第4話

サラリーマン3


走っても走っても、足が回らず体が浮いて上手く前に進めない。

もどかしくて、足掻いて、焦って、地面がどうなっているのか確かめると……


ストーンと落ちてヒュッと縮んだ胃が口から飛び出しそうになる。



昔からよく見るどこかから落ちる夢だが、遊園地でも何でもフォール物は嫌いだった。


ビクンと体が跳ねて目を覚ましたが、何か寒くて、腰が痛くて、時間を見ようと携帯に手を伸ばすとモシャモシャした物に手が触れて、これは何だと混ぜ返した。



「やめろ……」


野太い男の声にギョッとして顔を上げると、眉間に皺を刻んだ凶悪な目が指の隙間から睨みつけている。


「あっ!」


誰?と言いそうになったが口に出す前に成り行きと勢いで水嶋の部屋に泊まった事を思い出した。


「すいません!携帯を探して……今何時ですか?」

「………知らん、俺は起きないからお前はとっとと帰れ、ここにいても飯はないぞ」

「起きないって?」


「……うるせえな……俺は何もなければ休みに寝溜めすんだよ、起こすな」


ゴソゴソと布団に潜ってしまった水嶋はわざとらしく背中を向けて顔を見せない。

やっぱり昨日は酔っていたのか、ちょっと親しくなったような気になっていたのは幻だったらしい。


帰ることに異論は無いが借りた毛布くらいは片付けたい。

怠い体を無理矢理起こし、どこで買ったのか………花柄でピンク、パンダが手を振っている毛布を畳んでいると、隣のモフモフから腹の鳴る音が聞こえて来た。


「お腹……空きましたね」


「……」


起きてるのはわかっているのに返事をしない。

大人だし、男だし、金もあるんだから放っておけばいいが……。

朝になり、落ち着いてから水嶋の部屋を見ると酷い有様だった。


脱いだワイシャツは山になりネクタイもその辺にポイポイ捨ててある。

シンクにはカップラーメンの容器が汁を残したまま貯めてあり、ゴミ箱は溢れて周りに散らかってる。その上に鼻血の付いたティッシュがヒラヒラと舞い、如何にも汚い。


しかも……絶対に見たく無いのに……使用済みのコンドームが混ざってる。


マジでキモい。


コンドームは触りたく無いが血の付いたティッシュはエアコンの風で部屋中に散って放って置くには気が引けた。


「俺、ちょっと出て来ます。帰ってくるから閉め出さないでくださいね」

「………」


返事無し。……起きてるくせに……


「水嶋さーん」


「うるせえ……帰ってくるって何で?家に帰れよ」

「泊めてもらったお礼に何か作って帰ります、昨日見たけど冷蔵庫には水とビールしか入ってませんよね、何か買ってきます。」


いらねえ、と水嶋は呻いたが独り言に近いからいいと受け取る。


玄関先に落ちていた鍵を拾って昨夜クダを巻いたコンビニまで食材を買いに行った。


「あの人は絶対に二日酔いだよな」


立てないほど酔っていたのだ、唐揚げ弁当とか豪華デミグラスハンバーグ弁当チーズたっぷり乗せとか出しても食えないだろう。豆乳と豆腐にパック入りのお粥を混ぜてスープを作り、こっちは適当にパンでも齧ってから帰るつもりだった。


目的地がわからないまま歩いたコンビニまでの道はわかって歩くとそんなに遠くない、何時か確かめずにマンションを出たが、もう陽は高く出前の宅配バイクがあちこち走り回っていた。


ファミレスにピザ屋、テェーンの中華屋、土曜の住宅街はいい顧客が多いのかみんな忙しそうだ、気に食わないのは全部奥田製薬の取引先……佐倉局長の勤めるワイズフードの子会社ばかりだ。


「儲けてやがる」


忙しいのは一番下だけで何もせずに一番儲かっているのは大元のワイズフード……世の中理不尽に出来ている。


何故こんなに腹が立つのかわからないが、もう悪の巨大組織に棒切れ一本で立ち向かうような気持ちになってる。


小さな公園のゴミ箱に刺さっていた、ビニールで出来た軽いおもちゃのバットを拾って振り回しながらマンションまで帰って来ると、水嶋は羽布団の上に座り込み腫れた目で「お帰り」と言ってくれた。


