第15話 ドクター怪人、土田マンティス・京二

「いやだ! 僕は手術なんて受けないぞ!」


「でもね、聡君。手術を受けないと君は歩けないままなのよ」


「ううっ……でも嫌だ! 手術は必ず成功する保証はないって聞いたよ! 手術に失敗したら、本当にサッカーができなくなってしまうもの!」


「聡君は、将来プロサッカー選手になりたいんでしょう? 今手術すれば後遺症も出ないから、サッカーもできるようになるわ。だから……」


「嫌だ! 嫌だ!」



 

 ここは、とある大学病院の小児科病棟。

 一人の少年が看護師の説得を聞き入れず、断固として手術を拒否していた。

 今手術すれば、彼は健常者と同じように歩けるようになり、将来の夢であったプロサッカー選手になることも不可能ではない。

 だがその手術は非常に難しく、成功率は半々と言われており、それを聞いてしまった聡少年は断固として手術を拒否するようになってしまったのだ。


 これには、担当の看護師も困ってしまった。


「聡君はサッカー選手になりたいのよね? それじゃあ、頑張って手術しないとね。サッカーができなくなっちゃうわよ」


「でも……嫌なんだ……手術が失敗したらもう一生歩けなくなるって聞いたもの」


 まったく、子供にそんな情報を流したのは誰なのだと看護師が内心憤っていると、そこに一人の若い医師が姿を見せた。


「土田先生」


「どうかしましたか? 佐倉さん」


「あのぅ……聡君が手術は嫌だって……」


 佐倉という名の若い女性看護師は、この土田という名の若い男性医者が聡少年の手術担当者だと知っていたので、ちょっと答えにくそうに言った。

 聡少年が、彼の腕前を疑っているという事実を伝えたくなかったからだ。


「聡君の不安はごもっとも。どんな人でも手術をするとなれば不安を感じて当然ですよ。聡君、ちょっと先生とお話しようか?」


「僕、手術は嫌だよ」


「そうだね、私が聡君と同じ立場だったら同じことを言うかもしれないね」


「先生でも?」


「私は怪人だけど、怪人も人間の一種だからね。病気もすれば怪我もするし、手術をする怪人もいるんだよ。治療や手術の甲斐もなく亡くなったり後遺症に悩まされる人もいる」


「そうなんだ」


 実は、この土田という医師は怪人であった。

 今の世には珍しくない、いわゆる兼業怪人なのだが、唯一医師との兼業という部分だけは珍しいかもしれない。

 彼のフルネームは、土田マンティス・京二(つちだ・まんてぃす・きょうじ)であり、彼はカマキリ型の怪人であった。

 ただ、カマキリとしての特徴は両腕の大きな鎌のみで、他は非常に爽やかな容姿を持つ好青年といった感じであった。

 彼はどんな患者にも優しく接し、頭脳明晰で技術力にも定評があり、よく手術担当者として指名を受けることが多かったのだ。

 聡少年の担当になったのも、元々成功率が半々だと言われている難しい手術なので、この病院の医院長が彼の腕前に賭けたという事情もあったのだ。


「まあ、怪人と医者を兼業している人は私くらいだけどね」


「先生は、お医者さんになるのが夢だったの?」


「そうだよ。先生は代々怪人の家に生まれてね。父や祖父は私に怪人になってほしかった。でも私は医者になりたかったからその夢を叶えたんだよ。聡君には夢はあるのかな?」


「僕はプロサッカー選手になりたい。でも……」


 手術は不安で、もし失敗したらという怖さもあると聡少年は語った。

 このままではサッカーができないことはわかっているが、もし手術に失敗してしまえば永遠にサッカーができなくなってしまう。

 だから手術が怖い、不安なのだと聡少年は語った。


「そうだね。手術は不安だよね。でも、聡君は手術しないとサッカーができないんだよ」


「そんなぁ」


「聡君、私を信じてくれないかな?」


「先生を?」


「そう、私をだ。聡君の足の手術が成功する確率は五十パーセント。私は、聡君を男だと見込んで嘘はつかないから」


「五十パーセント」


 半々で失敗してしまう。

 その事実をもう一度聞き、聡少年はガックリと肩を落としてしまった。


「でもね。この五十パーセントはいくらでも増やせるんだ」


「増やせるの? 先生」


「そうだよ。私は頑張って、手術の成功確率を七十パーセントにまで上げる。聡君が勇気を出して私を信じてくれたら、成功確率は九十パーセントまで上がるはずだ。だから、聡君も先生と一緒に頑張ろう」


