第9話 異世界銭湯
夕方。
その後みんなと合流し、天幕に戻ってきた。
待ち受けていたスヴェンに報告すると、感心したように頷いていた。
「なるほどな。薪の仕入れか。それは盲点だった」
「勿論、他の街と比較する必要はあると思いますけど、目撃情報のあるヘルンが有力かと……」
「調べてみる価値はありそうだ。早速他の都市に潜伏している調査員たちに連絡しよう」
だが、その前に……、とスヴェンは苦笑した。
「早速君の出番だ、涼太。みんなを風呂に入れてやってくれ。もちろん君も入った方が良いな。全員煤で真っ黒だ」
俺達は顔を見合わせた。顔の中で白いのは歯だけ。あとは首筋も胸も腕も何から何まで真っ黒だった。服はもともと黒い外套なので煤が目立たないが、歩く度にパラパラと黒い粉が降ってきた。これはマズい。
いますぐ風呂を……!
銭湯屋の使命感が、沸き上がる――! ほど俺は熱血ではないが、確かに全員風呂に入れねばならないことは確かだった。
「すぐに沸かします!」
俺と鶴は天幕を飛び出し、鶴の中の銭湯を出しても構わない場所を探し始めた。
□□□
素っ裸の子供たちがはしゃぐ声が、風呂場に反響した。
「なんだこの風呂……! でっけぇ! 湯舟がいくつもある!」
「しかもお湯が延々と湧き出てくるよ! 怖い! 隙間に誰かいるの!?」
「壁にでっかい絵が描いてあるよ! 山の絵だ。綺麗だなぁ」
「総タイル張りとか、職人にいくら払ったんだよ!」
「レバー回したらお湯が出てきた! 向こうに誰かいるの? どんな仕組みなの?」
……うるせー! 思わず耳を塞ぐ。
こいつら脱衣所では猫を借りてきたかのように大人しかったのに、風呂場に出た途端歓声がすごい。
「……そんなに珍しいのか? 風呂ってこっちにもあるんじゃないの?」
横に並んで、呆気にとられながらあたりを見回していたアクセルに聞いてみる。
「……あるっちゃああるが、ここに比べたらちゃちなもんだよ。居酒屋の片隅で、鍋で沸かしたお湯を湯桶に入れて、衝立を立てて、入るだけ。こんな無尽蔵に湯が沸いてくる風呂なんて、王族でも無理だ……」
いやまぁ、無尽蔵ってわけでもないんだけどね。燃料はまだあるとはいえ、貯水タンクが空になったらそこで終わりだし。
「なぁ、入ってみてもいいか?」
恐る恐る聞いてくるアクセル。お前そんなキャラだっけ?
「こんな綺麗な風呂使うの初めてだから、なんか怖くってな……」
……まぁ気持ちはわかる。
「入る前に、身体洗ってからな。煤だらけの身体じゃ湯を汚しちまうから」
「わかった。……お前ら聞いたな! 身体を洗ってからだぞ!」
アクセルは大声で煤だらけの身体のまま湯舟に飛び込もうとしていた子達を制止した。「は~い」と元気のいい返事が返って来た。今度は洗い場の蛇口の使い方を教える羽目になったが。
「っあー。生き返るーー」
「そりゃあよかった」
湯舟に浸かって手足を気持ちよさそうに伸ばすアクセル。おっさんのような台詞だが、まあ散々働いた後だし、そういう感嘆の声が出るのも分かる。俺も倣って伸びをした。気持ちいい。
アクセルがしみじみと言う。
「お前この銭湯の跡継ぎなんだってな。いいな。金もがっぽり入るだろ?」
「そうでもないさ。俺の国だと普通の家にお風呂がついてるんだよ。銭湯に来るのは昔なじみがほとんどだし、客足も少なくなってきてる」
「お前の国わけわかんねぇな……。でもまぁ、継げるなら継いどけ。手に職持ってるやつの方が強いんだからさ」
異世界でもそういう事言われるとは……。
鶴に耳にたこができるほど言われたことだから、内心うんざりして肩をすくめた。
「継がないよ。俺、やりたいことあるんだ。銭湯やってる場合じゃない」
「へえ、お前のやりたいことって?」