「何だよ、そのバット」

「拾ったんです。戦うには武器がいるでしょう」


「誰も殺れそうに無いな」

「気持ちですよ、お粥作りますからちょっと部屋を片付けませんか?、俺も手伝います」


あるかどうかわからないのでついでに買ってきた大判のビニール袋を出すと水嶋はいいよと言って思っ切り嫌な顔をした。


水嶋がしないならある程度勝手にやらせてもらう。やらせてもらうが溢れたゴミ箱の天辺に乗ってる「あれ」だけは触りたく無い。

チラ見すると何が言いたいのかすぐに察した水嶋は50枚入りの袋を引き裂いて、ゴミ箱の中身だけを慌てて移し替えた。端が伸びるほどキツく縛ってしまい周りに落ちている他のゴミは無視。


「ちょっと!まだ入るでしょう、勿体無いですよ」

「うるせえな、他はいい、放って置いてくれ」

「そんな事言われても無理です。しかも何でゴミ袋を全部出してまた散らかすんですか、会社でのクレバーでキッチリした水嶋さんは偽装なんですか?」

「家はいいんだよ、俺の部屋が汚くてお前に迷惑かけるか?誰か困んのか?言ってみろ!並べてみろ!どこの誰だ。納得したら片付けてやる!」


「誰って…」

「ここに住んでくれって誰にも頼んで無いぞ、お前だって二度と来ないだろ!関係ないならほっとけ!」


出た。


水嶋の弾丸論破。


言い返す暇を与えてくれないから反撃のしようが無い。それに反論すれば倍返しされるだけで最終的に手や足が飛んで来ることもある。


「もういいです、俺がやりたいからやるんです。水嶋さんは寝たいなら寝ててください」


寝溜めすると言ったのは本当らしくゴミ袋を部屋の隅に投げ、またモソモソと布団に潜り込んだ水嶋は「何でもいいから帰れ」と呻いて丸くなってしまった。


何でもいいならいいだろう。仕事で頑張る分、私生活がスカスカに思える水嶋に妙な義務感が生まれ世話を焼かずにはおれない。


水嶋が散らかしたゴミ袋を拾って畳み、一枚を広げて片付けていった。


部屋中に散ったティッシュ、未開封のまま放置された郵便物、コンビニのビニール袋は綺麗に揃えて折り畳んだら売れそうなくらいの枚数がある。

初めは小物のゴミ袋にすればいいと溜めていたが途中で面倒になり全部捨てた。


部屋の隅に溜まったホコリは綿帽子になってるし、キッチンに折り重なったカップ麺の容器はきちんと潰さないと20リットルのゴミ袋からはみ出る。


水嶋は仕事の利便性だけを考え、ここに住んでいると言ったが、それは本当らしい。


他にも部屋があるみたいなのにベッドも仕事用の机もワンルームに収まってる。


他の部屋がどうなってるかまでは、見たり出来ないが脱衣所と風呂場は入らせてもらう。


「うわ……予想通り…凄え」

洗濯機を最後に回したのはいつなのか……洗ってない洗濯物が洗濯から溢れて本体が見えない。隅の方にキノコが生えていそうで怖いじゃないか。

水嶋がヨレたシャツを着ていることは無い、…と言う事は、多分着替えがなくなると買ってくるのだろう、あちこちに落ちてるワイシャツを集めると箱買いしてるのかと思う程何枚があった。


ちょっと片付け、簡単にお粥でも作って帰る。

……なんて甘かった。

ゴミと物を片付けると掃除機に加えて雑巾でその辺を拭いて回りたい。


断っておきたいが、俺は「潔癖」でも「綺麗好き」でも「お人好し」でも「世話好き」でも無い。


どうせ一週間もすれば元の状態に戻るだろうと、簡単に予測できるのにあまりに酷くてムキになった。



水嶋が昨晩ベッドに寝るのは嫌だと言ったのは、意に添わぬ屈辱の熱が残っているからだ。


佐倉がマンションに押しかけて来てから合計‪一時‬間もここにいなかった。

一体どこまで何をしたのか想像したく無いが、好きな相手だと仮定しても愛を語る(\(//∇//)\)時間は無く、即物的に……ただ下半身の処理をしに来ただけ。


例え思い合った恋人同士でも嫌だと思う。触るのは気持ち悪いが仕方がない。シーツと枕カバーを引っぺがしてタオルとパンツと靴下と一緒に洗濯機を回した。ワイシャツはクリーニング屋に放り込めるようにビニール袋に纏め、ネクタイをかき集めたらようやく落ち着いた。


