第9話 弘樹の一日
「瞳子さん、せめて武器を……むにゃむにゃ……」
「ヒロ君、寝言なら私の名前を出せばいいのに……ヒロ君、朝だよ」
佐城県北見村を活動拠点とする、新人ヒーロートマレッドこと赤川弘樹は高校一年生。
怪人との対決はほぼ放課後に行われ、その時間まではこの村の外れに一校だけ存在する、県立北見高校普通科に通っていた。
幼馴染である彩実も同じ高校に通っており、今日も弘樹が学校に遅刻しないよう、彩実が彼を起こしにきていた。
弘樹は姫野家の隣……これも田舎の宿命で、両家は数十メートルほど離れていたが……祖父無敵斎が所有する一軒家に一人暮らしで、姫野家に食事や洗濯でお世話になっている。
そして、寝起きが悪い弘樹を起こすのはいつも彩実の役目であった。
「ヒロ君、起きなさい」
「瞳子さん、ヒーローが自転車で駆けつけるなんて格好悪い……」
「確かに……」
寝言ながら一理あると思ったが、現時点で原付免許の取得が精一杯では乗り物の難しかろうと彩実は思った。
原付免許で扱える乗り物程度なら、ヒーロー体質で常人を遥かに超える身体能力がある弘樹なら自転車の方が圧倒的に速く怪人の元に駆けつけられるからだ。
ついでにいうと、その『原付免許で乗れる乗り物程度』ですら購入する予算がないのが、豊穣戦隊ファーマーマンの現実であった。
「ヒロ君! 起きなさい! 遅刻するよ!」
相変わらずの寝起きの悪さだと、彩実は弘樹の名を呼びながら強く揺さぶり始めた。
「ヒロ君!」
「えへへ……この前、瞳子さん、ノーブラだった」
弘樹も健全な男子高校生であり、寝言であるから仕方がないと言えばそれまでだが、聞かれた相手が悪かった。
彩実のコメカミに一瞬で青筋が走る。
「ヒロ君! 起きなさぁーーーい!」
「ふぁ? 彩実か……」
彩実の強烈な往復ビンタが炸裂し、弘樹はようやく目を覚ました。
彼女は全力で往復ビンタを連発したにも関わらず、弘樹はまだ半分寝ぼけている。
ヒーローである彼は、一般女性の往復ビンタ程度ではほとんどダメージを受けないので、当然と言えば当然であったが。
「ヒロ君、怪人に奇襲されるかもしれないから、もう少しちゃんと起きれるようになろうね」
「大丈夫。爺ちゃんの特訓で、敵からの殺気には敏感だから。彩実だから目が覚めないんだよ」
怪人が弘樹の寝起きを襲おうとしても、殺気により遠距離からでもわかってしまう。
逆にいうと、弘樹は彩実にまったく警戒していないとも言えた。
「(それって、どう捉えたらいいの? 私は敵じゃないからヒロ君はまったく警戒していないのよね? でももしかしたら、ヒロ君は私が好きだからいつも私に起こしてもらいたくて目が覚めないとか……。それは飛躍しすぎかな?)」
またいつものように彩実が思考の海に沈んでしまうが、その間に弘樹は完全に覚醒していた。
「彩実、早く飯食おうぜ」
「うっうん!」
「なんだ? また考え事か?」
弘樹は身支度をしてから、隣の姫野家に二人で向かう。
毎日彼の分の食事が用意されており、弘樹は必ず姫野家で食事を取った。
「おはよう、弘樹君。裕子と一馬さんだけど、やっぱり暫く戻ってこれないみたいよ」
「おはよう、姫野のおばさん。お袋と親父は昔からそうだから仕方ないよ」
彩実の母親彩也子が弘樹の分のご飯をよそいながら、弘樹の両親はまだ仕事が終わらないので村に戻って来れないと、自分が連絡を受けた旨を彼に伝えた。
彩也子と弘樹の母裕子は幼馴染同士なので、今でもお互いに連絡を絶やしておらず、なにかあれば必ず連絡を取り合う仲であった。
「ご両親が帰ってこないで、弘樹君は寂しいと思ったことはないのかな?」
両親が帰って来ないのに別段寂しそうには見えない弘樹に対し、彩実の父静雄が彼に問い質した。
「少しは寂しいと思うけど、中学に上がるまでは爺さんがいたし、今はみんながいるから」
弘樹の祖父無敵斎は、ヒーロー界では最後の伝説(レジェンド)と呼ばれている偉大なヒーローファイナルマンであった。
徐々に公官庁や大企業に雇われる紐付きヒーローが増えるなか、ファイナルマンはその隔絶した実力を生かし、常にフリーの立場を貫いている。
