第6話

サラ5


帰ると言っていたくせに……水嶋はテレビの前のクッションですっかり和んでしまった。


我が物顔でまったりコーヒーを飲んでいる。

テレビのリモコンを手から離さずCM毎にチャンネルを変えた。


「これが水嶋さんの日常なんですか?」

「大体はな…お前は出掛けたければ好きにすればいい」


ほぼ他人。フルネームも真っ当に知らない間柄なのに?まあ、何かあれば水嶋ほど頼りになる知り合いは他にいないしくつろいでいただけるならそれでいいけど。


「買い物に行きますけど何か食べたい物ありますか?ついでにパンツとか服とかも買ってきます、それから携帯は離してください、何なら預かります」


テレビのリモコンと一緒に携帯も離さない。

友達とか家族からの連絡があるからじゃなく、仕事の電話に備えてる。

‪土曜の朝なのに臨戦態勢。‬


「携帯は離せないけど買い物に行くなら俺も行く」

「え?水嶋さんはまだ酒が抜けてないからつらいでしょう?気を使わなくていいですよ」

「使ってない」


それは見てればわかります。


買い出しに付き合ってくれるのはいいが、二週連続でお互いに週末お泊りをして一緒にルンルン買い物に行くなんて会社の同僚が見たら何て言うだろう。


「嫌なのかよ」

「いいですけど寒いですよ」

「コート貸せよ、何かあんだろ」

「あるけど大きいんです。俺でも大きいんだから、水嶋さんが着れば……」


うるせえと殴られた。


普段着のカジュアルコートの他はスーツ用のコート、もう一着はサイズが大きいから殆ど出番のない友達からの貰い物だけ。


水嶋に着せたら笑いそうになったのは言うまでも無い。


ダボダボと3Lサイズのダッフルコートを着た水嶋とホームセンターや洋服屋に靴屋、他諸々が合体した複合スーパーに出かけた。


話す事はあまり無いがこの一週間で二人っきりには慣れている。違うのは位置関係だけ。仕事の時は水嶋が行き先も言わずに突っ走り、今はペタペタと底の減ったクロックスを履いて黙って後を付いてくる。


「水嶋さんって普段は買い物とかどうしてるんですか?自炊はした事無さそうですけど」

「無いな。家に帰ってまで働くなんて嫌だろ」


部屋の中があの有様だ、家事をする期待なんてしないが当たり前ってドヤるのもどうかと思う。


「働くって認識が間違ってるんです、洗濯をしたく無いら新しく買うなんて……水嶋さん?」


朝一番は吐いたりまだ酒が残っていたりで何も食べなかったが、少し動いて腹が減ってきたらしい。水嶋は漂う焼き芋の匂いに吸い寄せられて食品売り場にフラフラと寄っていく。