禁煙だと言われたが、臨時ハウスキープの礼として吸わせてもらう。

一応換気扇を回したが、煙草に火を付け、豆乳と豆腐とパウチのお粥を使った形跡の無い小鍋に入れて煮ていると、水嶋が布団から這い出て来た。


「煩くて眠れない」とか、「暇人」とか「非効率だ」とかブツブツ言いながら四つん這いのまま風呂場に入って行った。


孤高のカッコいいエース営業ってイメージはボロボロに崩れてる。


「俺だって何やってんだって自分で思ってるよ」


時計を見ればもう昼はとっくに過ぎてる。

折角の休みを他所の家の家事に費やしてしまった。どうせ会社で会えば「俺って透明なのか?」って疑うくらい綺麗に無視されるし、「ありがとう」も絶対ない。


掃除の時、玄関に落ちたままになっていた2万を拾って、仕事用に使っているらしい机に置いた。


散らかった部屋の中でそこだけきちんと整頓された水嶋の裏表を語っているような机。


欲しいけど、せめてタクシー代くらい回収したいけど、一回投げ返してしまった二万はプライドが邪魔してやっぱり貰いますとか言えん!


机にに鎮座する2万を恨めしく睨んでいると、空気の抜けたビニール人形みたいにフニャっていた水嶋が、白いシャツを引っ掛け電話をしながら風呂場から飛び出て来た。


───はい、はい……わかりました…


……どうやら仕事の電話、まだボタンの止まってないシャツの襟にはネクタイが掛かってる。

休みなのに殊勝と言うかさすがと言うか、ご苦労だなと思っていると聞き捨てならない台詞が聞こえて来た。


───はい……今から二人で伺います


「え………」


二人?


誰と誰?


「おい江越!すぐ出るぞ、火を消してお前も顔くらい洗って来い」


「……やっぱり?どこに行くんです。何をするんです」

「工場で荷崩れがあったんだ、片付けと代替え商品の納品だ」

「工場って……うちの工場は休みでライン止まってる筈じゃ…」

「うちじゃない、守山製菓の工場だ、あそこは今何とか言うお菓子がヒットしてて24時間フル操業で増産してる、時期もんだから穴が空くとその分減益になるんだ、モタモタすんな!行くぞ」


「嫌です」


…と言いたがったが一応……何とか「はい」と返事した。

昨夜に引き続きとんでもない流れ弾の被弾。


いきなりスーパーエースの顔に変身されても付いていけない。‪金曜の朝に‬シャワーを浴びて以来着替えもしてないし歯も磨いてない。

髪はクシャクシャ、雨に濡れて乾いてもう一回濡れて乾いて、冷や汗をかいてまた乾いたシャツは何だか臭いしホコリに汚され袖口が黒ずんでる。


「水嶋さん!何か…何でもいいから着替え貸してください」

「その辺に落ちてただろう、勝手に着ろ」


やだよ馬鹿!