そんな彼は半ば引退状態にあったこともあり、仕事が忙しい娘に代わって孫の弘樹を中学生になるまで育てた。
北見村にある自分の実家をリフォームしてそこに住み、家事は苦手だったので大半を姫野家に頼んでいたが、時間があれば弘樹を鍛えた。
猪マックス・新太郎をして、弘樹が『C級ヒーローなのにあり得ない強さ』なのは、偉大な祖父の遺伝子と、彼のスパルタ教育の賜物であったのだ。
「そういえば、無敵斎の奴はインドでカレー食べながらヨガでもしているのか?」
弘樹と静雄の話に、彩実の祖父権一郎が加わってきた。
彼は無敵斎とは幼馴染の関係で、インドに出発して以来連絡がない友人が少し心配なのだ。
「お爺さん、インドと聞いてカレーとヨガしか思いつかなかったんですね」
「悪いか。みんな、そんなものだろう?」
彩実の祖母ふみの指摘に、権一郎は堂々と開き直った。
そして、みんなも同じじゃないかと言い返す。
「「「「「……」」」」」
確かに、インドといえばそれくらいしか思いつかない弘樹と姫野家の面々であった。
「ナマステ!」
彩実の弟である健太以外は。
「なあ、弘樹兄ちゃん。ヒーローになってから連勝だって聞いたぞ」
「まあな。あいつら弱いからな」
一撃ぶん殴るか、衝撃波を飛ばして大勝利というお手軽戦闘の連続だったため、弘樹は宇宙自然保護同盟を弱小組織だと思っていた。
実際は怪人の実力で言うと上位クラスの組織なのだが、如何せん弘樹は他の悪の組織について詳しくない。
悪の組織は沢山あると祖父無敵斎から聞いただけで、他の悪の組織のことをよく知らなかったのだ。
『ヒーローとは、ただ己が強ければいい。さすればどんな悪の組織にだって勝てるのだから』と祖父から教わっており、同時に他のヒーローのこともあまり気にしていなかった。
加えて、司令である瞳子もそれほど悪の組織やヒーローに詳しくなかったという事情もある。
弘樹を一人で出撃させても余裕で勝ってしまうので、彼女も最低限の仕事しかしていないからだ。
「でもさ、なんでこんな田舎で活動しているんだ? あの連中」
ヒーローも悪の組織も、その性格上主に都市部で活動することが多かった。
こんな過疎の村で活動する悪の組織なんて聞いたことがないと、健太は言う。
「宇宙自然保護同盟だから、自然が多い北見村なんじゃないか? よくわからないけど」
「そろそろ学校に行かないと遅刻よ」
彩也子に指摘され、弘樹、彩実、健太は学校へと出かけた。
健太は自転車で二十分ほどの距離にある北見中学校へ、弘樹と彩実は自転車で四十分ほどかかる北見高校へと通学するのだが……。
「ヒロ君、お願い」
「任せとけ。しっかりつかまってろよ」
二人乗りでも弘樹が全力で自転車を漕げば、十分ほどで到着してしまう。
田舎あるあるで、北見村の主要な道路はちゃんと舗装されているため、弘樹の漕ぐ自転車は悪路に邪魔されることなく、無事北見高校へと到着した。
スピード超過を咎める警察官も、この村には駐在所が一つしかないので、見つかることもほとんどなかったのだ。
「到着!」
「よう、赤川夫妻じゃねえか」
無事北見高校に到着した弘樹と彩実が一緒に教室に入ると、男子のクラスメイトが二人をからかった。
からかったというよりは、本当にいつも二人で一緒にいるので、彼は二人がつき合っていると思っているだけなのだが。
「誰が夫婦か!」
「まだ夫婦じゃないよ!」
二人の微妙にニュアンスの違うツッコミを軽く聞き流し、そのクラスメイトが話を続ける。
彼の名は中川達也。
同じ北見村の住民で、二人の小学校の頃からの知り合いだ。
というか、この高校に顔見知りではない生徒なんていない。
生徒全員が幼稚園から高校まで一緒であったし、北見高校は常に廃校の危機にあり、生徒数が極端に少ないからだ。
そのため、農業科と普通科があるにも関わらずクラスは各学年に一つしかなかった。
一年はA組のみで、人数も十七名しかいない。
弘樹は、よく廃校にならないものだとある意味感心していた。
「弘樹、今度転入生が来るんだってよ」
「それ、本当か?」
この北見高校に転入生など、まずあり得ないからだ。
逆に、やはり北見高校では就職や進学に不利だと気がつき、村外の高校に転校する生徒が必ず出るほどなのだから。
