第5話

サラ4


朝……目を覚ますと体が動かなくなっていた。


動こうと思っても手足がベッドに縫い付けられたように一切持ち上がらない。そりゃそうかと思う。


トイレに行きたくて……救急車を呼ぼうかと本気で考えた。


学生時代からずっと一日中パソコンの前に陣取る事が多かった。たまには体を動かした方がいいと大学で入ったサークルはテニスだったが新歓コンパ以来顔を出してない。

真っ当な筋肉使用歴は高校の体育が最後、瞼を持ち上げる筋肉まで酷使したのは人生初かも。


日曜は1日中這って過ごし、週が明けても靴下を履く足の先がブラジルより遠かった。


ギリギリと軋む手足を無理矢理動かし出社したが、鼻血に慌て、縞々のパジャマを着たどこか世間ズレした水嶋はもうどこにもいなかった。相変わらず「おはようございます」と言えるタイミングはない。


搬送部の関口が言っていた通り、水嶋が何をしているか本社は知らない。

土曜の事は何も報告をせず、何故休日に追加発注があったのか理由を聞いた田代課長は「黙って判子を押せ」と怒鳴られ「てめえの売り上げに何で俺が…」とブツクサ文句を言っている。


見慣れた光景。つまり水嶋は絶好調。


一つ決めた事があった。

専門外の部署に回されやる気もスキルも無かったがこの一年何もしてない。どうせやるならそれなりに出来るようになりたくて、それにはどうすればいいか迷う必要は無かった。



「課長、俺は今日から水嶋さんの下に付けて貰ってもいいですか?」


「は?」


ほぼ水嶋の傀儡となっている営業部の課長は散々水嶋の恩恵を受けているくせに「何で俺が」が口癖の文句が多いおっさんだ。


いいケツしてんな、とか死んで詫びろとか世間一般の禁句も平気で口にする奥田製薬の先鋒でもある。


いい所は2つ、裏表がなくて判断は早い。


「何だ江越、お前それは退職願いの言い換えか?"今時の若者"って奴?ラインで辞めますって伝えてくるよりマシだがそんなややこしい方法取らないで文章にして出してくれると助かるんだがな」

「違いますよ、どうしてそう極端なんですか、俺は水嶋さんに付いて勉強したいって言ってるんです。」


「奥田でそれは辞めたいと同義語なんだが……水嶋がいいと言えば構わんよ、江越は個人的な売り上げゼロだから何も支障ないだろう、水嶋、どうする?」

「邪魔だからいりません」


即断即決は水嶋も同じ。冷たい以下。


「そこまできっぱり即決しないでください」


プライベートに入り込み、あり得ない秘密を共有して共に苦しい作業をこなした仲、と……少しはスーパーエースの視界に入れたかと思っていたが勘違いだった。

中々押そうとしない田代課長から判子を奪って勝手に押し、眼中に無いままさっさとフロアを出て行った。


課長はいいと言った。

いいなら水嶋がいらないと言おうとも、勝手についていけば土曜日みたいに自然と巻き込こんでくれる。


水嶋の携帯は3分に一回鳴る、話す時間を入れるとそれはつまりずっと電話しっ放しって事。

来んなとか邪魔だとか言われないがこのまま無視する気なんだと思っていたら、行く先行く先で「新しく担当に加わった江越です」とちゃんと紹介してくれた。


それはペアを組んだと認めた訳じゃなくて、営業先で連れを無視したり出来ないからだとわかっているが嬉しかった。


数件、午前中だけで回るには多い件数を走り回ったがもう既に一つ二つ学んだ。


例えばドアの前に荷物が積んであったら、その会社の従業員のように当然って顔で中に運ぶ。どこに持っていけばいいのかまで知ってるって事はいつもやってるらしい。


1回目は何してんだかわからなくて傍観したが2回目からは先に運んだ。

取引先の便宜は水嶋が考えればいい、水嶋の便宜が俺の仕事。幾らやっても売り上げはゼロ。まずはそこからのスタートで十分。



「なあ……これ何て言ってると思う?」


もう昼を過ぎ、腹が減ってもしかして昼食を取らないのか不安になっていた頃に水嶋に初めて話しかけられた。

水嶋は携帯のボイスレコーダーを駆使している。聞き逃しても、もう一回聞き直すなんて事はしないらしい、耳元で再生して、そんな事をしても鮮明化する訳ないのにスマホを振ったりしてる。


