第8話 彩実、さらわれる!

「おいっ! 熊野はどうした? ビューティー総統閣下がいらっしゃる前日に顔を出す予定だったよな? ビューティー総統閣下がこの秘密アジトにいらっしゃるのは明日なんだぞ!」


「知るか! そういうのはお前の管理だろうが! 普段は戦闘をしないんだから、せめてそっちの仕事はちゃんとやれよ!」


「うぬぬ……」


「なんだ? 俺は事実を指摘したまでだが、なにか不満でもあるのか?」





 ここは、佐城県北見村に隣接している、北見山のどこかにある宇宙自然保護同盟の本部アジトである。

 その内部において、ニホン鹿の怪人と猪の怪人が言い争いをしていた。

 仲の悪い二人が定期的に口喧嘩をするのは、この組織ではいつもの光景である。


 宇宙自然保護同盟四天王筆頭にして、現在移転したばかりの本部アジトを総統閣下の代わりに管理している古参の怪人ニホン鹿ダッシュ・走太。

 四天王次席にしてニホン鹿ダッシュ・走太以上の戦闘力を誇り、残り三人の外様四天王たちのまとめ役をしている猪マックス・新太郎。


 当然というのもおかしいが、この二人の仲がいいわけなかった。

 生え抜きと外様の争いは、ある意味日本的な組織における伝統芸であったからだ。


「あの女は! ビューティー総統閣下のご学友であることを鼻にかけおって!」


「ご学友って……あんたは、昭和初期の人間かな?」


「茶化すな! 鴨!」


「ちゃんと鴨フライ・翼丸って呼んでよ。あんたに省略されて呼ばれても構わないって、僕は思えないんだよねぇ……」


 二人の言い争いの場に、先日トマレッドに破れ、ようやく失った鴨戦闘員たちを集め終わった鴨フライ・翼丸も参戦する。

 当然彼は、同じ外様組のトップである猪マックス・新太郎の味方であった。

 大して強くもないのに、外様組に偉そうにする四天王筆頭に対し隔意があるというわけだ。


「四天王筆頭への敬意の欠片もないな」


「当然だね。基地の管理があると言い訳して、トマレッドと戦っていないじゃない。挙句に負けた僕たちを批判してさ。自分ならトマレッドに勝てるっての?」


「ビューティー総統閣下がこの本部アジトにいらっしゃったら、すぐにトマレッドと戦う予定だ。戦いには準備も必要なのでな。どこかの突進バカと一緒にしないでくれ」


 ニホン鹿ダッシュ・走太は、わかりやすく猪マックス・新太郎を見ながらそう言い放つ。

 彼が得意技である突進攻撃を簡単にかわされ、トマレッドの一撃で敗れたのをバカにしているのだ。

 所詮は、パワーだけの突撃バカだと。


「なんとでも言え。俺様が一撃で敗れたのなら、お前も一撃で敗れるだろうからな。お前のような貧弱な奴は、殴り殺されなければいいな」


 猪マックス・新太郎も、怪人としては非力な方でスピードがウリのニホン鹿ダッシュ・走太をバカにしていた。

 いくらスピードでかき乱しても、そんなに非力ではトマレッドにダメージを与えられないではないかと思っていたからだ。

 さらに言うと、鴨フライ・翼丸のように三次元で活動できるなどの特殊技能もないではないかと。


「ふんっ、誰とでも直接戦えばいいと思っている。所詮は猪だな。戦いには、優れた作戦と念入りな準備が必要なのだ」


「策士策に溺れるとも言うよな」


 ニホン鹿ダッシュ・走太と猪マックス・新太郎は、お互いに睨み合いながら火花を飛ばした。

 

「あのさぁ、熊野ちゃんの話はどうなったの?」


「そうだった。あの女、時間も守れないのか!」


 ニホン鹿ダッシュ・走太は猪マックス・新太郎との睨み合いをやめたが、今度は彼と同じ外様である四天王の末席、熊野なる人物について批判を始める。

 この人物も外様扱いなので、彼は『所詮ヘッドハンティングされた余所者は……』と批判しているのだ。


「熊野ちゃんはビューティー総統閣下の友達だから、引っ越し準備の手伝いとかをしているんじゃないの?」


「コネで四天王になった小娘が!」


 鴨フライ・翼丸としては、別にちょっとくらい彼女が遅れてこのアジトに来てもいいじゃないかと思っている。

 その前に、四天王筆頭であるお前がトマレッドと戦えばいいのだと。

 ところがニホン鹿ダッシュ・走太の方は、熊野なる怪人が総統閣下に取り入っているから、ここに来るのが遅れているのだという風に思っていた。


「真美がコネ? あいつは、純粋なパワーなら俺様をも凌駕する女だぞ。ビューティー総統閣下の友達だから四天王になれただなんて、とんだ見当違いだ。お前は、ビューティー総統閣下が人を見る目がないとでもいうのか?」


「そうは言っていない!」


 猪マックス・新太郎は、才能あふれる新人怪人熊野真美の実力を認めていた。

 これまで、自分とは経験の差で実力は互角という評価を得ているが、それもいつまでのことかと思っており、少なくとも口だけのニホン鹿ダッシュ・走太よりは怪人として評価していたのだ。


「そういえば、年功序列で四天王に筆頭になっている奴がいたよね。実力からいえば、末席が相応しいのにね」


 ただ長く組織にいるから四天王筆頭になれたのだと鴨フライ・翼丸から皮肉られたニホン鹿ダッシュ・走太は、鬼の形相で彼を睨みつけた。


「あれ? 怒っちゃった? でもさ、決まりで私闘は禁止だよ。それに、先にそっちが挑発してきたんだし」


「鴨のくせに!」


「ニホン鹿に言われたくないよ」


 鴨フライ・翼丸はいくつかの組織で実績がある猪マックス・新太郎は心から尊敬していたが、生え抜きだからという理由で四天王筆頭となり、外様組にいらぬ憎悪を抱くニホン鹿ダッシュ・走太は嫌いで、上司にも関わらず小バカにするような言動で彼を挑発することも多かった。


 それもあって、四天王外様組の三人は良好な関係を築けているという、皮肉な結果があったのだが。


「頭脳派を気取るなら、自分が動かなくてもトマレッドを倒せるってことだよね? 僕と猪マックスさんがいなくても、宇宙自然保護同盟にはお強い生え抜きの怪人様もいるじゃない。もしかして自信がないかな?」


「翼丸、やめろ」


「猪マックスさん、普段から口だけご立派で偉そうにしているから、たまには自分でやればいいんですよ」


「ふんっ! ならばやってやる」


「凄ぉーーーい、きっとトマレッドなんてイチコロだね」


 鴨フライ・翼丸は、ニホン鹿ダッシュ・走太への挑発が効いてニンマリと笑った。

 精々お手並み拝見というわけだ。


「しかしお前は、ビューティー総統閣下がこのアジトに来るまでここを離れられないだろう?」


「だからお前は猪なのだ。私が動かなくても、部下に命令を出せば済む問題だ。お手本を見せてやろう。トマレッドの命日は明日だ」


「そうかい。好きにすればいい」


 せっかく庇ってやったのに、それを無にしたニホン鹿ダッシュ・走太を、猪マックス・新太郎はさらに嫌いになってしまった。


「大言吐いた以上は、ちゃんと実績を示してよね」


「当たり前だ! 私はお前たちのようなミスはしない!」


 そんな簡単にトマレッドを倒せるものか。

 そう思ったが猪マックス・新太郎と鴨フライ・翼丸はそれを口に出さず、まずはお手並み拝見という態度を取るのであった。






「あーーーはっはっ! この俺が率いるニホン鹿軍団で、この白菜畑を食い尽してやるぜ!」


「せっかく初めての収穫なのに!」


「やめて! せっかくこの村で、子供の頃から夢だった農業を始めたのに!」


 今日も北見村において、非道な怪人によって罪もなき人々が酷い目に遭わされそうになっていた。


「そんなに大切な畑と作物なら、命がけで守るんだな。人間は腰抜けが多くて困るぜ」


「クソッ!」


「あなた。もしあなたが怪我をしたら、農業ができなくなってしまうわ。ここで畑と作物が駄目になっても、また頑張れば……」


「バーーーカ! 当然畑も滅茶滅茶にしてやるぜ!」


「そんな! あなたは鬼よ!」


「なんとでも言え。あーーー、愉快愉快。ニホン鹿戦闘員たちよ! まずは白菜を食べてしまえ!」


 怪人が、率いているニホン鹿たちに畑の白菜を食らい尽すように命令し、今にも白菜を食い千切られようとしたその時、ニホン鹿たちが吹き飛ばされた。

 なにも警戒していないところに不意打ちに近い形で強烈な一撃を食らったニホン鹿たちは、痙攣しながら地面に倒れている。


 これでは、暫く動けないであろう。


「何奴だ!」


「農業を志し、都内の食品加工会社を退職して白菜栽培を始めた石井さんと、夫の夢に賛同し、それを手伝う奥さんが丹精込めて育てた作物を荒らす悪党め! このトマレッドが許さないぞ!」


 相変わらず、この村の住民石井夫妻の情報に詳しいトマレッドであったが、何度も言うようであるが、これも田舎の宿命というやつである。


「またトマレッドか!」


「この村には他にヒーローがいないからな。仕方がない」


「そこは正直に答えなくてもいいかな」


 定型化されたやり取りがおかしくなるからと、小太りの怪人がトマレッドに注意した。


「またと言うが、俺はお前なんて知らんぞ。誰だ?」


「俺こそは、宇宙自然保護同盟の怪人穴熊スコップ・大地だ! 俺とニホン鹿戦闘員たちで、お前を倒してやる!」


 そう言うと、穴熊スコップ・大地は身構えた。

 彼はずんぐりむっくりとした体形で、確かにアナグマの顔をした怪人であった。

 北見山にはニホンアナグマも生息しているが、農作物に被害が出たという話は聞いたことがない。

 トマレッドは、彼の存在意義に疑問を持った。


「大体、お前はおかしい」


「なんだ? 藪から棒に! 俺のなにがおかしいのだ!」


 トマレッドからおかしいと言われた穴熊スコップ・大地は、声を荒げて反論した。


「お前、アナグマの怪人なのに、なぜニホン鹿を率いている?」


「怪人が戦闘員を率いてなにがおかしい! 猪の怪人なら戦闘員は猪、鴨の怪人なら率いる戦闘員は鴨という、お前の常識こそがおかしいのだ!」


 穴熊の怪人がニホン鹿を率いてはいけないという法はないと、穴熊スコップ・大地はトマレッドに言い返した。


「ニホン鹿の怪人はいないのか?」


「いるが、あの方はお忙しいのだ」


 ニホン鹿の怪人はいるのだなと、トマレッドは思った。


「あの方は、宇宙自然保護同盟を動かしているお方。お前のような木っ端C級ヒーローの相手をしている暇などないのだ!」


「出し惜しみか! ならば! トマレッドキック!」


 トマレッドが高速で蹴りを放つと、それだけで残りのニホン鹿戦闘員たちは残らず地面に倒れた。

 相変わらずの戦闘力と言えよう。


「弱いな。せめて人型の戦闘員を用意しろよ……」


 毎回野生動物ばかり退治させられて、『俺は猟師か!』とトマレッドは大いに不満を持っていたのだ。

 他のヒーローたちみたいに、人間型の怪人たちと派手なアクションシーンを演じたいと。


「我が組織は、自然環境を破壊する人間どもへの制裁が目的の組織、復讐は自然を奪われた彼ら自身が成すのが正しいのだ!」


「それで食肉にされていれば意味ないだろうが!」


 北見村では害獣の肉を有効活用できて万々歳なのだが、トマレッドも多少罪悪感がなくもなかった。

 そのため、宇宙自然保護同盟の戦い方に不満があったのだ。

 結局お前らも、動物たちを犠牲にしているではないかと。


「まあいい。あとはお前を倒せば……」


「さて、それができればいいな」


「どういう意味だ?」


 トマレッドは、穴熊スコップ・大地の発言に疑問を抱いた。


「我が上司は猪のように脳筋ではない。お前を倒すために策を弄したというわけだ。そういえば、お前には幼馴染がいたよな?」


「彩実に手を出したのか! 卑怯だぞ!」


「忘れていないか? 我々は悪の組織なのだ。そろそろかな?」


 穴熊スコップ・大地は、スマホを見ながら時間を確認する。





「買い物も終えたし、今日はなにを作ろうかな? ヒロ君、今日もなんでもいいって言うし……」


 村に一つしかない雑貨屋兼食料品店で買い物を済ませた彩実が夕食の支度をしようと家路を急いでいると、彼女の前に三頭のニホン鹿戦闘員たちが立ち塞がる。


「鹿? えっ! 急になんなの!」


 強引にニホン鹿の背中に乗せられた彩実は、そのまま北見山中へと連れ去られてしまうのであった。






「クソっ! 彩実に手を出すとは卑怯な!」


「勝てばいいのさ。それを猪の脳筋は、すぐに正面決戦をして戦闘員たちを損耗させやがって!」


 尊敬する先輩のみならず、自分まで年功序列の弊害だとバカにする猪マックス・新太郎たち外様組に対し、生え抜き組に属する穴熊スコップ・大地はいい感情を持っていなかった。

 だが、この作戦が上手くいけば自分への評価も変わる。

 四天王に入れるかもしれないと、穴熊スコップ・大地は夢を膨らませていた。


「さあ、トマレッド。貴様は動くなよ。俺になにかあれば人質がどうなるかわかるな?」


「……」


「さあて、どうやっていたぶってやろうかな?」


 これでトマレッドは自分に手を出せない。

 正直、戦闘ではトマレッドに勝てそうになかったが、人質を取る策でなら倒せる。

 これで自分をバカにした猪や鴨を見返せる。

 戦闘で勝利したわけではないが、自分たちは悪の組織だ。

 どんな方法でも勝てばいい。


 勝利が目前となった穴熊スコップ・大地は、今幸福の絶頂にあった。


「これで俺様が新しい四天王だぜ!」


「……彩実」


 自分の大切な人を悪の組織に攫われ、トマレッドに危機が迫りつつあった。






「あっ! 猪さんだ」


「「……」」


「見たか? 猪。頭ってのは、なにも頭突きに使うのだけではないのだ。中身を使わないとな」


 トマレッドの幼馴染、彩実の誘拐に成功したニホン鹿ダッシュ・走太は、今幸福の絶頂にあった。

 通常の戦闘ではトマレッドに勝てそうになかったが、この女が人質ならば、トマレッドは自分に手を出せない。

 あとは、無抵抗のトマレッドなぶり殺しにすればいいというわけだ。


 卑怯な戦法ではあるが、自分は悪の組織の怪人、卑怯と言われるのはむしろ本望である。

 今頃トマレッドは、後輩である穴熊スコップ・大地によって血祭りにあげられているはずだ。

 これで、実力と経験を兼ね揃えているからという理由で自分を蔑ろにする猪マックス・新太郎に対し優位に立てる。

 力のない鴨フライ・翼丸あたりを四天王から降格し、今回功績があった穴熊スコップ・大地が四天王に昇格すれば、外様の連中にばかりデカイ顔をさせないで済む。

 自分の、宇宙自然保護同盟におけるナンバー2の地位もこれで安泰。

 作戦が上手くいき、ニホン鹿ダッシュ・走太はご機嫌だった。


 その事実を教えてやったら、猪マックス・新太郎と鴨フライ・翼丸がなんとも言えない顔をしているのもよかった。

 自分に手柄をあげられて不満なのであろうと思う、ニホン鹿ダッシュ・走太であった。


「ビューティー総統閣下がいつ来られるかわからない。私は色々と忙しいのでな。その人質を預かっておけ。まさか逃がすとは思えないが、念のために言っておく。注意してくれよ」


 こんなこと、わざわざ幹部クラスの怪人にする注意事項とは思えない。

 あからさまな嫌味を二人に言い放ってから、ニホン鹿ダッシュ・走太は組織運営に必要な事務仕事に戻って行った。


「あいつ、バカなんじゃないのか?」


「いつも生え抜きって理由で威張っているけど、ここまで常識知らずとは思わなかったですね」


「まさかとは思ったが、生え抜きって案外常識に疎いんだな」


「宇宙自然保護同盟は、猪マックスさんが入るまで小さくてマイナーな組織でしたからね。末端の悪の組織なら知らないってこともなくもないですよ」


「そうかぁ……」


 ニホン鹿ダッシュ・走太がいなくなってから、猪マックス・新太郎と鴨フライ・翼丸は彼のしでかしたことに驚きを隠せないでいた。


「悪の組織だから、誘拐くらい当たり前なんじゃあ……」


「猪マックスさん。この子、凄いですね」


「ああ……」


 悪の組織に誘拐されたにも関わらず、彩実はいつもどおりで特に動揺した様子も見られない。

 猪マックス・新太郎は、彩実は相当に肝が据わっているか、もしくはかなりの天然なのであろうと思った。


「あのな、彩実ちゃん。我々は悪の組織で、ヒーローと常に激しい戦いを繰り広げている」


 『これまでの戦いって、激しかったのかな?』と、彩実はかなり疑問に思ってしまったが、それを口にすると話が進まないので、彼女は神妙な表情のまま猪マックス・新太郎の話を聞いていた。

 彩実が鹿戦闘員たちに誘拐されてもまったく動揺しなかったのは、これまで宇宙自然保護同盟が北見村に与えた被害が皆無に近かったからだ。


「その戦いは時に凄惨なものとなるが、ルールがないわけではない。法律で決まっているわけではないが、長年の慣習で『絶対にこれをしてはいけない』というものがあるのだ」


「ヨーロッパの慣習法みたいなものだね」


 鴨フライ・翼丸が補則をする。

 実は彼、かなり有名な大学の法学部卒で、宇宙自然保護同盟では一番のインテリであった。


「やってはいけないことですか?」


「ああ、怪人を含む悪の組織の構成員、ヒーローを含むこれが所属する組織の構成員。これ以外に手を出してはいけないんだ」


「そうなんですか……」


 実は、先日基地の臨時職員になりましたと言おうとしたが、考えてみたら土日・放課後だけのアルバイトで、業務内容は家事ができない瞳子の代わりに掃除、洗濯、料理をすることだ。

