第5話 スーツ事情(前編)

「ヒロ君、お洗濯なら私がやるけど」


「これはスーツだから、俺がやるよ」


「そうか、大切なスーツだものね」




 辛くも鴨フライ・翼丸による『死の羽』作戦を潜り抜けたトマレッドであったが、ここで一つ大きな問題が発生していた。

 

「赤があまり見えないね」


「あの鴨野郎、なにが羽がくっつくように操っているだ!」


 勿論、そんな都合のいい技があるはずもなく、鴨たちが羽毛を落とす前にトマレッドのスーツに糞を大量につけたというのが真相であった。

 糞を接着剤代わりにしたというわけだ。

 おかげで、トマレッドのスーツは鴨の糞で白くなってしまった。


「戦闘には支障がないけど、さすがに臭いからな」


「イメージの問題もあるよね」


 鳥の糞が大量に付着したスーツで戦うヒーロー。

 印象は最悪なので、ちゃんと洗濯した方がいいと彩実も思っていた。


「糞だらけのヒーローなんて、ちょっとおかしいからな。瞳子さんに怒られそうだし」


「ヒロ君、洗濯代って経費で出ないの?」


「出ない。昔のスーツなら、そもそも自分で洗濯なんてしなかったそうだ」


「楽でよかったんだね」


 昔のスーツは素人が洗濯していい代物ではなく、ちゃんとプロのクリーニング業者に頼んでいた。

 今は経費削減が叫ばれる中、洗濯代が勿体ないと、自宅の洗濯機で洗えるスーツが主流になっていたのだ。

 技術の進歩で洗濯機の性能が上がり、専門の業者でなくても洗濯可能になったという事情も存在したが。

 ちなみに、余裕のあるヒーローは洗濯代が経費で落ちるので、専門の業者に頼むケースが多かった。

 当然、豊穣戦隊ファーマーマンにそんな予算はない。

 

「セコイね」


「俺もそう思うけど、このスーツはまだ国産だからいいんだよ。変な外国産の安物スーツだと、洗濯できるって触れ込みのはずなのに、洗濯したら駄目になる物も結構あるらしいから」


 タグに『メイド・イン・○○○○○○』と書いてあるヒーロースーツを想像し、そんなヒーローには助けてもらいたくないかもと、彩実は思ってしまった。


「これだけだから、俺が自分で洗うよ」


「ヒロ君がそう言うのなら。他の洗濯は私に任せてね」


「いつもありがたいけど、うちの両親が姫野のオジさんとオバさんに頼んだのは食事だけだし、あとは俺がやっても……」


「いいの! こういうのは一緒にやった方が効率いいし」


「彩実がそう言うのなら。いつもありがとうな」


「えへへ、どういたしまして(ヒロ君にありがとうって言われちゃった)」


 弘樹が好きな彩実は、彼からお礼を言われ、天にも昇る気持ちで赤川家をあとにした。


「さあてと、これだけだからとっとと洗濯するか」


 弘樹は、鴨の糞塗れのスーツを洗濯機に放り込み、洗剤を入れてから洗濯機のスイッチを入れる。

 そして二日後……。





「今日こそは、ババアの大根畑を全滅させてしまえ!」


「「「「「ブヒーーーッ!」」」」」


「またお前らか!」


「俺様はしつこいのが信条でな」


 今日も放課後の時間ピッタリに、富山のお婆さんが丹精込めて育てている大根畑を、猪マックス・新太郎と猪戦闘員たちが襲おうとしていた。

 そして、それを察知したトマレッドが彼らの前に姿を現す。


「富山のばっちゃんが丹精込めて育てた大根畑の破壊を目論む悪党め! このトマレッドが許さないぞ! 今日は猪か。鴨は?」


 トマレッドは、完全に顔見知りとなった猪マックス・新太郎に気安く声をかける。


「よくそんなことが言えたな! 翼丸が苦労して集めた鴨をすべて食肉にしてしまいおって! また一から鴨を集めないといけないから、あいつは県外まで出張しておるわ!」


「鴨なんて、その辺にいるだろう?」


「一カ所から鴨を集めすぎると、生態系に影響が出るからな。自然破壊は厳に慎まねばならない。幸い出張費が認められたからいいが、あのクソは経費が嵩むと、俺様にまで嫌味を言いやがって……」