生物を買うからスーパーは後、と引っ張り戻すと切なそうに振り返って指を咥えた。


あんまりイメージを崩して欲しく無い。


水嶋との買い物は小さな子供を連れ歩いているようなのだがある意味子供より始末が悪い。


パンツと靴下、縞々のパジャマは売ってなくてスエットの上下を籠に放り込むと、何でMサイズなんだと喚く。


ようやく食品売り場に来ると、作る気も無いし料理のスキルも無いくせにポイポイ勝手に訳の分からない商品を放り込む。

コンビニには行くがスーパーには殆ど来ないようで色々珍しいのか水嶋は何だかはしゃいでいた。


「水嶋さん、今籠に入れた青海苔って何に使うんですか、お好み焼きもたこ焼きも作りませんよ」


「……何となく…常備しといた方がいいだろ」

「却下」


青海苔を棚に戻すとついでにチリソースを見つけてそれも有無を言わさず棚に戻した。

注意して見てないと"3年経っても冷蔵庫に入ってる……"なんて変なもん買いそうだ。


「トマトはいいですけどこのロマネスクは?ブロッコリーじゃ駄目なんですか?倍も値段違いますけど」

「百円や二百円どうでもいいだろ、変な形してるからどんな味がすんのかと思っただけだ、お前は?食べたことある?」


「無いですけど……その手に持ってる袋は何ですか?」


知らない間に……いつ買い物をしたのか水嶋は小さな袋を下げている。


「そこで売ってから買った」

「何を?」


ん、と嬉しそうに見せてくれたのはどこで誰が使うのか包丁の研ぎ機だった。


「何でこんなもん……うわ、あそこでやってる実演販売ですか?」

「これ凄えぞ、さっと二、三回擦ればトマトがすらっと……」

「水嶋さん料理しませんよね?」

「しないけど?」


仕事なら一円一銭も譲ら無いくせに……何?この意味の無い浪費。


トマトを籠に入れたのはこれのせい。ここまでお手軽に騙されてくれる客がいるなら実演販売はきっと儲かる。


水嶋の財布を盗った奴もチョロい鴨と舌を出しただろう。さっさと帰った方が良さそう。


食品をひっくり返して原材料名を眺めるのはもう職業病だから仕方がないが、放っておけば日が暮れる。


「もうレジに行きますよ」

「え?もうちょっと見ないか?」


無視。


千切りキャベツの袋を写真に撮っている水嶋を置いてレジに並んだ。(加工されて販売する生野菜は次亜塩素酸ナトリウムで洗う)


「結構近所なのにこんな会社知らねえな、どこから洗剤を仕入れてんのかな」

「山形です」


「へえ……」


嘘なのに……相変わらず素直。


昔から買い物の時は支払いを簡単に計算する癖が付いているがレジで籠から出て来る見覚えの無い商品に算出していた支払額は崩壊した。


グリーンカレーのペースト、トムヤムクンの固形キューブに何故かキクラゲ、勿論海老は買ってない。


袋に詰めると満ぱん2つになった。


「水嶋さんはエスニック料理が好きなんですか?」


「いや?辛いものは苦手かな」

「は?じゃあ何でこんなもん買うんですか」

「家で作れたら面白いだろ」

「作り方も知らないくせに馬鹿じゃ無いですか、このグリーンカレーのペーストって……ココナッツミルクも無いしどうするんですか」


「え?牛乳がいるのか?」


「………」


今「ココナッツ」って言っただろが。

ミルクは全て牛乳なのかよ。


「ミルクがいるんです」


水嶋は容器をチンしたらグリーンカレーが出来てると思ってる。試しに作らせてみようかなと思ったが「ふーんそうなんだ」とヘラっと笑った顔には邪気が無くてガックリ肩が落ちた。


「水嶋さん彼女は?男がいいって訳じゃ……」

言い終わる前にブンと風の音がして包丁研ぎ機が飛んできた。


「痛いな!角が当たりましたよ!」

「その事口にするなと言ったよな」

「鼻血が出たらまた慌てる癖に…」

「次は狙って鼻血出すぞ」


「……いないんですね…彼女…」

「……いねえよ……」


いない事は見てれば何となくわかっていたがちょっと不思議に思った。

会社関係の人間は……もし万が一、水嶋と付き合いたいってスーパーMの変態女子がいたとしても言い出せる雰囲気では無い。水嶋は飲み会にも参加しないから機会が無いのはわかる。


しかしプライベートの水嶋はレジに立つと当たり前に払ってくれるし、喧嘩ばかりだが意外と包容力があるのか楽しいだけで怖くない。


「そこ危ないぞ」と車道から守ってくれたり「寒いだろ」と分厚い方の上着を交換しようとしたり……少女漫画風、ベタなフェミニストっぽい行動をさり気なく取って来るあたり女慣れが見える。


水嶋の容姿が女子に取ってどうなのかはよく分からないが一見清潔感はあるし(部屋は汚い)目鼻立ちも端正な方だと思う。普通に接していればモテるって程じゃ無くても彼女の一人や二人いてもおかしくない。


「距離感も近いし……意外と甘え上手なとこもあるし…」


まあ……中身が無いとまでは言わないが、上っ面の気遣いが上手いから営業成績がいいとも言える。


「何か言ったか?」

「いえ……こっちの話です」


思わず声に出てしまい誤魔化したが、何の呟きか悟った水嶋は嫌な顔をした。

この話題を続けるとどうしても佐倉の事が出て来てしまうので口を閉じてマンションに帰ってきた。


その日は二人で鍋をつつき(水嶋が鍋にロマネスクをぶち込んで喧嘩、お返しにグリーンカレーのペーストを入れたらまたまた喧嘩)軽く飲んだら水嶋は寝た。そのまま起きないから放っておくと朝まで起きる事なく、‪日曜の朝に‬モソモソと帰っていった。