「ペーハー(PH)調整の数値なら4.375から4.2に下げた時のデータが欲しいって言ってましたよ」


「へ?お前メモったのか?」

「いえ?俺は数字を覚えるの得意なんです」


元々そこが長けているからシステムエンジニアに成るべく情報処理を専攻した。反対にPH調整剤の薬物名は最初の文字も覚えてない。


「ふうん、そう言や俺ん家の暗証番号も当たり前に使ってたな、どれくらいいける?」

「何桁でも数字なら忘れませんね、英語は話せませんがスペルなら辞書の代わりになると思いますよ」


「じゃあグルコノデルタラクトンって英語で書けるのか?」

「知らないから書けません」

「何威張ってんだ。どこが辞書なんだよ」


そのグルコ何とかは、お菓子を製造する際の膨張剤らしいが多分辞書には載ってない、蹴られる理由は無い。


その後はまた無視されたままあちこちを連れ回され、やっとありついた昼飯は‪三時‬を過ぎていた。

水嶋を真似て携帯のボイスレコーダーにスイッチ入れて忘れていたが‪二時‬間ものデータの中で自分に必要なのは紹介された担当者の名前ぐらいだ。


掘り起こす方が大変、メモの方が楽。

酷い筋肉痛はもうとっくに忘れ、腹が減り過ぎてうどんくらいしか食べる気がせず、ズルズルと弛緩して麺を啜っていた。

水嶋は小さなメモ帳に驚く程小さな文字で今日聞いた事を書いているが、やっぱり聞きたい事を掘り起こすには苦労している。


「そこ、28,500キロです。味噌屋は何とか言う薬品30キロを明日まで、重曹は25袋を来週って言ってました」

「じゃあ死んだ亀の名前は?、変な唸り声になってて聞こえん」


得意なのは数字だと今言っただろう

担当者がぶっ混んできたペットの名前なんて覚えてない。


「……カメコですかね」


カ、メ、コ……書いてる。


意外と素直なのかなと思う。

水嶋は携帯を耳に当てたままメモをやめない、朝から数時間分をここで整理する気なのか、注文したうどんに浮いている天ぷらが出汁を吸ってフニャフニャになっていた。


「先に飯を食ってからでいいんじゃ無いですか?、また突然呼び出し食らったら食い損ねますよ」

「アホ、"さっきの話なんだけど"って電話がかかってきたら答えられないだろ」

「それを容量オーバーって言うんです。水嶋さんは水嶋さんにしか出来ない事だけやって、簡単な御用聞きは他の営業に回したらどうなんです」


「そうしたいが……出来ないから仕方ないだろ」


そこまで自分の売り上げ命なんだと苦笑いしか出て来なかったが、「意味」を取り違えていた。



水嶋に付いて一週間が過ぎた。


背中を追うだけで何もして無いが相手が複雑な数桁を口にした時水嶋は任せた、と顔を見てくれる。数字に関しては信頼を得たと思う。


本筋は水嶋に任せていいから役割分担が出来た、取り敢えずはこの調子でいいと思っていた。


それが起こったのは待ちわびた週末の夕方だった。大手コンビニを取り仕切るワイズフード関係の会社を出た時だ。


少し前を歩いていた水嶋が小さな悲鳴を残して突然つんのめって横向きに吹っ飛んだ。


「殺してやる!」


ビルの壁に激突した水嶋に見知らぬ中年の男が喚きながら掴みかかってる。


何が起こったのかわからない。


クシャクシャになったスーツ着た男は水嶋の胸元を釣り上げガクガクと揺らし反撃どころか声もあげられないでいる。


何をぼっと見てるんだ俺!


「水嶋さん!」


守山製菓の工場で感じたが水嶋は線が細い、慌てて割って入った。


「やめてください!」

「この汚いハイエナめ!お前のせいで俺はワイズの担当外されたんだ!今どんな思いをしているか思い知れ!」

「やめろ!誰だあんた!」


殺すどころか振り上げた拳を振り下ろす勇気も無いのだろう、水嶋の胸ぐらに掴みかかった男を引き止めるとブルブル震えた拳は宙で止まり、ガックリと肩を落とした。


水嶋は閉まった首が解放されて盛大に噎せている。


「……俺は……俺の部署はワイズフード一本だったんだ……それをお前が横取りしたから今は社内の笑いもんだ……今まで失敗した事なんか無いのに、奥田製薬なんてちっぽけな会社に…」


「おい、行くぞ」

「え?でも」

「放っておけ、俺達は何も言えないだろ」

「……でも」

これは被害届を出していいくらいはっきりした暴力だ。


ゲス野郎!汚いコソ泥!