「僕、プロサッカ―選手になれるかな?」


「なれるよ。手術さえ受ければね」


 土田の説得を聞き入れ、聡少年は難しい手術に挑んだ。

 勿論、執刀医は土田である。

 そして半年後……。




「先生、ありがとう。僕、サッカー選手になるよ」


「それは楽しみだね。もしJリーグに入ったら私を試合に招待してほしいな」


「絶対にプロサッカー選手になって、先生を試合に招待するからね」


「それは、今から楽しみだな」


「先生、本当にありがとうございました」


 土田による手術は無事成功し、聡少年は半年にも及ぶリハビリの後、無事退院することとなった。

 聡少年は将来必ずプロサッカー選手になると土田に約束し、彼もそれなら是非試合に招待してほししいと返す。

 難病を克服した少年と、彼の治療を成功させた若き天才医師。


 病院の医院長と聡少年の担当看護婦は、そんな二人を温かい気持ちで見つめていた。


「土田先生って、とてもいい方ですね。患者さんにとても人気がありますし、手術の腕前も凄いですし。でも、どうして正規雇用ではないのですか?」


「佐倉君、私は今も彼を正規の医師にしたいと心から願っているのだけどね。彼はお父さんとお祖父さんとの約束で怪人もやらなければならない。兼業だから、こうして我が病院にとって重要な手術の時に指名するしかないのさ」


「怪人ですか? 確かに 土田先生は怪人特性がありますけど、本当にヒーローと戦っているんですか?」


「そうらしい。私も、彼の怪人としての活動実績はよく知らないのだが……」


 度々怪人として仕事をするため、彼は正規採用を避けているのだと、医院長は看護師に説明した。


「あの優しい土田先生がですか? 怪人なんて、土田先生に一番適性がないようにも思えますけど……」


「私もそう思うけどね。できれば医師一本でやってほしいものだよ」


 楽しそうに話をする聡少年と土田を見ながら、医院長と看護師は彼が兼業怪人である事実こそが不自然だと話していた。


 そんな彼の怪人としての活動実績だが……。






「おらあぁ! クソ弱いヒーローだな! いつまでも転がってんるんじゃねえよ! ドタマかち割って脳味噌の色確認するぞ! おらぁ!」


「やめてぇーーー! もう勝負はついたでしょう?」


「うるせえぞ! このピンクアマ! 紅一点でチヤホヤされるだけしか取柄がないビッチが! 娼婦のような声を出してんじゃねえぞ! 戦いの場に出たら、怪人もヒーローも死ぬ覚悟ぐらいして当然だろうが! おらぁ! 動け、赤!」


「やめてぇーーー!」


「ゲームを始めまぁーーーす! この赤の頭に蹴りを入れ続けたら、メットが先に割れるか、赤の頭蓋骨がバラバラに砕けるか。さあ、そこで気絶している青も、黄色も、緑も、当たりそうな方に張った! 張った! 無理か」


