第7話 Heaven

6


ゲイバーとは………


ゲイが集まる憩いの場所であるべきだ。


吐き捨てて、蹴散らしたい思いをグッと抑えた高梨は、クスクスコショコショうるさい女子の集団に背中を向けて薄い烏龍ハイを胸に抱き込んだ。


この店を見つけたのは、付き合っていた上級生と別れた後……極上の隠れ家だった。


儲けに興味の無い店長はやたらと料理に凝っており、一般な店と比べても良質のダイニングバーだ。何を食べても極上で料金も安い。


男だけしか入店出来ないなんて狭い決まりは無いが、料理を楽しむ為でも無く、勿論ゲイじゃ無い女子にはきて欲しく無い。近頃の流行りに乗って興味本意でゲイの生態を観察に来る女子が増えている。


漏れ聞こえる話声は聞きたくなくても耳に入る。

ゲイは優しい?親友にするには一番?

ふざけるな。

悪い奴、馬鹿な奴、酷薄な奴……そしていい奴は老若男女平等且つ均等に分布してる。


優しげな顔をして近づく男にほいほいついて行ってヤラれて来い。BLなんてファンタジーだって思い知る。

超のつく金持ちで一途に想ってくれて何でもしてくれるレア物件が世界中のどこに落ちてる。会えばセックス、顔を見ればセックス、ストーカー並みに付き纏い、何をしてても、上手い事危険になると現れるのは始終ほぼ監視。現実だったら即警察に飛び込むぞ。


「消したい……」

うっかりと「お気に入り」をぽっちりした数々のBL小説と電子コミックの山は……読むとムカつくのにコレクションが増えていく。


馬鹿らしいのに…低俗だと吐き捨てたいのに……愚かにも新刊とかの更新を待ってる。


「クソ……腐ってる」


世の中腐りきってる。

烏龍ハイが薄いのは酔うと漸く保ってる自我が崩壊しそうで店長に頼んでる物だが……


俺の体調見てちょっとは気を効かせて調節しろよな、だから料理の腕があるにも関わらずこんなしがない店で細々と地味に営業してる。


どいつもこいつも俺も馬鹿。


「うう……マイナス思考に殺される……」



イライラの原因はわかってる。


最後に飲んだ夜、喧嘩別れのようになって以来江越と連絡が取れないでいた。


あの飲み屋での会話を誰かが聞いていたら……どんな奴だって絶対涙する。それこそ小説にでも書く。


"高梨がゲイ"だと江越だけが知らなかったのは、周りがみんな俺が江越を好きだと知って面白がっていたからだ。


何度も何度も「友達」だと間接的にフラれ続けて今に至ってる。


江越は江越で彼女は作らないし、「高梨が一番」と甘噛みをしてくる癖に何度も空振りを食らわされ、いっそ食いちぎってくれと何度喚きそうになったかわからない。


江越に近付く女子を姑息に…計画的に追い払ったりはしたが(我ながら黒歴史)江越と付き合うなんて甘い期待は最初からしてない。


江越はいつでも何かに夢中になってそこしか見ない。ガキみたいに大らかで面倒見が良くて、波長が合うのか一日中、一年中一緒にいても飽きない。


愚痴を聞かせて悪いなって江越は謝るが、愚痴さえも湿った所がなく十分楽しませて貰った。


古いホームドラマのような人生観、生命保険の下りでは笑いを堪えるのに忙しくて後半は聞いてない。


お前にそんな未来は来ないと断言したかった。


側にいてくれるだけでいい。


社会人になってからも毎週、開いても隔週で会っていたのに連絡が付かない。

勿論それは喧嘩のせいじゃ無いとわかってる。

江越は基本穏やかで本気で怒ったのは一回きりだ。


それは忘れもしない一回の後期試験中。

江越が作った「水槽で猫を飼う」って謎のソフトを預かり、半日放置したら猫のミーちゃんが溺れて死んだ。


リセットすれば戻るのに…スキルが積み上がる訳でも無いのに泣くか?