 ファーマーマン関連の仕事はまったくしていないので、彩実はあえてなにも言わなかった。


「例えば、俺には妻と子がいる。だが、ヒーローが俺の家族に手は出さない」


「はぁ……」


 ヒーローが怪人の家族に手を出すという光景が理解できないし、そんなことを目論む不法者がいるのかと彩実は疑問に思ってしまったが、猪マックス・新太郎の話は常識やモラルの面では間違っていないのだと、静かに彼の話を聞き続けた。


「つまり、彩実ちゃんに手を出すのは反則。まともな悪の組織なら、まずしないな」


「あれ? でも、たまに怪人がヒーローの関係者を誘拐して人質にとるってパターンありますよね?」


 子供の頃、テレビで見た戦隊ヒーロー物でのことだが、そんな話があったのを彩実は思い出した。

 あれは創作物だが、現実もそう違いはないはずだと。


「テレビや漫画だと今でもそういう話は定期的に入るが、現実のヒーローと怪人は違うんだ」


「ここ数年で、さらにタブーになりましたよね」


 猪マックス・新太郎の発言に、鴨フライ・翼丸も一言付け加えた。


「現実では禁止なんですか?」


「過去に色々とあってな……」


 猪マックス・新太郎は彩実に詳しい事情を説明し始める。


「バブル崩壊以降のことだ……」


 金余りのスポンサーから支援を受けていた多くのヒーローと怪人が廃業し、今度は一獲千金を目指した零細ヒーローと悪の組織が乱立し始めた。


「当然、多くのヒーローと怪人の質は落ちた。どうにか有名になろう、とにかく勝率を上げようと、その質の悪い怪人たちがヒーローの家族などを誘拐したんだ」


 人質がいれば勝利しやすく、家族や恋人などを人質にされたヒーローが苦悩する光景は絵になる。

 それゆえ、零細悪の組織ほどこの作戦を多用した。


「そんなに頻繁に攫われたら、ヒーローの家族も恋人も堪ったものじゃない。中には『ヒーローとつき合っていると怪人に誘拐されるから』という理由で恋人からフラれたり、親御さんから結婚を反対されたりしてな。それで、ヒーロー側から苦情が出たんだ」


 『頻繁に恋人や家族を誘拐するな!』と悪の組織側に抗議したわけだが、誘拐を頻発させている悪の組織は余裕がないところが多かったので、その抗議は無視されてしまった。


「そうしたら、ヒーロー側も激怒してしまってな。ちょうどヒーローも乱立状態だったから」


 とにかく勝率を上げて名を売ろうと考えた、質の悪いヒーローたちはこう考えた。

 『怪人の恋人や家族を誘拐して人質にすれば、怪人に簡単に勝てるじゃないか』と。


「もう滅茶滅茶ですね」


「そんなことがあって、悪の組織がヒーローの家族や恋人を誘拐するには、事前協議が必要になったんだ。あまりやりすぎると飽きらるってのもあるからな」


 事前協議したら、ヒーローの恋人や家族を誘拐する意味がないような……。

 内心、そう思ってしまう彩実であった。

 勿論口に出しては言わなかったが。


「とはいえ、最近ではそれすらよしとしないヒーローが大半になったな。『仕事とプライベートは別なので、家族を関わらせるな!』ってわけだ」


「世間からの批判もありますからね」


「批判ですか?」


「いわば非戦闘員に手を出しているわけで、印象はよくないよね。最近はテロとかも多いから、人権団体から苦情が来たんだよ。そういうところに抗議されると、政治家たちも動くから、当然警察も動くよね。警察はヒーロー関係者の誘拐事件増加に頭を痛めていたというのもある」

 

 彩実の質問に対し、鴨フライ・翼丸は詳しく説明した。


「そこで、誘拐される人を事前に用意するようになったわけだな。そういう人材派遣の会社があるんだよ」


「サクラなんですか?」


 怪人によって攫われて人質にされ、ヒーローに向かって叫んでいる若い女性がサクラだった。

 彩実はそれを知って驚くと同時に、『知らない方が幸せだったかもしれない』と思ってしまう。


「人質の人材派遣ですか……」


「人質は若い綺麗な女性の方が絵になるから、モデルとかタレントの卵とかがやっているそうだ。短時間で金になるから人気のアルバイトらしい」


「確かに、僕も前にいた組織で『サクラの人質』を呼んだことがありますけど、綺麗な人が来ましたね。あとで費用を聞いたら、結構いい金額でしたけど」


「金がかかった方が、安易な人質作戦を頻発しないからってのもあるんだ。金がない質の悪い悪の組織は無茶するからな」


 元々悪の組織って、世界征服などの無茶な目標に向かって邁進しているのでは?