「本当にやめてぇーーー!」 


「あーーーはっはっ! 人の悲鳴を聞くのは愉快だなぁ。死んだら、俺が司法解剖してやるぜ!」


「いやぁーーー!」






「いやあ、今日も土田さん絶好調ですね」


「こいつらが雑魚すぎるんだよ!」 


 怪人としての彼は、医師の時とは真逆で、その強さと残虐性で怪人業界では非常に有名な存在であった。

 これまで半殺しにして再起不能にしたヒーローは両手の指の数では収まらず、彼は怪人界のジキルとハイドと呼ばれ、同業の怪人たちからも恐れられていた。


 なお、怪人がハイドと呼ばれてもまったく不自然ではないという意見に関しては、それは確かにそうだなと思いつつ、そこは聞き流してほしいと願う次第である。




「はい。次は猪マックス・新太郎さんですね。ちょっと血圧が高いのと、中性脂肪の値がギリギリですかね。脂っこいものとお酒は控えた方がいいですよ。聴診器当てますね」


 この日、北見山中にある宇宙自然保護同盟の本部アジトでは健康診断が行われていた。

 昔の悪の組織では、『怪人が健康に注意するなんて格好悪い!』という風潮があり、不摂生な生活を続け、引退後すぐ体を壊し亡くなってしまう怪人があとを絶たなかった。

 そこで、最近のまともな悪の組織では、定期的に怪人の健康診断を行うことが推奨されていたのだ。


 当然福利厚生を重視する宇宙自然保護同盟でも毎年健康診断は行われており、今日がその日ということでファーマーマンとの戦いは中止となっていた。


 そして健康診断を担当する医師こそが、土田マンティス・京二その人であった。

 

「猪さん、娘さんもまだ小さいのですから節制も大切ですわよ」


「面目もない。ところで、土田先生は怪人でもありますよね。私も以前は都内で活動していたので噂はかねがね」


「いやあ、お恥ずかしい限りです」


「いえいえ、数多のヒーローを再起不能にしたと評判ですよ」


「猪マックスさんも、何人ものヒーローの全身の骨を、突進でバラバラにしたと評判でしたよ。実は研修医時代、負傷して運ばれてきたヒーローの処置をしたことがあるのです。あの全身の骨のバラバラ具合は芸術ですよ」


「いやあ、こちらこそお恥ずかしい限りです」


 相手は医師ということもあって、年下ながらも猪マックス・新太郎は彼に丁寧な口調で話しかけていた。


「ビューティー総統閣下が、この北見村を守るファーマーマンに対して新作戦を決行するそうで、それを手伝うために私は呼ばれたのです」


「戦力強化も必要ですから。できれば、土田先生には産業医兼怪人として正規に雇われてほしいところですが」


 医師としても怪人しても優秀な土田は、薫子から直接スカウトされるほどであった。


「申し訳ない。医師としての私は、最前線で治療が難しい怪我や病気で苦しむ患者さんたちを治療したいのです。健康診断の件は、せっかくなのでお引き受けしたわけでして」


 どうせ短期はいえ宇宙自然保護同盟に雇われるので、ついでと言うのはどうかと思うが、その間に健康診断の仕事も引き受けたのだと、土田は事情を説明した。


「私としましても、手間が省けて万々歳ですわ」


 薫子としても好都合だった。

 福利厚生を充実させたい彼女にとって怪人の健康診断は必須であったが、この北見村まで来てくれる医者がなかなか見つからなかったからだ。


「土田先生は、明日にでもファーマーマンと戦うわけですか」


「ええ、その前にもう一つ仕事がありますけど」


「もう一つですか?」


「実は、もう一件健康診断の仕事を頼まれていまして。ですから、ビューティー総統閣下も熊野さんも今日は健康診断を受けていませんから」


「ビューティー総統……もしかして……ですか?」


「その通りですわ。土田先生には北見高校の健康診断も引き受けていただいたのです。この村にいる診療所の先生は、小学校と中学校を回るのでお忙しいらしく、ちょっと相談を受けまして」