負け惜しみを放つ惨めな男に水嶋はさっさと背を向けて行ってしまう。


例え汚い手で取引を奪われたのだとしても、ビジネス上どこにでも転がっている事でこれではただの逆恨だ。

水嶋の首は襟が擦れて赤い筋になってる。

立派な傷害だった。


「誰ですか?あれ。知ってる人なんでしょう?」

「田辺ケミカルの元ワイズ担当だ。東大出てるって自慢された事がある、学歴なんかクソの役にもたってないけどな」


「た…田辺?……」


田辺ケミカルと言えば奥田製薬なんか足元にも及ばない世界企業だ。ワイズフードから請け負っている一部の発注が全部消えても揺いだりしないが……確かに社内で肩身は狭くなるかもしれない。


水嶋のように努力もせず気遣いも無いまま大手にかこつけて与えられた仕事を適当にやっていたのだろう、恨む根本から間違ってる。


「こんな事……あっては駄目です」


「あるもんは仕方ないだろう、手を出される事は殆ど無いけどな、睨まれたり指を刺されたり嫌味を言われたりはするさ、うちは新参だからな」


"殆ど"って何だ。


水嶋は何でもないと乱れた髪を掻き上げ、もう頭を切り替えて次の訪問先に電話を掛けている。


「こんな事よく…あるんですね」

「"よく"も無い。どうでもいい」


どうでもよく無い。


担当を譲れないのは売り上げだけじゃなく余計なお土産がついてるから?


止めなければ水嶋は怪我をしていた。


ワイズフードの佐倉にしてもそうだが、身に危険が及ぶ程の危ない所に水嶋が一人でいるなんて会社は知らない。


関口が「水嶋は危なっかしい」って言った意味がよくわかった。


「俺……本当の意味で…水嶋さんを手伝います。守ります。」

「守るって何を……」

「水嶋さんですよ!守ります。存分に好き勝手やってください。守ってみせます」

「じゃあ今から研究所に行って4てん何ぼから4てん何ぼまでのペーハーデータ取れってお願いして来い、言っとくが電話で頼んでもやってくれないぞ」

「4.375から4.2ですね、研究所は怖いんでそれは嫌です」


「何が守るだ、死ね」


水嶋の口汚さはさっきの暴漢より上を行く。


普通は非が無くともあんな事を正面切って言われればビビるし落ち込むが、水嶋が何を言われても屁とも思わないのは自信の裏付けがあるからだろう。ただしそれは奥田製薬の特性で慣れもある。