その喧嘩さえ半日ほどブスくれていただけで直ぐに側に寄ってきた。


連絡が付かないのは……どうやら江越は噂のクソ会社に振り回されているか……また何かに夢中になってる。


真っ直ぐなのはいいが融通が効かない。

まだ社会規範が無い為、遠慮しない少年みたいにきっぱりした所とお人好しな所。


思い込んだら一途な所は、持って行き用では使い勝手良く利用されやすい、今いる会社は江越に似合ってない。


その江越が……


何故かここに……ゲイの集まるバーで高級感のあるイケメンと睨み合っている。


男漁りをしていると誤解されたく無い。


……と言うわけで女子達に好奇の目で品評されながら隅で小さくなって存在を消している所だった。




「睨んでないで座れよ、煙草を吸ってもいいか?」

「煙草を遠慮するくらいならもっと別の事に気を使ったらどうなんです、水嶋が困ってるって事くらいあんたの色惚けた変態の目にも見えるでしょう」


「色惚けてる……けどな」


ハハっと笑った佐倉は、吸ってもいいかと聞いたくせに返事を待たずに火を付けた。

ここの所ずっと水嶋がいたから吸っていなかったが今は煙草が欲しくてしょうがない、ヘニャヘニャになった煙草の箱を出すと火の付いたライターが目の前に出てきた。


「結構です」


こんな奴から火を貰うのさえ嫌だ。

ポケットを探ったがライターは見つからず仕方なく煙草を戻した。


「吸うんなら吸えよ、勝手にウイスキーを頼んだがそれでいいか?違うものが良ければ言えよ」

「俺はあんたと飲む気は無いから何でもいいです、言いたい事言ったら帰ります」


熱いな、と笑いながら煙を吐いた佐倉は腹が立つくらい余裕がある。すぐに出て来たウイスキーのグラスをまあ飲めよ、と前に押し出した。


喉が渇いてヒリヒリする。

出来ればビールを一気飲みしたい。

ウイスキーでもいいが…この量を飲み干せば「ホモ」とか「気色悪いとか」言ってはいけない事まで漏れる。

グラスを前に押し返すと佐倉は口元だけで小さく笑い鼻を鳴らした。


「お前あの夜にマンションに来てた水嶋の後輩だよな、悪いが名前は覚えてない」

「俺は下っ端ですから御社に用は無い、名前なんてどうでもいいでしょう、水嶋も本来なら佐倉局長とは直接関係ない筈です。職権を利用して脅すなんて卑劣な真似はやめてください」


「脅す?何の事だ」


片方の眉を下げ、何の事だと訝しげな顔をしたって事は自覚が無いらしい。わかってないならもっとはっきり言う。


「取引を盾に取って関係を迫るなんて下衆だと言ってるんです。水嶋の困惑が見えてないならあんた馬鹿だろ」

「何か勘違いしてるんじゃ無いか?俺は真剣なんだ、確かに水嶋はまだ戸惑ってるが男同士の経験が無いんだから当然だろう?俺は急いでるつもりは無いし無理に進めるつもりも無い」


「滅茶苦茶無理矢理に見えましたけどね」


待ってくれと水嶋が言ってるのに部屋の中に引き摺り込み同僚の目の前で行為を見せつける、さっきだって人目があった。もし同意だったとしても無作法で無神経だ。


「無理矢理じゃない、情熱的だと言ってくれ。俺は会いたくて会いたくてずっと待ってたんだぞ、ちょっとくらい強引になったって許してくれ」

「する事して30分で帰るって水嶋は便所ですか、取引先の相手だと遠慮してなかったら普通キレます」


「何?嫉妬?お前間男か?そう言えばあんな時間に上がり込もうとしてたな、申し訳ないが水嶋は俺と付き合ってる、諦めてくれ」

「水嶋はあなたと付き合ってません、あれはただの枕営業です、あの人馬鹿が付く真面目なんです、勘違いしないでください」

「勘違いじゃ無い、俺はちゃんと告白してOKを貰ってる」


告白って…


校舎の裏で?……何だそれ、中高生か。


「工場の裏に呼び出して好きだと言った」


工場かい……


自分で言って自分で照れるな。まるで似合って無い。


「それはあなたの職席に遠慮があったからです、見てればわかるでしょう、あんたの顔を見たら水嶋は逃げようと後ずさった。さっきだってオロオロしてたでしょう、困ってるんです。普通の男なら男から告白されて簡単にOKなんかしない、まともに物が見えてんならわかれよ!」