 生態系への配慮は、宇宙自然保護同盟の幹部として当然の配慮だと、猪マックス・新太郎は言い放つ。

 そのため、無駄な出張費が嵩むと彼にまで嫌味を言い放ったニホン鹿ダッシュ・走太に対し、密かにトマレッドに抱いている以上の怒りを感じていた。


 気に恐ろしきは、足を引っ張る味方というわけである。


「自由にしてくれって感じだが……さあ、今日も戦おうぜ!」


 トマレッドは戦闘態勢に入るが、なぜか猪マックス・新太郎は彼を見て首を傾げていた。


「どうした? 猪」


 弘樹は、自分をまじまじと見つめる猪マックス・新太郎に対し、居心地の悪さを感じ始めていた。


「あのよぉ。お前、太ったか?」


 数日前とは違ってトマレッドの真っ赤なスーツは異常なほどピチピチになっており、彼の体の線が完全に出ている状態であった。

 それに気がついた猪マックス・新太郎は、その事実をトマレッドに指摘し、太ったのかと尋ねたわけだ。


「そんな数日で急に太れるか!」


「じゃあ、どうしてそんなに体の線が出ているんだよ? 今にもスーツが破れそうにも見えるぞ」


「これか? 洗濯をしくじった。瞳子さんから普通に洗濯機と洗剤で洗って大丈夫だって聞いてたのに、なぜかすげえ縮んだんだよ。どういうことだ? これ」


 猪マックス・新太郎には、トマレッドがとても動き難そうに見えた。

 縮んだスーツを無理やり着ているから当然なのだが。


「安物なんじゃないのか? そのスーツ」


「国産の高級品だって瞳子さんが言ってたぞ。それはないか……となると、俺が洗い方を間違えた?」


「ドライ洗濯指定とかじゃないよな?」


「違うだろう? ほら」


 トマレッドは戦いを中止し、スーツについた洗濯タグを猪マックス・新太郎に見せた。


「ドライ洗濯ではなく、通常の洗濯指定か。洗濯機が古いとか?」


「祖父さんがインドに行く直前に購入したから三年くらい経っているけど、全自動洗濯機だとまずいとか?」


「それはないと思うな。うーーーん、そうだなぁ……前にちょっと噂を聞いたことがあるんだが、お上にスーツを卸している業者でも、中には沢山儲けようと○○○○あたりで安く作らせて、国産のタグをつけて販売するところもあるって話だ」


