第4話 異世界


 気が付けば地面に倒れ伏していた。頬が冷たい。薄く目を開けると、視界が白い。雪だ。


 ――おかしい。さっきまで雨だったのに、雪? 

 それに俺は倒れてきた煙突に潰されそうになったはず……。でも痛みがない。


『起きろ涼坊! 起きてくれ!』

「鶴……?」


 いやに甲高い声で子供が叫ぶ。切迫した響きだ。慌てて身を起こす。

 立ち眩みがしたが、身体はどこも無事だった。


『ああ、やっと起きた。死んじまったんじゃないかって気が気じゃなかった』


 ホッと肩をなでおろしたのは、宙に浮いた白い髪の子供。それ以前に目を引くのは白い肌に残る広範囲のひび割れだ。まるでくもの巣のよう。痛ましすぎる。

 ……いや、それにしてもこの子。


「……お前、鶴なのか?」

『そうだよ、雷で煙突が折れたせいでその分サイズが縮んじまった』


 そう言って事もなげに肩をすくめる。肌のひび割れも落雷のせいらしい。

 俺は慌てた。


「大怪我じゃん! 大丈夫なの!?」

『俺は煙突の精だ。人間と違って痛みはないよ。それより周りを見てみろ――何か気付かないか?』

「周りって……えっ?」


 ぐるりと周囲を見渡して驚いた。雪原だ。他に何もない。雲越しの薄い陽光がうっすらと降り注いでいる。遠くに森が見える。

 建物と言えば、背後にあるうちの銭湯と盛大にへし折れた煙突の残骸だけ。


「なんだこれ……。ここどこ?」

『わからない。夢でなければ、落雷の衝撃で銭湯ごとどこかに飛ばされたとしか……』


 思わず乾いた笑いが漏れる。


「はは、んなファンタジーじゃないんだから」


 反して鶴は真顔だ。


『いわゆる神隠しってやつだ。俺は戦前から煙突の精をやっているんだぜ。神秘の薄れつつある日本でもこういうことはままある』

「まじで……?」

『まじで』


 こんな時に鶴が冗談を言うはずもなく……。

 呆然としているとドドドドと何かが森から駆けてくる音が聞こえた。……馬だ。四頭。それぞれ誰かが乗っている。全員黒い外套に黒い帽子。黒ずくめでさしずめ死神のような格好だった。

 ……こっちにくる。


「な、なんだ?」

『現地人じゃないか? 言葉が通じるか不安だが、少なくとも人間だ。それに、……ツイてるな』

「ツイてるって? 運が? なんで」


 どこか(ここが地球だって保証すらない)に飛ばされて、運があるなんて口が裂けても言えない! と俺は思う。

 しかし鶴は嬉しそうに笑った。


『運もだけど、やつらの上を見てみろ。ははっ、御同輩だ! 初めて見た』


 言われて初めて気づいた。黒いヤツらの頭上にうっすらと霊が見える。三人分。それもただの霊じゃない。御同輩ってことは、鶴と同じ煙突の精だ。


(ツイてるって、憑いてるって意味か!)


 ……そうこう言ってるうちに、黒コートの四騎はこちらの様子を推し量るように数メートルの距離を保って止まった。

 ゆっくりと三騎が猟銃? をこちらにむかって構える。

 反射的に体が緊張した。


「!?」

『! 動くなよ、涼坊。下手な真似すれば蜂の巣にするって威嚇だ。まだ交渉の余地はある』


 張りつめた鶴の声だが、余裕がある。伊達に戦前生まれじゃないらしい。おかげでパニックにならずに済んだ。

 こちらがおとなしくしているのを見て、一騎がゆっくりと近づいてくる。黒髪の煙突の精も一緒だ。

 馬上の男は俺の後ろの銭湯を訝し気に見ながら、目の前で止まった。

 ごくりと喉が鳴る。男が口を開いた。 


「……hsoerfjsgorfkgsrtfgsrglthbsrg?」


 何言ってるかわからん! ……と思ったら鶴が事もなげに返事をする。


『いや、俺たちはここの住人じゃないよ。後ろの建物を見たらわかるだろ? 別の世界から飛ばされてきたらしい。保護してもらえたらありがたい』


「hosu,kpsorgserer……」


 男は目を見開いて、感嘆しているようだった。いやこっちはそれどころじゃない。

(……なぜ通じている!?)