もうただの仲良し。笑う。




平凡な繰り返しの毎日だったのにクエスト的イベント多発中。

一週だけ守っても効果は無いから、もういいだろうと遠慮(多分めんどくさがってる)する水嶋を週末になると連れて帰っていた。


毎日一緒に仕事をして週末は水嶋が泊まりに来る(と言うより預かるって感じ、そのせいでもう二回も休日出勤になったのは言うまでもない。)


佐倉を避けているのか、そこまで私生活がどうでもいいのか知らないが3週目には「何食べる?」と水嶋自らスーパーに入って行った。



ひと月べったり一緒にいて水嶋の正体が割れてきた。

乱暴で横暴で時々人でなし。それは変わらないが見えてきたその根元はただ度が過ぎたクソ真面目。主に仕事の事だがただ単にデキる人だと思っていたら、目に見えていたのは正に氷山の一角だけだった。沈んだ本体は迷ったり、困ったり、ジタバタ無駄な動きが大半を占めている。


一生懸命過ぎるだけでやってる事は結構要領が悪い。


「そこまで?」って呆れる程繰り返しチェックして、傍目には完璧に見える準備をするのだから本社の小さなミスにギラつくのは当たり前だ。


勿論、さすがだなって日々感心もするがヌケている所も多く、生意気だと笑われそうだがフォローする事も増えて行った。


システムエンジニアはどうやら奥田製薬では専任するほどの需要は無いが(なら何故そんな名目で社員として獲ったのかそのうち聞いてみたい)営業ツールとしては便利だった。パソコンとかシステム不調とかちょいちょい手を貸すと一気に名前を覚えてもらえる。


それは水嶋が側にいて内部に顔を通してくれるからなのだが、その分野に詳しいと知ってくれるようになると、びっくりする事にワイズフード傘下の全国展開するファミレスのメンバーズアプリを頼まれた。


製薬会社でウェブアプリ開発なんて畑違いだが、細々と持っていた担当会社には水嶋が付いて来るお陰で、合計するとこのひと月で一年目の売り上げを越えてる。


いつも早足で、いつも行き先不明で、取引先の相手がいる時だけ礼儀正しい好青年に早変わりするギャップ魔人の水嶋に慣れてきた木曜日だった。


初めて行く会社で(飛び込み、つまり冷や汗)挨拶もそこそこに急な発注を請け負った。


時間に猶予は無く、普通なら次の朝イチに回すような案件だったがそこは「水嶋」だ、昼までに届けると笑顔で請け負った。


在庫の確認、配送の手配は水嶋担当、発注書を書いてくれと本社に伝票を取りに走るのは俺の役。


イライラしながら水嶋が待っているのはわかっている。電車を降りた後、駅から奥田製薬まで走って戻りエレベーターを待てずに階段を駆け上がった。


「伝票は?どこですか?」


「すいません、今からです」


「は?」


まだ午前中なのに事務のデスクに広げたお菓子と湯気の立っているコーヒーが並んでる。


一分一秒を惜しんで走って来たのに「何をやってるんだ」と血管が切れそうになった。


「間に合わないでしょう!何をやってるんですか!」

「すいません……今…」

「フォーマットのある発注書に数字を打ち込んで判子を押すだけでしょう!連絡してから20分は経ってる!」

「でも……」

「でもって何ですか!あんたら事務は水嶋さんがどれくらいギリギリで走り回ってるか知らないからそんなに緩いんだ!」


毎日歩いて歩いて……随分体力がついて来たが走ったせいで頭が沸騰していた。

先週の日曜に出なければならなかったのも事務のミスだったせいもある。


エアコンの効いた室内で悠々と椅子に座っている癖に最低限の補助もしない。


「緩いって何ですか?」

剣呑な顔をしてゆらりと立ち上がったのは荒ぶる社内でも怯えることなく妙に馴染んでいる女子社員の先鋒だった。


ある意味では水嶋より怖いが自分は間違ってない自信があった。


「緩いでしょう!こっちの緊急性がわかってない!」

「新規なのに信用調査が出来ないんですよ、そこら辺に未払いがあったらどうするんです?大体そんな怒鳴らなくていいでしょう!私達だって他にやる事があるんです、急な発注を短い電話で言い付けられても実績もわからないし調べる事だってあります!」


