あの空のように蒼かった貴方
大臣
第1話
青空を見ると今でも思い出す。この空を「蒼穹」と言うのだと教えてくれたあの人を。何もなかった僕の日常に、彩りを与えてくれた、あの人を。
きっと彼女も、この青空を見ていると思うと、胸が痛む。でも、この痛みを忘れるとは、彼女との思い出を忘れるということだ。全ては終わった話だけれども、それだけは、やってはいけないのだ。
だから僕は願う。どうか彼女の上に広がる空が、今日も青空でありますように、と——。
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始業式の日は心が躍ると言ったやつがいるらしい。馬鹿ではないのだろうか。あんな日のどこが心躍るんだ。始業式は僕にとって最悪の日だった。クラスメートたちとの勢力争い、与するものを間違えれば、次は自分が食われるという恐怖。そんなものを告げる始業式の何がいいんだ。
幸いなことに、僕は学校では世捨て人的扱いなので、そこまでの被害は受けない。その代わり、誰からも相手にされない。
でも、僕はそれでいいと思っているのだ。多くのものはなくても、必要なものはそろっている。これで十分だと、本気で思っていた。
君がこの学校に、僕のクラスにやってくるまでは。
始業式の日は、たいていの場合は同じクラスになりたかったやつがいるかどうかを確かめるのがメインイベントだ。
たまにある、イレギュラーなイベントを除いては。
「皆さん、今日は転校生を紹介します」
担任の教師が、やけに張り切った声で告げる。「え、ほんと?」「どんな子だろー」「かわいい女子だといいな」「いやおまえはお近づきになれねーよ」
クラスメートのいろいろな声が聞こえる。ちなみに僕はと言えば(またやっかいなタスクが増える)と思っていた。その人物が、僕に害をもたらす人間であるかどうかを調べないといけない。下手すると、僕の日常は壊されてしまう。それは避けたい。
「ではどうぞ!」
先生に促され、教室のドアが開けられる。
クラスの空気が、変わった。
僕以外の誰もが息をのんだと思う。僕も目を見張って驚いた。彼女は初対面なのに、それだけの存在感をもって、僕らの前に現れた。「初めまして! 本日から、このクラスでお世話になります、
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蒼谷詩乃のことを調べることはとても簡単だった。
先年度まで東京でくらしていたものの、父親の仕事の関係でここに越してきた。顔の作りは整っていて、見たものをはっとさせる美しさがあると評判。お近づきになりたい男子は多数。でもそのすべてをのらりくらりと躱している。じゃあ女子はと言うと、彼女に対して妬みを込めた目線を向けていたものの、それも最初だけで、すぐに仲良くなっている。つまり、クラスメートのほぼ全員と、当たり障りのない関係を作っている、と言うことだ。
ほぼ、と注釈をつけたのはもちろん、僕がいるからだ。明るい彼女でも、さすがに僕にはかかわらないことに決めたらしく、教室で話しかけられたことはない。
結論として、彼女は僕の日常を脅かす存在たり得ない。それが結論だった。
しかし、僕はこの結論を、わずか一週間でひっくり返すことになる。事件が起きたのはこの一週間後、図書室でだった。
どこの学校にも図書室というものはあるが、この学校のものほどおんぼろで、かつ小さく、誰も寄りつかない図書館はないだろう。 図書館があるのだから、一応図書委員というものがある。しかし、この図書館、なんとも小さいので、一人しかいない司書さんで業務が滞りなく回ってしまうのだ。そのため図書委員は、いてもいなくても構わない委員だった。
だから図書委員は僕一人。世捨て人ただ一人だったのだ。
それなのに、あの日、いつものように図書館で、配架の仕事をしていたら、
「ねえ、おすすめの本、紹介してよ」
本棚にいた僕をわざわざ見つけ出して、彼女は声をかけてきた。
「……え、ええと」
「草埜君だよね? うちのクラスの草埜空くん。もしかして人違い? 君が図書委員だって聞いたんだけど」