「俺達が普通じゃ無いって言うのか?」


「そうじゃなくて…」


「お前は今店中の客を敵に回したぞ」

「へ?」


んっと首を振った佐倉の後ろで、カウンターの中にいた髭の店員が「こちらです」と言いたげに手を上げていた。壁に張り付いてライトアップされたカルプ看板には「Heaven__for Gay 」と書いてある。


しかも店中の視線が集まってる。


「嘘…ここ……」

「そう、俺はここで水嶋と始めて会った、意味はわかるな?」


それは聞いていたが……


「今の発言は謝ります。あなた方を否定するつもりも差別するつもりもありませんが、俺が言いたいのは水嶋は違うんです、確かに誤解を与えたかもしれませんがあの人は仕事が終わると腑抜けて馬鹿になるんです、自分がどこにいるかわかってなかった、遊び相手を間違ってる」


「お前こそわかってない、俺は真面目だし遊びじゃ無い、惚れたからアタックした、そしたら付き合ってもいいと返事した、慣れてないのはわかってる、俺だって必死なんだ」


……通じない……


嘘みたいだが佐倉は手ぐさなみに揶揄ってるんじゃ無い、本気で水嶋に嵌ってる。ややこしい事になって来た。


「あの……水嶋は……水嶋のどこが…あんたは水嶋をわかってない」

「だからわかってないのはお前の方だ、あいつはいいぞ。俺が声をかけなきゃ他の奴に盗られてた」

「男にモテる要素が水嶋にあるのかどうか俺にはわかりませんけど嫌がってるのは事実です」

「そうか?ちょっと触っただけで気持ち良さそうにうっとりしてるけど?」

「ぶぉほ……」


真顔を保ったつもりだが咽せて変な咳が出た。


聞きたく無い。

そんな水嶋を想像したく無い。


「そういう話はやめましょう……ってかやめろ」

「一目惚れなんだよ、あの腰付きが堪らん」

「体が目当てって宣言すんな、せめて顔が好みだったとか言え」


「……顔が好きだ」


「言い直すな」

「何だよ!お前だってケツとかうなじとか見るだろ!」」

「見るけど「あなたのケツに惚れました」って正直に言えばまずフラれますね」


そもそもこの話題がおかしい。

論点がズレている事は分かっているが意外と馬鹿な佐倉に乗せられて修正出来ない。


多分ちょっと酔ってる。

だって飲まずにこんな話出来るわけないじゃないか。


ピッチが早いウイスキーの消費に店員は最早カウンターに戻らず、ボトルを抱いて客先に座ってる。


「誰がケツだけだと言った?あいつ色んな所が敏感でな、特に中は最初からいい具合だった……ああ堪らん……」

「なななな中って?!」


「男のGスポット……」


おお……と店の中から遠慮がちなどよめきが上がった。