「しかも、時期はズレるらしいけど二人。さらに、二人とも女子らしい」
「へえ、珍しいな。どんな人たちなんだろう?」
「弘樹は興味持つな!」
「なんでだよ?」
「お前には、姫野がいるからいいだろうが!」
少し天然だが、可愛くて面倒見がいい彩実は男子に人気があったが、いつも弘樹の傍にいるので彼女を狙おうと考える者は皆無であった。
誰もが、彩実は弘樹の嫁だと思っていたからだ。
「……どんな奴か興味すら持っちゃいかんのか。それで、いつくるんだ?」
「三日後に一人来るみたいだな」
「変わっているなぁ……」
『こんな田舎になにをしに来るんだ?』と、弘樹は思ってしまった。
「おはよう、今日も全員いるな?」
話をしていると、教室に担任の男性教師佐藤和夫(三十六歳、独身)が姿を見せ、朝のHRをしてから授業が始まる。
「俺、普通科なんだけどなぁ……」
北見高校では、普通科でも農作業の授業がある。
これは農業科すら生徒数の減少が激しく、普通科に手伝ってもらわないと学校が所有する農地や家畜の管理が難しいからだ。
先生ですら予算不足が原因で削減されていたので、廃校を避けるため普通科の生徒たちも畑で汗を流した。
「週に五時間くらいだから文句言うなよ。俺ら農業科なんて、その三倍、他にも朝と放課後は農作業だぞ」
農業科の鈴木省吾が、農作業に愚痴を零す弘樹に文句を言う。
「お前、体力がズバ抜けているんだから、文句言わずに手伝え」
自分は普通科なのになと弘樹は思ったが、農作業をサボると単位が出ないので仕方がない。
当然普通の授業を受けて、時間はお昼になる。
「ヒロ君。はい、お弁当」
「サンキュー、いつもすまんな。彩実」
お昼の時間、弘樹は彩実が作ったお弁当を食べる。
『彼女の手作り弁当だと? 死ねや!』と、心の中で弘樹に対し呪詛の言葉を吐くクラスメイトたち無視して二人でお弁当を食べていると、そこに中川達也と鈴木省吾が学食で購入した食事を持って自分の席に座った。
「また野菜の煮物とおにぎり、味噌汁、タクワンかよ……肉とか贅沢は言わんが、せめて魚を出せ!」
「ある意味、これは女性による手作り……」
「いいなぁ、達也はなんでもポジティブに捉えられて」
「自分で言ってて空しくなった。あーーーあ、俺も弁当作ってくれるような彼女がほしいな」
北見高校の生徒の昼飯事情だが、当然近くにコンビニどころか商店すらない。
彩実からお弁当を作ってもらう弘樹は別として、家族からお弁当を作ってもらうか、家族総出の農作業で忙しい家は、校内にある食堂の食事を頼むしかなかった。
ただし、食堂には調理担当の稲盛トメさん(七十六歳)しかおらず、料理も彼女の好みに合わせて野菜料理とおにぎりしか出ない。
しかも、おにぎりの具は必ず彼女手作りの梅干しだ。
こうも同じメニューが続けば、さすがに二人も飽きてしまう。
「家族に作ってもらえば?」
「うち、みんな忙しいんだよ!」
鈴木家はなんとか農業を続けるため、耕作放棄された農地を借り、規模の拡大で乗りきろうとしていた。
人を雇うと金がかかるので家族が総出で農業をしており、格安の学食はありがたかったのだ。
中川家も共稼ぎなので、なかなか弁当を作ってもらえない。
学食を頼むと、少なくとも健康にいい食事が出るので、二人とも親にお弁当を頼みずらい、という事実も存在していた。
「学校の近くに、マックとかサイゼリアとかできないかな?」
「無茶言うなよ。省吾」
まず採算が取れないので、北見村にチェーン店なんてあり得ないと、達也は語った。
なにしろ、コンビニですらないのだから。
「肉がほしいな。弘樹、少し寄越せ」
「俺もだ! 弘樹!」
「いいけどよ」
弘樹はトマレッドとして多くの猪・ニホン鹿・鴨戦闘員たちを仕留めた。
倒された戦闘員たちは猟友会の方々によって解体、肉は販売されたが、功労者である弘樹には定期的に肉が渡されており、今日はそれを彩実が調理していたのだ。
弘樹は、多めの肉を二人に分けてやる。
「猪肉の生姜焼きか。美味いな。俺もヒーローになれたらなぁ……」
「女の子にキャーキャー言われるとか?」
「それはないな。今戦っている悪の組織って、畑ばかり襲撃しようとするからよぉ。女性客はいても婆さんばかりだぞ」
