第8話 煙突掃除人と潜入任務
翌日。
俺達は揃いの黒い外套、黒い帽子に身を包んで出発した。この黒づくめの服は煙突掃除人の象徴らしい。
煙突掃除人の商売道具であるはしごや箒や煤取りが肩に食い込む。
俺達が潜入した都市は、ヘルンという。街の規模としては中都市らしい。
立派な教会は砂糖菓子でできたように壮麗で、広場には大道芸人が芸をしたり、馬に乗った紳士が行きかったりと人でごみごみしていた。雪の解け残りがあっという間に踏まれて、茶色く濁っていく。ただ、みんな元気がないように見えた。スヴァリアが侵攻中だからかもしれない。
(本当に異世界に来たのか……)
石畳の固い感触を靴越しに感じながら、そう感嘆した。ちょっと心細い。
大きな通りに出るとアクセルたちは口々に叫んだ。
「煙突掃除はいかがですかァ! 煙突を綺麗にいたします」
思わず背筋がビクッとなった。びっくりした……。
『お、ああやって客を探すのか。涼坊お前もやろうぜ』
鶴は能天気に言う。人ごとだと思って……。やけくそ気味に声を出す。
「煙突掃除ー! 煙突をぴかぴかにしますよ!」
アクセルたちは新入りの大声にニヤリと嬉しそうに笑った。そして、ますます声を高らかに上げ、客を探す。道行く人が振り返り、子供たちがきゃっきゃと囃し立てた。
しばらくすると、四階の建物の窓で女の人が手を振っているのが見えた。
「よし、涼太。行こう」とアクセル。俺達二人は皆から抜け出して、客の元へ向かった。
客のふくよかな女性はすぐさま俺達をリビングの暖炉の側に招いた。
「暖炉の煙が抜けないから、ちょっと見て下さらない?」
アクセルはちょっと暖炉の中をのぞくと、頷きながら言った。
「ああ、これは大分煤(すす)が溜まってますね。今から一人、暖炉の中に入って煤を払い落とします。それでうまく煙が抜けるでしょう」
女性はリビングが汚れそうだと思ったのか、ちょっと不安そうな顔をした。が、結局頷いた。
「お任せするわ」
「決まりだ。涼太、暖炉の中には取っ手が上まで続いている。それで煙突の上まで登って行ってくれ。上までいったら腕を左右に伸ばして、大きな煙突に繋がっているもう一つの穴を探して両手で殴れ。煤の塊が詰まっているはずだ。煤は下に落としていいからな」
流石本職、実にきびきびとした説明だけど……あの、俺がやるの?
不安が顔に出ていたのか、アクセルは俺を引き寄せると耳打ちした。
「……暖炉の中に、煙突の精がいるはずだ。そいつからこの街の火葬場のことについて何でもいいから聞いてきてくれ。火葬場の事は煙突に聞くのが一番だ。あの女は俺が引き留めておく。……それともお前が引き留め役をやるか?」
俺は慌てて首を振った。女の人に何を話せばいいってんだよ。
「じゃあ、煙突の精のことは任せた」
トンと励ますように背中を叩かれた。……わかったよ、やりますって。
俺は目を閉じると思い切って暖炉の中の取っ手を握りしめ、上へと昇っていく。……案の定、煤が滝のように降ってきた。もろに被ってしまい、くしゃみが止まらない。煤は耳の穴にも、口の中にも入ってきた。目をつむっていたのは大正解だった。ついに鼻もつまり、口で息をするが、息苦しくてめまいまでしてきた。
正直戻ろうかと思ったが、ここで降りたら男が廃ると思い直す。意地でも昇る。
しばらくして、手探りで空気穴を見つけた。手を突っ込み、煤の塊をほじくり出し、下に落とす。に、任務完了……?
