第177話 間違い探し

◇ ◇ ◇


 この世界に転移されてきて初めて人の思考を読むことができなかった。いや、正確に言えば読めなかったのではなく、分からなかったという表現が正しい。

 先輩……冒険者ではない自分に代わって依頼を受けたあの人に読心を使ってみた結果見えた物は……何もなかった。

 まるで何もない空間のような、真っ白のキャンパスでも眺めてるような、そんな感じがした。

 だからこそ、自分は先輩のことが少しだけ怖くなった。何を考えているのか分からないというのがこれほどまで怖いのもだって、知ってたはずなのに、先輩にもう一度それを教えられたような気がした。


 こっちの世界に来て、個性を解放してからは全てが上手く回っていた。相手の考えを逆手に取り、上手く金をせしめ、危害を加えられそうになればすぐに逃走することもできた。


 自分の想像以上に自分の体が動くことにまず驚きを隠せなかった。


 自分はそもそも、“動く体”なんて物知っちゃいなかった。

 自分はそもそも、自分なんか知っちゃいなかった。

 自分はそもそも、他人何か知っちゃいなかった。


 いつも夢を見て、少しだけ目を開けて、そしてもう一度眠るだけの毎日。起きていることが殆どできなかった。“生きている”ことが殆ど出来ちゃいなかった。


 そんな自分が、まさか異世界に召喚されて、こんなに自由に、気ままに動くことが、話しをすることができるなんて思いもしなかった。

 人をだます事に抵抗なんかなかった。そもそも、騙しちゃいけないなんて言われても話す相手さえいなかったんだからそんな事知った事じゃない。


 ようやく自由にできる。ようやく人の生活をできる。ようやく“生きている”をできる。

 

 小枝の様だった四肢もいつの間にか年相応の物になり、抜け落ちていたはずの髪の毛も鬱陶しいほどに伸び、とめどなかった虚無感も、いつの間にかなくなっていた。


 だから、これは神様が今まで頑張った自分に与えてくれた贈り物だと思った。

 今度は自由に生きていい。今度は好きに動いていい。今度は望むことをしていい。


 そのどれもが今までの自分にはない物で、手を伸ばして届く範囲が自分の世界だったはずなのに、今では見渡す限りの街や草原、森に海に砂漠に国に店に家に、どこにでも行ける。

 お金なんか簡単に稼げる。騙し取った小銭をギャンブルで増やしてやればそれだけでもひと財産だ。

 大丈夫。昔の自分の世界にはこういう場所の情報が、こういう状況の想像が、こういう環境の正しい歩き方が書かれてた。


 それを少しずつ読み進めて、夢の中で復習して、知識だけは積み上げてきた。


 ある程度の金がたまれば次はコネクションが必要だ。強い後ろ盾があればそこから成りあがることもできるし、やれることは一気に増えるはずだ。

 この世界にないはずの知識を自分は沢山持っている。何年も、何年も何年も、何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も知識だけを蓄えてきたんだ。


 だからこれから自分はこの世界で好き勝手して、自由に生きてやる。やりたかったことも全部やってやる。好きな事だけして死んでやる。


 そう……思ってた。


 運命って本当に残酷で、悪辣だった。

 

 それとも、先輩を利用しようとしたのがいけなかったのかな。


 既にこの世界には様々な物が流れてきており、自分が考え付く、覚えている“攻略法”はどれも既知の存在であり、その攻略法の攻略法が存在していた。

 まあでも、それだけだったらどうとでもなるはずだったんだけど……そうじゃなかった。


 本当に最悪だったのは、この“女”だった。


 あの男と別行動をし始めて少し経った頃、情報収取の為に薄暗い通りにいるって話の情報屋を頼ることになったんだけど、薄暗い道に入って、大通りから視界が遮られるようになった瞬間、自分は目の前の女に腹を殴られ、頭を踏みつけられた。


「てめえ、どういうつもりだってんですか?目的は?なんの意図がありやがって私達に近づいてきやがった」


 自分を見下すその女の目には妙な既視感を覚えた。胃の中身がこみ上げてくる不快感と、腹部の激しい痛みに顔を歪めながら見上げた表情は……まるであの頃の、自分の世界意外何も知らなかった自分が、時たま連れ出され、色々な薬品を体に注射される時に浮かべた、窓ガラスに映った自分そっくりだった。


 未知に対する恐怖。現状の崩壊を忌避する感情。ほんとうに様々な物が体の内側を這いまわる恐怖。


 そんな表情を、無理やり塗りつぶした様な顔だ。


「い、いたいっすよぉ……もう、怪我しちゃうじゃないっすか……」


「強がるんじゃねえです。今のは割と本気の加速で殴ってやりましたから骨が砕けててもおかしかねえです」


 そう言って自分の頭を踏みつける力を更に強くしたその女。

 

 痛い痛い痛い痛いっ!お腹が痛くて頭がおかしくなりそうだ……どうしてこの人はこんなことをするんだ……自分が何をしたって言うんだ……。


「無視してんじゃねえですよ」


 ストンと、何か途方もない熱を持つ物体が手の甲に落ちたかと思うと、頭に乗っかっていた足が今度はそれに移動し、さらにそれを深く地面に突き刺した。


「ああああぁぁぁぁぁっぁぁっ!!!いあああややあああああっいだいだいぃぃいいっ!!!」


「話せるじゃねえですか。じゃあさっさとテメエの目的を聞かせやがれってんです」


 なんでそんなに自分を疑うんだ……自分はそんな事何も考えてないのに……


「けひっ……いつからだぁ?いつから気が付いてたんだよぉ?」


 口が勝手に動き出す。溢れる様な悪意が決壊したように口から言葉となって触れていく。

 これは自分じゃない。こんなのは自分じゃないのにどうして……


「初めっから気が付いちまってますよ。まともな奴は頭にナイフぶっ刺さるの見て普通でいられるわけがねえんですから。それにテメエの目。そんな目をしてやがった連中はこれでも腐るほど見てきちまってんです」


そう言って今度は逆の手を地面に縫い留めた女。頭がおかしくなるような激痛が再び手から脊椎を突き抜け、脳みそを焼き尽くす。


「けけけっ。そんなことしても無駄なんだよぉ!俺は痛みなんざ感じやしねえんだからよお!」


 勝手に飛び出していく言葉が一旦途切れたと思ったら、全身が一瞬で冷える様なおぞましい音が耳に聞こえてきた。


 まるでトマトでも握りつぶしたかのような、そんな音。

 

 その音の方向に視線を向けてみれば、ナイフで地面に縫い留められてた自分の手の平が……二つに裂けていた。


 直後、飛び跳ねるようにして起き上がった体が腕を振るい、彼女の目に血を飛ばして踵を返した。


 今までじゃあり得ないような身体能力を発揮した体は易々と民家の屋根に飛び上がり、次の屋根へと飛び移っていく。

 

 流れる景色を見送りながら、手にあったはずの痛みと違和感がなくなっていると思い、視線を移せば、既に掌は自分のよく知る形に戻っていて、若干ぬめりを含み始めた血が付いているだけだった。

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