第6話 スーツ事情(後編)
「ちくしょう、結構強引に伸ばしてようやくちょうどよくなった。柔軟剤で柔らかくすればもっと伸びやすくなるか? これから洗濯する度に縮む……困った話だが、はたしてスーツの不備を瞳子さんが認めるかどうかわからないものな。うちは予算がないから」
赤川家へと帰還した弘樹は、夕食をご馳走になりに隣の姫野家へと向かった。
夕食後、家に戻った弘樹は再びスーツを洗濯しようとする。
今日は少し暑かったうえに、スーツを伸ばそうと余計に動いたため、汗をかいてしまったのだ。
汗臭いヒーローはどうかと思うので、今日も洗濯しようと思ったのだ。
ここで致命的な欠陥が出れば、さすがにケチな瞳子でもなんとかしてくれるかも、という思惑もあった。
「ヒロ君、それ家で洗濯してあげるよ」
自宅の全自動洗濯機にスーツを入れようとしたその時、彩実が姿を見せた。
今日はスーツも、姫野家の方で洗濯しておいてあげると言うためだ。
「そこまで頼むのは悪いじゃないか」
「遠慮しないでいいよ。私たち、幼馴染じゃない」
トマレッドこと赤川弘樹と姫野彩実は、小学校一年生の頃に初めて出会った。
彼の母方の祖父が所有する、この村にある今の家に引っ越してきたからだ。
それ以降、二人は必ず同じクラスで……田舎の学校なので小学校も中学校も一クラスしかないから別のクラスになるわけがないのだが……なにかと彩実が弘樹の世話を焼くようになり、二人はずっと仲がいい幼馴染というわけだ。
実は、それ以上の感情を彩実は持っていたが。
「そうだな。俺たちは幼馴染だものな!」
「そうね……」
「あれ? どうかしたか?」
「ううん、なんでもない。スーツ、洗濯しちゃうね」
彩実は、『俺も、お前のことが好きだ!』と弘樹が言ってくれることを期待していたのだが、どちらかというとこの手のことには鈍い弘樹が、そう簡単に告白してくれるわけがないとも思っている。
いつか自分が告白すればいいんだと気を取り直し、彩実はスーツを持って姫野家へと戻った。
「ふと思ったんだが……予備のスーツないと辛いな。洗濯中に怪人がきたら、そのまま強引に着て、着ながら乾かすしかないよなぁ……」
予算不足は辛い。
弘樹は、上司である瞳子のケチさ加減を改めて思い出し、一人ため息をつくのであった。
「今日こそは、ババアの大根畑を自然に戻してやる!」
「他に行ってくれって!」
「ババアの畑を自然に戻したらな!」
「そんなにしつこいと、女に嫌われるべ!」
「生憎と、俺様は妻子持ちなのでな」
「怪人どもめ! そんなことはさせないぞ!」
今日も昨日と同じシチュエーションなので省略するが、富山のお婆さんの大根畑が猪マックス・新太郎と猪戦闘員たちによって荒らされそうになり、それを阻止するため、トマレッドに変身した弘樹が姿を見せた。
という、いつもの光景であった。
「昨日、俺に負けたのにまだ懲りないのか? 今日こそ、完全に決着をつけてやるぞ!」
「……」
「「「「「ブヒ?」」」」」
「どうした? 俺に勝てないと悟り、応援でも待っているのか? だが、そいつも俺の正義の拳で……「なあ……」」
昨日に引き続き、猪マックス・新太郎と猪戦闘員たちはトマレッドを呆れた表情で見ていたのだが、その原因に本人が気がついていないようなので、代表して猪マックス・新太郎が声をかけたというわけだ。
「なんだよ? 今日はスーツは縮まってないぞ。なんの差なのかな? 一昨日は俺も久しぶりに洗濯したから、それの影響もあるのかね? 彩実が洗濯したらスーツは縮まらないんだ」
ほら、この通りと。
トマレッドは、もう大丈夫とばかり軽快に動いてみせる。
「洗濯機は、姫野家の方が『そろそろ買い替え時機かな?』って古さだし、洗剤もうちにおいてあったのと同じ……この村に一軒しかない雑貨屋で買うしかないから、同じ洗剤なのは当たり前なんだけどな」
過疎に悩む北見村に、スーパーやコンビニなんて便利なものはない。
昔から食料品店と雑貨屋を営む『都築商店』でしか洗剤は購入できなかった。
市場規模から新規参入は不可能に近く、北見村には昔からこの一店舗しか存在しなかったという事情もある。