『よし、よくやった涼坊! あとは煙突の精に話を聞くだけだ』
そうか、まだそれがあったか……。
半ばやけくそで上まで昇りきると、新鮮な空気が頬を撫でた。貪るようにして深呼吸を繰り返す。空気穴の隙間から四角い空が見えた。そこにひょこんと煙突の精が上から覗き込んできた。黒い髪の男の子に見える。その子が感心したように口を開いた。
『おおー、大したガッツだ少年』
「いや、お前も少年だし。……げほっ」
うむむ、煤のせいでツッコミもキレがない。煙突の精は不思議そうに小首を傾げた。
『そうか? ここいらの煙突は皆同じ長さだから、これが普通だ。それにお前の連れてる煙突の精も子供じゃあないか』
鶴が不満そうに反駁する。
『いや俺は、折れたからこのサイズなのであって……。まぁいいや。それより聞きたいことがある』
煙突の精はコクリと首を縦に振った。
『ああ、いいぞ。綺麗にしてもらった礼だ。何でも聞いてくれ』
俺は煤で真っ黒になった口を開く。
「ええと、この街の火葬場についてなんだけど。最近何か変わったことはないか? スヴァリアの王様がここで焼かれるんじゃないかって噂があるんだ」
煙突の精は鷹揚に頷いた。
『ああ、その噂か。というかここだけじゃなく十二都市全部で囁かれてる噂だろう? 知っているよ。……まぁ、俺も気になって煙突仲間に聞いてみたんだけど、この街で王様そのものを見た人は誰もいないなぁ。肝心の火葬場の煙突の精もこの件に関しちゃだんまりだし』
くそ、手掛かりが途絶えた。
俺があからさまにがっかりしたのに驚いたのか、煙突の精は慌てて口を開いた。
『まてまて、少年。諦めるのが早すぎるぞ』
じっとりと見上げる。
「……というと?」
『せっかくここまで来たんだ。別のアプローチをしてみなさい。別に王様の目撃者がいなくても、王様がいるかわかる方法があるだろう?』
別のアプローチ……? わからなくて煤で汚れた手で頭をばりばりと掻く。ぱらぱらと煤が落ちた。ぼんやりと眺める。
煤……、燃やすもの……、王様……別のアプローチ?
しばらく悩んで、ハッと閃いた。
「あ、王様を燃やすのに質のいい薪が大量に要るんだ。短時間にひと一人灰にするんだから、よほどの火力じゃないと……」
『おおー、正解だ。やるじゃないか少年』
煙突の精が嬉しそうに指を鳴らした。
『そう、それぞれの街の火葬場にどのくらいの薪が運ばれたのか把握すれば、手掛かりの一つにはなる。あとは薪の質だが、値段の高い広葉樹の方が火力が高い』
「じゃ、じゃあ、広葉樹の薪がどの位火葬場に運ばれたのか見れば……!」
王様がどの都市にいるのかわかるわけだ!
『そうとも、頭のいい子は好きだよ。よし、更に耳寄りな情報をやろう。この前三軒隣の煙突の精が、夜中に荷馬車三台分のブリュークナの薪――ああ、これはめちゃくちゃ値段の張る広葉樹だな――を火葬場に運びこむのを見たらしい。どうだ? 夜中ってところが如何にも怪しげだろう?』
俺もパチリと指を鳴らした。
「ビンゴ!」
『……か、どうかは他の街を確認してからだが、この街の火葬場の可能性は高くなったな』
と鶴が安堵したように笑う。
煙突の精は胸を張った。
『ふふん。ヘルンの煙突の精も中々やるもんだろう?』
「もう天才だよ! ありがとう煙突の精!」
煙突の精はにっこりと笑って執事のようなお辞儀をした。
「こちらこそ、煙突を綺麗にしてくれてありがとう。少しでもお礼になれば幸いだ。またな少年」
俺達は笑いあうと、手を振って別れた。
未だ降ってくる煤にせき込みながら、俺たちは下に降りていく。ようやっと暖炉から出ると、……アクセルはどんな話術で引き込んだのか、女性と紅茶を飲みながら談笑していた。急に脱力する。
「はぁ、終わりましたよっと」
「ああ、よくやった。お疲れさん」
片手を上げて労うアクセル。小憎たらしいな!
「あら、ありがとうね。ちょっと時間が掛ったみたいだけど、暖炉はうまく燃えそうかしら」
女性は紅茶を置くと、財布の中から銅貨を取り出しアクセルに渡した。
「それはもう、勿論。夏の恋のように燃え上がりますよ」
アクセルはおべっかを言って女性の手をとった。女性の顔が赤くなる。……なんだこの空気。
「では、お嬢様。私たちはこれで失礼します。暖炉の煤が溜まったらまたいつでもお呼びください」
「ありがとう。またね」
アクセルはお辞儀をすると、俺を促して外に出た。
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