言えたらいいが言えない。

もうスーツに手を掛けてる水嶋はいつも会社で纏ってる怖いオーラを発してる。

せっかちで自分のペースが全ての標準なのだから絶対に待ってくれない。


着替えはいいからせめて顔だけでも洗って歯磨きだけはしたい。


「歯ブラシ借ります」

「勝手に使え!タクシー呼んだからな!遅れたら置いていく」


むしろそうしてください。


洗面所に飛び込んで……無いかもしれないと予想していたがやっぱり予備とか新品の歯ブラシは無い。

もう半泣きだがヤケクソだ。水嶋が今使ったと思われる濡れた歯ブラシで歯を研ぎ、この後使われたら死にたくなるからゴミ箱に捨てた。


「江越!行くぞ!」

「はい!」


マンションから出るとエントランスの前にタクシーが待っていた。

水嶋は乗り込む時間も待てないらしい、たった3秒でも自分が使う時間以外は邪魔で無駄。

屈んでドアに手を掛けると背中を蹴られ、シートに潰れた上にどかっと乗ってきた。


痛いんだよ、退け!このパワハラ野郎


……言いたい事が言えるって幸せなんだと噛みしめる。かなり好き勝手言えた昨夜はやっぱり酔っていた。

誰に電話しているのか携帯を離さない水嶋をやっとの事で押し退け、座り直して……ハッとした。


「お金……」


今の手持ちはもう百円単位。

2万はまだ机にあったし水嶋が財布を無くした事を忘れていたら二人共ほぼ一文無しだ。


「あの……」


水嶋が携帯を切ったタイミングを待って声を掛けたが次の電話に邪魔された。


「ちょっ……あ…」


またしくじり。

メーターは今3200円だが、そもそもタクシーに乗った瞬間から既に無賃乗車。


どこに行くのか場所は知らないけど大概の工場は地味な郊外が多い、コンビニが近所にあるなんて期待は出来ない。


勝手にタクシーを止めると怒り出しそうだからジリジリと待っていると電話を切ってないのに水嶋がこっちを見た。


「おい、お前フォークリフト持ってるか?」



「…………はい?」



俺に話しかけた?


それとも聞き間違い?意味を取り違えてる?


「どこに置いてる、取りに行くぞ」


「どこにって?何の話ですか」

「フォークリフトに決まってるだろ、お前今持ってるって言ったよな」

「言ってません!持ってるわけ無いでしょう!車すら持ってません!」

「はあ?今「はい」って言っただろ!何で持ってないんだ」

「ええ?!」


何だその、持っているのが常識って感じの新鮮な驚き方は!

じゃああんたのマイフォークリフトはどこにある、自家用フォークリフトなんて持ってる奴が身近にいるんなら紹介してくれ。

何に使ってるのか聞いてツイッターにでも上げるわ。


「持ってるわけないでしょ」


「役に立たない奴だな、大特の免許は?大型ウィングのトラックは運転出来るか?」

「出来ません、大特も無いです。」


困ったように考え込んだ水嶋が「2トントラックくらいなら…」としつこく付け加えたが「出来ません」と話を閉じた。


付き合ってられない。


"出来無いらしいです、申し訳ありません"と話す水嶋は、「世間の標準から逸脱してすいません」って口調だし、仕方ないなあって感じで応対してる電話の相手もどうかしてる。


例え……万が一……趣味でフォークリフト持っていたとしても公道は走れない筈だ、どうやって運ぶつもりなのか"荷崩れがあった"としか言ってくれず、何がしたいのかまるでわからない。