「それ、バレたらまずくないか?」


「それが滅多にバレないらしい」


 公務員はヒーローのスーツになど詳しくないし、普通に着たり、遠くから見る分には国産のスーツとそう差があるわけでもない。

 細かな作りの差でバレることもあるが、最近は外国製のスーツも徐々に品質がよくなってきた。

 洗濯すると縮みやすかったり、色が落ちやすかったり、すぐに装飾品が落ちてしまったりと。

 早く駄目になってしまうのだが、お役人はヒーローが少しボロイスーツを着ていても、特に支障はないからと、あまり気にしない者が多かった。


 つまり、バレにくいというか、元から気にしていないのだ。


「一番そういう悪事がバレる理由は、同業者のタレコミだったりするけど。その不正を働いた業者が指定業者から外されれば、自分たちにもチャンスがあるってな」


「嫌な話だな。足の引っ張り合いみたいで」


「昔と違って、最近は出費にうるさいからお上との取引もそう儲かるわけじゃないらしいけど、役所と取引があるって言われたら、その業者は信用できるような気がしないか?」


「それはある」


 日本人は権威に弱いので、役所や公共機関と取引がある企業を信用してしまう部分があり、トマレッドも猪マックス・新太郎の意見に賛成であった。


「だからだよ。定期・随意契約なら決まった額が毎年入るのも魅力だし、お上との取引を望む業者は多いのさ」


 それを役所も見破っており、今度は安く納品しろと命じる。

 赤字覚悟で納入するか、先の不正業者と同じことをして利益を確保するか。

 救いのない話だと、猪マックス・新太郎は自分が知り得た情報をトマレッドに話した。


「これ、○○○○製かな?」


「さあな。その瞳子さんだっけか? 上司に報告すればいい。不正が見つかれば、業者に補償させればいいのだし」


「それもそうだな。今日はちょっとスーツがキツイが、何度か着ているうちに伸びるかな?」


 トマレッドは、早くスーツが伸びてちょうどよくなるように体を動かし始めた。

 やはりキツイとトマレッドは思ったが、今日はこれで戦うしかない。

 資金難のトマレッドに、予備のスーツなんて甘えは存在しないのだから。


「じゃあ、始めようか? トマレッド」


「そうだな。なんとかなるかな? それでどこからだ?」


「そんなもの、最初からに決まっているじゃないか。これは不変の常識だ」


 そこは絶対譲れないのだと、猪マックス・新太郎は強く言った。


「わかったよ。じゃあ、最初からな」


 トマレッドと猪マックス・新太郎はお互い元の位置に戻り、再び最初から対決を始めることにした。





「あーーーはっはっ! 今日こそ、この大根畑を自然に戻してやる!」


「やめてくんろぉーーー! 誰かぁーーー!」


 イネも空気を読み、彼らのやり直しにちゃんと参加した。


「このような田舎に、ババアを助けるヒーローなどおらぬわ! さあ自然に戻るが……「待てい!」」


「何奴だ!」


「「「「「ブヒッ!」」」」」


 猪マックス・新太郎と猪戦闘員たち、そしてイネが大根畑を見下ろす丘の上を見ると、そこにはあの男が立っていた。


「富山のばっちゃんが丹精込めて育てた大根を駄目にある悪党め! 天に代わって、豊穣戦隊ファーマーマンのリーダー、トマレッドが成敗してやる! トゥーーー!」


 そう言い放つと、トマレッドは猪マックス・新太郎たちに向け勢いよくジャンプした。

 よくあるヒーローアクションの一つだが……。


「おいっ! どっちに飛んでんだよ!」


「「「「「フビィーーー!」」」」」


 猪マックス・新太郎と猪戦闘員たちは、真正面にいる自分たちの方に飛んで来ず、右に大きくズレて飛んで行ったトマレッドに対し一斉に抗議した。


「あれ? おかしいな?」


「お前、ヒーローなんだから、こっちに飛んでくるくらいのところでしくじるなよ!」


「「「「「ブヒッ!」」」」」


 格好よく飛ぶくらい、ヒーローの基本だろうがと、猪マックス・新太郎はトマレッドに強く抗議した。

 猪戦闘員たちもそれに続く。


「普段はこんなミスしないけど、やっぱりスーツに欠陥があると駄目だな」


「どういうことだ?」


「ほら、元々スーツが縮みすぎて動きにくいだろう?」


 さらに、スーツの縮み方が均等ではなく、左半身の方が縮み方が大きかった。


「だから、ジャンプすると縮みが少ない右側に飛んでしまうんだよな。これは困った」


 もしかしたら、スーツの素材の品質が左右均等ではないのかも。

 安物スーツの定めかと、弘樹は呟いた。


「スーツを変えろよ」


「そんな予算ないって」


 これも零細ヒーローの定め、先ほども言ったが予備のスーツなんてあるわけがないと、トマレッドは開き直りながら答えた。


「まああれだ。今はちょっときついけど、動いていれば伸びて元通りになるって」


 そんなわけがないが、まさかこちらがスーツ代を出してやるわけにいかず、猪マックス・新太郎はなにも言わなかった。

 とにかく今は、勝負ができればいいのだと。


「色々と問題はありそうだが、勝負に戻るぞ。あーーーはっはっ! 縮んだスーツで動きが悪い今がチャンスだ! 今日こそ血祭りにあげてくれるぞ!」


 相手の弱みに付け込むようで悪い気もしたが、これも勝負のうち。

 四度目の正直でようやく勝てると、猪マックス・新太郎は突進技をかけてきた。

 過去には簡単にかわされてしまった技だが、今のスーツがキツくて動きが鈍いトマレッドなら……。

 猪マックス・新太郎は、内心勝利を確信した。


「血反吐吐いて死ねやぁーーー! がはっ!」


 しかし、またもトマレッドのパンチ一発で地面に沈んでしまった。

 確かにトマレッドの動きは遅いが、回避できなければ立ち塞がって殴り倒してしまえばいいじゃないとばかりに、またも猪マックス・新太郎を一撃で倒してしまったのだ。


「やっぱりキツイから早く脱ぎたいな。さあて、帰るか」


 トマレッドは、スーツを伸ばすためわざと体を動かしながら家路へと急ぐ。

 今日も無事怪人に勝利できたが、明日はどうなるかわからない。

 頑張れ! 

 トマレッド!

 北見村の平和のために!

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