 そう思ってしまう彩実であった。

 同時に、常に金がないと言っている瞳子に対し人質作戦を提案しても、絶対に聞き入れないであろうとも。


「ニホン鹿、生え抜きすぎてそういう常識を知らないんでしょうね。困った人だな」


 つまり、宇宙自然保護同盟が弱小組織だった頃の常識で活動しており、本当なら知らなければいけない常識を知らないのだと。

 普段生え抜きだと威張っていても所詮は世間知らずなのだと、鴨フライ・翼丸はニホン鹿ダッシュ・走太を批判した。


 長年一つ悪の組織にいて、そこが零細組織で教育も碌になされていないと、このようなことがたまに発生する。

 もし宇宙自然保護同盟の四天王筆頭がヒーローの家族を誘拐したなんて事実が他の組織に知られれば、当然宇宙自然保護同盟は大きな批判を受けることになるであろう。


「外様にケチつける癖に、こういう部分があるからアイツは駄目なんだ」


「世間知らずで無知なのが長所って、笑うしかないですね」


「まあいい。どうせ奴は莫大なペナルティーを払うことになる。彩実ちゃん、トマレッドが奴をぶちのめしたら一緒に帰ればいい」


「えーーーっ! それでいいんですか?」


 猪マックス・新太郎は、すぐにトマレッドがここのアジトを発見し、ニホン鹿ダッシュ・走太がボコボコにする未来を確信していた。

 彼が戦闘不能になったら、彩実はトマレッドと一緒に家に帰ればいいと言う。

 それはありがたいのだが、悪の組織の幹部怪人二人が、そんなことを認めていいのかと驚きを隠せなかったのだ。


「常識云々以前に、トマレッドはヤバイだろう」


「そうですよね。あれでデビューして半月ほどのC級ヒーローなんて反則ですよ」


 トマレッドに瞬殺された二人は、彼の戦闘能力の高さを認めていた。

 もしそんな彼を激怒させてしまえば……。

 二人は明確に、ニホン鹿ダッシュ・走太の悲惨な最期が予想できたのだ。


「あのぅ……ヒーローに等級なんてあるんですか?」


「あるよ。怪人にもある。ヒーローも怪人も、デビューしてまずはC級から始める」


 三年から五年頑張れば、あまり才能がない怪人でもヒーローでもB級には上がれる。

 

「B級に必要なのは経験が主だ。どんなに駄目な奴でも、五年もやっていれば自動的にB級になれる。才能がある奴は数か月でB級だな」


「怪人もヒーローも、B級に上がる過程は同じだね」


「そうなんですか」


 二人の説明を聞き、彩実は勉強になるなと思った。

 考えてみたら、弘樹がヒーローデビューしなければ、この北見村にいる限りヒーローや怪人と縁なんてなかったのだから。


「B級にも、ただ年数いてB級になったのと、A級になれそうなB級じゃあ扱いが違うけど」


「猪マックスさんは、A級に近いですよね」


「へーーーっ、猪さんって凄いんですね」


 もうすぐA級になれる。

 具体的にどの程度凄いのかわからなかったが、彩実は漠然とだが猪マックス・新太郎は凄いと思った。


「A級になれば、組織での待遇も変わるからな。ここは頑張ってA級に上がりたいところだ。妻も二人目の子供がほしいと言っているし、娘が習い事をしたいと言ったら行かせてやりたいしな。将来大学への進学や留学したいって言うかもしれないか。怪人として生きていく以上、俺様も頑張らねば」


「猪マックスさん、奥さんとお子さんに優しいですね」


「新人怪人の頃は、俺様も家族なんて必要ないと思ってたさ。翼丸も、あと三年も頑張ればA級になれるだろう。結婚とか考えとけよ」


「僕は独身主義ですから」


「家族っていいものだと思うけどな」


「……」


 二人の会話を聞く、彩実は怪人も社会人とそれほど違わないんだなと思った。

 それと、素直に猪マックス・新太郎が羨ましいとも。

 自分も弘樹と結婚して、子供が生まれたらとか、つい考えてしまう。

 彩実は、意外と古い価値観を持つ女性なのだ。


「話を戻すが、俺もここに来るまでは都内でA級ヒーロー、それも戦隊五人組と戦っていたんだ。相手は主に都内で活動している、資金力が豊富で有名な戦隊ヒーローだった。当然、装備もバックアップ体勢も優れている」


「猪マックスさん、都内で戦っていた時には単独でしたよね?」


「都内で猪戦闘員たちは使えないからな。今にして思えばかなり不利な条件だったと思うんだが、それでもほぼ互角に戦えていたんだよ」


「猪マックスさん、単体戦闘力では日本で二十位以内に入る怪人ですから。僕もここで一緒になる前に関東圏の組織で怪人をしていましたけど、猪マックスさんの強さは有名でしたよ」


 そんなに強い怪人なのに、トマレッドと戦うと瞬殺されてしまう。

 彩実は、もしかして弘樹が尋常でないほど強いのではないかと思い始めた。


「ヒロ君、強いんですか?」


「そうなんだ。奴は尋常じゃないほど強い。俺の上司はいまいち理解できていないようだが」


「まあ、現場とこの本部アジトの事務室との間には距離があるんでしょうね」


 どこの組織でも、指揮をする上層部と現場組とでは、現状に対する認識に大きな差があるのだなと彩実は思ってしまった。


「なんだろうな。いつの間にか距離を縮められて殴られている。その一撃が尋常ではないほど重たいんだ」


「無造作に飛ばす衝撃波もヤバイですよね。気がつけば意識を失っていますから」


 二人は、トマレッドに瞬殺された時のことを思い出していた。

 あそこまで強いと、ちょっとやそっとの対策では勝利できない。

 今の時点で再戦は危険だと判断していたのだ。


「そういうわけで、俺様は予言する。ニホン鹿ダッシュ・走太は呆気なく敗れるはずだ」


 ましてや、ニホン鹿ダッシュ・走太は二人よりも戦闘力が低いのだ。

 トマレッドと戦っても、勝ち目などまずあり得ないと。


「それまではお休みですね。姫野さん、羊羹いる? 隣の町で買ってきたんだ」


「隣町……『諏訪野』の羊羹ですか?」


「さすがは地元の人、よく知ってるね」


 諏訪野は、北見村の隣町にある老舗の和菓子屋であった。

 テレビや雑誌で何度も紹介されるお店で、特に羊羹が美味しいと評判であったが、お値段が高いので滅多に食べられるものではなかった。


「高いものなのに、いいんですか?」


「いいのいいの。どうせ経費で落ちるから。お茶を淹れようかな」


「私が淹れますね」


「いいね。僕もお茶は淹れられるけど、たまには女性が淹れたお茶もいい。猪マックスさんは奥さんが淹れてくれるけど」


「そう思うのなら、早く結婚するんだな」


「またまた、僕は独身主義ですから」


「それなら、自炊くらいちゃんとしろよ」


「お野菜をちゃんと食べないと駄目ですよ」


「姫野さんは、僕のお袋みたいなことを言うなぁ……」


 トマレッドがこのアジトに攻め寄せてくるまで、三人は羊羹とお茶を楽しみながら色々な話に興じるのであった。





 三人が宇宙自然保護同盟の経費で購入した羊羹とお茶を楽しんでいる頃、ニホン鹿ダッシュ・走太は事務室で書類仕事をしながら穴熊スコップ・大地の帰りを、今か今かと待ちわびていた。