「えらく饒舌だな。さてはお前、気がついているな?」
猪マックス・新太郎とトマレッドの目が合い、双方に緊張が走る。
「お前、本当にそれでトマレッドと言えるのか? まるでちょっと色の暗いワインみたいじゃないか」
猪マックス・新太郎は、トマレッドのスーツの色がダークレッドになっている事実を指摘した。
そして、お前はそれに気がつきながら誤魔化そうとしているとも。
「そろそろ夕方だから、そういう風に見えるのでは?」
「まだお天道様は真上だ」
確かにもう少しで夕方になるが、今までと特に条件が違うわけではない。
やはり、トマレッドのスーツの赤は暗かった。
「どういうことだ?」
「……実は、昨日……「待って!」」
とそこに、なにか紙袋を持った彩実が二人の間に割って入る。
「うん? トマレッドの幼馴染よ。お前のせいかのか?」
「ごめんなさい! 昨日、私がスーツを洗ってあげるって預かったんですけど……」
いざ洗濯する時になって、彩実はあるアイデアを思いついてしまった。
『スーツ一着だけ洗うと水道代と洗剤代も勿体ないし、この前買ったばかりの黒いトレーナーも一緒に水入れしておこうっと』
その黒いトレーナーは彩実が部屋着に使おうと、先週町に出た時に友人たちと購入してきたものであった。
安価でワゴンに入っていた品であるが、寝間着や部屋着代わりに使うなら問題ないと思ったのだ。
「色物同士を一緒に洗っちゃ駄目だろうが! 俺様の嫁さんも気をつけているぞ!」
「ごめんなさい!」
猪マックス・新太郎も、宇宙自然保護同盟の制服を家で洗濯してもらうことが多かったが、彼の妻はちゃんと制服だけを別に洗っていた。
もし制服になにかあると、またニホン鹿ダッシュ・走太から嫌味を言われるので、念を押して頼んでいたからだ。
「こんなにトレーナーの色が落ちるなんて思わなかったんです!」
自分が不勉強でしたと、彩実は猪マックス・新太郎に謝った。
「俺様に謝らないでもいいさ。人間だって怪人だって、ミスをしない者はいない。素直に謝れる彩実ちゃんはいい子だと、俺様は思うな」
「猪さん……」
今にも泣き出しそうであった彩実であったが、猪マックス・新太郎の言葉によって救われたような気がする。
彩実は彼を、なんていい人なんだろうと思い始めた。
「スーツはこんなになってしまったけど、俺の戦闘力に影響はない。戦おうぜ」
「いや、駄目だ!」
「えっ! どうして? 確かにちょっとドス黒い赤だけど、赤には変わりない……「バカ者!」」
その色のスーツで戦おうとしたトマレッドに対し、猪マックス・新太郎は彼の言葉を遮るように怒鳴りつけた。
「同じじゃないか!」
「違う! いいか! お前はヒーローなんだぞ! 確かに予算不足で一人の戦隊かもしれないが、お前は赤でリーダーなんだ! 世間の人たちは、みんなお前をファーマーマンのリーダーだと思って見る。そのリーダーが、こんな暗い赤のスーツを着てどうする? お前は正義のヒーローだろうが! 燃えるような赤いスーツじゃなきゃ駄目だ!」
珍しく、猪マックス・新太郎はトマレッドに厳しく説教をした。
連勝している相手なのに、彼の気迫に負けてトマレッドはなにも言い返せなくなってしまう。
「俺様もこの世界じゃ中堅だ。確かに近年の怪人とヒーローには型破りな奴も増えている。だが、変えていい常識と変えてはいけない常識があるんだ! 戦隊ヒーローのリーダーは赤! 真っ赤な燃えるような赤! これは絶対に変えてはいけないのだ!」
なにがなんでも、守らなければいけないルールというのもある。
猪マックス・新太郎は、懇々とトマレッドを説得した。
「わかったよ……」
「今日は諦めて、なるべく早くその瞳子さんとやらに相談するんだな」
新しいスーツを用意するなり、その赤黒いスーツを元の色に戻すなり、それをしなければファーマーマンは暫く戦えないのだから対策するしかないと、猪マックス・新太郎は弘樹にアドバイスをした。
「それしかないんだが、うちは金がないからなぁ……」
そこが零細戦隊ヒーローの厳しいとことだと、トマレッドは呟いた。
「いや、スーツが駄目になったんだから、そこは出費をケチるなよ……」
