第12話
そうして今、僕はいつも通り公衆電話に出ていた。
「やあ少年、今日の天気はどうかな?」
「今日の天気は最高ですよ。よく晴れています」
僕がいつも通りの文句を返すと、彼女は笑った。
「その文句が出てくるなら、仲直りはしたとみて良さそうだな」
「ええ、本当にありがとうございます」
「なに、私はアドバイスをしただけだよ」
と、謙遜した風を見せているが、実際は鼻高々なようだ、笑っている様が容易に想像できる声だったので、僕は苦笑せざるをえなかった。
「ところで、今日時間がほしいといった理由は何かな?」
電話の向こうの彼女はすぐに切り込んできた。まあ彼女が言わなければ僕が言うつもりだったからちょうどよかった。
「実は、前に言っていた小説ですが……」
「完成したのか」
またしても先手をとられて、僕は苦笑した。
「お見通しですか」
「当たり前だろ?」
やっぱり彼女は鼻高々なように思える。そこまで喜ぶことだろうかと考えたが、すぐにやめて、僕は素直にお礼を言った。
「ありがとうございます」
僕が素直にお礼を言ったことに驚いたのか、一瞬だけ彼女は黙ってしまった。
「どうしたんですか?」
「……いやなに、褒めたことでお礼を言われただなんて新鮮だったからな」
「これからは、もう少し素直になろうかと思いまして」
「意外な変化だな」
「全くです」
ここのタイミングで笑いが起きるだろうなと思った。僕らの笑うタイミングはよく似ている。僕が影響されたか、はたまたその逆か。
「では……話していいですか?」
「もちろん」
僕は息を深く吸って、彼女に語り始めた。
「どこかの国の、遠い昔のお話です____」
語るのに難しいところはなかった。全て頭の中に入っていたし、なにより彼女の前だった。彼女は何も言わずに聞いていたけれど、時折息を呑んだり、「うんうん」という声が聞こえて、それがうれしかった。
でも、楽しい時間は終わるものだ。
「少年、やはりダメだ」
物語はクライマックスにさしかかったところで、急に彼女が言った。
「やっぱりダメだ。続きは明日にしてくれ」
「……どうしたっていうんですか」
なにか不穏な空気を感じた。今までの彼女ならば、約束を破るなんてことはしないはずだ。
「……いいからダメだ。また明日」
そこで彼女が電話を切ろうとした。それがスイッチだったのだろうか。
「どうしてですか!?」
僕は大声を出してしまった。
「貴方はいつも自分のことは話さない! こっちのことばかりで、何も貴方自身のことは話さない! 電話を切るタイミング一つとっても、いつも貴方は自分のタイミングでだ! 少しぐらいこっちに合わせてもいいじゃないか! それとも、自分の状況を話しても信じてくれないとでも思っているんですか!? 頼むから今日ぐらいは、こっちにタイミングを委ねてくださいよ!」
話している途中で、またやってしまっていると気づき始めていた。でもお、止まらなかった。あふれる思いは大河のように、ただ流れるままに彼女に伝えられた。きっとそれが一番いいと、話し終わってから改めて思った。
彼女は、ずっと黙っていた。ずっとずっと。永遠にも思われた。
でももちろん、永遠なんてものはなかった。彼女は口を開いてくれた。
「暗い、暗い場所にいるんだ。何も見えなくて、ただ自分がそこにいるのは確かなのに、それすら危うくなる、そんなところに、私は今いる」
病院で彼女の実態を見ているから、きっとそれは事実ではない。でも嘘ではない。これは彼女の精神世界の話だ。そう僕は結論づけた。彼女の話は続く。
「毎日暗くて、何も見えないんだ。でも、時折光がさすんだ。そこに行ってみると、携帯電話が置いてあるんだ。私のじゃない。持ち主のことも何もわからない携帯電話。でもたった一つだけ、電話番号が書いてあった。わらにもすがる思いでそこに電話をかけたよ、そうしたら、君が出た」
それだけだったら、電話を切る理由にはならなく無いですか? 思わずそう聞こうとして止めた。今は彼女が話す番だ。