 彼が、人質いるため手を出せないトマレッドを見事倒すことに成功したと確信していたからだ。


「大地は四天王に昇格だ。序列は末席で、鴨を四天王から落とせば……。反発が大きいかな? 四天王で五人とか珍しくはないか。ならば、他の生え抜きの怪人たちも功績次第で昇格させることが可能か? 最悪、あとで八人衆に名前を変更しても構うまい」


 ニホン鹿ダッシュ・走太が将来の組織編制について考えていると、突然部屋正面の壁が爆音と共に粉々に吹き飛んだ。


「なっ! 厚さ三メートルの壁が!」


 北見山にある本部アジトは地下要塞であり、その防御力は非常に高い。

 その防御を担うコンクリート壁が粉々にされてしまい、ニホン鹿ダッシュ・走太は口をあんぐりとさせながらその場に立ち尽くしてしまった。

 粉々になったコンクリートが煙幕のように周囲を漂い彼の視線を奪ったが、それが晴れると穴が開いた壁のある場所に一人の男が立っていた。


 いや、一人のヒーローが立っていた。

 ボロボロの雑巾のようなもの右手に持ちながら。


「貴様! 何者だ?」


「おいおい、わざわざ卑怯な策まで用いて俺を倒そうとした奴が、その標的をご存じないとはいい度胸だな。エリート様は、我々下々の連中とは違うってか?」


「まさか……」


「そうだ。俺はトマレッドだ!」


 随分と態度が荒々しかったが、幼馴染を誘拐された弘樹の怒りは頂点に達していたから当然であった。


「彩実は無傷だろうな?」


「お前にそれを教えるつもりなどない! 人質がいるのに、このアジトに押しかけるとはな! それにしても、よく居場所がわかったじゃないか」


「簡単だろう。ここを工事した井山のおじさんに聞いたからな」


「すでに、このアジトの場所が漏れているだと!」


 考えてみれば、至極当たり前の話である。

 宇宙自然保護同盟がこの北見山に新アジトを建設した時、その工事を請け負ったのは都内の大手ゼネコンでも、下請け・孫請けの建設会社で実際に工事したのは、北見村の村民たちであった。

 田舎あるある。

 農閑期に工事のアルバイトをする住民は多い。


 そんなわけで、こんな山奥の地下に巨大なアジトを誰にもバレずに作れるはずがなかった。

 それなら自分たちだけで工事すればいいのだが、怪人に工事スキルがある者は少ない。

 少なくとも、宇宙自然保護同盟には一人もいなかった。


「クソぉ!」


「ちょっと考えればわかるだろうが。それとも、こいつが喋ったと思ったか?」


 トマレッドが片手で持っていたボロ布のような物体は、人質のおかげでトマレッドが手を出せないと勘違いし、彼を盛大に挑発してその怒りを買った穴熊スコップ・大地であった。


「この野郎、アジトの位置を吐かないから、調べるのに少し時間がかかったぜ」


「ニホン鹿戦闘員たちは?」


「今頃、うちの猟友会の連中が解体してる」


 この害獣に悩む過疎の村において、野生動物を戦闘員として使えばどうなるのか?

 逃がすなど論外で、倒されれば猟友会に渡されて解体されてしまう。

 解体されたニホン鹿の肉は、村の人間たちにお裾分けされたり、ジビエ肉として販売されたり、ふるさと納税に返礼品にされたり、有効活用されてしまうというわけだ。


 ニホン鹿ダッシュ・走太は、後輩に戦闘指揮を任せたニホン鹿戦闘員たちをすべて失い、また一から集めなければいけなくなった。

 

「私の部下をーーー!」


「知るか。それよりも、彩実は無事だろうな?」


「ふんっ! お前がいくら気にしても、それを教えるわけがない……っがはっ!」


 わざと彩実の居場所を教えず、トマレッドの心の動揺を誘おうとしたニホン鹿ダッシュ・走太であったが、それは逆効果であった。

 ニホン鹿の怪人として組織一俊敏なはずの自分が、わけもわからぬうちにトマレッドからネックハンキングされていたからだ。


「コラ……。ワタシニナニカアレバ、オンナノミガ……」


 呼吸すら厳しい状態で、ニホン鹿ダッシュ・走太はその手を離せと要求した。

 彩実の身がどうなってもいいのかと。


「彩実になにかあったら、お前にも同じ苦しみを味合わせる。クソ鹿! 俺は彩実を開放しろと言っているんだ! 真っ当な勝負なら、いつでも受けてやる!」


 弘樹も瞳子からヒーローと怪人の戦闘ルールについて聞いており、彩実を人質にしたニホン鹿ダッシュ・走太に激怒していた。


「そのまま喉を潰すか?」


「オマエハ、ホントウニヒーローカ?」


「そうだがどうかしたか? 彩実を開放しないと、その首をへし折るぞ!」


 とてもヒーローとは思えないトマレッドの言動に、ニホン鹿ダッシュ・走太は交渉は不可能だと判断した。


「アソコノドアヲデレバ……」


 結局、ニホン鹿ダッシュ・走太はトマレッドに一撃も攻撃を当てられないところか、一方的にネックハンキングで吊るされてしまい、無様な敗北を喫することとなってしまうのであった。






