第9話

「今日はありがとう」

 星空を見たあと、僕は家まで送ってくれた詩乃に礼を言った。

「いいのいいの、お節介ついでだし」

 確かに僕の小説の完成度なんて、彼女にはさして関わりのないことだから、これはお節介だろう。なるほど、だからお節介ついでか。

 でもそこでふと、ちょっとした疑問が脳裏をよぎった。

「なあ詩乃、どうして僕に関わってきたんだ?」

 今でもそうだが、僕はひねくれ者で、人とあまり関わりたがらない。自分のことを世捨て人と呼称するほどだ。

 そんなやつに、自分から進んで関わってきた。それは僕にとって、未だに消えない、小さなとげのような疑問だった。

「……」

 詩乃は黙ってしまった。そこまで重大なことを聞いたつもりはなかったのだが、なにかを突いてしまったのか。

「……ま、まあ、また今度でもいいよ。別に何かあるわけでもないだろうし」

 僕がそう言って取り繕おうとしたら、詩乃は僕の肩に手を置いて、僕を引き留めた。そして、意を決したように言った。

「空君、相手がわからない電話に出た覚えはない?」

 体に電流が走ったような衝撃が流れた。どうしてこいつが、公衆電話の彼女のことを知っている?

 詩乃は無言を肯定と受け取ったのか、ため息をついていった。

「明日の昼、市民病院に来て」

 そこに何が待っているのか、このときの僕には知るよしもなかった。


 市民病院はその名前の通り市営の病院で、それなりに設備もあると評判。僕も小さい頃は何度か風邪でここの病院にかかったことがある。もっとも、最近では風邪を引くこともめっきりなくなって、ここに来ることもなくなったので、ずいぶんと久しぶりだ。

 エントランスには詩乃がいた。いつものにこやかな雰囲気では幕、真剣な雰囲気を纏ってだ。

「空君……」

 彼女がこちらを見つめてくる。

「……なあ、何でここに呼び出したんだ?」

「……」

 詩乃は僕の質問には答えず、ただ先に進んでいく。ついてこいという意味だろうか。わからなかったが、ほかに解釈のしようもないので、僕は彼女について行った。

 エレベーターに乗って、病室が並ぶ棟に入っても、僕と彼女の間に会話はなかった。

「ここよ」

 詩乃はそう言って、病室の中の一つに立った。

 僕は病室にかけられていたネームプレートを見て、僕は疑問に思ってしまった。そこには、詩乃と同じ名字の名前がかけられていた。

「ここは……?」

 詩乃はうなずいた。

「春香お姉ちゃんの病室」

「詩乃にお姉さんっていなかったよね?」

「今の家庭にはね」

 彼女はそう言って、病室に入っていく。僕もそれに従って入っていく。そこで僕は、彼女の姉に初めて会うことになった。

「きれいな人だね」

 本当に、詩乃によく似てきれいな人だと思った。今は眠っているのか、まぶたを閉じている。人工呼吸器はついていないから、自発呼吸はできているのだろう。しかし、点滴はついている。

「どうして入院しているの?」

 詩乃は僕に椅子を勧めながら、自分も別の椅子に座って話し始めた。

「私たちは元々は一緒に暮らしていたの……」

 そこからの彼女の話は、驚くべきものだった。

 彼女らは元は一緒に暮らしていた。シングルマザーのは親がいたが、この母親が育児放棄をしたため、近隣住民や、何より、姉自身の通報によって、児童相談所が突入。そこからしばらくは、同じ児童養護施設で、彼女たちは暮らしていた。

 しかし、悲劇はこのあとに起きた。彼女たちは別の家庭に引き取られることになったのだ。姉は最後まで頑として受けなかったが、姉を引き取るといった家庭はとても裕福な家庭だったので、詩乃はそれを了承。こうして二人は別の家庭で暮らすことになった。

 しかし悲劇は終わらない。

 姉の方が引き取られた先で事故に遭ってしまったのだ。

 家族三人で、星を見に行くところであったらしい。山間の狭い道で、前から来た車に気づくことができず、それを避けたら崖下に転落。姉を残して、両親は死亡。詩乃の家族が彼女を引き取ることになったが、事故のショックからか、彼女はまだ目覚めていない。

「ただね、毎日午後五時になると起きるの」

「え?」

 午後、五時。その情報が、いやに耳に残った。

「先生によるとね、お姉ちゃんは眠ってるだけらしいの。だから時折、寝ぼけたように起きるんだって。それが午後五時。そしてね、お姉ちゃんは決まって、どこかに電話するの。私たちがいくら声をかけても、何も聞いてくれないって言うのにね」

 電話をする。その情報で、僕は春香さんの方を見る。

「じゃあ、あの人は……」

 公衆電話の彼女なのか。

 思わず崩れ落ちそうになって、こらえた。つまりあれか? 僕らのあの会話は全て、詩乃たちに筒抜けだったってことか? だから詩乃は、僕のところに来たっていうのか? いろんな情報が頭の中で錯綜して、混乱している。落ち着け、落ち着け。でも無理だった。大切な人との会話を、全部聞かれていたという事実が、あまりにも重すぎて……。

「空君……」

「黙れ」

 思わず険悪な声を出してしまった。ひどいことを言ってしまった。言ってからそんなことに気づいて、僕は顔を上げた。

 詩乃は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 あまりにも、その場に居づらくて、

「ごめん……今日は帰るよ」

 僕はそこから逃げ出した。僕は、最低だ。

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