都会のヒーロ―とは違って、町中で戦闘になり、それを見ている若い女性に応援されるなど、この北見村ではまずあり得ないと、弘樹は達也に悲しい現実を教えてあげた。
「それに、悪の組織退治というよりも害獣駆除みたいな仕事だし」
戦闘員が人でなく猪、鴨、ニホン鹿だったので、どうも悪の組織と戦った実感が薄いのだと、弘樹は説明を続ける。
「そうか。畑にいる婆さん連中の応援をねぇ……」
それはやる気も薄れるなと、達也は自分視線の感想を述べた。
弘樹からすれば、ちゃんと人助けにはなっているし、お礼に畑の野菜を貰えるし、アルバイト代の他に害獣駆除の奨励金も貰える。
アルバイトとしてはそう悪い仕事ではないと思っていたのだが、それでもたまにはヒーローらしく戦いたいなと思わなくもなかった。
「人のためになるという意味では、怪人退治も害獣駆除も共通性があるとは言えるか」
「まったく違うと思うぞ」
ただ、それだけはクラスメイトたちに言っておきたい弘樹であった。
なお、彼がヒーローである事実は、これも田舎の性。
もうとっくに学校中に知れ渡っていた。
瞳子が、授業中に出動となったら公休扱いしてくれるよう学校側に交渉したので、教師たちから余計早く広がったという事実も存在していたのだが。
「ごちそうさん」
昼食が終わると午後の授業となり、それも終わると下校時間となる。
弘樹と彩実は共に帰宅部なのと、ファーマーマンの基地でアルバイトをしている。
今度は二人乗りの自転車を、瞳子がいる司令本部基地がある古民家へと走らせた。
「……もう起きる時間か?」
「瞳子さん、勤務開始時刻は午前九時でしたよね?」
「そうなんだが、別に誰かが見ているわけではないからな。怪人も出ていないから問題ない」
勤務をサボって午後まで寝ていたにも関わらず、問題はないと言い放つ瞳子。
弘樹も彩実も、絶対こんな大人にはなるまいと心に誓った。
「今日はなにを作りますか?」
「ご飯に合い、酒にも合うツマミなら何でもいい」
「はあ……」
彩実は台所で瞳子の夕食を作り始める。
どう考えても、戦隊ヒーロー基地の臨時職員の仕事ではないわけだが、それを気にしては終わりだと、彼女は料理に没頭する。
時給もいいので、文句を言っては罰が当たると思ったからだ。
「瞳子さん、酒瓶くらい片づけましょうよ」
「そのうちにな」
そのうちは永遠に来ないんだろうなと思いつつ、弘樹は自分の居場所を確保するために軽く片付けと掃除を始めた。
この4DKの基地の居間が一応基地司令室ということになっているが、ただの古い畳敷きの和室で、ゴミと酒瓶に埋もれた瞳子は下品に胡坐をかいて座っていた。
「瞳子さん、着替えませんか?」
瞳子は、就寝用の長いTシャツに、下半身はパンティー姿であった。
しかも、彼女が無警戒で胡坐をかくためパンツが見えており、男子高校生である弘樹には目の毒であった。
「あと二時間ほどで定時だ。面倒じゃないか。どうせ二時間後にはまたこの格好になるのだから」
「はあ……」
弘樹は、国家公務員とはもの凄いエリートがバリバリ仕事をしているようにイメージしていたが、瞳子を見ていたら『実は誰にでもできる仕事なのでは?』と勘違いしそうになってしまう。
「上司からなにも言われないんですか?」
「こんなところまで部下の仕事ぶりを監視しに来るほど、あのハゲは仕事熱心ではないからな」
上司をハゲって……。
相変わらずの毒舌ぶりだと、弘樹は思ってしまう。
「暫く人員の補充もないだろう。いや、永遠にないのか?」
「えっ! そうなんですか?」
弘樹は『もしかすると、この人って左遷されたんじゃ?』と思い始めた。
たまたま宇宙自然保護同盟が出現したからいいものの、この北見村にヒーローが必要だとは思えなかったからだ。
「瞳子さん、実は上司に嫌われています?」
「そうだな。私も嫌っているからお相子だな」
『それって本当にお相子か?』と、弘樹の頭の中は疑問で一杯になってしまった。
「これでも私は、東大法学部主席卒でな」
「超絶エリートじゃないですか!」
少なくとも、この北見村で東大に行った人物はほとんどいないはずだ。
下手をすると皆無であろう。
