第86話:魔神皇と東の魔女、そして彼


 キンバライトの財力を手に入れたサリスは、聖王国で暗躍を続ける。

そしてとうとう、配下のガーベラ=テトラを使って、リンカ=ラビアンの魔法使いとして重要である“声”を奪うことに成功した。


 あとは暫くリンカの苦しむ姿を見て、異常性癖のキンバライトへ拉致させればすべては成功。


 稀代の魔法使いリンカ=ラビアンは歴史の表舞台から姿を消し、そしてサリスが頂点に立つ。


 しかしその目論見は、あろうことかサリスの想い人によって余計な邪魔が入ることとなった。



 万年Dランクの冒険者――ロイド



 リンカは彼に助けを求め、彼もまたそれに応じた。その様が憎らしかった。そしてうらやましくもあった。


 自分が欲しいものをリンカはすぐに手に入れてしまう。何もかもがサリスの手から零れ落ちてしまう現実。


 奇しくもローズ=ラビアンが、キンバライトへリンカを売り渡した時は胸が晴れた気持ちになった。

しかしそれはロイドの手によって防がれてしまった。


(もう私がやるしかない……私がリンカを直接この手で……!)


 そうして彼女はリンカをガーベラに引き合わせた。ガーベラへリンカを殺すよう命じた。

同時にリンカを守り切れなかったと後悔するロイドの心の隙間へ入り込むことを計画していた。


 しかしそれもロイドに防がれ、復活させた魔神さえも退けられてしまう。


 もはや一刻の猶予もなかった。サリスの中に黒く渦巻く怒りは限界に達していた。

だからこそ、自らの手でリンカの殺害を決意し彼女をまんまと誘い込んだ。


 しかしそれさえもロイドは防ぎ、そしてサリスは強く想う彼の手によって左腕を跳ね飛ばされてしまった。

もはや万策尽きたと考えたサリスは、自らの幕引きを決意する。彼女は自ら崖を崩し、落ちてゆくのだった。



(ああ、もう終わりなんだ……)


 サリスはがれきの中で、薄れゆく意識の中、残った右腕を伸ばす。

もしもこれが本当のサリスの危機ならば、きっと彼はこの手を握って、助けてくれるはず。

だが、この状況はすべてサリス自身が起こし、そして招いた結果。



 もしもあの時キンバライトにさらわれなければ――


 もしもあの時落ち着いてさえいれば――


 

 しかし後悔したところで、もはや何の意味もなかった。


「せ、先生ぇ……ロイドさんっ……!」


 サリスは赤い瞳から涙を流しつつ、二度と会うことはない彼の姿を思い浮かべて胸を痛める。


 そんな風前の灯であるサリスを黒い影が覆った。


『フラン、魔女の力はどうだ?』

『……いい具合。これならば恐らくは我が主の復活も可能』

『そうか。ふふっ、遂にこの時が訪れたか……我が主魔神皇ライン・オルツタイラーゲ様の復活が!』



 歓喜の声が響き渡る。聞き覚えのある声だった。


(この声は、トリア・ベルンカステル……?)



●●●



サリスは意識を取り戻す。彼女は生暖かい風が吹きすさぶ空間にいた。


頬の下では魔法陣が怪しい輝きを放ち、その上を乾いた赤ぐ黒い液体が覆っている。


 錆のようなこの臭いはおそらく血のもの。ならばこれは彼女の血なのだろうか。


 一瞬そうは思ったが、意外にクリアな思考は、もし血が流れている筈ならば痛みを伴うだろうと判断させる。


「これって……」


 血のりをはがしつつ起き上がったサリスは失った筈の左腕がしっかりと床を突くのを見た。


 確かに彼女は左腕を失った。しかし今は代わりに、黒光りする禍々しい“籠手”が装着されている。

試しに指先へ力込めてみた。籠手はまるで自分の腕のように、鮮やかな動きを見せた。

 頬へ触れても、やや鈍いが、感触を得る。冷たい金属の籠手の筈なのに、まるで自分の腕のような感覚だった。


「目覚めたな、サリス=サイ」


 黒い影が彼女へ落ち、凛とした声が響き渡った。


 顔を上げるとそこには、外套を羽織った女が、真っ赤に染まった冷たい瞳にサリスを写している。

ただ佇んでいるだけなのに目の前の女からは、魔神にも似た邪悪な気配が漂っている。サリスは喉の渇きを覚えて、息をのんだ。


「もしかしてお前は、トリア・ベルンカステル?」


 既視感を覚えそう呼ぶと、彼女は静かに頷く。


「待っていたぞ、サリス=サイ。この時をな」

「えっ……?」

「復活は相成った! 次はサリス=サイ、君が目覚める時だ! 我が主魔神皇ライン・オルツタイラーゲ様の三番目の寵妃:【東の魔女】として! フラン!」


 視界の隅で翡翠の輝きを感じ、僅かに視線を傾ける。

そこには人形のように無表情な、冷たい別の女がいた。


「魔女よ、我が主に抱かれよ。さすれば汝は最強の魔たる力を得ん」


 人形女の翡翠の輝きがサリスの中へ流れ込み、身体が弛緩した。同時に頭と体が切り離されたかのような、不思議な感覚に陥る。


「参ろう、我が主魔神皇ライン・オルツタイラーゲ様の下へ」

「……はい……」


 サリスは判然としない意識のまま、黒色の籠手と化した左腕を人形女に引かれて歩き出す。

その先には魔神召喚の際に使われる禍々しい祭壇があった。

その前には同じような玉座が据えられ、邪悪な存在がそこに座っている。


 祭壇の前でサリスを手放した人形女は傅く。サリスは無意識のうちに祭壇の階段をゆらりゆらりと登って行った。


「待っていたぞ」


 玉座の邪悪な存在は、もたれかかったサリスを抱き、優しくそう囁く。


「さぁ、行こう」


 囁くような甘い声に、サリスの頭は呆けた。まるで今自分を抱きしめてくれているのが、あたかもロイドのように錯覚した。


 サリスは玉座の男に抱かれ、祭壇の奥へと消えてゆく。


 これぞ魔神皇とその三番目の寵妃:東の魔女の復活の日。


 もはやサリスは引き返せないところにまで、踏み込んでいたのだった。



●●●



 泡沫が弾けて消えた。


 誰もいない世界で妖精の魂は、すすり泣く。


 結局、心が弱い自分が、色々な存在につけ入れられられた。自業自得の結果だった。


「私、馬鹿だよ……馬鹿すぎ……最悪……」


 後悔の声が溶けて消えてゆく。


 キンバライトに散々弄ばれたばかりか、魔神の皇にまで身体を捧げてしまった事実。

結局彼女はそれが原因で、魔神皇の眷属:トリア・ベルンカステルによって埋め込まれた“東の魔女”の魂が膨れ上がり、魔女と化してしまった。そして愛する彼に討たれて、今この世界に一人きりでいる。


 すべては彼女が招いたこと。彼女が起こした行動の結果。


 すると今度はまた別の泡沫が浮かび上がってくる。


 さっきまでのものとは違い、どこか暖かく、そして明るいソレを妖精は手に取る。


 そこには“不貞腐れる幼稚な妖精”とそんな彼女を暖かく見守る“彼”の姿が映っていた。



●●●



リンカが聖王キングジムの招聘を受けて、魔法学院を卒業扱いになったその年。サリスはやる気を喪失していた。


――どうせ自分はリンカを超えられない。


――何をしても無駄。


――所詮自分はその程度の存在。


 そんな負の感情が渦巻き続け、結果としてずっと成績上位を取り続けていたサリスは、あろうことか必須科目である“文字魔法”の試験を落としてしまったのだった。そんな彼女へは当然のごとく、補修が課せられ、学園の長い春休みをすべて、山奥にある実習場で過ごすこととなる。


 そんな失意の中彼女は彼に出会う。


 どこからくたびれていて、目にも力がなく、いつも眠たげな印象の彼。

彼は【ロイド】という名で、サリスへ文字魔法の補講を行うために臨時で雇われた教師らしい。


 冴えない彼への第一印象ははっきいうと、最悪だった。


(なんでこのサリス様がこんなやつに……)


 補講の開始当初はそんなことを思っていて、まともに授業を聞こうとはしなかった。彼も彼とて、サリスのそんな態度から気持ちを察してか、口うるさくは云わない。しかし――



 サリスはいつものようにロイドが出した文字魔法の課題を終えた。

今日は上位風属性魔法サイクロンストームの詠唱記入。筆致も素晴らしく、自分自身でも良い出来栄えだと思い、意気揚々と教壇で本を読んでいた臨時講師のロイドへ差し出す。


「終わったよ。凄いでしょ?」


 サリスは自信満々に羊皮紙を叩き置き、胸を張る。


「そうか。ご苦労。じゃあ次だ」


 と、ロイドはぶっきらぼうに新しい羊皮紙指し出し、次の課題の指示を出してくる。


「あのさ、なんか気づかない?」


 サリスはむっと頬を膨らませつつ、提出した課題を指差した。この文字魔法には多少のアレンジが加えられていて、ウィンドカッターの詠唱も含ませている。かつて大人たちへこの発想を見せつけて、驚かせたことがあった。


「んっ? ああ……ウィンドカッターの詠唱か。ここ接続詞が間違っているぞ」

「えっ? あっ!!」

「確かに同時発現は可能だが、暴走の危険性がある。これもやり直せ」


 ロイドは提出した課題さえも突き返してくる始末。

確かに言われた通り、間違いがあった。しかしこの程度の表記の揺れでは、暴走の危険性は少ないと、経験から言い切れる。


「あのさ! この程度どーでも良いと思うんだけど?」

「良いからやり直せ。単位やらんぞ。それでも良いのか?」

「ぐっ……わ、わかった……」


 単位のことを口に出されれば、大人しく引き下がるしいかない。

サリスは渋々席へ戻り、やり直しを始める。



 彼はなかなかサリスのことを褒めようとはしなかった。

 たまに褒めても“良し”と言うぐらいで、いままで周囲にいた大人のように彼女を強く賞賛することはなかった。


 そんなことは初めての経験だった。屈辱的とさえ思えた。だからこそ彼女はなんとか彼から“強い賞賛”を勝ち取ろうと思った。

 最初は全くやる気のなかった補講だけれども、気が付けば講義後も部屋で必死に文字魔法の勉強に勤しんでいた。


(あの人を驚かせてみせる。絶対に褒めさせる!)


 その一心でサリスは日々を過ごしてゆく。


 その中で魔法発現の実習中に危ない目にあって、二人きりで夜を過ごしたこともあった。相変わらず褒めてはくれないけれど、彼は必死にサリスのことを守ってくれた。


 そんな長いようで短いような一か月の補講期間。気づけばサリスは目で彼を追うようになっていた。開始当初は面倒で仕方のなかった補講の終わりを切なく感じるようにさえなっていた。



 そうして迎えた補講最終日。

 長い春休みをすべて消費して、サリスはロイドから文字魔法の単位を取得した。これで晴れて、進級が叶う。そしてロイドとの日々もこれで御終い。


 長く過ごした山奥の補講校舎の門の前で、サリスは見送りに来たロイドへ振り返る。


「じゃ、じゃあ、行くね……」


 できればこのままずっと一緒に居たいという気持があった。しかしサリスは魔法学院へ戻らなければならないし、ロイドの臨時契約もここまで。補講も終えて、もはや二人が一緒にいる必要はどこにもない。それでも離れがたく、サリスはなかなか次の一歩が踏み出せずにいた。


すると彼はサリスへ歩み寄り、


「ご苦労様、サリス。良く頑張ったな」

「!!」


 彼は柔らかい笑みを浮かべながら、サリスの頭を子供の用になでる。

そうされるのは嬉しいような、恥ずかしいような、複雑な気分に陥る。なによりも彼が最後の最後で、褒めてくれたことが嬉しくてたまらない。


「ようやく褒めてくれた……遅いよ。それに全然ほめないって感じ悪いって……」

「そうだな、済まなかった。俺はサリスにもっとちゃんとしてほしかったんだ」

「えっ?」


 サリスは赤い瞳に彼を映す。胸が更に高鳴った。


「サリス、お前の魔法の才能は本物だ。天賦の才と言っても良い。だからこれからは真面目に、一生懸命取り組んでくれ。そうすれば君は必ず素晴らしい魔法使いになれるはずだ。俺はそう信じている。」

「先生……」

「さっ、もう行け」


 ロイドはサリスの背中を押す。サリスは彼の想いを胸に数歩進んだ。しかしはたりと足を止めて再び振り返る。


「わかった! 私、良い魔法使いになるよ! で、そん時は先生を雇ってあげる! 強くて、美しい、このサリス様のパートナーにしてあげる! 覚悟しててね!!」


 胸にずっとあったロイドへの気持ち。それをどう言葉で表現して良いか分からなかったサリスは、そう宣言したのだった。

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