聞いても真っ当な答えなんか期待できないが……一応聞いてみた。


「パレットから荷物が崩れてるならフォークリフトでは運べないでしょう、それにフォークリフトくらい工場が持ってると思いますけど」

「そのフォークリフトがぶつかって使えないから困ってんだ」

「一台しか無いんですか?」

「知らん!とにかく駄目になったリン酸塩を追加搬入するからお前はそっちに回れ」


「そっち?」


……ってどっちだ、説明しろ。


タクシーが向かっていたのは問題があった守製菓じゃなかったらしい。

休日の倉庫街は人気ひとけもなく、裏寂しい場所で降りろとタクシーから蹴り出され、何をしろとか指示もなしに水嶋は走り去ってしまった。


「嘘だろ……」


錆びたフェンスが取り囲む敷地は野球が出来そうなくらい広くて奥の倉庫らしき建物がミニチュアみたいに小さく見える。

門と呼んでいいのか、フェンスが途切れた場所には張ってあったらしい鎖が開いている。


水嶋は普段の業務に後輩を連れ歩いたりはしてない。


本来なら新入社員の教育を任されていてもおかしくないが、水嶋に付けた新人が立て続けに3人辞めて会社はもう諦めていると聞いた。


この調子で放って置かれ、なぜ出来てないといつもの調子で怒鳴られればそりゃ嫌になる。


「マジでクソだな…」


取り敢えず広場の奥に見えるトラック口が付いた倉庫に行ってみると、2トントラックがエンジンをかけたまま止まっている。


指示は無かったが、それは「もうすぐ一年経つお前ならわかるだろ」って信頼してくれたっていう


……ううん、いいように考えてみたがそれは違う。「それぐらい分かれ」って事。聞こえていた話を整理すれば、破損分のリン酸塩を運べって事だ……多分。


エンジンがかかっているという事は誰かいる。関係ないかもしれないが、水嶋よりはまともな話が聞けるかもしれないのに運転席には誰もいない。


観音扉を開いたトラックはリアから搬入口に付け、荷物を入れようとしているのは間違いない。


荷台の高さになっている倉庫の入り口まで登ろうと手を掛けると、突然背中を引っ張られてボヨンと跳ね返る分厚い胸板にぶつかった。


「お兄ちゃん水嶋ん所の人?」

「はい!すいません!ごめんなさい!」


反射で謝ったのはこの一年で学んだ事のせい。工場の人、倉庫の人、研究所の人、みんな怖いし嫌われると厄介だ。

まず謝る。なりふり構わず謝る、前も見ないで下げていた頭を上げると、「雄」か「漢」といいたくなる筋骨逞しいマッチョがまるで似合わない人懐っこい笑顔で立っていた。


この胸板じゃ絶対「きをつけ」出来ない。


「何謝ってんだよ、行くぞ、お前らが遅いからもうトラックに積み終わってる、乗ってくだろ?」

「はあ、あの俺よくわかってないんですけど守山製菓の話ですよね」

「それ以外にも何か他にあるのか?勘弁しろよ」


このマッチョも奥田製薬の社員に間違いない。

さっさと乗れってど突かれた背中は脊髄損傷一歩手前。


生まれて初めて乗るトラックは2トンといえどシートは顔の高さにある。シートには食べかけの弁当が置いてあるし、ペットボトルのお茶は蓋が開いてる。屋根に捕まってフロントに載せ替えていると早くしろともう一回怒鳴られた。


「行くぞ、シートベルトしろよ」


「……はい」


まだ、シートベルトをしていないのに……すぐに走り出したトラックから見る景色は目線が高くて遊園地の乗り物に乗っているようだ。

怖いけど楽しい事は楽しい。


「あの、今日は……」

「あんた名前は?」


すぐど突くとか人の話を聞かないのは奥野全域なのか?存在すら知らなかったが倉庫とトラックは奥田製薬の物らしい。


「江越です」

「エゴ?変な名前だな、自分勝手なのか?」

「江越です」


小学生の時から散々言われたが大人になってからは久しぶりだ。

もう免疫が結晶になっていて怒る気力もない。


「水嶋の下は大変だろう、あいつ嵐みたいだからな、呼び出されたんだろ?まあ俺もだがな」

「いや、たまたま水嶋さんの部屋に泊めてもらっててそれで連れ出されたんです」

「水嶋の家に?泊まった?お前が?そりゃ珍しいな」

「はあ……」


巨漢の割に愛らしいつぶらな目は真横を向いている。こっちを見る暇があったら前を見て運転して欲しい。

驚く気持ちはわかるが水嶋だってプライペートに友達の一人や二人いる筈でそこまで驚く事じゃない。


「あの……信号が…」

「水嶋はなあ……仕事は出来るんだが危ないと言うか硬いと言うか……見てたらこっちまで息苦しくなるんだようなあ、お泊りするぐらい仲がいい奴が出来て俺も嬉しいよ」



ご期待に添えなくて申し訳ないが仲がいいわけでも親しいわけでもない。

それより"危なっかしい"が気になった。


「あの……」

「俺は関口だ」

「関口さんは水嶋さんをよくご存知なんですか?」

「あいつが入社した時から知ってるよ、無茶言うしこうして周りを巻き込むし当初は嫌われてな、社内でも浮いてたし邪魔とか嫌がらせもよくされてたよな」

「え?今もですか?」

「アホ、あいつの売り上げ知ってんだろ、社長からも営業部長からも信頼が厚いし逆らう奴なんかいないよ、まあ休みの日にあいつから掛かってくる電話に出る奴は俺くらいだけどな」


昨日と今日思いっきり逆らってみたが……

両手共にハンドルから手を離し豪快に笑ってる関口に合わせたがやっぱり水嶋と関わるのは貧乏くじっぽい。


「水嶋さんは仕事が好きなんですね」


ってか命。


「好きと言うより不器用で遊びを作れないだけだろ。もうガッチガチ」

「不器用であの売り上げは取れないでしょう」

「仕事の進め方の話じゃない、まあ本社の奴らは本当の水嶋をほとんど知らんからな」


「本当の水嶋さん?」


「今日見てりゃわかる、まあお前も頑張れ」と意味ありげに笑った関口はグンっとハンドルを切っていつのまにか着いていた守山製菓の工場に、ガスンっと何かを乗り越えてトラックを滑り込ませた。