水嶋相手なら引くくせに舐められている、言い争う時間があればコピーのボタンは押せるのにこれ自体が緩いのだ。


「そんな事に20分も30分もかかってるから悠長だと言ってるんです!お菓子食う暇があったら動けよな!」

「動いてます!ほら!もうプリントアウト出来ましたよ!自分で取ってきてさっさと持っていけばいいでしょう」

「あのねえ!コピーくらい取りに行くけど封筒用意するくらいの気遣いは無い訳?大体…」


"まあまあ、そこまで"と部長に肩を叩かれたのはびっくり顔をした水嶋がフロアに入って来た所だった。


「水嶋さん…」


「江越?何やってんだ?」


「うん、何でもないよ水嶋くんはちょっと黙っててね。君、コピーを封筒に入れて渡してあげて?出来るね?」


部長に言われると普段は強い事務も折れるしかない、返事もしなかったが発注書を封筒に入れて渡してくれた。


「でも…部長これは……」

「江越くん、そこまでで、ね?」


「はあ……」


営業部の部長は奥田の社内では珍しく穏やかなおっさんだ。白髪の浮いた薄い髪をぽりぽりと掻きながら聞き捨てならない事を言った。


「何だか江越くんは健やかに水嶋化してるねえ」


「は?」


水嶋化?


確かに誰かに腹を立てて怒鳴るなんて滅多にしないが怒る権利がある。


「でも俺達は……」

「やめろ江越」


前に立った水嶋に背中で押しやられ、黙っていろと塞ぐように書類で顔に蓋をされた。


「すいませんでした、部長…事務のみんなも…見本が悪いんです」

「奥田の風潮が脈々と引き継がれてるね、頼むよ水嶋くん、彼は次期エースなんだからね」


「はい、すいません」


「水嶋さん……」


営業先で見せるようにきっちり頭を下げた水嶋に急に恥ずかしさが込み上げてきた。

水嶋が怒っても怒鳴ってもいいのは誰も文句が言えない実績を積み上げて来ているからだ。


「俺……」

「江越、いいから行くぞ、午後一に配送の手配が済んでる、発注書を渡して来なきゃトラックが出ない」


「……はい」


部長は穏やかに笑っていたが、的外れに怒鳴り散らした馬鹿ではなく水嶋を……暗に窘めた。


恥ずかしくて床に張り詰めたソフトタイルをペリペリ剥がして潜り込んでしまいたい。


会社を出たら水嶋に怒られると思っていたが、何も言われない代わりに「‪今日の夜‬飲みに行くぞ」と髪をぐしゃぐしゃにされた。



配送は約束の午後一に間に合ったがその日は雑談を持ちかける気になれず黙りこくってしまった。水嶋も話しかけて来ない。‪6時‬過ぎになるとこの辺で切り上げようと目に付いた居酒屋に入った。