「いつの間に……と思ってしまいました」


「おーーーほっほ! これも私の支配力の賜物ですわ」


 事実は、薫子が金持ちのお嬢様なので頼めばなんとかしてくれるかもと、北見村の人間が駄目元で頼んでみたというのが真相であった。


「薫子ちゃんも私も、明日学校で健康診断だから今日はなしなの」


「ビューティー総統閣下と熊野さんはまだ若いから、そんなに色々検査しなくてもいいものね」


 もうすぐ三十のうえ、独身生活が長いせいか、血中コレステロール値の上昇で注意を受けた鴨フライ・翼丸は、若い二人を羨ましそうに見ていた。

 自分も十年前は健康だったのに……と思ったのだ。


「あーーーあ、俺は毎年医者から痩せろって言われるんだよなぁ……」


 肥満体系である穴熊スコップ・大地も、もう少し痩せましょうと土田から注意を受けてしまった。

 『そんなに簡単に痩せられたら、誰も苦労しないよ』と、本人は思っていたが。


「とにかく、世界征服への第一歩は怪人のみなさんが健康であることです。不健康ではヒーローと戦えませんから」


 悪の組織の怪人も健康が一番だと、薫子は最後にそう締めくくるのであった。





「……先生って怪人だよな?」


「はい、そうですよ」


「やっぱりそうなんだ……」


「とはいえ、この健康診断は私の医者としての仕事。手を抜くことはありませんよ」





 翌日、予定どおり北見高校でも健康診断があった。

 決められた測定や検査を行い、最後に聴診器診断というところで弘樹は気がついた。

 自分を担当する医者が怪人である事実を。


 両腕が鎌なので、気がつかないヒーローどころか人はいないと思うが。

 それにしても、両腕が鎌なのに器用に聴診器を使うんだなと、弘樹はどうでもいいことを思ってしまった。


「土田マンティス・京二と申します。はい、胸を出してください」


「いや……ちょっと抵抗あるわ……」


 無防備に胸を出した瞬間、両腕の鎌で攻撃されたら打つ手がないと弘樹は思ったのだ。


「私は怪人なので仕方がありませんが、今この瞬間、私は医者なので。私はいわゆる兼業怪人でして、医者としてこの高校の健康診断を引き受けた以上、怪人のように振る舞うことはしません。その辺の線分けはちゃんとしなければいけませんから」


「そこまで言うのなら……」


 弘樹は、素直に体操着をまくってお腹と胸を見せた。


「聴診器を当てますね。次は背中を見せてください。見事なまでの健康体ですね。それにさすがはヒーロー。よく鍛えてありますね」


 ヒーロー特性を持つ弘樹は、普通の人と比べて鍛錬の成果が出やすい。

 いわゆる細マッチョな体型をしているので、彼がその肉体を晒すと、クラスメイトたちから感嘆の声が上がった。


「すげえな、俺も鍛えてみようかな」


「中川、鍛えるっても、お前前に見て引いてたじゃないか。あんなのをやるんだぞ」


「えっ! マジで!」


 弘樹の小学校の頃からのクラスメイト……基本的にみんなそうだが……である中川達也は、小学校高学年の頃、たまたま目撃してしまった。

 彼が祖父である無敵斎と、実戦形式で修行をしているのを。

 そのあまりの凄惨な光景に、今でもたまに夢に見るくらいなのだから。


「あそこまでやらないと駄目なのか?」


「ボディーメイクなら今はネットでもやり方が載っているし、君は若いから同時にちょっと食事に注意すれば、ほどよく締まって筋肉も増えるはずだよ」


 医者の時は優しい土田は、達也に筋肉をつけるアドバイスを送った。


「本当ですか? 先生」


「毎日やらず、週に二回強度の筋トレをした方がいいみたいだね」


「ありがとうございます、やってみます」


 これで俺もムキムキだと、達也は幸せの絶頂にあった。

 勿論、ちゃんと言われた通りにやればの話だが。


「赤井君はまったく異常なしですね。白木君は、もう何年かすればもう少し状態がよくなると思うのですが……」


「本当に、お医者さんの時はいい人だね。土田先生は」


 弘樹のあとに診断を受けた健司が、彼の人柄のよさに感心していた。


「でも、今日の放課後に戦うけどな」


「その時は、容赦なく鎌で全身を切り裂いて、ドタマかち割ってやりますので」


「やっぱり、あんた怪人だわ」


 笑顔でお前の頭をかち割ると言われてしまった弘樹は、やっぱり彼は怪人なのだと、どこか納得してしまうのであった。




 男子の診断が終わると、今度は女子の問診と触診が行われた。


「先生、私も薫子ちゃんみたいにバインバインになりたいんですけど」


「……牛乳ですかね」


 学校での健康診断となった真美から、どうすれば自分も薫子みたいにナイスバディーになれるのか聞かれ、土田は困惑してしまった。

 一般的な食事を増やす……運動をする……のような方法で成果が出る可能性に自信を持てなかったからだ。

 とりあえず牛乳を飲めばいいとアドバイスした自分の軽率さに、土田は内心自分で駄目出しをしていた。


「牛乳なら、毎日一リットル飲んでるよ」


 飲んでるのにこの様だよと、真美は少し非難めいた口調で言った。


「……タンパク質ですかね」


「お肉? お魚? お豆腐?」


「バランスよくです」


「わかりました。よーーーし! まずは彩実ちゃんくらいから目指すぞ!」


「くらいからとか言うな!」


 真美の発言に、次に診断受けるべく彼女の後ろで待っていた彩実が抗議の声をあげた。


「私は普通ですよね? 普通ならヒロ君もそこまで気にしないはず……でも、瀬戸内さんはもの凄く胸が大きいし、瞳子さんもなかなかで。先生、男性は大きな胸の方が好きなのでしょうか?」