守山製菓と言えばゴールデンタイムに放送される花形番組のスポンサーをするくらい大きく有名な菓子メーカーだが、工場は意外とこじんまりしていた。


問題があったと聞いていたが……成る程変な場所にウイングを上げた4トントラックが止まり、フォークリフトが一台横倒し。30キロ入りの米袋のような荷物が散乱してもう一台の上にバラバラ乗ってる。


トラブルというより怪我人がいてもおかしくない事故に見える。何より驚いたのはそのまま放置されて誰も何もしてない事だ。


水嶋が電話を受けてからもう‪二時‬間は経ってる。もっと沢山の人が大慌てで片付けや事故の処理をしていると思っていた。


「何で誰も…」

「当たり前だろ、工場は24時間のフル稼働、確保出来る人手はギリギリでみんな手が離せない。だから水嶋が来たんだろ」

「え?……」


という事は………最低最悪、江越史上最大のピンチだ。

関口がどうするかは聞いてないが、最高3人、最悪水嶋と二人で片付けとか荷運びをするっぽい。


こんな事なら自家製フォークリフトを買っておけば良かった。


まだ無事なパレットを運べば半分以下で済む。


「嘘だ」


「言っとくが俺は積んできたパレットを下ろしたらトラックを返却しなきゃならんから帰るぞ」


関口の筋肉はこんな時にしか役に立たないだろうに……ニヤニヤ笑う関口を思わず睨んでいると、ドタドタと台車を押しながら水嶋が走って来た。


「関口さん!荷物の追加搬入すいませんでした」

「それはいいけどリン酸塩は湿気ると大変だから早く運んだ方がいいだろ、その台車に乗せていいか?」

「お願いします、おい江越ボサッとすんな」

「はい、え?……え?」


関口がトラックの観音扉を開けるとパレット一個、まさに30キロの米袋が積み重なり四角く梱包されてる。

普通ならフォークリフト一往復で済むが人の力で持ち上がる物ではなく……つまりバラして人力で運ぶ?


どうするのか口にするのも怖かったが、予想通り関口はビニールの掛かった梱包をカッターで切って袋の一つを……


「ぎゃあ!」


高い荷台から投げて渡されても持てない。

当たり前に潰れて押しつぶされた。


「何やってんだ!一つでも破って駄目にしたら走って取りに行かすぞ!しっかり持って運べ!」

「はい!」

母の実家で米を運んだ事があったが、キメの細かい粉入りの袋は米よりも確実に重くて、何よりも硬い。

米のように持ち手が無くて担ぎ上げるだけでも一苦労だった。


「ちゃっちゃと運べよ」

「は……い」


パレットに乗ったリン酸塩の袋は20袋以上。台車に乗っけて何往復もしたが仄かに期待していた応援は無く、運び終える頃には冬だと言うのに汗びっしょりになっていた。


「何休んでんだ」


トラックを返しに行くと言って関口は帰ってしまった。


空の台車を押して工場の方から戻って来た水嶋も汗をかいて髪が額にへばりついてる。


「最初に言ってくださいよ。こんな事するならスーツで来る必要ないでしょう」

「いかにも力仕事をしますって格好じゃ駄目だろ、考えろアホ」

「阿保はやめてください、馬鹿の方がマシです」

「どっちでもいいわアホの馬鹿、休んでる暇はねえぞ、バラけた荷物を回収して無事な分を運んだら後は掃除だ」

「ええ~~っっ?!」


バラけた荷物ってパレット3個分はあるし関口もいない、しかも一度下に置くと持ち上げるのは倍の手間が掛かる


「二人じゃ無理ですよ!それにこれはうちのせいじゃ無くて守山製菓の責任でしょう、代わりを搬入したんだから後はここの人らに任せておけばいいでしょう」

「うちの荷物だ、納品し終わって初めて代金貰えんだよ、グダグタ言うな」


うちの荷物だ?納品書を渡し終わってない?