カウンターに座って、ビールを注いでもらった所で気が付いたのだが水嶋と外で飲み交わすのは初めてだ。


金曜の夜は一緒に食べて飲んだりするが平日は仕事が終われば帰るだけで軽く飯を食ったりもしない。

家飲みからスタートなんてレアな関係になったのはこっちがそうしたからだが変な感じだった。


「水嶋さんと飲むなんて気持ち悪いですね」


「今更何を言ってんだ、毎週飲んでるだろ」

「そうですけど……何か上司に気を使いながら飲む日が来るなんて思いませんでした」

「じゃあちっとは気を使え」


ほらっとグラスを差し出され、先に注いでもらったのにお酌を忘れていた事に気が付いた。


「あれ?すいません」

「それからな、俺は上司じゃなくてただの先輩だ、気を使ったりしなくていい」


いつも通りでいいからと、ビールを受けながら水嶋は笑ったが、家にいる時のようにちょっと抜けた様子は無くまだ仕事中のオーラが出てる。


「俺…説教されたりさんですかね?」


「今日の昼のやつ?あれは俺が悪いからいいけどあんまり真似すんな、悪い見本だと思っとけ」


「思ってます」


思わず出た即答だが丸一日そればっかり考えていたからつい口に出た。

キョトンと目を丸めた水嶋は腑抜けた家バージョンでもギチギチの仕事バージョンでもない、困ったように眉を下げ、声を出さずに穏やかに笑った。


何も食べず、疲れた体と頭に一気に投入したアルコールはふわつくくらいに体重を減らし、暖かい照明の中で水嶋に紗がかかったように見える。


言うべきじゃ無いが素直な感想だった。


「水嶋さんって……綺麗ですね」


「は?相変わらずふざけた奴だな」


イケメンか?と言われれば巷に溢れるわかりやすい煌びやかさは無いがこうして正面から落ち着いて見ると首が長くて顎が小さい。


シックスパックを持つナイスボディから香っているような男の色気とはまた別の種類の生っぽさがある。


ぎゅっと寄った眉間の深い皺さえ無ければ……だが。


「相変わらずって言われるほどふざけた覚えはありませんよ」

「はっきり自分の意見を言い過ぎるんだよ、まあだから営業に回したんだけどな」


「え?回したって……そう言えば部長が期待のエースって言ってましたけど、俺は期待されてるんですか?」


もしそうだったとしたら一年目のボンクラ振りはかなり落胆させただろう。


「気にすんな、お前だけじゃない、新入社員は全員期待のエースなんだよ。ここ二、三年で急に人材不足になったからな、辞めさせたら責任取れって全員に言い渡されてる、付け上がんなよ」

「わかってますよ、今日はちょっと付け上がってましたけど……反省してます。所で俺は何で営業に回されたんですか?」


これはいつか誰かに聞いてみようと思っていた。

水嶋は人事に関わる役職じゃないが奥田はそれじゃダメだろってくらい風通しがいい。一致団結して悪さをする傾向にあり、水嶋がハイになっても誰も止めないのは信頼があるからだと思う。


それだけに部長に止められた時、まだ仲間に入ってないんだと落ち込んだ。


「男は全員最初から営業しか獲るつもりなかったと思うよ、お前が面接を通ったのは無害そうな顔してるくせにズケズケ喋るからだろ」

「え?俺は騙されたんですか?」

「そうとも言う、システムエンジニア"なんて奥田に必要ないって今ならわかるだろ、どうするって部長に聞かれたから営業でいいって俺が言っといた」

「はあ?」


お前が犯人か。


椅子に座ってコーヒー飲んでたまにそっそりソフトやアプリ作って悠々と過ごす……洒落たブルーライトカットの伊達眼鏡まで買ったのに……夕方になったら髪はグシャグシャ、暑いし寒いし油とか酸っぱい粉に塗れるし、いつのまにかシャツのボタンが無いとか、人生設計にそんな予定は書いてない。


「俺はね、スタイリッシュな服着て落ち着いた環境で仕事するってのが夢だったんです。三年付き合った彼女と結婚して子供作って家建ててローンで生命保険が……いや……それはいいんですけどね」