 なぜか彩実から一般男性の胸の好みについて聞かれ、土田はまたしても困惑してしまう。

 医師と怪人。

 どちらの知識と経験をもってしても、非常に答えにくい質問であったからだ。


「大きな胸は母性の象徴とも言われ、男性には多かれ少なかれマザコンの気がある人が多いので、やはり胸はあった方がいいという男性は多いと思います。逆の嗜好の方々も一定数いますが……」


 あくまでも一般論だと断ってからであったが、土田は自分はなにを言っているんだろうと思わずにいられなかった。

 同時に、北見村の住民侮りがたしと。


「先生は、さっきヒロ君の診断をしましたよね?」


「ヒロ君ですか?」


「うんとね、赤井弘樹君のことだよ」


 真美が、『ヒロ君』とは誰なのかを土田に説明した。


「ヒーローの彼ですか。健康診断でその人の胸の嗜好まではわからないのでなんとも言えません」


「そうですよね。なら、大は小を兼ねると言いますし、ここは胸を大きくする方向で行こうと思います」


「そうですか……」


 そんなこと、いちいち自分に宣言しなくても……と思いながらも、土田は、彩実の弘樹に対する純粋な恋慕の情に好感を覚えていた。

 同時に、そういえば自分は最近恋愛していないなとも。

 兼業で忙しい彼は、女性にモテないこともないのだが、逆にモテるからこそ、ついそういうことを後回しにしてしまうのだ。


「それで、胸を大きくするにはどうすれば?」


「タンパク質でしょうか……」


「お肉ですか? お魚ですか? お豆腐ですか?」


 前の子と同じ質問だな、同じ答えしか言えないのにと、土田は思ってしまった。


「バランスよくです」


「あのっ! もう一つ、お婆ちゃんもお母さんも胸がないんです! 私は大丈夫ですよね? 遺伝よりも栄養と環境ですよね?」


「……成長期にいかに必要な栄養が取れるかです。あと、胸筋を鍛えると土台がしっかりして形もよくなるかと……」


「なるほど!」


 代々貧乳なら、この目の前の女の子も期待薄な可能性が高かったが、病気の告知ならともかく、恋する乙女にこれ以上胸が大きくならないかもしれないという残酷な現実を伝えるのは、優しいモードになっている土田には非常に難しかった。


「私! ヒロ君のために頑張ります!」


「うわぁ、彩実ちゃん乙女だねぇ。私は弘樹君は全然好みじゃないけど」


「そうですわね、それ以前に怪人とヒーローはあり得ません。ロミオとジュリエットみたいなものですから」


 ロミオとジュリエットなら恋に落ちてしまうのでは?

 そう思わずにいられない土田であったが、相手は雇用主なのであえてなにも言わなかった。


「先生! 私にもアドバイスしてください!」


「私も!」


 若き医者で、好青年でもある土田は女子たちに大人気だった。

 健司がモテるのと同じく、若干玉の輿狙いの者がいなかったわけでもなかったが。

 そして彼は、健康診断よりも女子の美容相談の方が多いような気がした医者としての仕事を、なんとか無事に終えるのであった。





「ぐっ! やはり強いな、トマレッド!」


「白木君、体調が万全だと強いなぁ。ねえ、くーみん」


「クマ」


「えっそうなの?」


「真美、くーみんはなんと言っている?」


「『今日は法則的に、ダイホワイトはお休みだと思った』って」


「そう計算どおりにはいかないさ。だが……」




 今日も今日とて、猪戦闘員たちを率いて畑を荒そうとする猪マックス・新太郎と熊野真美は、それを事前に察知したトマレッド・ダイホワイトの二人と戦闘になり、畑には手を出せず、すでに敗北寸前であった。

 実は、北見村のお爺さんとお婆さんに人気がある真美が、自分のイメージを落とさないようにと、くーみんから助言を受けて襲撃時刻をわざとズラしたのだが、猪マックス・新太郎はまったく気がついていないので問題ないことにする。