『向こうの煙突の精に通訳をしてもらってるんだ。お前も俺が憑依したらこの男の言葉が分かるさ』


 と言って鶴は俺におんぶするように抱き付いてきた。一瞬、ぶわっと全身の毛が総毛立つ。それが収まる頃にはもう男の言葉が理解できるようになっていた。


「驚いた……。まさか本当に『王鳴』が起きたとは。しかしなるほど、異世界から来たというのは確かなようだ。見慣れない服、通じない言葉、顔立ちも我々と似ているが少し違う。いや、どこかで見たような気もするが……それに後ろのそれは何だ?」


 それ、と指さされた後ろを見る。……うちの銭湯ですな。


「風呂屋です。お湯に入ってあったまります」

「たかが風呂にそんな大きい建物が必要なのか? ……まぁいい。君たちを歓迎しよう。『王鳴』で訪れた異邦人なら、我々の救世主も同然だ」


 耳慣れない言葉に首をかしげるも、ひとまず身の安全は保障されたようだ。


「あ、ありがとうございます。……でもその、『おうめい』? 救世主? って何ですか?」

「詳しい話は我々の本拠地で。ついてきてくれるか?」


 正直初対面の人について行くのもアレだと思ったが、ここは右も左もわからぬ異世界。正直藁にもすがりたい思いだったので、事情に詳しい人がいるなら願ったりだ。俺は力いっぱい頷いた。


「はい、よろしくお願いします!」


 男も頷き返した。


「決まりだ。ならば、君の後ろの風呂の建物、騎士形態にしてくれ。建物のままだとここでは目立ちすぎる」

「……はい?」


 騎士形態ってなんぞや。頭の上にいっぱいはてなを浮かべると、それに気づいた男は驚いたように目を見開いた。


「……煙突の精は自身の設置された建物をゴーレムに変形することができる。暖炉の煙突なら家一軒丸ごと変形し煙突の騎士となる。まさか知らんのか?」


 神妙に頷き返すと、男は呆れたようだった。


「異世界とは不便なところのようだな。建物のままでは戦う事もできない。有事の際にはどうするのだろうか」

「いやまぁ、戦車だの戦闘機だの戦える兵器がありますが……」

「あとで詳しく聞かせてくれ。……まぁそうはいっても同じ煙突の精、コツさえ教えれば変形できるのではないか? ウォーカー、教えてやれ。30分やる」


 男に憑いていた黒い髪の煙突の精は頷くと、俺にしがみついていた鶴をぐいぐい引っ張った。鶴は嫌そうだった。


『変形とかロボットじゃないんだから……』


 俺は思わず笑った。


「いいじゃん男の夢だよ。カッコいいって絶対」

『はぁ、あとで覚えてろよ……』


 そう言って鶴は俺から離れ、二人は銭湯の中に入っていった。

 馬から降りた男が、親し気に話しかけてくるが――。


「soegjis;orifgera?」

「鶴と向こうの煙突の精がいなくなると、途端にわかんなくなるなぁ……」



 10分後……。


 まず屋根がへこんだ。

 続いて、べしゃりと何かに押しつぶされたかのように四方の壁が収縮する。先が折れた煙突が中心に埋め込まれ縮んで、脈動するように形を崩していった。

 変形に失敗して銭湯が潰れた(物理)のかと慌てたが、さにあらず。

 一瞬後、逆にむくむくと膨れ上がり……。


 俺と男は首が痛くなるまで見上げる羽目になった。


 1分後。ついに、右腕の折れた煙突を砲のように頭上に突き出したポーズをとった、人型のゴーレム? が誕生した。

 ――ただしデカい。


「縦横に家二軒重ねたぐらいはあるな……」


 元の銭湯がデカかったからかもしれない。

 男はその巨体にしばらく呆気に取られていたが、ハッと我に返ると、ゴーレムに向かって呼びかけた。


「soifgsr0tokgsrtgts!」


 すると、ぽひゅんと間抜けた音を立てて銭湯ゴーレムが消えた。雪原には何か重い建物が存在したらしき巨大なへこみしか残されていない。そのへこみの上でぽかんと間抜け面した鶴と黒髪の煙突の精が浮いていた。


 しばらくして鶴は疲れた顔でへろへろと寄ってきて、俺の肩におんぶしてきた。


「……ええと、何がどうなった?」

『……俺の中に銭湯を丸ごと収納した、らしい。うう、気持ち悪い』


 なんか心なしか、俺の肩が急に重くなった気がする。銭湯丸ごとて……。

 男はため息を吐いて同情するようにこちらを見た。


「たかが風呂屋と侮っていて悪かった。あれほどの質量ともなると、その煙突の精は大分苦しいはずだが勘弁してくれ。俺たちは隠密行動中なんだ。あんな大きなゴーレムを連れて歩くわけにはいかない」


 隠密行動中……。きな臭い言葉である。思わず顔をしかめる。

 俺の顔つきが変わったのを見て、男は宥めるように笑った。


「胡散臭いのもわかるが、事は君が無事に元の世界に戻れるかにもかかっている。話を聞いてくれるな?」


 YES以外に選択の余地はなさそうだった。俺は頷いた。


「助かる。それと俺の名前はスヴェンだ。軍人をやっている」

「瀬川涼太です。涼太が名前、瀬川が姓。15歳の学生です」


 手を差し出されたので握り返す。握手。こっちにも同じ風習があったとは。


「……異世界人の挨拶だと聞いたが、慣れないものだな」


 苦笑いされた。気を使ってこっち由来の挨拶をしてくれたらしい。


「さていくか。俺の馬に乗ってくれ。同乗は狭いだろうが、ゴーレムでの移動は目立ちすぎるからな」


 四苦八苦して乗り、いよいよ出発だ。不安もあるが、鶴も一緒ならきっと乗り越えられる。必ず家に帰らなければ。

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