「でも、決まった時間がたつと、いつも恐怖に襲われるんだ。いつもいつも。全く、訳がわからない。今もそうだ。でも、訳がわからない恐怖は、電話を切ると収まるんだ……全く論理的じゃない。馬鹿げた話だ……どうだい?」
最後の「どうだい?」のことばが、とても悲痛に響いた。信じてもらえない、でも信じてほしい。そんな思いが乗っていると思えば、納得ができた。だから、答えはたった一つだ。
「信じます」
息を呑む音が聞こえた。僕はそれを意に介さない風に続ける。
「貴方が何を言っても信じます。貴方が暗い場所にいるならば、僕が必ずそこから連れ出します。暗い場所に恐怖を覚えるならば、僕がその場所の空を星空のように彩ります。それもダメなら、青空をつくって見せます。そのための言葉を紡ぎます。僕はそういう小説家になりたい」
そう。きっとこれが僕の夢だったのだろう。
最初の小説を書いたのは思いつきでだった。でも、そのことを彼女に話したら、とても喜んでくれた。たったそれだけだったんだ。たったそれだけで、僕は物書きを志した。だから、その方法でもって、僕は彼女をここから連れ出す。あの鳥飼の少年のように、そう決めた。
「一人きりが寂しいんだったら……こうやって、ぬくもりをつくります」
僕はそのとき、反対側の手に持っていた携帯電話で、詩乃に合図をした。そう、会話の流れをより強固にするために詩乃とずっと電話をつないでいたのだ。
電話の向こうから、驚きの声が漏れる。
「少年……これは……:」
「触って、想像してください。目の前の人が、どんな人なのか、何を貴方に語りかけているのか」
きっと今、病室では、何も見えない春香さんが、詩乃のことを触っていることだろう。詩乃は感情的だから、もしかしたら泣いているかも知れない。でもそんな泣き声は聞こえない。彼女の精神世界につながっているからだろうか。聞こえるのは彼女の声だけだ。
「少年……わからない、わからないよ……」
「だったら、そこから出ましょう」
優しく、厳しく、心強く。
いつも彼女がしてくれたように、今度は僕が返す番だ。
「扉を想像してください。見慣れた家の扉でも、重厚なお屋敷のドアでも、何でもいい。でもそれは、貴方を縛るものじゃない。貴方を外に導くものだ」
電話の向こうから声はしない。でも続ける。
「ドアノブの感触をしっかり考えて、もしかしたら、ずっと開いていなかったから錆びてるかも知れないけど、そのドアノブは、貴方の意思で開くはず」
声はしない。まだ足りないのか……。
そのときだった。
「お姉ちゃん!」
公衆電話と、携帯電話から、詩乃の叫びが聞こえたのは、ほぼ同時だった。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん……!」
詩乃はやっぱり泣き出していた。でも仕方ない。僕も何が起きたのかを察して、思いっきり泣いている。
「なあ少年、君は嘘つきだな」
「どうしてですか?」
目覚めた彼女は、僕にいう。
「今日は曇りじゃないか。青空なんて無い」
僕は泣きながら笑った。
「全くもってその通り。僕は嘘つきです。お詫びに今度一緒に青空を見に行きましょう」
「泣いていなければ満点だったのにな」
「ではダメですか?」
きっと冗談だろうなと思いながら話したら、やっぱりそうだったみたいで、彼女は思いっきり笑った。
「いいや、もちろん行くとも。そのときこそ、君の小説の結末を聞かせてくれ」
それから、ありがとう。最後にそう彼女は付け加えて、電話を切った。
しばらく、その場に立ち尽くしていた。
「ふう……」
ため息をついたら気が抜けて、一緒に腰も抜けてしまった。
「ふふふ……ははははは!」
ああ、笑い出したくなるような最高の結末だ。取れる限りの全部を、この手につかみ取った。
文句なしの、ハッピーエンドだ。
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