「……」


 なお、トマレッドに袋叩きにされたボロボロの穴熊スコップ・大地はいまだ目を覚まさない。






「こらぁ! 彩実を出せ!」


 驚異的な力を持つ片腕でニホン鹿ダッシュ・走太を吊るしながら、トマレッドは彩実のいる部屋のドアを蹴りで叩き壊した。

 大切な幼馴染を誘拐されたので仕方がないといえばそれまでだが、完全にその言動は悪の組織の怪人そのものであった。


「ドアダイ……」


「てめえがルール破りしなければ防げた損失だ! 悪党がごちゃごちゃ抜かすな!」


「ハイ……」


「もう来たのか」


「猪?」


「僕もいますけどね」


「鴨か」


「ヒロ君、迎えに来てくれてありがとう」


 弘樹は彩実が縛られ、最悪拷問でもされているのではないかと心配で仕方がなかったのだが、彼女は猪マックス・新太郎と鴨フライ・翼丸と一緒に楽しそうにお茶を飲んでいた。


「あれ?」


「トマレッド、俺たちは最低限のルールは守るぞ。そこの世間知らずのニホン鹿が暴走しただけだ」


 騒ぎを大きくしやがってと、猪マックス・新太郎はニホン鹿ダッシュ・走太に侮蔑の視線を向けた。


「イノシシメ……トマレッドニコビテ……」


「ああ言えばこう言うだね。じゃあ、姫野さんを人質に取ってイタズラするかな」


 そう言いながら、鴨フライ・翼丸がニヤリと笑う。

 もしそんなことをすれば、ニホン鹿ダッシュ・走太はトマレッドによって凄惨な報復を受ける。

 当然ニホン鹿ダッシュ・走太もそれは理解しているから、彼が自分を犠牲にトマレッドを倒せなんて口が裂けても言わないことを理解し、わざとそう言ったのだ。


「総統閣下には、ニホン鹿さんはトマレッド打倒の礎になったと報告しておくから」


「マテ……」


 すでに息が詰まりそうなニホン鹿ダッシュ・走太は、自分を開放しろと心の中で思いつつ、猪マックス・新太郎と鴨フライ・翼丸に『そこは察しろよ!』という表情を向けた。

 自分は四天王筆頭で、自分がいなくなれば総統閣下がここに来るまで誰がアジトの維持管理を行うのかと。


 勝手にルール無視の作戦を実行し、トマレッドの怒りによって捕らわれの身となったにも関わらず、自分は死にたくないと心から思っている。

 そんな残念な人物なので、猪マックス・新太郎は完全にあきれ果てていた。


「で? こいつはこのまま首をネジ切っていいのか?」


「ッーーー!」


 こいつならやりかねない!

 ニホン鹿ダッシュ・走太は、恐怖のあまり声も出なくなってしまった。


「別に俺様は構わないが、こちらにも人質がいる。このまま交換といかないか?」


「交換か……まあ、いいだろう」


 こんなクズ野郎はいつでも始末できる。

 トマレッドは、彩実とニホン鹿ダッシュ・走太の人質交換を了承した。

 ニホン鹿ダッシュ・走太は『助かった!』とばかり安堵の表情を浮かべている。


「(こんな奴、死んでもいいんだが……)」


 猪マックス・新太郎がニホン鹿ダッシュ・走太を救った理由。

 それは、ここで彼に死なれるとアジト管理などの面倒な仕事が回ってくるし、今までトマレッドに惨敗した自分たちに散々文句を言っていたが、自身は本部アジトに乗り込まれるという大失態を犯した。


 これで少しは大人しくなるであろうと思ったのだ。


「こんな鹿野郎と彩実が同等ってのは気に入らんが……」


「まあまあ、姫野さん。これ、お土産ね」


「諏訪野の羊羹ですか。ありがとうございます」


 鴨フライ・翼丸は、彩実に経費で購入した高級羊羹をお土産として渡した。

 高級羊羹の分人質の価値を下げられたニホン鹿ダッシュ・走太は不満そうであったが、どうせ文句を言えば恥の上塗りだと、鴨フライ・翼丸はそれを無視している。


「彩実、帰るぞ」


「わかったよ、ヒロ君。猪さん、鴨さん、羊羹ご馳走様でした」


 彩実は羊羹をご馳走してくれた二人にお礼を言い、そしてトマレッドと共に本部アジトをあとにするのであった。


「ぷはぁ……トマレッドの奴!」


 ようやく解放されたニホン鹿ダッシュ・走太はまともに呼吸できるようになったが、トマレッドに対する怒りでうち震えていた。 

 本部アジトにまで乗り込まれ、部下の怪人たちに情けない姿を晒す羽目になってしまったからだ。

 かといって、仕返しも現時点では難しい。

 トマレッドが宇宙自然保護同盟で一番戦闘力がある猪マックス・新太郎よりも強いのは確実で、自分ではどうにもならない。

 怒りの持って行き先がない状態なのだ。


「おい、ニホン鹿」


「なんだ? 猪!」


 ニホン鹿ダッシュ・走太は、自分を助けなかった猪マックス・新太郎に呼びかけに怒鳴りながら答えた。


「勝手に怒るのは構わないが、お前には仕事があるぞ」


「仕事?」


「この本部アジトの惨状はどうするんだ?」


 そういえば、トマレッドがこの本部アジトで少し暴れたため、破壊された壁や装備品などが多い。

 穴熊スコップ・大地のように負傷が激しい者もいた。

 本部アジトの場所を知られたのもまずい。

 だが、今さら本部アジトを移転する費用などなく、まあどうせこの北見村にいるヒーローはトマレッド一人で、アジトの防御を固めれば攻めてくるはずもなく……もし本気で攻められたら勝てないかもしれないが……それは今気にしないことにした。

 気にしたところで、どうにもならないからだ。


「通常の戦闘における損害は経費で賄えるが、今回はお前のルール違反、暴走の結果だ」


「四天王の一人として、経費の無断流用は無視できませんね。自分で直すか、給料から補填してね。まさか、生え抜きでビューティー総統閣下の信頼厚いニホン鹿さんが失態なんて犯していませんよね?」


