください」
「じゃあ……やめろ……あっ!」
ピチピチの海老みたい。
水嶋の額に玉の汗が光ってる、歪む表情は苦痛と言うより抗えない性感に悶え耐えている。
驚く程正直で「真面目」な反応は面白いくらい「水嶋」。指の緩急でビク、ビクと体が踊り、頬が紅潮していく。
あやふやな手つきなのにそこを攻めると水嶋の口が開いた。
「ぅ……あ……」
「…気持ち……いいんですか?」
「うるさ……ぁ……ぐ」
本当にやめて欲しいのに、やめたいのに…そこが緩んでいるのだ。指一本でも狭かったのに緩んで間口が広がっている。
マズい、美味しいけどマズい。
このままでは我慢出来なくなる。
佐倉は「まだ何もしてない」って喚いていたがそれがどこまでなのか………もしここでやめたとしたら佐倉を尊敬できる、だって本当に我慢出来ない。
指の緩急で早い呼吸が時々止まる。
感度がいいって本当、わかりやすい。
跳ね上がる体は反応が直に伝わり嫌が応にも熱が増す。
「もう…無理………ィ……い…」
「水嶋さんこそ……そんな煽るような事言うのやめて…」
今……"イキたい"って聞こえた、そう言えば中を探るのに夢中で前は放置している。
だって男同士のこんな事手順も定義も礼儀もわからない。
シャツを握りしめて引いたり押したり、ほんの僅かの抵抗を見せていた水嶋の手が下に落ちてる。
体を起こして覗き見ると、自らを握った手が動いてる。
「て……手伝いましょうか?」
「見んな……アホ……」
「見ます……見たい……」
"やりたい"より見たい。見たいからこんな事になってる。
だから手伝う。
本道は任せた。片手は忙しい。空いてる方を水嶋の手に重ねて親指で先っぽをクリクリと捏ねる。ジュクジュクに濡れたそこは滑りが良くて出口をほじくると呼吸が速くなった。
「離…せ……」
「イッて……」
横を向いてに逃げようとする肩を抑えて中に沈めた指をクンっと持ち上げると、声の無い悲鳴を上げて濁点の混じった長い吐息が水嶋の唇から吐き出された。
「〜〜〜っ……あっ………」
「うわ……」
見てしまった。
……イキ顔……。
真ん中に寄った眉が開放と共に解れていく。
これは……確かに来る…。
もう破裂寸前。
この後どうするって……する。
弛緩した足を持ち上げると体は結構柔らかい。肩に乗せて水嶋の腰を引き寄せる。良く見えないが……痛いくらいに張り詰めた前を暗い谷間に押し付けた。
「っ?!……江越?!ちょっと!」
「ごめん、水嶋さん……もう無理」
「は?嘘……何チン○出してんだ!やめろアホ!やめろったら!」
「水嶋さん!暴れないで!」
「暴れるわアホ!」
「ちょっと!俺初心者なんだから」
「知るかっ!」
脱げてないズボンと股の間に首を突っ込んでる。
ガクガク揺すられ、絞れない的に腰を押し付けるとヌルリ………超絶の快感が襲って来た。
「うわあっ!!」
2人揃ってしまった叫び声は天井に響き、隣の壁がドシンと揺れた。
「入っちゃった……」
「入っちゃったじゃねえよ!」
「ちょっと!静かにして!隣に聞こえてる」
「お前こそやめろって!痛い痛い痛い!」
「ちょっとだけ我慢してください!」
「何で?!うわっ……あ!」
プツッと音を立てて飲み込んだ頭の括れが擦れ、身体中の皮膚がザワッと立ち上がった。
「……あ……ぅ……」
肩に担ぎ上げた水嶋の足が背中を押す。騒いでいた水嶋からは押し殺した呻き声と一緒にギリっと歯を擦る摩擦音がした。
溢れ出た汗が頬を滑り顎から落ちている。
そろそろと揺らしてみると狭い肉壁は締まって凄い刺激。
「うぅ…気持ち……いいです」
「あ……う……ごくな…そこ駄目だ」
「無理です……うわ……」
中が狭過ぎて進めない、一度引いて押し込むとしゃくり上げたような声が上がる。
動くと水嶋の背中が反ってきた。
垂れてきた水嶋の吐精が潤滑油になって淫靡な音がする。
「何か……夢か?これ?」
「ふぐ……死ね……クソ」
「水嶋さん……俺水嶋さんが好きです」
「取って付けたように言うな!動くなったら!」
「だから無理!」
敷物の無い偽フローリングは服を着たままの2人には滑りが良くて少しずつ移動していく。
男のGスポットと言われてもどう感じるのかわからない。でも、ちゃんと捉えているらしい
動くと水嶋からは押し殺した声が漏れて顎が上がる。
「もう……痛く無いですか?…」
「うる…さい……ハァ…あ…」
喉の奥から迫り上がる熱い塊が呼吸なのか想いなのか、もう夢中で何が何だかわからない。
感度がいいって意味がよくわかる。
押し込む度に詰まる息。肉まで巻き込み掴んでいるシャツがギュウっと引っ張られる。
もう離れて見ても水嶋は男なんだと冷めたりしない。
泣きそうにも見える水嶋のイキ顔はずっと続いて……
気が付けば朝になっていた。
どうなったのか……どうやって移動したのか覚えてないが、ベッドに転がって水嶋に抱きついて寝てた。ちゃんと布団に潜っている。
水嶋はまだ目を覚ましてない。
ドーッと汗が噴き出してきた。
「嘘だ……夢だ……妄想だ……」
狭いベッドに小さくなって眠る水嶋の眉間に出来た皺……
この際……息の根を止める?