鶴が耳をそばだててる気配を感じる。この前の喧嘩じゃあ、言い合いになってそれどころじゃなかったからな。俺はしばらく言いよどんだが、結局口を開いた。
「……母親がどこから来たのか知りたいんだ」
「は? 母親?」
予想外だったのか、アクセルは素っ頓狂な声を出した。
「そう。俺の母ちゃんは外国人だったらしいんだけど、どこの国の人かわからなくてさ。親父も知らないらしい」
「……親父さん、よくその人と結婚したな」
「放っておけなかったらしい。嵐の日に家の前で倒れてて、保護したんだって。でも母ちゃんはどこでもない国の言葉をしゃべるし、行方不明者リストにも載ってないし、警察もお手上げでさ。結局、親父が身元引受人になったんだ」
そんで母ちゃんは拙いながらも銭湯を手伝うようになった。親父と一緒に働くうちに想い合うようになり、結婚して俺を身ごもって……。そして俺のお産の時に母ちゃんは死んだ。
「だからまぁ、もし母ちゃんの家族がどこかの国にいるなら、会って謝りたいなって思ってさ。あなたの娘は俺を生むために亡くなってしまいました。ごめんなさい……って」
許してもらえるかはわかんないけど、そうしないと罪悪感で潰されそうだった。
「だから、銭湯は継げない。母ちゃんの故郷を探すため世界中を旅しなきゃいけないからな」
俺のやりたいこと発表会終わり! と言ってことさらに明るく笑ってみるものの……やっぱり雰囲気が重い。言わなきゃよかったかもな……。
『涼坊、俺そんな理由があるなんて知らなくて……。この前酷い事言って悪かった……』
鶴がしょんぼりと謝ってくる。俺はあえて笑った。
「いいって別に。黙ってた俺も悪いし。……まぁそんなわけで銭湯を継ぐのは無理なんだ。悪いけど、わかってくれな」
しかし、鶴は静かに首を振った。
『いや、俺は待ってるよ。お前が女将さんの故郷を探して戻ってくるのを。それまで親父さんと銭湯を守りきってみせる』
まてまてまて。なんでそうなる!?
「前から思ってたけど、なんでお前そんなに俺と銭湯やりたがるの? さみしいの?」
『ばっ、馬鹿。違う! ……肝心の女将さんにお前と、この銭湯のことを頼まれたからだよ』
「は? お前俺の母ちゃんの言葉分かったの!?」
あまりの衝撃に思わず勢いよく立ち上がってしまった。湯舟から湯が溢れる。
鶴は俺の勢いにのけぞりながらも答えた。
『い、いや、分からなかったけど、俺のことは見えてたみたいだ。よくお前のいた腹を指して何か言って、俺に拝むポーズをしていたよ。ああこれは俺にお前のことを頼んでるなってはっきりわかった。銭湯も同じ』
まさか俺以外に鶴が見える人がいたとは! ……いや逆か、母ちゃんの見える能力が俺に引き継がれたってことかもしれない。
「考えすぎてめまいがしてきた……」
「湯あたりかもな。まぁそれはそうと、他に手掛かりはないのか? 流石に場当たりで探すのは無理があるぜ?」
アクセルが至極真っ当なことを言った。だが抜かりはない。
「ボイスレコーダー……ええと、録音機械に母ちゃんの肉声が録音されてる。親父が母ちゃんに日記代わりにしろって渡したみたいなんだ」
「録音、機械? なんだかよくわからないが、それを使えばお前の母親の声が聞こえるってことか。なら母親の言葉が通じる国が、お前の母親の祖国ってことになるな」
「あと写真もある。それを見せれば、顔もわかるはずだ」
写真が何なのかわからないのか、アクセルは首をかしげたが。似顔絵のようなものだと納得したらしい。
「お前の母親の国、無事見つかるといいな」
そうアクセルは心から祈るように言うものだから、俺は不覚にも胸にこみあげるものを感じた。
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