「とはいえ、別に努力したわけでもないからな。家に一番近い大学で通学が楽だったからだ」
そんな理由で東大に進学するなよと、弘樹は心の中で思った。
この世の中には、東大に行きたくても行けない人が多いのだからと。
「大学を卒業する前、私はどこが一番楽な仕事かと考えた。国家公務員は福利厚生がしっかりしているからな。財務省とか花形の役所は忙しそうなので、適当に農林水産省を選んだわけだ」
酷い志望動機もあったものだと弘樹は思った。
世の中には、入りたくても省庁に入れない人も沢山いる。
彼らに対する冒とくなのではないかと。
「なんとか無事に入省したわけだが、上司にセクハラ野郎がいてな」
酒の席で瞳子のお尻を触ろうとしたので、そいつの頭をぶん殴ったらカツラが取れてその上司がズラであることが判明してしまった。
それ以降、その上司に睨まれているのだと彼女は語る。
「生意気にも高価なカツラでわからなかったんだ。わかりやすいズラなら頭を叩かなかったんだがな」
「ズラでなくても、上司の頭を叩くのはやめた方がいいですよ」
「なんだ。珍しく常識的じゃないか。弘樹は」
「俺は常識的ですとも」
『少なくとも瞳子さんよりは』と、弘樹は心の中で思った。
「ハゲは意外とマメな奴でな……」
そんなセクハラ上司であったが、彼は省内でも出世頭であった。
瞳子によってズラを暴露された怒りはすさまじく……これまで秘密にしていたカツラがバレてしまったのだから当然とも言えたが……瞳子をただ左遷するためだけに北見村出張所を開設し、そこに彼女を押し込んだわけだ。
理由はくだらなくても、新しい出張所を作るだけの力量はあるので、その上司は国家公務員なだけはあるのだなと弘樹は思った。
「辛くて辞めるだろうと思ったのかもしれないな。実際、住めば都なわけだが」
「はあ……」
こうして税金・給料泥棒は完成したのかと、弘樹は内心で思った。
もう一つ、その上司は瞳子に嫌がらせをしているつもりなのに、肝心の本人は苦しむどころか、大いにこのサボリ生活を満喫している。
『瞳子さんに嫌がらせをするのって、実はかなり難しいのでは?』と弘樹は思ってしまうのだ。
「人に歴史アリだな」
「……」
そんなよそ様に自慢気に言うほどの歴史でもないと、弘樹は思ってしまった。
「あっそうだ。瞳子さん、お爺さんが鹿の肉でジャーキーを作ったんです」
「それはありがたい」
栗原瞳子の大好物。
それは酒と、酒に合うツマミであった。
「まだ酒は駄目ですよ」
「安心しろ。あと二時間で飲めるからな」
『その前に、六時間ほど仕事をサボっていたがな』と弘樹は思っていると、瞳子の携帯電話の着信音が鳴った。
「はい。……はい。…………はい。わかりました。すぐに出動させます。では……弘樹、怪人が出たぞ」
「あのぉ……この村の住民から通報を受けて出撃って、ヒーローらしくないですよ。特殊な怪人レーダーとかないんですか?」
「あるにはあるが、うちにそんな高価な装置が購入できると思うか?」
「いいえ……」
「では、そういうことだ」
確かにそれができたら、古民家をファーマーマン司令本部基地兼瞳子の住居にはしないよなと、弘樹も思ってしまう。
「ヒロ君、出撃。頑張ってね」
「ああ、任せとけ」
今日も出動がありかと思いながら、弘樹は自転車で瞳子から教わった怪人出現エリアまで自転車を走らせる。
弘樹はこの村で育ったので、迷子になることはなかった。
順調に自転車を飛ばしていく。
「他のヒーローみたいに、バイクとか車両とか、やっぱり欲しいよなぁ……」
勿論そんな予算は存在しないので、弘樹は懸命に自転車を漕ぐ。
その身体能力と合わさって、自転車は車並みのスピードを出していた。
「ヒロちゃん、怪人が出たよ」
現場に到着すると、野良着を着た老婆に声をかけられた。
弘樹はまだ変身しておらず、この村で弘樹のことを知らない人はいないうえ、この超少子高齢化が進んだ村の住民からすれば、高校生の弘樹などまだまだ子供。
『ヒロちゃん』と、完全に子供扱いであった。
「ヒロちゃん、早く赤いのを着て頑張ってね」
「はい……つうか、しょっぱなから正体が割れているヒーローってなんだろうな?」
「ヒロちゃん、この村でそれを言っても仕方がないよ」