もし、そうだとしても事故を起こしたのは守山製菓じゃないか。奥田製薬に責任があるなら二人でやる事じゃない。


でも水嶋は手を止めないしやるしか無いが、だんだん腹が立って来て無口になっていた。

ひたすら持ちにくい袋を台車に積んで工場の入り口に運ぶ。

ようやく半分済んだかなって頃に禿げた初老の男が飲み物を持って工場から走って来た。


「荒木工場長、わざわざすいません」


「申し訳ないねえ、水嶋くん、‪5時に‬なれば交代の従業員が来るからそのまま置いといてくださって結構です。本当に助かりました、これで機械を止めなくて済みます」

「この度は申し訳ありませんでした、できる事はさせて貰いますからどうぞ仕事に戻ってください」

「お宅の責任じゃ無いよ、うちの工員がフォークリフトを運転中にスマホを弄ってたらしいんだ」

「いえ、うちの梱包に不備があったんです、申し訳ありません」


水嶋は深く頭を下げ、中々上げようとしなかった、禿げの工場長が言う通りパレットに乗った荷物はどれも見事に四角く梱包されビニールに包まれてる。

梱包に問題があったとは思えないが頭を下げたままの水嶋に背中を押され、慌てて同じ角度まで腰を折った。


もっとしつこく「帰っていい」って言ってくれたらいいのに……荒木工場長は時計を見て「程々に」と仕事に戻ってしまった。

それはつまり「ここを片付けろ、頼むな」と同じだ。


「やるんですか?」と聞いてみたが聞くだけ無駄だった。工場長から差し入れてもらったスポーツ飲料のペットボトルをがぶ飲みした水嶋はすぐに立ち上がった。


スーパー営業はさすがにタフだな……と思っていたが、そんな訳なかった。台車に手をかけた水嶋が、突然口を押さえて走り出し、駐車場の端でヘタヘタと座り込んだ。


「水嶋さん?!」


走り寄って四つん這いになった水嶋の背中に手を置くと、今飲んだスポーツ飲料を戻していた。


引き摺られて引っ張り回され忘れていたが……水嶋は昨夜、外で寝込むほど泥酔して酷い二日酔いなのだ。朝から何も口にせず働いていたから吐いた水溜りにはスポーツ飲料しか無い。


実は……被害者意識に邪魔されて認める事が出来ないでいたが、関口と一緒に代替え商品を運んでいる間に水嶋はもう荷物運びを始めていた。


穴が空いて中身が漏れている袋が端っこに並んでいるのは水嶋がやったのだ……一人で…。


どうしても尊大で横柄なイメージに支配され、よくわからなかったがこうして見ると水嶋は細身でどちらかと言えば文化系。背もそんなに高くない。


偶然…たまたま一緒にいたから引っ張りだされたが、そうじゃなかったら水嶋は恐らくこれを一人でやっていた。


「大丈夫ですか?無理し過ぎなんです、ここまでしなくても誰にも怒られたりしませんよ」

「俺の……俺たちの仕事だろ、もう大丈夫だからやるぞ、さっさと終わらせて風呂に入りたい」


「俺もです」

「お前臭いな」


青い顔をしているくせに……水嶋は鼻の付け根に皺を作ってパタパタと手を振った。

憎まれ口は標準装備。


「昨日から風呂に入ってないし仕方ないでしょう」


「……やるか」


「はい」


水嶋が持ってる巨額の売り上げは口と才能だけで仕事を取っている訳じゃない。

事務所を回って挨拶するだけで売り上げなんて増えるわけ無い。

フラフラになっているくせに辛いとか疲れたとか一言も言わないから気付けなかった。


水嶋はこうして見えない所で力を尽くしてる。そりゃエアコンの効いた部屋でお茶を飲みながらお喋りしている事務が凡ミスをすれば怒鳴るのもわかる。


なるべく水嶋に手をかけさせず先に動いて片付けをしていると、わらわらと工場の方から工員が出て来て後を引き継いでくれた。


工場長がお茶と軽食を用意しているから事務所に行ってくれと言われたが、遠慮してさっさと守山製菓を出た。

二人とも粉に汚れて真っ白になっているし、リン酸塩が水分を含み、どこもかしこもネチネチしている。


「工場長に挨拶しなくていいんですか?」


「勝手にやったんだしいいんだよ。こんな汚い格好を見せればいかにも「俺頑張りました」って感じになるだろ、恩は使える時まで取っとくんもんだ、飯を奢られてチャラとか勿体ない」


「はあ……なるほど……」


各種どぎついハプニング続きたが勉強になった。


水嶋の仕事に対する姿勢、裏の顔、それから素顔もちょびっと見えた。遅いのかもしれないが……「社会人」としての一歩をようやく踏み出したような気がした。





    




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る