他にいた客が聞き耳を立てているのは知ってたが参加しないで欲しい。


「アブノーマルな趣味をこんな所で暴露するのはやめてください」

「ここだからいいんだろ、それにアブノーマルって事も無いぞ、街にある「普通の男」が通ってるような性感マッサージのメニューにもあるしエネマグラは元々医療器具だぞ」


「エネ?……いや…やっぱいいです」


聞きかけたがどうせろくなもんじゃ無い、変な知識を増やてもロクな事にならない。


「エネマグラを知らないのか」

「もういいって言ってるでしょ!」

「無知な子猫ちゃんだな、男全員がドライでイケたりしないから水嶋みたいに感度がいいと萌えるんだ、ちょっと触っただけで…」

「やめろ!!」


思わず立ち上がると膝がテーブルを蹴ってグラスが倒れた。

氷が溶けて増量した液体がじわっと広がり、テーブルの縁から溢れてぼたぼたと靴を濡らした。


「何だよ、お前……やっぱり水嶋を狙ってるな?俺は譲らんぞ」

「それってやっぱり体が目当てって事ですよね?惚れてるなんて嘘つくな」


「顔も体も心も全部水嶋の一部だろう、一目惚れって言ったがそれは今だから言える結果論だ。見た目に惹かれて話して惚れる、そんなもんだ、お前は?顔か?腰か?性格か?水嶋を見てて何も思わないって事ないだろ、どこを見てる」


「どこって……」


「どこだよ、早く言え」


どこと言われても………仕事のイメージが強烈で顔がはっきりしないくらいなのだ。じっくり見たのは今日の飲み屋が始めてと言っていい。


早く言えって上司オーラにせっつかれ、ついその時の感想を言ってしまったのが失敗の始まりだった。


「首が長いな…と思った事はありますけど…」


「首かあ……わかるわ、首から背中の線がいいよな」

「性格はクソな所と不器用で面白い所が…」

「不器用だな…見てたら笑えるしちょっと間抜けだよな」

「そうそう、そうなんですよね……って何で俺が惚れてるって前提なんですか!」


「落ち着けよ、まず座れ」


デカい図体でキモく照れたりデレたりモジったりしてたくせに……佐倉はやっぱり人の上に立つ立場なんだな、と改めて思う。さっとデキる男に早変わりして、山崎を抱えてもうすっかり観客になってる店員に合図を送った。


働いてない……


すぐにおしぼりを持って来てくれた店員は熱いタオルを広げて差し出し、「あの、鍵なんですけど……」とドアを指差した。


「そろそろ混み合う時間なんで……」


「あ……ああそうか…すいませんでした」


開店している店に鍵を掛けさせるなんて承諾してくれた事自体が奇跡なのだ。佐倉の"偉い人"オーラで押し込んだが、いくら金を払うと言っても後の不利益まで責任が持てない。