「それを広瀬ばっちゃんが言うか?」
「男の子が、細かいことを気にしては駄目だって」
「なんか誤魔化されたような気分だな」
ヒーローの世界では正体が秘密だったりするケースが多いのだが、住民たちが某KGBも真っ青な諜報能力を有すると評判の田舎では、弘樹がファーマーマンである事実など簡単に漏れてしまっている。
瞳子があの様だし、金欠ヒーローであるファーマーマンは村の害獣駆除予算からも援助を受けているので、最初からその正体を隠すつもりもなかったわけだが。
「あーーーはっはっ! 我が穴熊戦闘員たちよ! この畑に植わっているネギを食べてしまうのだ!」
怪人が出現した畑に弘樹が向かうと、そこには体中に包帯を巻いた穴熊型の怪人穴熊スコップ・大地と、彼が率いる穴熊戦闘員たちの姿があった。
穴熊スコップ・大地は穴熊を従える力があるのだが、残念なことに戦闘力では猪やニホン鹿に遠く及ばない。
彼が宇宙自然保護同盟で四天王になれないのには、そんな理由も存在したのだ。
「えっ? 我々は穴熊だから、ネギは食べられない?」
畑に植わった作物を食い荒らすよう穴熊戦闘員たちに命じた穴熊スコップ・大地であったが、彼らから命令を拒否されてしまう。
自分たちは穴熊なので、刺激物であるネギは食べられないというのだ。
多くの野生動物にとって、ネギはご法度であった。
「犬や猫にネギをあげると、最悪死んでしまうだよ。気いつけねばなぁ」
ネギ農家である広瀬という老婆からの指摘に対し、穴熊戦闘員たちは激しく首を縦に振って彼女の同意した。
彼女は昔に犬を飼っていたから、大半の動物にネギはご法度だと知っていたのだ。
「お前は、相変わらず怪人として微妙だよな」
それをいうと、宇宙自然保護同盟自体が微妙なのだが、そこはあえて気にしないことにする弘樹であった。
「猪とか、鴨とか、ニホン鹿とか、一応四天王扱いの怪人を出せよ」
それでも、弘樹からすれば余裕で倒せてしまうのだが、目の前の穴熊よりはマシだと思ったのだ。
「相変わらずお前は、年上に対する敬意の欠片もないな」
「おいおい、怪人がヒーローにそれを求めるか?」
弘樹だって、普段はそういうことは多少気にする人間であったが、どうして自分を倒そうとする怪人が年上だからといって、敬意を払わなければいけないのだと思ってしまう。
「猪はいないのか? あいつなら、まだそこそこ強いからな。いなくて残念だ」
「猪マックスは、今日は有給を取っているから休みだ」
「はあ? 悪の組織って、有給とかあるのか?」
アルバイトヒーローである自分には、有給なんて一切存在しない。
なんて理不尽なんだと、弘樹は思ってしまう。
「クソっ! 瞳子さんに有給をくれって頼んでみようかな?」
「ヒロちゃん、無理だと思うけどなぁ」
「だよなぁ……」
弘樹は、瞳子のあのやる気のなさでは交渉するだけ無駄だと思ってしまった。
彼女自身は激務と評判の国家公務員なのだが、彼女の仕事はとても暇なので、有給の消化率は100パーセントであった。
せっかくの休みの日も部屋に籠って酒を飲んでいるので、弘樹には有休を取っているように見えなかったのだが。
そして瞳子を知る老婆も、彼女の生活態度とファーマーマンの待遇について、噂でよく知っていた。
この手の情報の拡散が早いのも、田舎あるあるである。
「待遇がちゃんとしている悪の組織って、似合わねえなぁ……」
「知るか! ビューティー総統閣下は『世界征服という目標を達成するには長い時間がかかるので、無理をしても仕方がない。休むことも世界征服への第一歩なのだ!』と仰られたのだ」
「いいなぁ。その総統閣下と瞳子さん、交換してくれないか?」
放課後しかアルバイトはないが、それでももう少し時給が上がればなと思わなくもない弘樹だが、瞳子に交渉しても『予算がない!』と言われてしまうのはわかったいた。
宇宙自然保護同盟の総統閣下が上司ならいいのにと、弘樹は思うのだ。
「お前、まがりなりにも戦隊ヒーローのリーダーが、司令に不満を持つってどうなんだよ?」
別に持ってもいいが、それをこれから対決する怪人に言うなよと、穴熊スコップ・大地は思ってしまった。