 失態はなかった。

 つまり、今回の彩実誘拐のルール違反とトマレッドの本部アジト侵攻はなかった。

 二人は口を噤んでもいいと言っているのだ。


「……私が修理する……」


 ニホン鹿ダッシュ・走太は、二人の提案を受け入れるしかなかった。

 大きな貸しを作ることになるが、まさか総統閣下に事実を報告するわけにはいかない。

 なぜなら、もし自分が失脚してしまえば、次の四天王筆頭が猪マックス・新太郎になってしまうからだ。


「まずは、トマレッドが粉砕した壁か……」


「先輩、あいつ容赦ないですね」


「トマレッド、所詮はパワーだけのC級ヒーローだ」


「そうですよね、あんな奴」


 夕方も五時をすぎ、大半の怪人や戦闘員たちは仕事もないので定時で帰宅してしまった。

 ところが、ニホン鹿ダッシュ・走太と、包帯でグルグル巻きにされた穴熊スコップ・大地は、慣れぬ修繕作業で夜中までサービス残業をする羽目になってしまう。


「次こそは、あのトマト野郎を倒してやる!」


「俺も手伝いますよ。それにしても、あのトマト野郎め!」


 今はここにいないトマレッドに対し、呪詛の言葉を吐きながら。





「ヒロ君、助けてくれてありがとう」


「なあに、大した手間でもなかったから気にするなって。彩実が無事ならそれでいいんだ」


「ヒロ君……」





 北見山の本部アジトを出た二人は、弘樹の自転車に二人乗りをして家へと向かっていた。

 そういえば、子供の頃はよく二人乗りをし、村のあちこちを探索していたなと弘樹は昔を思い出す。


「彩実、大丈夫だったか? なにか変なことされなかったか?」


「変なこと? それってどんなこと?」


「ええとだな……殴られたりとかだな……」


 思春期真っ盛りな弘樹は思わずその手の想像をしてしまうが、まさか彩実に説明するわけにもいかず、暴力をふるわれていないかと誤魔化した。


「大丈夫、いきなり鹿に乗せられたのは驚いたけど」


 本部アジトに着いてからは、すぐ猪マックス・新太郎と鴨フライ・翼丸に預けられたのでお茶を飲んで話をしていただけだと彩実は説明した。


「猪さんと鴨さんは優しいから」


「そうだな」


 優しい怪人ってどうなんだろうと思わなくもないが、今回はそれでよかったのだと弘樹は思った。


「猪さんと鴨さんはヒロ君と戦うのが仕事だから、私を誘拐するのは仕事じゃないんだって」


「鹿のアホがルール違反をしたようだからな。今度やったら、鹿ステーキにしてやる!」


 あくまでもニホン鹿ダッシュ・走太はニホン鹿の怪人であり、ニホン鹿ではない。

 きっと食べても美味しくないし、食べたくはないなと彩実は思った。

 それでも、弘樹が自分のことを本気で心配し、怒ってくれたのが嬉しかった。

 嬉しかったので、ちょっとバランスを崩すふりをしながら、彩実は弘樹の背中に強くしがみつく。


「彩実、お前、やっぱりなにかされたのか?」


「ううん。ヒロ君、自転車速いよ」


「そうか。すまんな」


 弘樹はヒーロー体質なので、自転車を軽く漕ぐだけで原付くらい軽く追い抜ける脚力を持っていた。

 そのため、いつも自転車が高速になってしまう。

 だからしがみ付いたのだと、彩実は弘樹に嘘をついた。


「(でもこれって、ヒロ君にに告白するチャンス? 姫野彩実、ここで勇気を出せ! 今、私が弘樹の背中に抱きついているから、胸の感触とかでヒロ君もドキドキしているわけで、となると、吊り橋効果的な補正が働いて……。あっ! でもそれだとあくまでも吊り橋効果だけで私にドキドキしているという可能性もあって……)」


 いざ告白しようとすると、いつも彩実の頭の中は無駄な思考で一杯になってしまう。

 初めて出会ってから十年近く。

 ちゃんと告白できていれば、とっくに二人は幼馴染から恋人同士にランクアップできたはずである。


「どうしたんだ? 急に黙って」


「あっ、あのね……ヒロ君、私のことを心配して怒ってくれたから嬉しかったの」


「当たり前じゃないか」


「当たり前なの?」


 それは、私のことが好きだから?

 ひょっとして、ここで弘樹から告白されるかも。

 彩実の期待は大きく膨らんだ。


「彩実は、俺の幼馴染だからな!」


「……そうだね」


 やっぱり、今回も告白されなかった。

 そんなに世の中甘くないと彩実は思い、今日も駄目だったたけど、いつかその内にと密かに決意する彩実であった。


「そういえば、お腹減ったな」


「今日は、お母さんが夕食の支度をしているはずだよ」


「そうだ! 今日倒したニホン鹿の戦闘員ども、みんな猟友会の連中が引き取って行ったから、肉が届いているかも。鹿肉はステーキに限る」


「お母さんが準備していると思うよ。デザートに羊羹もあるし」


 彩実は、猪マックス・新太郎から貰った高級羊羹の存在を思い出した。


「あいつら、経費でこんなに高いお菓子が買えるのか。うちよりも圧倒的に金があるよなぁ……俺もあっちに転職しようかな?」


「ヒーローって、悪の組織に就職できるの?」


 そもそも、そんな話は聞いたことがないと彩実は思った。

 受け入れてもらえるのか、疑問が大きかったのだ。


「さあ? 俺は他のヒーローを知らないし、悪の組織も猪たちしか知らないから。衣装変えたらイケるんじゃないか?」


「えーーーっ! そんなに簡単なことなの?」


「怪人とヒーローっ、そんなに変わらなくないか?」


「大分違うと思うけどなぁ」


 無事に解放された彩実と、彼女を助けた弘樹は仲良く二人乗りをしながら夕日で染まる農道を自転車で走り続けるのであった。 



 大切な人(彩実)を宇宙自然保護同盟の怪人に攫われた弘樹であったが、彼の活躍により無事彼女は救出された。

 だが悪党たちは、次にどんな思いもよらない手でくるかわからない。

 頑張れ! 豊穣戦隊ファーマーマン!

 戦え! トマレッド!


 宇宙自然保護同盟を打倒するその日まで。

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