ついでに蹴るのもやめて欲しい。




「何か……盛り上がってんな」


「は?今した俺の話聞いてた?」


約束通り、週末の夜に高梨と待ち合わせ、ビールを一口飲んだ所で先週から途切れない水嶋フィーバーを殆どぶちまけた。


会社の為にも水嶋の為にも……男が男に性的な接待を迫る話は自主規制したが、気がつけばビールからは泡が無くなり、注文した焼き鳥は冷えていた。


「殺すってマジで言われたんだぞ、その人の顔見てその台詞聞いたら笑ってらんないよ」

「自分から下に付けてくれって志願したんだろ?それで?金は返して貰ったのか?」

「ああ、それはあの人キッチリしてるから‪月曜の朝‬会社に行ったらデスクに置いてあった、色が付いてたから今日は奢るわ」

「貸した一万返して貰ったからいいけどな、じゃあフォアグラ串頼むか」


高梨はこの店で一番高いメニューを選び、ご馳走さまと笑った。

高梨とは一緒に居過ぎて貸しも借りも測れない。

割り勘すら大雑把でお互い遠慮なんかしない。


焼き鳥屋だから高い物と言っても上限はしれている。


「なあ、ちょっと聞きたいんだけどさ……ホモってさ、高梨の周りにいる?」

「何だよ唐突だな、誰か男に告白でもされたのか?」


「ん……ちょっとな……」

「ええっっ?!マジか!誰に?どんな奴?まさか問題の水嶋?」

「え?違う!違うぞ!俺じゃ無い」


別の事を考えていたから変な返事になってた。

勿論水嶋の事を高梨に話す気は無いが気になって仕方が無いのだ。


「じゃあ何、反対にお前が男に惚れたとか?それからホモって言い方はやめろ、ゲイかせめて同性愛って言えよ」

「うん、俺はそういうの無縁だけどさ、本当にいるのかなって思って…ほら、テレビの中にはいるけどさ、身近にそんなの見ないよな、だって無いだろ?」


「無いよな……特にお前は無い」


はあっと疲れた溜息を吐いた高梨は頭を抱え顔を伏せた。そんな難しい事を聞いたわけじゃ無いのに思った反応と違う。


「高梨?」


「江越、お前さ……鈍感にも程度ってもんがあるだろう、気付かないから黙ってたけど多分大学の友達で知らなかったのお前だけだぞ」

「え?何?何の事?」


「俺……」


「ん?」


話の流れが変だった。

どこで何の話をしていたのか途中で混線して知らない所から変な電波が割り込んでる。


「俺は男が男をエロい目で見るか?って話をしてたと思うけど…」

「だから俺」

「違うって…」

「違ってない、俺はゲイだって言ってんだ、男をエロい目で見てるさ、何なら「セックスしようぜ」って今からお前を誘ってもいいんだぜ」


は?


は?


「はあ~~~っっ?!!」

「ちょっちょ!江越!!」


絶叫と共に立ち上がってしまい店中の注目を浴びた。天地がひっくり返る仰天の告白に構ってられない。


「高梨が?いつから?!みんな知ってるって何で!俺だけ?どういう事?何で今頃!」

「江越!座れよ!それからボリューム落とせ、隠してないけどこんなとこで公言する必要もないだろ」

「だって!」

「江越!」

グンと頭を押さえつけられ、座ったつもりなのに椅子が無かった。

ガタガタと床に崩れ落ち慌てて座り直した。

緩いビールを流し込んでもまだ咀嚼出来ない。

オーダーした皿を持って困っていた店員に追加を注文してフォアグラ串を口に放り込んだ。


「熱……」

「あ~あ一本560円もすんのに……勿体無い食い方」

「だってお前……今の空耳?とんでもない事聞いたぞ、知らなかったの俺だけって?それどういう事だよ」

「空耳でも秘密でも仲間外れでもない。俺が情報課の上級生と付き合ってたのは公認だったし別れた時期までみんな知ってる、気付いてないお前にびっくりするわ」


「そんな……」


言われてみればだが……高梨は垢抜けたイケメンだし、明るくて気さくで誰とでも上手くやれそうなのに時々意味不明の人見知りをして頑なになる事があった。

性癖と関係があるのかはわからないが、それは媚び系の女子だったり不潔系男子が多かったような気がする。


「マジで?その別れた先輩って……」


聞きかけたが突然思い出した。

そう言えば高梨は背の高い濃い顔をしたタレ目とよく一緒にいた。


「何で別れたんだ?今は?」

「何でかって聞くんだな」

「駄目か?」

「クソだなお前……、じゃあ言うけど俺には好きな奴がいてさ、それが付き合ってる相手にばれたんだよ。それからもう長い事ゲイがストレートを好きになるって煉獄に陥ってる」

「そうなの?よくわからんけど……それは大変かもな、あ、俺は差別したり変な目で見たりしないからな、もし協力出来る事があったら言ってくれ、友達だからな」


「………それ以上何も言うな、泣くかもしれないぞ」


コンっとジョッキ同士を当て、高梨らしくない仕草で箸を唐揚げに突き刺しハハっと弱々しく笑った。


それにしてもまさかこんなにも身近にゲイが潜んでいるとは思わなかった。知らなかっただけでもっといるのかもしれないがそれは今どうでもいい、胸に支え、どうしたらいいか悩んでた事を打ち明ける相手が突然湧いて出た。