 それよりも、敗北寸前の二人は今こそがチャンスだと思っていた。

 なにがチャンスなのかといえば、助っ人に呼んでいるカマキリ型怪人土田マンティス・京二を出現させるのに最適なタイミングというわけだ。


「いつもならここで敗退だが、今日の我々は違うぞ」


「今日は強力な助っ人怪人がいるもの。ねえ? くーみん」


「クマ」


「ああ、土田先生ね」


「医者であり怪人かぁ。芸は身を助くだね」


「健司、上手いことを言うな」


「でも、油断できないね。お医者さんってことは頭もいいから、どんな手でくるか」


「それはあるな」


 ひょっとしたら、思いもよらぬ手でこちらを攻撃してくるかもしれない。 

 弘樹と健司は、周囲にも警戒の網を広げた。


「やはり助っ人がいるといいな。戦術に幅が広がり、戦闘に派手さも出る」


 弘樹と健司の警戒ぶりを見て、定期的に助っ人怪人を呼ぶのも悪くないなと猪マックス・新太郎は思った。

 

「薫子ちゃんは、ちょっと心苦しいみたいだけど」


「怪人の格差問題か……」


 猪マックス・新太郎はため息をつきながら、正規職の怪人と、非正規職の怪人の待遇格差について考え込んでしまった。

 そういえば、自分も何年間か正規職の怪人になれず、助っ人怪人稼業で苦労した経験を思い出してしまったからだ。


 正規職の怪人になりたいのになれない怪人は多く、そんな彼らを都合よく安く使おうとする悪の組織。

 『ブラック悪の組織』というワードが業界流行語大賞に選ばれた年もあって、さらにヒーローの業界にも同じ問題があって、やはり『ブラック戦隊ヒーロー』なんてワードも出たりと、この問題は非常に根深いものとなっていた。


「土田先生は、お医者さんもしたい人だから呼んだんだよ」


「そういう人だから呼んだんだろうな。ビューティー総統閣下はお優しいから」


 現状、宇宙自然保護同盟ではこれ以上正社員待遇の怪人を増やせない。

 いくら瀬戸内コーポレーションの節税用に作られた関連会社という性質があるにしても、やはり予算には限りがあるからだ。

 

「普段は、私たちだけで回せるしね」


「いや、駄目なのがいるだろうが。ニホン鹿とか、穴熊とか。古株というだけで威張り腐りやがって」


「しょうがないよ。私もあまり好きじゃないけど、内向きの仕事には必要だって薫子ちゃんが言ってたし」


「それがそうなんだが……」


「弘樹君、どこの組織も色々とあるんだね」


「うちの場合、司令の瞳子さんしか正社員がいないけど」


「正社員っていうか、国家公務員だけどね。とてもそうは見えないけど」


 普段は、司令本部とは名ばかりの古民家に引き籠り、本当に最低限の仕事を最低限の時間でこなし、あとは彩実が作った料理やツマミを食べ、酒を飲んで寝てしまう。

 健司などは、よくあの人はクビにならないなと、本気で心配になってしまうのだ。


「おっと、お互い話がそれてしまったな。ではいよいよ登場だ! 土田マンティス・京二!」


「おうよ!」


 いよいよここで、助っ人怪土田マンティス・京二が現れた。

 弘樹も健司も、彼が先ほど学校で健康診断をしてくれた医者と同人物であることを確認する。


「赤と白か! どうせどちらも血まみれになるから色なんて関係ないがな!」


「えっ?」


「さっきの先生と同じ人?」


 外見はまったくの同人物だが、あまりの性格の違いに二人はただ驚くのみであった。


「俺は、仕事の区別はきっちりつける方なんでな! ヒーローは皆殺しだぜ!」


「とても同じ人とは思えないな……」


「二重人格なのかな?」


 弘樹も健司も思った。

 この人は、心療内科でカウンセリングを受けた方がいいのではないかと。

 これが医者の不養生なのか、とも思ってしまう。


「俺の鎌はよく切れるぜぇーーー!」


「そうなのか。じゃあ、気をつけるわ」


 そうでなくても安物のスーツで、しかもファーマーマンは予算不足。

 この前の宇宙怪人戦のあと、弘樹はスーツを新調することになったのはいいが、瞳子から『次は気をつけてくれ。くれぐれも注意してくれ』と、散々に注意されてしまったのを思い出してしまったからだ。 