ヒーローでも怪人でも、それは絶対にあり得ないと猪マックス・新太郎は断言した。
装備品がなければ、ヒーローと怪人の戦いなどその辺のチンピラ同士の喧嘩に等しいのだから。
「スーツが不良品だと認められれば、交換くらいはしてくれるだろう。メーカー側もお上との取引を打ち切られるのは、収益の面ではそうでもないが、信用とイメージの低下で大ダメージだろうからな」
日本では、国や地方、役所と取引をしていると顧客の信用度が増すケースが多い。
あまり利益にならなくても、むしろ赤字でも取引をしたがる企業は多いのだと、猪マックス・新太郎は説明した。
「だと思うけど……そうだ! 最悪、このスーツを使い続けなければいけない場合、俺はダークサイドに落ちたって設定はどうだ?」
戦隊ヒーローがその心を悪に染められ、ダークレッドとして悪の組織側に裏切ってしまう。
たまにはそんな演出もいいのではないかと、弘樹は提案してみた。
もの凄くいいアイデアを思いついたなと、彼は思ったのだ。
「お前、さすがにそれはないだろう。第一、ヒーロー側はお前しかいないのに、お前が悪の組織側についてしまったら、戦い自体が発生しないじゃないか。全員が悪の組織側になってしまうのだから」
たとえば、赤のリーダーが暗黒面に染まって悪の組織側についたとして、他のメンバーがいればどうにかリーダーを正義の側に引き戻そうとする話の流れは絵になるかもしれない。
ところが、ファーマーマンにはトマレッド一人しかいないので、彼が悪の側についてしまえばそれで終わりなのだ。
彼を正義の側に引き戻す人はおらず、宇宙自然保護同盟は戦う相手を失ってしまう。
「それもそうか」
「いや、最初に気がつけよ!」
そのくらい、せめてアイデアを言う前に気がつけと、猪マックス・新太郎はトマレッドに突っ込みをいれた。
「とにかくだ。お前もそのスーツの件も含めて解決しなければいけない案件も多いし、俺様たちとしてもそんな暗い赤と戦ってもなぁ……て思いがある。そういうわけだから、撤収だ!」
猪マックス・新太郎は、猪戦闘員たちに撤収の指示を出した。
ヒーローが戦えない以上、これ以上の長居は無用というわけだ。
ヒーローがいないからチャンスではという意見もあるが、そんな理由で戦えないヒーローの隙を突いて畑を荒らすなど、猪マックス・新太郎の矜持が許せなかった。
「畑を荒らさないのか?」
「今、ヒーローであるお前が戦えないのに、我々だけが悪事を働いても意味がないからな。早くスーツの不備を何とかしろ。そうしたら再戦だ」
「そうか……」
弘樹は、実は猪マックス・新太郎ってかなりいい奴なのではないかと内心で思い始めた。
相手は悪の組織の怪人なので、とても的外れな考え方ではあったが。
「猪さん、今日はありがとうございました」
「俺様はなにもしてないさ。じゃあ。帰るぞ」
「「「「「ブヒーーー!」」」」」
トマレッドと彩実の前から、猪マックス・新太郎たちは颯爽と去って行った。
「ヒロ君。猪さん、いい人だよね?」
「ああ、怪人だけどな」
こうして、四度目の富山のお婆さんが耕している大根畑を巡る攻防は、引き分け判定にて終了するのであった。
だが、未来はわからない。
わずかな油断が、富山のお婆さんを悲しみの底に叩き落とす。
頑張れ、トマレッド!
勝つんだ、トマレッド!
そして、スーツを早くなんとかしろ!
「ほほう、今回は引き分けであったと」
「どうにか作戦を立てて倒されなかったが、これからもトマレッドへの対策は要研究だな。猪戦闘員たちにも犠牲は出なかったし、今回は上々だと思う」
「改善した点については評価する」
弘樹と彩実からいい人だと評価された猪マックス・新太郎であったが、彼は歴戦の怪人でもある。
今回は引き分けで犠牲も出なかったとニホン鹿ダッシュ・走太に虚偽……嘘ではないか……報告し、珍しく彼から評価されていた。
猪マックス・新太郎は猪の怪人なので知恵がないように思われるが、中堅と呼ばれるまで生き残ってこられたのは伊達ではない。
見た目とは違って、世渡りはかなり上手であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます