第87話:やりなおし
彼との最も古く、そして最も大切な記憶の泡沫がはじけて消えた。
今なら、この古い記憶の最後に感じた想いを“言葉”として適切に表現できる自信があった。
しかしそれも後の祭り。妖精の肉体は既になく、魂は生と死の狭間で次の選択を待っているだけ。
「ああ……私って、ほんと、感じ悪い子だったんだなぁ……」
数多の可能性、過去、そして自らの最期――それらをすべて照らし合わせると、自分に何が足りなくて、何が必要だったのかを思い知らされる。
それは凄く単純で、当たり前だけども、かつてのサリスが意識をしていなかった、ないがしろにしていたとても簡単で、大切なこと。
やがて膝を抱えてすすり泣く彼女の頭上へ、光が差す。
「そっか……もう時間なんだ……」
選択の時。
数多の妖精は、これまでの世界に辟易して、別の可能性へと旅立っていった。また辛いこと、哀しいことばかりがある今の世界へ再び降りるなど、どの妖精も考えはしなかった。
「……」
しかし残された妖精は、それでも足元で輝く“今の世界”に心を惹かれる。
もしかすると、同じ世界であっても、もう二度と彼に出会える可能性は低いだろう。むしろ、“今の世界”にとって、彼女は大罪人であり、憎しみの対象でしかない。それでも心が足元へ向かうのは、ひとえに“彼”の存在があったからだった。
「ダメだよね、私なんかが……」
――もう何が足りないかわかった?
不意に言葉のような、文字のような不思議な感覚が妖精の頭をかすめた。
――もう間違えない自信はある?
――ちゃんできる?
――また間違えれば、同じことになって、貴方は今度こそ消されてしまうよ。そうであっても、可能性を願う?
矢継ぎ早の問いかけ。これが何なのかは分からない。不審でもある。
だが、欲しい言葉でもあった。
――決して多くの人ではないけれど、それでも貴方の幸せを望んでいる人は確かにいるよ。だからそうした人たちの想いを背負える? その覚悟はある? 頑張って今度は幸せを掴むことができる?
【君は、君の幸せを望んでくれている人へ応えることができる?】
言葉が怒涛のように押し寄せる。都合が良すぎるとも思う。そんな資格は無いと思う。選んではいけないとも思う。
だけど――
「もし……やりなおさせてくれるなら、やりなおしたい……だめだってのも分かる。私を憎んでいたり、嫌っている人がたくさんいることも知ってる。でも、望んでくれている人がいるのも、分かってる……だからもしも、もし叶うなら……」
妖精は立ち上がり、頭上の可能性へ背を向ける。
そして遥か下で輝く可能性を赤い瞳に写した。
「やらせて、もう一度! させてくれるんだったら! 私頑張るからっ! 今度こそはちゃんとするからっ!」
妖精の声を受け、足元の輝きが増してゆく。
彼女は輝きに飲みこまれ、光の粒となって消えて行く。
――今度こそ頑張って。ちゃんとするんだよ、サリス。
そんな不思議な応援の言葉を最後に、彼女は狭間の世界を脱したのだった。
●●●
気が付くと、サリスは夜の闇に沈んだ自分の部屋にいた。
窓からは赤い月が不気味な光を差し込んでいる。
手には一枚の羊皮紙が握られていた。
「私の部屋、だよね……?」
ぐるりと周囲を見渡して状況を確認し、手にしていた羊皮紙へ視線を落とす。
そこには“リンカ=ラビアンが精霊召喚に成功した”という記事が記載されていた。
それの記事を見た途端、胸にずきりと痛みが走り、どす黒い何かが湧き凝る様な感覚を得た。今にも胸が張り裂けそうで、居ても経っても居られなくて――そして彼女は羊皮紙を強く胸に抱いた。
そして恵んで貰えた時間を、彼女ははっきりと認識した。
「ここからだなんて……ここから……」
涙と同時に抑えきれない衝動が体中を満たしてゆく。ずっとこの気持ちがどういうものなのか、かつての彼女は理解できていなかった。これをどう表現して良いか分からなかった。だけど狭間の世界で数多の可能性を見ることができて、今ははっきりと分かる。この気持ちは――
「ありがとう、ございます……!」
サリスは涙を拭った。羊皮紙を叩きおいて、部屋を飛び出す。
全てをやり直すために。幸せを掴むために。
彼女はひた走り、家を出る。そうして、出会いがしらに二人組と激しくぶつかったのだった。
「いたた……」
ぶつかってしまったのは、魔法学院時代のルームメイトだったオーキス=メイガ―ビーム。
そして彼女の恋人で勇者であるステイ=メン。
二人は仲睦まじく一緒に尻もちを突いていた。
「大丈夫か?」
「あんがと……もう、サリスちゃんと前を見てよね! いきなり飛び出してくるなんて危ないよ?」
ステイの手を借りて立ち上がったオーキスは唇を尖らせた。
前の自分だったらきっと、へやへらと笑ってその場を立ち去ったはず、とサリスは思う。
(でもちゃんとやるって決めたんだ。何が足りないかは分かったんだ……)
サリスは地面を踏みしめ、覚悟を決める。そして唇を震わせる。
「ご、ご……」
「ご?」
オーキスは不思議そうに声を出し、期待するような視線を寄せてくる。
ずっと自分の気持ちを、どう伝えて良い分からなかった彼女。
どうすれば相手に自分の気持ちがきちんと伝わるか。
どうしたら伝えられるか。それがずっとわからなかった。
だけど数多の可能性や結末を見て、自分がいかに単純なことを、いかに複雑に考えていたのだと思い返す。
考える必要なんてなかった。ただ気持ちをきちんと表現できる言葉を知ることだけで良かった。
その気持ちを伝える言葉は、すごく短くて、すごく単純で、難しく考える必要は一切ない。
たった一言の、単純で、だけど大事な気持ちを伝える言葉。
「ごめんなさい! いきなり飛び出して!!」
「えっ……? あ、うん……」
オーキスは意外そうな顔をしていたが、僅かに頬が緩んでいた。
サリスの気持ちがきちんとオーキスへ伝わった瞬間だった。
かつての自分にはこれがすっかり抜け落ちていたのだと思い知る。
だけど今の彼女はそうした言葉を知っている、自分の気持ちを端的に表現できる術を獲得している。
後はその言葉へ気持ちを乗せれば良いだけ。
飾らず、気取らず、抱いた気持ちを言葉に変えて、伝えれば良いだけ。
「いま、急いでるんだ! またね、オーキス!」
サリスはそう叫んで踵を返して走り出す。しかし思うところがあって走るのを止めた。
これは一人寂しい世界で知ったことではない。もともと魔女だった彼女も気づいていたこと。
だからこそ、これはしっかりと“この男”へ伝えるべきこと。
再び踵を返して、オーキスの隣にいたステイへ駆け寄ってゆく。
そして赤い瞳にステイをはっきりと写した。
「あとさステイ君。あんまし調子に乗りすぎない方が良いよ」
「あっ? な、なんだよ急に……」
いきなり声を掛けられたステイは不審そうにサリスを見る。
するとサリスはステイとの距離をやや詰めた。ステイは少し怯えた様子でわずかに体を引く。
「もしオーキスを悲しませたりしたら絶対に許さない。お前を地獄の底へ叩き落としてやる。親友のためだったら私、魔女にでもなんでもなるから。いいね?」
静かだが、凄味を感じさせるサリスの声。それを浴びて、ステイは肩をぶるぶるふるわせ、顔色がみるみる青ざめて、やがてこくりと首を縦に振る。
どうやら魔女としての経験を生かした声使いの効果は抜群のようだった。
「じゃ、そーいうことで! お二人さん、末永くお幸せに~!」
そう云い置いてサリスは走り去る。
まだこの時間のステイは愚かな行動を何も犯していないはずなので、問題ないはず。
サリスは親友の一人の永久の幸せを祈った。
そんな彼女の背中を見ながら、オーキスは優しげな笑みを浮かべていた。
「親友って、あの子は……ふふ」
「な、なんだオーキス!」
「サリスの言う通り、これからもちゃんとあたしを大事にしてよね? 勇者様?」
「あ、ああ! 勿論だとも!」
さて――ここからが重要なところ。気持ちを固めて、サリスは転移魔法を使う。
目的地は山奥にあるリンカの家。
かつて紆余曲折逢った学院時代の冒険者実習の地。
リンカはそんなサリスやオーキスとの思い出の地に家を建て、一人で住んでいた。
リンカらしい、小さくて愛らしい彼女の小屋には幸いにも明かりが灯っていた。
サリスは迷わず小屋の扉へ駆け寄り、ノックをする。するとややあって扉が開いた。
「やほーリンカー!」
「サ、サリスちゃん!? どうしたのこんな夜遅くに……?」
突然の来訪にリンカは明らかに動揺していた。
ほんのわずかに怯えているように見えなくもない。
あらゆる世界で、サリスの欲しかったものを全て手に入れていた彼女。
未だに悔しい気持ちもあった。今でもリンカはサリスにとって大きな壁であるのは間違いない。
確かにリンカという壁は厚い。超えるのも容易ではない。悔しさも未だにある。
それでも彼女に対する、賛辞の気持ちを持つサリスもまた存在していた。
ここに至ってサリスは、どんなに悔しくてもリンカ=ラビアンという少女のことが、超えるべき相手であり、同時に――もっとも愛すべき友人であると認識していた。
「えっと、そのぉ……」
「?」
「せ、精霊召喚、おめでとうッ!
「――ッ!? あ、ありがとう」
言ってみれば案外悪くない気分だとサリスは思う。
だけどやっぱりどこか気恥ずかしいし、今さらと思う自分もいる。
それでもきちんと伝えることができたことに、満ち足りた気分を感じていた。
「じゃ、そういうことで!」
「あ、うん。またね」
「あとさ……」
最後にサリスはリンカへ更に一歩近づき、彼女の耳へ口を添えた。
「もう負けないからね。絶対にリンカに勝ってみせるからね! 今度こそ勝つのは私なんだからっ!」
「サリスちゃん……分かった。でも私も負けないよ?」
リンカは青い瞳にサリスを鋭く写しながら、笑みを浮かべる。
サリスもまた応えるように赤い瞳に、ライバルであり親友のリンカを写して、頬を緩ませたのだった。
リンカからサリスを恐れる雰囲気はすっかり消え去り、親愛のようなものが感じられるようになっていた。
「またみんなで冒険しようね!」
「うん! サリス!」
「んー?」
「頑張ってね!」
「ありがとう! リンカもファイトだよっ!」
超えるべき相手と心を通わせながら、日々邁進を続ける。
これほどの幸せがあるものか、とサリスはつくづく思った。
しかし、ライバルとの和解さえも、サリスにとっては前哨戦でしかなかった。
これからが彼女の本番であった。
サリスは静かな森の中で短く一呼吸置く。
高鳴る鼓動を感じつつ、覚悟を決める。
そして再び転移魔法を発し、最後の場所へと向かってゆく。
向った先はアルビオン冒険者ギルド。
数多の苦境な戦士が集うそこで、サリスは迷うことなく“彼”の背中を瞬時に見つけた。
「せんせー!」
「ん?」
彼は間抜けな顔をしながら振り返ろうとする。
そんな彼の大きな背中へ向けて、サリスは一直線に飛んだ。
「どぉーん!」
「ぐおっ!? な、なんだ、サリスか。どうしたんだいきなり?」
いきなり現れて、抱き着いてきたサリスにロイドは明らかな動揺を見せる。
「えへへ」
愛しい彼の逞しい背中がそこにある。それだけでもう十分だと思っていた。しかし想いは止めどなく、それ以上を望んでいるのはサリス自身も分かっていた。だからこそ、
「どうかしたか?」
「……」
(大丈夫、気持ちを素直に)
「ご、ごめんなさい。いきなり飛びついて……」
少しロイドの頬が緩んだ気がする。いつもと反応が違う。
(これならきっと大丈夫!)
サリスはあえて口を噤んで、ロイドの体温を感じつつ時を待った。
ややあって彼の唇が小刻みに震えだす。同時にサリスは気持ちを固め、事前に頭の中で言葉を選ぶのだった。
「いや、驚いただけだ。本当にどうしたんだ、今日は?」
「あ、あ……」
「ありがとうっ! 許してくれて!!」
サリスは慣れない言葉を使って激しく緊張を感じた。
ロイドもロイドで、サリスの言葉を受けて、明らかな動揺を見せていた。
「そ、そうか。で、何かようか?」
ロイドは嬉し恥ずかしいと言った顔をしている。
(ちゃんと言うぞ。今日こそは……!)
サリスは顔を真っ赤にしてロイドを見上げる。
そして想いを言葉に乗せて、こう伝えた。
「ロイドさん! 私が不貞腐れていた時一生懸命付き添ってくれてありがとう! 色々と心配ばかりかけてごめんなさい。これからはずっと一緒に居てほしいです! だって私、ロイドさんが大好きだから! だから……私とパーティー組んでくれませんか? 私を受けて止めてくれませんか!?」
これぞ始まり。
大魔法使いリンカ=ラビアン、鎚の勇者オーキス=メイガ―ビーム、拳聖ゼフィ=リバモワ、魔法剣士ステイ=メン、神官ガーベラ=テトラ、そして彼女の心の支えであり、後に物理攻撃特化集団:雷光烈火団の団長に着くロイド。
そんな数多の英雄豪傑を率いて、因縁の敵、吸血騎士トリア・ベルンカステルを完膚なきまでに叩きのめし、魔神皇ライン・オルツタイラーゲを消滅させた一人の妖精の物語。
――そして見事魔神皇を倒し、平和を勝ち取った。腐敗した聖王国を正し、世界そのものを作り替える。
しかしそんな偉業を成し遂げたサリスは、あらゆる富と名誉を断って、最愛の人との静かな日々を選んだ。
「サリス、本当に良いんだな?」
「当たり前じゃん。ずっとこの日を私願ってたんだから。魔法使いであることよりも、私はずっとこれからもロイドさんと一緒にいたいもん。貴方を身体でもしっかりと感じたいんだもん」
「……そうか。分かった。これはずっと俺がサリスを守る。必ず」
「うん、期待してる。私も離れろって言われたって、ぜーったいに離れないからねっ! 大好きだよ、ロイドさん……」
妖精は愛する彼に抱かれ、そして新たな命を宿す。
妖精復活の起源だった。再生の瞬間だった。
この風景は妖精という存在が、再び人と並んで営みを始める時代から400年程遡った頃の出来事である。
FIN
●サリスEND
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