硬いもので殴るのは水嶋が先かもしれない。起きたら多分殺される。
自分を見下ろすとジャケットすら脱がないまま寝ていた。信じられない暴走の痕跡はずり下がったズボンだけ。
水嶋はと言えば半分脱げたシャツから肩がはみ出ているのにネクタイはしたままだ。
酔いが覚めて冷静になるととんでも無い事をした。
相手はあの水嶋だ。逃げる事も、会わないように潜む事も出来ない会社の先輩。
「受け」の適性が高いと言ってもそれはまた別の話……最大の難点と問題点と突っ込み所は合意じゃ無いって事。
「待てよ俺……希望はあるぞ」
水嶋は飲むと結構な割合で記憶を無くす。
だから同じ事を繰り返すのだが今回はそこに賭けるしかない。
まずは服を何とかしなければ不味い。
起こさないようにそーっとそーっと……どこがどうなってんだこれ。
敏感が厄介。首回りに触れるとモソモソ動く。
どこにも触らないように細心の注意を払って毛布とシャツに絡んだネクタイを引き抜く。
半分脱げてるシャツは出来るところまでボタンを留めて……後はズボンだが……毛布の中を覗き込むと腰が引けた。
履いてないならまだしも下着と一緒にずり下がり膝の前に溜まってる。
パンツだけでも引き上げたり出来ないかと、見たくないものに目を瞑り、そろそろと引っ張っていると、地響きのような唸り声があがった。
ここは……無駄だと思いつつ「知らないふり」をやってみる。
「起きたんですか?おは、おは、おはようございます、大丈夫ですか?水持ってきましょうか?牛丼食べます?」
「牛?……」
「あの…いや」
もっと普通にしろ俺。
牛丼は食べないだろう、俺だって食べたく無い。
「シャ…シャワー…シャワー浴びましょう、昨日風呂に入ってないし、そうだシャワーだ」
寝惚けたまま風呂場に放り込めば何も考えずに綺麗さっぱり痕跡を洗い流してくれるかも。
「シャワーは後でいい」
「そんな事言わずに是非!ホワイトデーに貰った薔薇の香りの入浴剤を入れます」
「いらねえ」
「……シャワー……浴びようよ…」
「いらねえって、それより薬飲むから……ジャケット取って」
「薬ですね?薬、薬………えーと……」
テンパっておかしくなってる。
こだまみたいに何も考えず繰り返したが、意味が頭に入って来ると無駄に歩き回ってた足を止めた。
「薬?薬ってどっか具合が悪いんですか?時々飲んでますよね」
見たのは二、三回だが思い出したようにポケット探り、水無しで口に放り込んでいる。食後、とか朝晩とか定期的に飲んだりしないからフリスクかと思ってたくらいだ。
「うぜえなお前、俺を観察すんなアホ」
「でももし何かの病気なら……」
「病気じゃねえ、ただの予防薬だよ、仕事中に何かあると困るだろ、俺は寝込む暇なんて無いんだ」
「あ、やっぱりそういう事ですか」
嗽と手洗いに続き投薬までして体調に気を配ってるってさすが水嶋、やる事がとことん極端で凝ってる。
「取ってきますね」
「うん、悪いな」
「何でも言ってください」
数歩で済む用事なら何でもする。
研究所に行ってこいって言われたら行く。
シャワーを浴びてくれるならお姫様抱っこだってする。(目隠し付き)
「ジャケットは……」
脱がせた覚えはないけど部屋に無いなら玄関。
見に行って他に不味いものが無いかチェック。
犯行現場に残っていたのは丸めたティッシュ。すかさずポケットに入れたら後はジャケット以外何の痕跡もない。
丸めて捨ててあったジャケットを拾ってポケットを探ると、薄い革のケースにカード類と一緒に錠剤が2つ入っていた。
何の薬か知らないが小さなピンク色の錠剤はどう見ても市販薬じゃない。
「あの人……病院になんか行ってないよな」
全ての行動を把握している訳じゃ無いが平日は朝から晩まで一緒にいる。土曜の午前中はこの所ずっと一緒にいたがそんな気配は微塵も無かった。
「製薬会社」と縁の深い水嶋がどこから薬を手に入れているのか、うっかり聞いてしまったら手が後ろに回りそうで怖い。何もに聞かずにそのまま水と一緒に持っていった。
「薬ってこれですよね?」