「え?江越お前彼女いんの?」

「いたら水嶋さんとラブラブ鍋をつついたりしてません」


「だろうな」


良かったでも、可哀想にでも無い……当然って顔でピリ辛チキンを齧った水嶋は「何でここにいる」と手に持った手羽先を睨んだ。


辛いって程じゃないが水嶋は唐辛子を毛嫌いしてる。


「水嶋さんこそ何で彼女作らないんですか?今冷静に見るとモテそうですけどね、結婚とか考えた事無いんですか?」


「……あるよ」


「え?結婚するつもりだったんですか?」


そりゃ一月の間に見えた水嶋が全てじゃ無いとわかっているが……プライベートがあって当たり前なのに何だか流せない。


「……男だったりして」

「アホ、いい加減にしろ」

「余程出来た人なんですね、いつ?どのタイミングで?名前の最後に如来とかつくんですか?どこの寺にお住まいで?」


「にょらいって何……」


最初は通じて無かったらしいがすぐに意味を悟ったらしい。チッと舌打ちをして手に持ったままだったピリ辛チキンを唇に触れないよう慎重に歯で毟った。


ふざけてみたが……実は頭の中にはとんでもない美人が水嶋に向かって楚々と笑いかける絵が想像できてる。


社長だろうが課長だろうが、例え女子社員が泣いても構わず怒鳴り散らす水嶋しか知らなかった頃には考えられなかったが……似合うのだ。


「どのくらい付き合ったんですか?」

「そんなんじゃ無い、実家の……近所に住んでた幼馴染とな、何でか大人になったら結婚するって思い込んでただけだ」


「何だそりゃ、好きだったんでしょう?」

「好きとか嫌いだとか、男だとか女だとか考える前にフラれた。」

「うわあ……告白とかしたんですか?」


似合うような……似合わないような……頬を染めて「好きです」って水嶋……どっちかと言えば吹き出す。


「違うわ、中学になったらあいつはすぐに誰彼と付き合いだしたんだよ、まあ一緒に風呂とか入ってたしな、感覚としては男友達とか家族と何もかわらん」


「それだけ?他は?無し?誰とも?嘘だ」

「………何だよ、何か文句あるのか?」


「文句は無いですけどね」


それって第二次性徴を迎える時期、先に大人になった女子に置いていかれただけ。大好きな先生と「大きくなったら結婚する」って言ってる幼稚園児と同じだ。



水嶋らしいと言えば物凄く水嶋らしい、今いる環境に疑問を待たずにあるままを受け入れる。


水嶋の天然臭い所はどうやら子供の頃から変わってない。

まさか童貞って事は無いかもしれないが真っ当な恋愛はしてないっぽい。


聞いてみたいが……これ以上聞いたらキレそう……

ブスッと口を尖らせてビールを手酌しようとした水嶋から瓶を取ると「いいよ」と取り返そうとした。


「何だよ」


「後輩ですから」

「今頃取り繕っても遅いんだよ」

「人生に"もう遅い"なんて事は無いですよ」


「ああ言えばこう言う」とブツブツ言いながらも注がせてやる、とコップを出したもう片手で……飲み屋でも離さない水嶋の携帯がピロンっと着信を知らせた。


「水嶋さん、見なくていいですよ、もう酒も入ってるし呼び出されても行けないでしょう」

「そんな訳に行くか…」


携帯を取り上げてやろうと伸ばした手をサッと避け、椅子に座ったまま背を向けた水嶋は画面を見てハッと真顔になった。


電話の着信じゃ無いから呼び出される程緊急では無いなと、最近は読めてきたが安心は出来ない。早終しまいした仕事が再稼働するのか、身構えていると水嶋は中身を見ずに携帯を伏せてしまった。


「あれ?仕事じゃ無いんですか?」

「あ?……ああ……違う、違うけど……」

「家族からとか?」

「うん……いや…」

モニョモニョと言葉を濁した水嶋は脱いで隣の椅子にかけていた上着を着て、緩めていたネクタイをぐっと上げた。


「帰るんですか?」

「ああ、悪いな……仕事だ」

「やっぱり仕事なんじゃないですか、それなら俺も…」

「いやいい。俺が一人で行くからお前はもうちょっと食ってけ、支払いはしとくから何でも食え、じゃあな」

「あっ……ちょっと!水嶋さん」


安い居酒屋でそんなに何を食えって言うんだ。

財布の中には数枚の千円札も見えているのに、一万円を机に置いて早足で店を出てしまった。


水嶋の表情からはトラブルの匂いがプンプンと香っていた。どこか挙動不審な動きも怪しい。


それこそ放置していた恋人と会う可能性だってあるが、それならそれで相手を見てみたくて……


後を付けた。


タクシーに乗ったら諦める。

電車なら行ける所まで付いていく。

もし、本当に仕事で、また体力勝負なら……


見なかった事にする。



店を出た所でどっち行ったのか雑踏を見渡すと携帯を触ってる水嶋が歩いていく。


付いて行こうとすると、突然立ち止まり急に向きを変え戻ってきたから慌てて隠れた。


何をやってるんだか、歩き始めたと思ったらまた立ち止まって数歩戻り、考え直したようにまた進む。


他人から見れば不審者丸出しだと思うけど水嶋は前しか見ない性質だから絶対バレない。


プチな秘密を暴くって軽い気持ちの尾行は結構面白くて浮き浮きしていた。


普通に歩いても見つからないと思うけど看板の影に隠れたり人の影に隠れたり…、金曜の週末に溢れている酔客の中をかき分け、水嶋が向かう先は"尾行"って言葉にマッチした裏路地だった。


古い赤提灯の定食屋に、ママは絶対おばあちゃんって感じの昭和なスナック、老舗っぽい寿司屋が並んでる。


雰囲気盛り盛り。これですれ違った人と(黒ずくめ)一瞬で鞄を交換したりしたら面白い。

……携帯以外手ぶらでだけど。


角を曲がったから小走りに追いついてそれっぽく覗き見すると、少し開けた通りは意外とお洒落な店が軒を連ねて大人の雰囲気がある。


水嶋の足は行く先をわかって歩いてる。

つまり馴染みの店?


