第5話


「……そんなことになったんです」

 その日の午後五時。いつもの公衆電話で、僕は彼女と話をしていた。

「ははは! 本当に災難だね」

 彼女は本気の大笑いをした。

「笑いすぎですよ……」

 全くもって、あんなやつに関わること自体が、僕の価値観からすればどうかしているのだ。本当に災難だ。

「それで、彼女のお眼鏡にかなう小説は見つかったのかい?」

 見えているわけがない蹴れで、僕は首を横に振る。

「いいえ。さすがに青空をテーマにした小説なんて見当たらなかったです」

 青空なんていうありふれたものに目を向けた作家はいなかったらしい。

もちろん、すぐに見つかると思ったわけではないが、少しだけがっかりした。

「そうか……」

 そこでまた、沈黙が流れた。この話題に下はいいものの、そこまで進展があったわけではないので仕方ないこと。そんなことは僕ら二人ともわかっているので、別段何でもない。今回のこれは、おそらく向こうが考えているからこその沈黙だ。

「なあ少年……君が書けばいいんじゃないか?」

「え?」

 彼女方飛び出した思わぬ提案に、僕は驚きの声を漏らす。

「昔はよく聞かせてくれたじゃないか。君の小説を」

 確かにそうだ。僕は小学生の頃、小説を書いていた。最近では、めっきり書かなくなってしまったけれど、確かに書いていたのだ。

「でも、あんな昔の話……。それに小説は」

「わかっている。君が今みたいなことになった要因だろ?」

「……はい」

 そこでまた沈黙が流れた。これはどんな沈黙だろうか、よくわからなかった。

「それでも……」

 またしても、沈黙を破ったのは彼女だった。

「それでも私は、また君の小説を聞きたい」

 その日の電話は、そこで終わった。

「小説、か……」

 もうどこにもつながっていない受話器に向かって、僕はつぶやく

 

 僕は確かに小学生の頃、鼻つまみ者だった。でも今ほどひねくれていたわけではない。進んで関わらなかっただけで、いじめとかがあったわけではなかった。鼻つまみ者ではあったけれど、特になんとも思われていない。そんな立場だったのだ。

 その立場が一変したのは、彼女が言っていたとおり、小説が原因だ。

 あのころ、はまっていた児童小説の作家に憧れて、小説を作っていた僕は、公衆電話の彼女にそれを聞かせていた。でも、もちろん、頭の中だけでは覚えきれず、ノートを作っていたのだ。

 そのノートを、クラスメートに見られた。みんな僕の小説を肴に、僕のことを公然といじり始めたのだ。全く、ひどい話だ。

 その頃から、僕は人と関わるのを完全にやめた。関わったって、ろくなことにならないと、身をもって実感したからだ。

 小説も、その頃から書いていない。そして書く気もなかったのだ。

 ___でも。

『空がきれいな本を教えて』

『それでも私は、君の小説を聞きたい』

 二人の声が、やけに切実にリフレインされた。接点なんてないのにも関わらずだ。

「……あーあ。僕ってばかだな」

 きっと僕は、家に帰ったらあのノートを取り出すのだろう。もう二度と見たくもないと思っていた、あのノートを。

 

 そしてぼくは今、自分の部屋の机に着いている。

 目の前には、もう過去の遺物だと忘れた、あのノートが置いてある。開けたくない、見たくないという気持ちを押し殺して、僕は最初の一ページ目を開く。

『これをもういちどひらいているぼくは、いったいなんさいなのでしょうか』

 全部ひらがなで書かれたそれを見て、思わずびくりとする。そういえば、自分はノートの一ページ目には何も書かない主義なのだ。ここに書いてあるのは、きっと逆に最後に書いたことだ、ここのことを僕は覚えていなかった。忘れたかったからだ。でも僕はそのページを読み続けた。読まなければいけない気がしていたからだ。

『いまこれをかいているぼくは、もうしょうせつなんてかきたくないとおもっているはずです。でも、これをひらいているということは、きっとぼくは、もういちどしょうせつをかきたくなっているのでしょうね。 もしかしたら、いまのぼくのようにまたかきたくなくなるのかもしれません。でも、きっとぼくはまたしょうせつをかきたくなる。だからぼくは、このぶんしょうをのこします。

 はいけい、いつかのぼくへ。こんどこそ、あなたのかきたいしょうせつをかきあげてください』

「何だよ……これ」

 あーあ、やっぱり僕は馬鹿なんだよな。昔の僕に励まされて、小説を書く気になるなんて。ホント馬鹿だよ。

『ついしん こんどしょうせつをやめるまでにはひゃくさつかきあげてください』

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