それが高梨なら言う事ない。


水嶋と佐倉の話はどうしても納得出来ないが、だからと言って水嶋が許容しているなら防ぐのは難しい。ゲイって人種にもルールはある筈でそれが聞きたかった。


大まかな話をすると高梨の眉が見た事ないくらいねじ曲がった。


「その水嶋って人この前植え込みで寝てた人だろ?」

「そう、お前から見て水嶋さんってゲイに好かれそうな感じ?」


「あのな……そこは男も女も一緒だろ、好みなんて人それぞれだし好きになったらそう上手くコントロールなんて出来ないもんだ」


それは分かってる、わかってるが水嶋相手にそんな感情を持つって事がわからないから聞いた。


「俺には地位を盾に取って利用されてるようにしか見えなかったんだ、あれは絶対好きとかじゃ無いよ」


「……江越、お前水嶋から手を引け。今日だって‪9時‬過ぎまで引っ張り回されてぐだってんだろ。無理矢理押しかけたんだから今なら担当変えたいって言えば間に合うよ」


「……何だよそれ」


思ってたアドバイスと違う。

学生時代に時々見せた「味方を選別する時」に浮かべる高梨特有の表情にちょっと驚いた。

聞きたかったのは水嶋が遊ばれているだけなのか、ゲイという人種に執着されるような……つまりモテるタイプなのかという事。


「あのな、生粋のゲイならみんな味わってると思うけど…ゲイがな、何の要素も無い奴を誘うって死ぬ程勇気がいるもんなの。下手したら気持ち悪いって言われて軽蔑されたり怖がられる。もしそれが惚れた相手なら痛いぞ。死にたくなるぞ」

「だから?」

「水嶋さんはこっちの人って事。キャリアを左右するくらい権力を持つ奴らが起こすゴタゴタに付き合うな、恋愛は外から見てもわからないのは男も女も同じだ」


そりゃ年中「別れる」を連発して未だに付き合ってる友達カップルを見てりゃ高梨の言っている事は正しいと思うが水嶋に関しては微妙に違う。


「水嶋さんは馬鹿が付く仕事人間なだけだ、頭が良くて行動力も根性もあるけどちょっとどこかがズレてて流されてるんだと思う」

「危ないからやめとけ」

「やめない。水嶋さんはいつ何時なんどき電話してもかけても三秒で出るからまた困ってないか後で掛けてみる、もし電話に出なかったらマンションまで行くつもりしてんだ」


高梨は佐倉に連れていかれた時の水嶋の顔を見てないからそんなことが言えるのだ。

あの前しか見ない目がアタフタ浮いて怯えていた。


「もう一回言う、やめとけ」

「俺ももう一回言う、やめないからな」

「じゃあ今俺が強引にキスを迫ったらお前どうする?!長年の親友だろ!どうするんだ?!キスして押し倒したら?殴るだろう?嫌がって跳ね除けるだろう?それが当たり前だ!普通に男女の関係だって意に沿わない相手なら同じ事をする!」

「そうじゃない!水嶋さんは……」

「嫌々に見えても受け入れてる時点で二人はデキてるんだよ、変な茶々入れんな!」


「違う……あの人は馬鹿なんだよ」


何でこんなに腹が立つのかわからないがこれ以上水嶋を悪く言われたくない。一万円を机に置いて店を飛び出てきた。


水嶋にその毛があるかどうかは横に置いといても困っているのだ、それは間違い無いのだ。


クツクツとお腹の中が沸いて何もかもが気持ち悪い。目的地も無く早足で歩いて、その勢いのまま携帯で電話をかけた。………やっぱり三秒。


「なんら!」


ら?