「せめてあと時給が五十円……三十円でもいいな。上がってくれたら、瞳子さんを心から尊敬するんだけどな」
「安っすい尊敬だな!」
穴熊スコップ・大地は、思わず弘樹に対しツッコミを入れてしまう。
「富山さんに聞いた猪さんは、今日はお休みだべか」
「ああ、奴はちょっと有給の消化率が悪くてな。子供も連れて奥さんの実家に遊びに行くそうだ。明々後日まではお休みだ。鴨は今日は出張で、先輩はいまだアジトの補修が終わらずだ」
他の四天王はともかく、ニホン鹿ダッシュ・走太はこの前彩実を誘拐したせいで、激怒した弘樹に破壊されたアジトの修理で時間を取られていた。
「というわけで、今日は私の出番だ! 穴熊戦闘員たちよ! 別にネギは食わなくてもいい! その畑を荒らしてしまうのだ!」
「おお、いいねぇ。このトマレッドとやろうってのかい?」
「お前、口調がヒーローじゃないぞ。まあいい。今日はトマレッドを打倒する作戦を練ってきたのだ! 集まれ! 穴熊戦闘員たちよ!」
穴熊スコップ・大地の呼び声で、穴熊戦闘員たちは一斉に集まり彼の体を完全に覆っていく。
その様子は、まるで強固な全身鎧を纏ったかのようであった。
「『穴熊アーマー三式』だ! いかにトマレッドでも、私にダメージを与えられまい!」
「パンチ!」
「あがっ!」
穴熊によって全身を守られているはずの穴熊スコップ・大地であったが、試しに弘樹がパンチを繰り出すと、命中箇所の防御を担当していた穴熊が逃げ出し、呆気なくトマレッドのパンチが彼の脇腹に食い込んだ。
穴熊スコップ・大地は、あまりの痛さに情けない声を出してしまう。
「こら! 避けるな! この箇所はお前の担当じゃないか!」
穴熊スコップ・大地は、自分をちゃんと防御しないで逃げてしまった穴熊戦闘員に文句を言った。
「なに? 『あのパンチが当たると痛い!』って? それでも、私を守るのがお前の仕事だろうが!」
「『ただの穴熊が、強固な鎧になるわけないじゃないか!』って? 例え、ここでお前が倒されても、最終的にトマレッドが倒せればいいんだ!」
「はあ? 『どうして、お前の手柄のために自分が痛い目に逢わなきゃいけないんだ?』って? 私は穴熊怪人だぞ! 穴熊なら、私に従うのは当然じゃないか!」
穴熊スコップ・大地は、トマレッドを完全に無視して穴熊戦闘員たちと口喧嘩を始めた。
穴熊戦闘員たちはいまだ彼を覆っている状態なので、傍から見ると穴熊スコップ・大地が一人で口喧嘩をしているようにも見え、一見危ない人と化していたが、トマレッドはとりあえず事態を見守ることにした。
ヒーローは、多少悪の組織側の事情にも配慮しなければならない。
瞳子からそう言われていたからだ。
「『怪我をしたら、手当は出るのか?』って? だから、それは出るからこういう技を考えたんだろうが! 宇宙自然保護同盟の就業規則をちゃんと読んでおけよ! 早く俺の体に巻きついて守れ! 『あいつが手加減しなければ、ただの穴熊である俺たちは死んでしまう』って? それは仕方がないじゃないか! 『俺ら、別に畑の作物を荒らさなくても生きていけるから、あんなチンピラヒーローと戦う理由がない?』それは、今さらだろうが!」
「不毛な言い争いだな」
「あの人、穴熊の怪人なのに、穴熊が言うことを聞かないんだか。きっと人望がないんだべ」
「そうだな。カリスマがあるタイプには見えないな」
「んだ」
トマレッドと老婆は、口喧嘩を続ける穴熊スコップ・大地達を見ながら話を始めた。
前に宇宙自然保護同盟のアジトを急襲した時、この穴熊怪人はニホン鹿ダッシュ・走太の腰巾着にしか見えなかった。
四天王ではないみたいで、奴に媚びて今の地位にあるのだろうなと、トマレッドは思ったのだ。
「瞳子さんが言っていたな。組織にはこういう腰巾着野郎が必ずいるって」
「テレビのドラマだとよくいるべな」
「そんな感じなんじゃないの?」
瞳子は本省にいた時、その手のタイプの人間を何人も見てきたのだと、トマレッドに話したことがあった。
高校生にするような話ではないような気もするが、高校生だからこそ知っておいた方がいいともいえ、とにかくこの世の中は色々と複雑なのだ。