「鎌でスーツが切られれでもしたら『この短期間でまたか?』と、瞳子さんに言われるに決まっている。余裕を持って避ける!」


 もう一つ、相手はカマキリ型の怪人にして医者でもある。

 メスなどの飛び道具がないか、弘樹と健司は大いに警戒していた。


「ふっ! 飛び道具に警戒しているのか? 赤よ」


「なっ! 読まれている!」


「安心しろ! 俺は飛び道具なんて使わないからな! だってそうだろう? この鎌でヒーローの体を切り裂く時の手ごたえが最高なんだからよぉ!」


「「……」」


 医者の時とは違って、怪人の時にはとてつもなく危ない奴だと二人は内心恐怖した。

 もはや『切り裂きジャック』だと。


「メスは、医者の時にしか使わないわけか」


「仕事の区別はきっちりつけるって言っていたから、怪人の時は使わないんだね」


「はっ、なにも事情を知らない生半可者どもが! 俺はそんな理由でメスを使わないわけじゃねえよ!」


「じゃあ、どうしてだよ?」

 

 弘樹は、医者でもあるはずの土田がどうしてメスを使わないのか、彼に問い質した。


「メスなんて切れ味が悪いだろうが! 俺は手術の時もこの鎌で患者の体を切るんだよ!」


「大丈夫なの? それ?」


 大きさとか、衛生面の問題があるんじゃないかと、健司は心配になってしまった。


「ちゃんと消毒してから手術するに決まってるだろうが! 医者の基本だ! ボケ!」


 ここで、少し説明しよう。

 土田マンティス・京二の両腕の鎌は、どんなに鋭利な刃物よりもよく切れるのだ。

 そのため、手術後の患部の治りが早いと、特に手術跡を気にする若い女性などから絶大な支持を得ていた。

 両腕が鎌なのにどうしてちゃんと手術できるのかとか、そういう細かいことを気にしてはいけない。 

 この物語の仕様である。


「もうお話はこれで終わりだ! さあ、お前らを切り裂くぜぇ! 若いからさぞや鮮やかな色の内臓が飛び散って綺麗だろうなぁ。お前らが倒れたあと、そのメットと頭を蹴り破って脳味噌の色も確認してやるぜぇ」


「危ない奴だな」


「お医者さんの時の彼を知っているから余計だよ。熊野さんとかドン引きしているし」


 医者の時と怪人の時とのあまりの落差に、真美は顔を青ざめさせて絶句していた。

 怪人でも驚くほどの性格の激変。

 それはある意味、土田マンティス・京二が一流の怪人である証拠かもしれない。


「まずは……右腕で赤、左腕で白を切り裂いてやるぜ!」


 土田マンティス・京二は、二人に向かって鎌を振りかざしながら全力で突進してきた。

 彼はスピードも一流であり、あっという間に双方の距離が縮まってしまう。


「これはヤバいな……健司! 合わせろ!」


「任せて、弘樹君」


 自分たちに向かってくる土田マンティス・京二に対し、弘樹と健司は共同で立ち向かうことにした。

 いわゆる合体技である。

 まだあまり練習できていないのだが、弘樹は健司の実力を信じていたので、今ここで使うことにしたのだ。


「いくぞ! 健司!」


「弘樹君、任せて!」


「「ファーマーマン! ダブル演武脚!」」


 土田マンティス・京二の鎌が二人の体を切り裂こうとする寸前、二人は上体を弓状に反らし、そのままバク転をしながら、足で彼の鎌を蹴り上げた。

 二人の攻撃によって土田マンティス・京二はその動きを完全に止められ、さらに鎌を蹴り上げられたられた勢いで上体ごと後ろに反り返り、胸元が完全に無防備になってしまう。


「「今だ!」」


 そこに、体制を立て直した弘樹のキックが右胸に、健司のキックが左胸に叩きつけられ、土田マンティス・京二は数十メートル後方の山肌に激突、半ば体をめり込ませた状態で気絶し、ここに彼の敗北が決定したのであった。