「本当にすいませんでした、でも…ちょっと外を覗いてからでもいいですか?」


「……いいですけど…」


仕事の一部と認定しているなら、水嶋の事だ、朝までだって待っている可能性が高い。諦めて大人しく帰ってるなんて考えにくい。


ただでも混戦しているのに、水嶋を同席させては話が出来ない。


なんせゲイからの告白に意味も考えずにOKを出す人だ、ここに水嶋が混ざれば佐倉を優先する事は目に見えてる。


「オツキアイシテマス」とかカクカクになってても言いそう。


ドアの鍵を開け、細い隙間から外を覗こうとすると佐倉が背中から腕を伸ばしてドアを大きく開けてしまった。

案の定……と言うかもう必然。


少し離れた所で待ち構えていた水嶋がピョンと跳ね猛然と走って来る。


「わっ!やっぱりいた」

「待てよ、俺が言えば帰るだろう」


慌ててドアを閉めようとすると佐倉は店の前に出て走ってくる水嶋に駆け寄った。


普通に話せばいいのに…走る足に急ブレーキを掛けた水嶋を両手を広げて抱きとめた。


肩を押し返し「申し訳ありません」と口を開き掛けた水嶋の唇を指で押さえて「大丈夫」と笑った。


昼ドラかコントだろ。

若い男女でやってても浸りすぎだって笑える。


佐倉の印象は……もう只の危ない人……


恥ずかしくて粘っとした汗が額に浮いた。

その汗を舐めたらきっと練乳の味がする。


噎せるくらい甘い話声は聞いてるだけで半笑いになった。


「今日は帰れ、あいつはお前を心配しているだけだ、俺も我慢するから」

「でも失礼を……」

「帰れ……俺は心配無い……帰って……くれ」


俺「も」って何だ。水嶋は売り上げの心配しかしてない。


後はゴニョゴニョ言ってて聞き取れないが、成る程佐倉に言われれば水嶋は言いなりになる。暫くすると頭を深く下げて帰って行った。


振り返った佐倉は……本当に何なんだその湿った顔は……。


「何で泣くんですか……怖いんですけど…」

「三週間ぶりだったんだぞ…会いたくて顔が見たくて……仕事が手につかない程だったんだ」

「はあ…」


どこの誰の話だ。

佐倉の中の水嶋はキラキラ輝く光の中で「うふふ」と笑う女優ばりの美女に変換されてる。


例え本当に相手が美女だったとしても佐倉のキャラは謎でしか無い。


「佐倉さんって本当にワイズフードの局長なんですか?」

「それとこれに何の関係があるんだ、水嶋には金曜しか暇が無いって言われてて、その金曜も忙しいって言われて……それでも帰ってくるだろうとマンションに行ったら待っても待っても帰ってこないし…」

「ああ、やっぱり待ち伏せしてたんですね、無駄だからやめてくださいね。水嶋は俺の部屋に泊めてます」

「はあ?……お前……水嶋に手を出したな?」

「出してません」

「どこまでした?水嶋は慣れてないって言ったよな?まさか無理させたり……うわ…だからか…浮気したって悩んでるんだ……可愛そうに」

「いや……だから……」


話を聞いてくれ……


どうしてか佐倉のペースに乗せられて進めたい方向から会話が逸れていく。

数分話してきっぱり断り、さっさと帰るつもりだったのに、いつの間にか三角関係の泥沼劇にゲスト出演してる。


「やったのか?」

「やってません、俺はゲイじゃないです」

「水嶋と一緒にいれば誰だって惚れる。惚れてるだろ」


惚れてると言えばある意味惚れてる。でも今ここで正直に惚れてると言えば、彼方‪明後日‬の方向まで話が飛んでいく。


「そ……尊敬はしてます、時々腑抜けますが凄い人ですから」


「水嶋から手を引いてもらおう」

「だから普通に受け取れ、頼むから俺を巻き込むな」

「ふん、その様子じゃまだ大した事はさせてもらってないな?今のうちに手を引け、お前の為だ」

「手を引くも何も俺は水嶋の後輩です、しかも今二人で外回りをしているから離れるのは無理ですね、あんたから守る為にもマンションから遠ざけます。それはやめない」


「…それは戦線布告だな?そう取ったぞ」


「あんたとは言葉が通じないから諦めますけど宣戦布告に意義はありません」


「俺は水嶋のケツを守る、守ってみせ……」

バァンっと誰かの腕がテーブルの天板を叩きつけ、何が起こったのかわからなかった。


「え?…あれ?」


恥ずかしすぎる誓いを途中で遮られた佐倉と同時に、手の主を見上げると幻かドッキリか……知っている顔が怒りの形相でわなわなと震えてる。


「た……タカナシ?」


「江越……お前俺を揶揄って遊んでたのか?」

「お前…何でここに……」

「うるせえ!!お前な!男でも行けるんならそう言えよ!!俺がどれ程我慢してどれ程気を使ってどれ程苦しんだか!!」


また一人言葉の通じない相手が増えた。

親友の高梨に見えるのに知っているイメージと違う。


「高梨?……何言って…」

「どう聞いたってお前らの会話は一人の男を取り合う喧嘩だろうが!相手はあの水嶋だろ?偉そうで横暴で馬鹿でだらし無い!!あんな奴でもいいなら俺でもいいだろ!」


英語?