水嶋が電話に出なかった時の事は考えていたが出た時の事は考えてなかった。

どうやら水嶋はまた酔ってる。


「あの……今どこに…」

「用を言え、こんな時間に電話してくるなんて何かトラブったんらろ」

「違います、何でトラブル前提なんですか、俺は水嶋さんが今どこにいるか聞きたいだけです」

「やらよアホ」


"だ"が言えてない。


先週の水嶋は一週間フルスロットルで働いた末に妙なご奉仕、土曜も丸一日仕事に費やし多分日曜は寝てた。

また一週間働いて、その上で殺すとか言われて……誰と飲んでるのか知らないがグタッてる。

これじゃ先週の再現だ。


仕事と穴倉に籠るような休日、食事さえいい加減でその合間には男にやられてる。


「……どんな人生だ」


「何?聞こえねえよ」

「何でもいいから今どこにいるんですか?ちょっと話があるんです、場所を教えてください」


知らん、分からん、知らーん


駄目だこりゃ。

知らんを言い続ける声は聞こえるが遠い、どうやらもうちゃんと携帯を持って無い。

会社とアフターのギャップがキツ過ぎて別人だと割り切って相手しないと付いてけない。


結構な非常手段だが「そこに誰かいませんか?聞こえてませんか?誰かこの電話に出て!」と駄目元で電話に向かって叫んでいると、知らない男の声が店の場所を教えてくれた。

恐らく店の店員だが泥酔している客に店も困ってる。


すぐに携帯で場所を確認して電車に乗った。


高梨がゲイだったなんて驚いたを通り越して呆然だが冷静な物の見方は変わって無い。


一般論で言えば高梨が正しいのだと思うがそれは水嶋を知らないからだ。

高梨への信頼が揺らいだりはしてないがもう足を突っ込んでる。

先週の金曜に水嶋を拾ってから天地がひっくり返ってしまったのだ、もう関係ないで済ませない。



「何だここ、どうしてこんな所で……」


知らない男に教えてもらった店は仕事の動線とは外れた住宅街が広がる駅前にあった。

学生や家族連れまでいる客の中、水嶋は一人でカウンターに突っ伏し液体のようになっていた。


店員にすいませんと頭を下げると明らかにホッとした顔をしている。


「水嶋さん……何やってんですか、どうしてこんな場所に来てるんです、マンションからも会社からも遠いしこんなんじゃまた帰れないでしょう」


ん?と顔を上げた水嶋は手に水のグラスを握っていた。酒を薄めようとしたのかもしれないが効果は無い、椅子に座っていてもグラグラしてる。


「なんら、お前早いな……聞けないけど……聞くぞ……聞くからな」

「何の話ですか?」

「課長が……」


課長が、課長がを繰り返し前に進まない。

無理に流しこもうとする水は溢れて真新しいワイシャツの襟を濡らしている。


実は今日の昼間に水嶋の部屋にあった大量のシャツとスーツの正体が割れていた。

また余計な事に首を突っ込み、工場の機械油でスーツを汚してしまった水嶋は、「次の取引先に行く前に着替えるから「青山」に行くぞ」と言って「はるやま」に入っていった。


常連なのか特別にその場で裾上げをしてもらい、礼儀正しく振る舞うのはいいが「いつも青山さんには世話になって」と"はるやま"で"青山"を連発して店員の苦笑いを誘っていた。


面白いから注意なんかしないが水嶋からはそこはかとなく天然の臭いがする。


「課長がな……」

「もう課長はいいですから帰りましょう」

「課長が話を聞けって……、続けて辞めたから……やり方は変えなくていいから、話を聞けって…」


だから話を聞く為に?……電話をする理由が見つからなくて「話がある」と適当な事を言っただけなのに、せめて少しでもと水を飲んで酔いを醒まそうとしていた?