「「勝利だ!」」


 見事に合体技を決めは二人は、その場で勝利のポーズを決めた。


「怪人界でもかなりの強者と評判の土田でも駄目なのか……」


「猪さん、私、土田先生は怪人をやってほしくないんだけど」


「真美、それは本人の意志だから、俺にはなにも言えないぞ」


「でも、私は先生はお医者さんの方がいいな」


「奴は優しいから、父親と祖父の願いを聞き届けてだな……」


「そんなの親のエゴだよ! 私の両親は、私が怪人になりたいって言ったら、ちゃんと応援してくれたもの!」


「しかし、人様の家庭の問題に口を出すのもなぁ……それに、怪人としての才能がないわけではない。むしろ、怪人一本に絞った方がいいと俺は思う」


「えーーーっ! あんな土田先生やだよ」


 山肌にめり込んだ土田マンティス・京二を放置したまま、助っ人怪人の人選に問題があったのではないか、彼は怪人よりも医者としてのみ生きていく方がいいのではないか、いや逆に怪人としのみ生きていく方がいいはずだと、議論を始めてしまう猪マックス・新太郎と真美であった。


「クマ」


「……負けてしまいましたねぇ……ところで、体が動かないので救助してほしいのですが……」


「クマ」


「申し訳ないですね、くーみんさん」


 そして目を醒ました土田マンティス・京二を救助したのは、実は宇宙自然保護同盟でも1・2を争うほど頭がよく、同時に気遣いもできるくーみんであった。


「だからだ。奴はもう何人ものヒーローを撃破しているから」


「でも、お医者さんとしては優秀だから」


 肝心の猪マックス・新太郎と真美は、まだ永遠に決着がつかないであろう、土田マンティス・京二に適した職業について終わらない議論を続けるのであった。





「そうですねぇ……特に異常はないのですが、やはりお酒を控えた方がいいと思います。若い内はいいですけど、もう少し年齢を重ねると影響が出るかもしれませんから」


「太く短く生きるので問題ないです」


「あははっ、栗原さんは独特のお考えをお持ちなのですね。それと、もう少し塩分を控えた方が……こういう地域ですと、煮物・漬物など塩分が多い食事になりがちなので……」


「味が濃い方が美味しいので。それに摂取塩分量数グラムの差など、人間の体からすれば誤差の範囲ですから」


「あはは……」


「あれ? どうして土田先生がここにいるんですか?」


「げっ! 土田か!」


「ヒロ君、土田先生に失礼だよ」


「俺にとって、こいつは怪人だからいいんだよ」





 ファーマーマンと土田マンティス・京二マンティス・京二の戦闘が行われた翌日、今日は対決はないが一応司令本部に顔を出した弘樹と彩実は、居間で瞳子が土田から健康診断を受けている光景を目撃してしまった。


 昨日の今日なので、弘樹は彼に対し警戒感を露にしてしまう。


「赤井君、私の怪人としての仕事はもう終わりなんですよ。契約最後の一日は、栗原さんの健康診断で終わりです」


「土田先生、こっちの健康診断の仕事も引き受けていたんですか?」


「こういう場所だと、なるべくついでついでになってしまいますからね」


 元々、農林水産省佐城県北見村出張所自体が瞳子を島流しにするべく作られたところであり、それでも瞳子が辞めない以上、法律で決められた健康診断を受ける権利があった。

 農林水産省は、最初最寄りの町に彼女を呼び出そうとしたが、それをこの村でのヒキコモリ生活に慣れた彼女が拒否し、さてどうしようかと思ったところに、宇宙自然保護同盟が健康診断のために土田を呼び寄せるという噂を聞きつけ、ついでに彼女の健康診断も頼んだ。


 これが真相であった。


「栗原さんはお若いので特に異常はないのですが、運動不足、毎日の飲酒、塩辛いツマミ。将来に備えて少しでも節制していただけたらなと」


「人は死ぬ時には死にますから」


「あはは……」


「瞳子さん、結構頑固ですよね」


「彩実、私は己の信じるままに生きているだけだ」


「なんとでも言いようがあるんだなぁ」


 頑固な瞳子に呆れてしまう、弘樹と彩実。

 昨日に続き、土田は医師としても瞳子に敗北し、彼の三日間に及ぶ北見村生活は終了したのであった。

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