「そう……いた……痛てて…何か……体が……」
体を起こそうとした水嶋が肘を立てた所でピタっと止まった。シーツを見つめて何か考えてる。
逃げられない、避けられない、誤魔化せない絶妙な立ち位置。このヤバさと焦燥感は多分誰にもわからない。
ギロっと目玉だけが動いて握ったシーツがグシャグシャと集まっていく。
「……てめえ……」
「ごめんなさい」
「夢じゃないな?」
「……多分……」
「多分って何だ!!」
「俺だって夢の中なんです!」
実は事の前後が曖昧ではっきり覚えてない。覚えているのは揺さぶってる時の何とも言えない……頭に浮かぶと堪らなくなる水嶋の表情だけ。
「二度とこんな事をしたら許さないからな…」
「え?つまり今回は許してくれるんですか?言っておきますが生命保険にはまだ入ってません」
「すぐ入れ。生命保険の免責一年が過ぎるまで待ってやる、受取人は恵まれない子供達にしとけよ」
「それはいいですけど……」
死ぬ前に水嶋にはわかって欲しい事がある。ちゃんと気持ちを伝えたい。真面目だと……
自然と正座になっていた。
「あの……二度としないって無理です」
「……どう言う意味だ」
「またしたいです」
「お前……どうやら今すぐ死にたいらしいな」
ぬうっと…水嶋の背後に立ち上がったおどろおどろしい瘴気が黒い。
「死にたくないし、会社を辞めたくないし、避けられるのも嫌です。俺は水嶋さんが好きみたいです。付き合って欲しいです」
「断るっ!!」
「そんな即決?!佐倉にはいいって言ったくせに!」
「佐倉局長と言え!!前に言っただろう!裏で話す事は知らん間に表に出る!奥田製薬は新参者でほぼ隙間産業なんだ、その気になりゃ一瞬で潰されるだよ」
「そんな事……今はどうでもいい」
こんな事があったのに水嶋の頭の中は仕事だけ。
無理矢理抱かれても水嶋にとっては些細な事故。
「水嶋さん、俺が変な事言ってるって自覚してます。でも真剣なんです。誤魔化さないでください」
さっきまでどう誤魔化そうか悩んでいたのに我ながら単純。言葉にすると気持ちが溢れてこのまま突発的な事故として有耶無耶にして欲しくなかった。
きっかけは佐倉達のせいだが無駄な固定概念を取っ払ってくれたのもあの人達だ。
視点を変えて水嶋を見ると、人物形成のグラフが酷く歪んだ面白い人だった。
踏み込まざるを得なかった水嶋の実態に、ブンブン振り回されてこんな事になってる。
しかし思い込みでも勘違いでも無い。
完璧に見える仕事はもっとサポートが必要だと知った。私生活はもっともっとサポートがいる。
それでも貰える物の方が大きいのだ。
畏怖と尊敬が変質しただけじゃない。
怒っているだろうなと、水嶋の顔を見上げると予想とは裏腹に表情が無かった。
「水嶋さん?」
「……風呂……借りるぞ」
「水嶋さん!ちゃんと聞いてください」
「うるせえ、お前の発情に付き合ってる暇なんかないだよ、それに俺にはそんな価値が無い」
「……価値は俺が決めます、俺はもう水嶋さんしか考えられない!」
「ちょー恥ずかしい奴だな」
「恥ずかしいのは水嶋さんでしょう!チ○コはみ出てます!」
顔を歪めてベッドから足を下ろした水嶋のズボンは床に落ちて下半身丸出し。
下を見てひっと変な声を出した水嶋に出てくるのは笑いしかなかった。
あの鬼のような仕事っぷりは「天然」であるが故、思い込みの激しさから発生した副産物なのだ。
これを知ってる奴は俺以外きっといない。
「この話は今度でいいです。お風呂に入って来てください、後でいつものトレーナーを放り込みます」
背中を押すと下半身丸出しのままなくせに携帯だけは持ってる。
「俺に触んなよ、おい!」
「いいから早く、こっちが恥ずかしいです」
「誰のせいだ!やっぱり今死ね!」
「嫌だよ馬鹿!」
ガツンと殴られた後頭部の痛みが嬉しい。
ギャーギャー喚きながらヨロヨロと風呂場に入っていった水嶋はきっと一生忘れない。
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