あのいい加減な課長の言う事を「先生が言ってた」みたいに受け止めてる。


「どこまでも真面目なんですね」

「課長が……、愚痴でも罵倒でもダメ出しでもいいから、喧嘩してもいいから吐き出す機会を持ったら大丈夫だからって……」

「俺は辞めたりしませんよ(多分)、アホって言うのやめてくれたら……ですけどね」


「……うん…アホだからな」

「またアホって言う……」


立て続けに3人の新入社員が辞めたと聞いたが水嶋といてもそこまで嫌な思いはしてない。

入り口が駄目バージョンの水嶋だったからなのか、蹴られても怒鳴られても、無能扱いされても辞めたいとか嫌だとか考えもしなかった。


まだこれからだと思うがまずまずのスタートを切れてる。


「財布は?持ってますよね?俺はすっからかんで払えませんよ」

「財布はまだ買ってないから無い、話は?、もう二、三杯水を飲めば聞けるぞ、忘れるかもしんないけどな」

「話はまた今度にします」


まだ歩けるうちに連れて帰りたいのだ、店は困ってるし、食事を楽しむ家族連れもいるのだ。飲み屋なのは間違いないが完全に来る場所を間違えてる。


水を飲んで「俺はまだ大丈夫だ」とアピールをしているが元々話なんかない、腕を取って引き上げると素直に立ち上がったが……水嶋の格好……


ネクタイを緩めボタンを外したシャツは下着やTシャツも無しで地肌に直接着ているからめっちゃ透けてる。ポッチリと乳首が透けてる。


くしゃくしゃに乱した髪は目にかかり、標準装備の険しい眉間が隠れて20代なんだなと改めて思う。


「そんなんだから……」


こんな姿でゲイバーで酔いつぶれていれば……そりゃ勘違いもされるよ、馬鹿。


「さっきタクシーを呼んだから多分もう来てますよ。行きましょう、全く……何でこんな辺鄙な店で飲んでるんですか」

「だって……会社に近いと色々うるせえし…絡まれるだろ」


「あ……そうか……それで…」


"殺してやる!"は………恐ろしかった。


殺される心配と言うより、その言葉に含んだドロドロの感情が怖かった。

誰だって……水嶋だって怖いに決まってる。


「一人で飲まないでください……誰かいるでしょう、いないなら俺でいいから連れてってください」


「俺と飲んだって楽しく無いだろ」

「楽しく無いけど仕事だと思って付き合います」

「死ね、アホ」

「はいはい、でも死ねはやめましょうね」


社内には水嶋が心を砕いて話せる友人がいないように思える、その上でスカスカな私生活を思えば友達がいたとしても多分今は遠ざかってる。


店の前に来ていたタクシーに水嶋を乗せて、行き先を告げたがあの豪勢なマンションに連れて行く気は無かった。

佐倉がどんな連絡をしてやって来るのかわからないが、また待っていたりしたら本当に先週のループ、水嶋は逆らわないし「邪魔だ」と追い払われてきっとまたコンビニでイライラする。


自分のアパートに水嶋を連れ帰り、ベッドに放り込んで布団の蓋をした。


守ると言っても何も出来ないが暫くはこの作戦でいく。平日に水嶋の自由時間は無く、休みは寝てるだけならどこでもいい筈。


そこまで面倒見るなんて自分でも殊勝だなと笑えて来るが仕事を離れた水嶋はどこか頼りない。

   

朝になって目を覚ませば水嶋がどんな顔をするかちょっと楽しみで脱がしたジャケットをハンガーにかけた。


「今度縞々のパジャマでも買ってきますね」


難しい顔をして眠る水嶋の鼻先を指で弾くと、眠っているくせにハエでも追い払うように跳ね除けられた。寝てても水嶋。起きてたらもっと水嶋。





「おい、お前ここで何をしている」


……同僚とか先輩とか、好きとか嫌いとかの前に人としてどうかと思う。


顔に足の裏……見上げた目の上には腕を組んだ水嶋が冷たい目で見下ろし顔を踏んづけていた。


「顔を踏まないでください、どんな躾をされてんですか」

「んな事はどうでもいい、俺の部屋で何してんだ」


「まだ酔ってるんですか?」


六畳一間のボロいアパートと豪華で新しい自分の部屋と間違えるなんて驚かせてくれる。


「ここは俺の部屋です。よく見なくてもわかるでしょう、酔ってたから連れてきたんですよ、足!」


え?と足を退けてくれたのはいいがドタドタと部屋と部屋の外を見て回り、急に動いたせいでやっぱり吐いた。


この人には嫁が必要だ。(菩薩がベスト)


「水嶋さんって仕事の皮を剥げば馬…ヵ…よくこれまで無事に生きてこれたもんですね」


「服を買って来てくれたら帰る」

「買わなくていいです、俺の着てればいいでしょう、シャワー浴びて着替えてください。ご飯作ります」

スーツのスラックスは脱がすとか出来なかった、そのまま寝たせいでシワシワになって放っておけばまたスーツコレクションを増やす。


楽そうなスエット生地のイージーパンツと長Tを渡すと、ブツブツ言いながらもシャワーを浴びに行った。


素直な所は素直なのだが口を封じなければ煩いの何の。ずっと風呂場に篭ってる事を願ってパンを焼いていると……


髪を拭きながら出て来た水嶋を見て驚いた。


大きいのだ、貸した服がブカついてズレた襟首から片方の鎖骨が見える。袖も長くて指の先しか見えないし、イージーパンツは足元に溜まって余ってる。


散々、毎日、1日10時間近く横に付いていたのに隣にいる水嶋を見下ろしている自覚なんて無かった。

デカイからと営業に回されたが自分の身長は180の境目、運送課の関口のような筋肉は無く、身長を人に言えば「そんなにあるようには見えない」とよく言われる。


「何だよ」

「え?……いや……女子みたいだなって…」


言ったら殴られるから言わないけどまるで彼シャツを着ているみたい。

女子を見る時にはどうしても容姿から入るが、男を見る時は余程デカイとか太いとか劣等感を持つようなナイスバデーじゃない限り容姿は目に入らない。


「俺が女に見えるなんて欲求不満か、アホ」

「女には見えないですけど……かわいいですね」


ボコッと飛んできた拳骨は痛かったけど普段食らう蹴りよりはマシだった。

    










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