もうちょっと近寄りたいが人通りが少なくなってあまり近付いたら幾ら水嶋相手でもバレる。どこの店に入るのか見届けてから追い付こうと角に隠れて覗いていると……


忘れていた。


すっかり忘れてたのだ、"何故週末に水嶋を泊めていたのか"を。


黄色いライトが仄かに外に漏れているスタイリッシュなドアの前で待っていたのは……背が高くガッチリした体付き、気取った髪型は薄暗い路地にいても目立つ知っている顔だった。


「佐倉局長……」


水嶋の言ってる事がどこまで深刻なのかはわからない、もし本当に取引を引き上げてしまうような卑怯者なら水嶋の為にもあんまり派手に動いたり出来ない。


様子を見たのは失敗だった。


佐倉は水嶋の顔を見た途端走り寄り、グイっと腰を抱き寄せていきなり顔をくっつけた。


ワタワタと両手で宙を掻いた水嶋は背中が反って地面に落ちそうだ。


ギイ…っと頭の中で何かを引っ掻いたような音がした。湧き上がったどす黒い衝動にカァっと顔が熱い。



「あいつ……」


知らない間に足が走り出している。


「ぶっ殺してやるっ!!」

目に付いた電光看板を持ち上げた。

ブンっと勢いを付けて投げつけた看板は電気コードに引っ張られてびょーんと戻ってきた。ガラスの砕ける破壊音を飛び越え、驚いて顔を上げた佐倉に肘を立てて突っ込んだ。


「離せ!この変態!」


「江越?!」


走って飛びかかったのに佐倉は2、3歩後退っただけだ、しかも水嶋を通り魔から庇うように守り、腰に回した腕は離してない。


佐倉にも……水嶋にも腹が立って手が震える。

まだ離れようとしない二人の間に割り込んで水嶋の腕を思いっきり引いてそのまま後ろにぶん投げた。


「痛えな!江越!何を……」

「何をじゃ無い!あんた馬鹿か!何で俺に言わないでこんな下衆野郎の誘いに乗ってんだ!」

「口を慎め!アホ!思い上がるな!」

「これのどこが仕事だ!前も言ったよな?!嫌ならはっきり断れよ!」


「……何だお前」


佐倉はヨレたジャケットの裾を引き、こっちの激昂をよそに静かな声色でジロリと睨みを利かせた。


「何だじゃねえよ、この卑怯者!」


ワイズフード傘下の取引先が何件あって何億の売り上げが消えたとしても、誰かのこんな……こんな非常識な犠牲で保っているならいらない。


責任を取れと言われれば辞める覚悟だってある。

本当に何を考えてるんだか、謝って欲しいのは佐倉の方なのに水嶋は慌てて頭を下げた。


「申し訳ありません佐倉局長、俺から言って聞かせますから…」

「的外れに謝る暇があったらあんたはさっさと部屋に帰ってろ」

「江越!思い上がるなと言っただろう、お前こそ…」

「帰ってろ!!行けよ!自分のマンションに帰るなよ、俺の部屋に行ってろ」

「おい!」


肩を抑えようとする水嶋に鍵を押し付け、突き飛ばした。水嶋が素直に「そうします」なんて言う訳ない。窓一つない閉鎖的な店に佐倉を押し込んでドアを閉めた。

ガタガタ取っ手が揺れる。外からは水嶋の怒鳴り声とドアを叩く音が聞こえてくる。


もう佐倉と会わせるつもりはない。

キッパリと断りを入れるつもりだった。


暫く待つと静かになったが今度は携帯が鳴り出した。画面を見なくても誰からなのかはわかってるからブッチリ電源を叩き切った。


「あの……」


投げた看板が立てた派手な音は聞こえていたらしい。「何かありましたか」と顎鬚を生やした店員が心配そうな顔をしてカウンターから出て来た。


「すいませんが暫く……ここの扉に鍵を掛けちゃっていいですか?」

「え?」


営業中の店に非常識なお願いだが、その間の損失くらい払ってやるつもりだった。


「掛けときゃいい、俺が3倍払う」


佐倉は財布から数枚の万札を出してさっさと入口近くの席に座った。もう店員に何か注文してる。


「はあ……まあ、そんなに客も来ないからいいですけど…」


……いいんだ。いいのか?


万札を貰ってもいいのか迷っている店員さんは困ったように頭を掻いたが佐倉には逆らえない雰囲気がある。


すごすごと腰巻エプロンに札をしまい、鍵を掛けてくれた。


「お前も座れ」


「座りますよ」



明るい所で佐倉を見るのは初めてだが役職の割に若い。10以上歳上なのは間違いないが40代や50代には見えなかった。









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