第2話

 そんなわけで、僕の日課にイレギュラーへの対応が追加された。なんとなく流れに押し切られて、詩乃の依頼を受けてしまった僕なわけだが、常日頃、友人がいるわけではないので、日常生活に変化があるわけでは無い。ただ少しだけ、図書館による時間が増えただけだ。毎日、昼休みと放課後に図書館によって、「青空がきれいな本」ほ探す。でも、その本がどんな本なのか、指定も一切無いので、捜索は困難を極めた。全く、愚痴をはく相手がいなければ、こんなことはやってられない。

 そう。意外に思われるかもしれないが、一応僕にも、話し相手はいるのだ。ただし、得体の知れない相手だけれど。

 毎日午後五時。学校から家に帰る道までの間に、一つの公衆電話がある。空き地になぜかぽつんと一つだけあるそれは、かなり使い古されていて、銀の番号ボタンも、数字がかすれて読めなくなっている。でも、僕は電話をかけに来たわけでは無い。

 腕時計を見て、時間を確認する。カラスの鳴き声がやけに大きく聞こえた。

 そして、午後五時きっかりに、公衆電話が鳴る。僕はもうなれたことだが、僕は電話をとる。

「やあ。元気かな?」

「ええ。元気です……と言いたいことですが、最近はいろいろあって元気じゃ無いです」

「ははは……。それは大変だな」

「ええ、まったくです」

 いつも通りの芝居がかった彼女の笑い方に、僕もつられて苦笑する。彼女が一体誰なのか、僕は知らない。名前を聞いたことはないし、『公衆電話の彼女』と呼称しているが、彼女にしゃべったことはない。

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 小学校の時、ここを通りがかったら、公衆電話が鳴っていた。周りにだれもいなかったからだろうか。ここで出ないと誰も出ないんじゃ無いかという気がして、僕は電話に出た。

「ぁ……」

 一瞬だけ、声がした。とても弱々しげな、か細い声が。それがどうしても放っておけなかったのだ。今から考えればあり得ない心の動きだが、ともかく放っておけなかったのだ。

「あの、僕、草埜空と言います。小学二年生です。ええと……」

 話し始めたはいいがが、今ほどの語彙も知識も無かった僕は、彼女とどう会話すればいいのかわからなかったのだ。でもそこで沈黙が起きることは無かった。

「空君、と言ったかな。声からすると男子?」

「は、はい」

「そうか、ならば私は君を少年と呼称することにする」

「はあ……」

 なんだか、不思議な声だと思った。さっきまでは弱々しげだったのに、急に芝居がかった声になったので、とても不思議に思ったのだ。

「今日はいい天気かな。少年」

 僕は公衆電話から顔を上げて空を見る。

「いいえ、曇ってます。今にも雨が降りそうです」

 でもその質問に僕は疑問を感じた。そんなことは窓を見れば済むことなのにと。

「君、今不審に思っただろう? こういうのは社交辞令というやつなのだよ」

 しゃこうじれい。僕は口の中でその言葉を転がした。シャコとうじがむきあって、お辞儀をしている様が想像できてしまい、思わずはきそうになった。

「大丈夫かね、少年」

「……ええ。ちょっと『しゃこうじれい』について考えていました」

 僕がそう言うと、彼女は大笑いした。

「社交辞令ではきそうになるとは、君はさぞかし自由な人なんだろうね!」

 ……そうだろうか? 僕の想像した絵面を考えれば、誰でもはきそうになると思うのだけれども。

 でも、少なくとも、一つだけ言えることがある。

「僕は自由な人なんかではありませんよ」

「……へぇ」

 どうやら、僕のつぶやきは向こうに聞こえていたらしい。仕方ない。話すとするか。

「僕は学校では鼻つまみ者です。友達はいないし、誰からも相手にされない。別にいいですけどね。誰にも構ってもらえない代わりに、安定した日常が送れる。それを続けるためには、何もしないことが求められる。当然です。何かすれば注目されてしまうのですから。だから僕は自由じゃ無いです。別に気にしてないですけどね」

「……嘘だな」

「え?」

 彼女は何を言っているのだろうと思った。これは僕の真実。僕のたどり着いた答えなんだ。

 でも彼女はため息をつくと、確信を持った声で話した。

「もし本当にそれでいいのなら、そんな声にはならない。無気力な諦観はやってこないはずだ」

「……言ってる意味がよくわかりません」

「はははっ。だろうな。難しい言葉を使いすぎた」

 彼女はしばらく高らかに笑っていた。何がおもしろいというのだろうかとこの時は思っていたのだが、これはきっと、彼女なりのポーズなのだろうと今は思っている。

 笑い声がやんだとき、また声がした。

「ではこうしよう。私は君の友達になろう」

「はい?」

「なに、簡単な話さ。言葉で無理なら、体験してもらうしか無い。だから私は、君にとって、たった一人の自由に言葉を交わせる友人になろうというのだ」

 彼女はその言葉を、まるで決めぜりふのように言うと、また高らかに笑った。全くもって、わからなかった。なぜ彼女が公衆電話に電話をかけたのか、彼女は何者なのか、そして、なぜ僕を友人にしたのか。それは今も同じだ。

 でも僕は、毎日午後五時に、ここに来る。彼女からの電話を受けるために。


「それで、少年はいったい何が原因で元気じゃ無いんだ?」

 いつも通りのさらりとした口調で彼女は聞いてきた。特に隠すことでもないので、僕は素直に答える。

「別にたいしたことではありません。学校に来た転校生に、頭を悩ませているだけです」

 受話器からまた彼女の高笑いが聞こえる。

「世捨て人を極めている君が頭を悩ませるなんて……絡まれたか」「よくおわかりですね。まさにその通りです」

「なに、たまたまさ。で、一体どうしたのかな」

 僕はその日、図書館で起きたことを、彼女に話した。

「へぇ……君なんかに好き好んで関わることを選ぶやつがいるとはね」

「ちょっと、それはまあまあ傷つくのですが」

「事実だろ? 君は人と関わらないことを選んでいるんだから」

「それはあなたもおなじなのでは?」

 ふと思ったので間髪入れずに言ってみると、彼女は少しだけ黙って、そして大笑いが聞こえてきた。これはポーズではなく本気の笑いだ。

「いやあ、確かにそうだな。私も変わり者だ」

 そうして彼女はしばらく笑っていた。僕もそれにつられて笑う。「そろそろ時間だ」

「はい。わかっています」

 彼女との電話は、いつも三十分ほどで終わる。どうしてかはわからない。なんとなく、聞いてはいけない気がしていた。

「ああそうだ。最後に一つだけ」

「何ですか?」

 彼女は少しだけ間を開けてから聞いた。

「その転入生、どういう風に関わってきたんだ?」

 どうしてそんなことが気になるんだろうと思ったが、あまり気にすることでもないと思ったので、僕は普通に話した。

「ちょっとおかしな頼みなんですけどね、『空がきれいな本』を探してほしいとのことで、よくわからないんです」

「そうか……」

 また、僕らの間に沈黙が流れた。やけにカラスの鳴き声と、受話器から聞こえる彼女の息づかいが大きく聞こえる。

「あの……」

「大丈夫。わかった。また明日な」

 そこで、唐突に電話は切れた。

 

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