「もし死んでも、奥さんや子供には保障がある! 『えっ? 穴熊にそんなのは必要ない?』ううっ……とにかく、今回は私の顔を立てろ!」
暫く言い争いが続いていたが、ようやく穴熊スコップ・大地は戦闘態勢に入った。
「あーーーはっはっ! 見るがいい! 穴熊の主たる……「思いっきり逆らわれてるじゃねえか」」
「こら! お前もヒーローなら、こういう定型のセリフに突っ込みを入れて邪魔するな! 今度、お前が名乗りをあげた時に邪魔するぞ!」
「それをやったら殺す」
弘樹は、指の関節をパキパキ鳴らし殺気を篭めてそう言い放った。
「ちゃんとやらないと、あとで瞳子さんがうるさいんだよ」
弘樹がちゃんとヒーローをやれているのかという疑問は残るが、最低限名乗りはちゃんとあげるようにと、瞳子から注意されていたのだ。
「……まあいい……とにかくだ! 我が配下たる穴熊たちが私の体をガッチリとガードして、お前の攻撃など通用せぬわ! そして、防御が固いということは、攻撃にも優れた能力を発揮するのだ! 食らえ! 『穴熊弾丸アターーーッーーーク!』」
「……キック」
穴熊戦闘員たちをアーマー代わりにて穴熊スコップ・大地が猛スピードで弘樹に突っ込んできたが、彼はそれを軽くかわしつつ、すかさずその横からヤクザ蹴りを入れた。
横合いから蹴られた穴熊スコップ・大地は、そのまま吹き飛ばされて畑の横の木に激突。
打ち所が悪かったようで、そのまま意識を失ってしまう。
ちなみに、穴熊戦闘員たちはアーマー状態を解除してそのまま逃げ出してしまった。
「悪は滅んだな。今日も出動でアルバイト代いただきだ」
「やったべな、ヒロちゃん」
「瞳子さん、時給どれくらいつけてくれるかな?」
「一時間がええところだべ」
「そんなものだよなぁ……」
「ヒロちゃんのおかげで畑の被害はゼロだったから、帰りにネギ持って帰れって。姫野さんによろしくな」
「ありがとう、広瀬のばっちゃん」
トマレッドはアルバイトヒーローなのだが、完璧な就業時間を把握するのは難しかった。
出動要請が出てから、タイムカードを押すということができないからだ。
そこで瞳子がある程度適当に決めている。
放課後の出動がメインで……というか、宇宙自然保護同盟側も弘樹に合わせて午後から夕方にしか出てこなくなった。
過疎化が進む北見村には街灯がほとんど存在せず、夜になると真っ暗になるし、宇宙自然保護同盟もアジトは北見村山中にあっても、怪人や戦闘員たちは隣町などから出勤している。
労務管理や福利厚生制度が整えられている宇宙自然保護同盟では、緊急事態でもなければ残業などまずあり得ないため、みんな夜になると家に帰ってしまう。
そのため、弘樹の活動時間は非常に短かった。
「今日も一時間稼働で九百円か。この村でバイトなんて農業手伝い以外にないし、時給もいいから贅沢は言えないけど、時給千円くらいにしてくれいかな?」
「ヒロちゃん、この村でそれは贅沢ってもんだべ」
「でもさぁ、日本でこんなに収入が低いヒーローっているのかね? 考えてもキリがねえ。お腹も空いたし、早く家に帰って飯にしよう」
弘樹はいつもように自転車を全力で飛ばし、本部基地のある屋敷で瞳子の食事を作っていた彩実を回収、その後は色々と話をしながら家路へと向かった。
そしてあとには、気絶したままの穴熊スコップ・大地が残された。
「あんた、これどうしようか?」
「弘樹君が放置しているから、放置でいいんじゃないのかな?」
「それもそうね」
「穴熊は美味いけど、穴熊の怪人なんて食えないべ」
「そうよね、広瀬さん」
「放置しておけば勝手に帰るべ」
無事ネギ畑が守られた広瀬という老婆も、隣の畑で作業していた老夫婦も、今日はもう農作業は終わりだと、気絶したままの穴熊スコップ・大地を残して帰宅する。
こうして今日も無事、北見村の平和は守られたのであった。
今日も無事勝利することができたトマレッドであったが、宇宙自然保護同盟が次にどんな手を打ってくるか不明である。
決して油断することなく、北見村の平和を守るのだ。
戦え! トマレッド!
頑張れ! トマレッド!
宇宙自然保護同盟を倒すその日まで!
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