確かにそうだ。僕は図書委員で、その職務のなかには、来館者へのレファアレンスも含まれる。でも、今の今まで、レファレンスが必要な来館者なんて来なかった。つまりは、この職務としては初仕事となる。全くもってイレギュラーだが、ここは自分の職務を遂行するべきだ。
「……蒼谷さんは、どんな本をお探しなんですか?」
「詩乃でいいよ。それに堅苦しい敬語もなし! 私たちクラスメートでしょ?」
「そういうわけにも参りません。こちらも仕事ですので」
「つれないなぁ」
蒼谷はまたにこやかに笑った。笑ってないでさっさと用事を済ませ、イレギュラー。
「じゃあさ……」
蒼谷は笑みを浮かべたまま、人差し指を下唇に当てて、かわいらしく言った。それでなんとかなると思ってるのかとも思うが、やけにドキドキしている自分がいて、少し困惑した。
「空がきれいな作品。教えて?」
「……はい?」
「だーかーらー!」
彼女は腰に手を当てて、顔をこちらに近づけてきた。思わずのけぞる。近えよ。息かかってんだよ。でも彼女は、そんなことお構いなしに言う。
「蒼い空のきれいな本を教えて!」
いやなんでだよ。大体、蒼い空がきれいな本って何だよ。でもそんなことは言えない。こちらはそれでも仕事なのだ。
「……蒼い空がきれいな本と言われましても、具体的なジャンルなどがわからないことにはなんとも言えません。どういったものがお好みでしょうか?」
「うーん、わかんない」
「……はい?」
「だから、何でもいいのだけれど、ただ蒼い空がきれいな本を読みたいのよ。日本ではもう見えない、澄んだ青空。「蒼穹」って言うんだっけ? それを見てみたい」
「……」
馬鹿か。生粋の馬鹿だったのか、こいつは。
方針変更。こんなやつと関わるのが間違いだ。
「そんなあやふやなのに付き合えません。どうぞ他を当たってください」
きびすを返して帰る。
「あー、今ばかとか思ったでしょー」
それ以外に何かあったら驚く。
「ここで相手してくれなかったらずっとつきまとうからね!」
彼女の台詞を聞いて、足が止まった。
どこまで絡んでくるんだこいつ!
内心で悪態をはきつつ、僕は先々に起きることを考える。
こいつが僕に絡んでくることによって、こいつに何が起きるかなんて知ったこっちゃないが、僕自身に起きることは問題だ。
蒼谷が絡んでくれば、男子からは「どうやってお近づきになったんだ」という妬みの目線が。女子からは「こんなやつが詩乃ちゃんの近くにいるなんて信じられない」という、排斥の目線で見られる。それだけは避けたい。クラスの勢力争いには絡みたくない。
僕はため息をついて、蒼谷の方に向き合った。
「で、蒼谷さんは……」
「だ、か、ら!」
またしても、彼女はやけに強調する。こいつ……まさか。僕は恐ろしくなってきた。しかし、ここで従わなければ、きっとこいつはつきまとってくる。それがわかった瞬間……ものすごく面倒くさくなった!
「はあ……で、詩乃は一体どうしてほしいんだ」
「よろしい!」
蒼谷__詩乃は胸を張ってにこやかに笑った。元々無いそれを強調したところでたかがしれているだろうが、これを軽口で言えるレベルの関係にはなっていないので、そこは黙っておいた。
「私の要求はこうです!」
「要求って身代金誘拐の犯人かよ」
思わずぼそっとつぶやいたが、彼女には聞こえていたらしい。
「えへへ」
「褒めてないから」
何でこの程度のことで照れくさそうに笑うんだ、馬鹿か。
「まあともかく」と、詩乃は急に顔をシャキッとさせた。仕切り直しのつもりだろうか。
「わたしは青空がきれいな本であれば何でもいいんだけど、でも私には知識が無いからわからない。だから、本の知識がある君に、本探しをお願いしたいの」
「……使いっ走りかよ」
思わずため息をつく。条件が微妙すぎる。
「もちろん、ただでとは言いません!」
「……へえー」
たかだか学生のこいつに、一体どんな条件が出せるというのだろうか。まさか金が出てくることはあるまい。
「もし、私の言うことを聞いてくれたら……」
そこで詩乃は言葉を切って、しばらく黙った。ドラムロールがなっていそうな間だと思った。
「私がキスしてあげます!」
「アホなのかなこいつ!?」
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