「どうした?どうした?お前いつからここにいるんだ」

「最初からいたよ!ずっといた!全部聞いてた!今度水嶋に会ったらぶっ飛ばす!」

「たたた高梨?」

高梨がどこから湧いて出たのか、何を怒っているのかよくわからなかったがマズイ事に佐倉が参戦した。

「お前が誰だか知らんが水嶋を悪く言うな!ぶっ飛ばしてみろ、仕事場まで押しかけてぶっ飛ばして返す!」


そして高梨も応戦した。最悪。


「あんたもあんただ!やり方がマズイから江越があんな奴に誘惑されてんだ!」

「高梨……誤解だ、落ち着け」

「やり方がマズいって何だ!お前見てたのか?知ってるのか?俺は丁寧且つ慎重に付き合ってる」

「怖がらせてるだろ!下手くそ!」

「高梨!佐倉さんも……」

「失礼な奴だな!おい!お前!彼氏がいるんじゃないか!二股か?あちこち手を出しやがって下衆はどっちだ!今後一切水嶋に関わるな!」

「彼氏じゃ…」

「江越が俺の彼氏ならこんな所で喚いてないわ!振られて振られてノンケならと諦めてたらこれだ!」

「そんなの知るか!人の恋人に手を出す暇があったら手近な奴と付き合えってこいつに言えよ!ヘタれ!」


何でこうなった?

何が悪かった?

何で高梨がこの店にいて謎の争いに参戦してる


「たたた高梨…」

「江越!お前あんな会社辞めろ!水嶋といるから色ボケしてるんだ!離れて俺といろ!こんな奴らに染まって汚されたくない!俺が養ってやる!このおっさんみたいに怖がらせたりしない!」

「おう付き合え付き合え!それでもう二度と水嶋をエロい目で見ないよう躾けろ!」


「……黙れ…」


「あんたこそ江越に色目を使うなって水嶋に言っとけ……」

「黙れ!黙れ黙れっ!!黙れっ!やめろっったらやめろ!」


手近にあったグラスの中身をぶちまけて床に叩きつけると……シンと一瞬の間静まり返った店内でどこからともなく「おお~~っ」と拍手が巻き起こった。


「江…」

「黙れ、高梨」

「おま…」

「佐倉さん、あんたも黙れ、二人共もう一言でも喋ったら殴る。それから今拍手をくれた人、騒いで悪いとは思ってますが酒の肴に盗み聞くな、わかったら二人共座れ」


うん、うん、と店中が頷き、こちらに向けていた椅子をガタガタと戻して座り直したが、店長を含めて全員の頬が緩んでる。


余程面白かったに違いない。

一見店の中はそれぞれの会話に戻ったように見えるが聞き耳を立てているのは間違い。


「二人共、口を開くなよ、取り敢えず俺の話を聞け」


佐倉と高梨もうん、うんと頷いているが納得はしていない。反撃の隙を与えればも一回同じ事の繰り返しだ。

テーブルでは吸い取りきれなかったウイスキーでお絞りが黄色くなってる。新たに溢れたもう一つのグラスの隣で溺れていた。


カラっからになった喉に潤いが欲しくてビールを注文すると、すぐに出て来た三つのグラスは一気に空いた。


「まずは佐倉局長、あなたが水嶋を好きで真面目な事はよーくわかりました。でもあの人が仕事の枷で遠慮しているのは本当なんです。好きな相手を思いやるなら突っ走らないでちゃんと本音を聞いてください」


「それから高梨、俺と水嶋さんは会社の先輩と後輩だ、俺は誰とも付き合ってないし今の所そんな予定は無い」


「最後は二人共に言う、ゲイを差別しないと言ったが区別はしてくれ、俺と水嶋さんはあんたらとは違う。もし同じベッドで裸になって寝ても何も起こらない。」


「裸で抱き合ってるのか?」

「裸でベッドに?」


裸でベッド…裸でベッド……観客の放つ木霊が波打ってる。


「例えだ!声を揃えて同じ事言わないでくれ、あんたら普通の俺達を巻き込まないでいっそゲイ同士で付き合えよ、丸く収まるだろう」


「お前……それは色々間違ってるぞ」


それはあり得ない事なのだ、と「ネコ」と「タチ」についての講義が始まった。ついでに「恋とは」と佐倉が振るう熱弁に、聞くなと釘を刺した店の客まで加わり……大論争。


結果。ゲイの知り合いがどっと増えてしまった。


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