第85話:彼女が魔女へ堕ちたわけ


 結局、サリスは魔法学院でリンカと机を並べた2年間の間に、彼女を超えることはついになかった。


 更に追い打ちをかけるように、リンカはその類まれなる魔法の才能を見込まれ、聖王キングジムより招聘を受けた。

Sランク魔法使いに任じられ、聖王国の悲願である精霊召喚の実験の主要メンバーに選ばれていた。

そして僅か二年足らずでリンカは学園を卒業し、旅立っていった。


 悔しかった。なによりも自分の存在意義がわからなくなってしまった。


 しかしリンカがいない魔法学院では、多少の躓きはあったものの、サリスは常にトップだった。

 魔法学院を首席で卒業したサリスは早速、最高位の冒険者であり魔法使いであるSランクの認定を受け、若くして数多の富と名声を勝ち得て行く。


 だがそんなある日のこと――


「なに、コレ……?」


 聖王国の領土全域へ配布された羊皮紙。

そこには見目麗しい魔法使いの肖像と聖王国の悲願であった“精霊召喚”成功とその過程が事細かく記載されていた。


 稀代の大魔法使い。Sを超えるSSランクの認定を受けた唯一無二の魔法使い――その名は【リンカ=ラビアン】


 サリスは羊皮紙を破り、そして部屋にあるあらゆるものを破壊した。

感情が赴くまま暴れまわった。


 彼女は、リンカは既にサリスを遥かに超え、高みに達していた。

サリスがどんなにあがいても、上を目指そうとも、決して超えることのできない、持って生まれた才能の差。


 精霊が最も愛したのはハイエルフの末裔であるサリスではなく、人のリンカ=ラビアン。


 不の感情が過ぎ去った後にやってきたのは、むなしさだけだった。


 魂を失ったかのようだった。


 雨が降りしきる中、街を歩いても冷たさは感じなかった。


 横を過ぎた馬車から雨水を浴びせかけられようとも、気にはならなかった。


 しかし馬車はサリスの目の前で止まり、そして――


「――ッ!?」


 突然、黒装束の人がぞろぞろと現れた。


「ちょ、お前たち、なに――んんっ!!」


 魔法使いの要である声を封じるために布を押し込まれた。

目隠しをされ、複数の男の手に拘束され、サリスは馬車へ無理やり押し込められる。


「へへっ! こりゃ上玉だ。こいつなら旦那も高く買ってくれそうだぜ」

「オラ、大人しくな!」


 必死にもがいていたサリスの頬を、男がぶった。

初めて感じる痛みだった。衝撃が身体を震わせた。

 どんな強敵が現れようとも、恐れというものを感じたことはなかった。

自分が恐怖で動けなくなるなど、想像もしたこともなかった。


(先生、助けて……先生……!)


 サリスは光が閉ざされた中、必死に想い人へ助けを求める。

当然、この状況を彼は知っている筈もなく、願いは露として消えた。 



 そこからの日々は少々曖昧だった。


 麝香の香りで頭が呆然としていた。でっぷりとした男が、自分の身体へ何か妙なことをしているような気がした。それが痛くて、嫌で、しかし時折歓喜のような声を上げて。繰り返される不可思議で、そして不愉快な日々。

そんな劣悪な日々が続き、いつもの嫌なことが終わって、檻の中へ戻されて、やがて気が付く。


(ああ、そっか……私、ヤられちゃったんだ……。先生以外に……)


 魔法使いにとって男との繋がりは禁忌である。もしもそれを犯すならば、それは心に決めた、大事な人以外にありえない。しかし、突然さらわれたサリスは、その禁忌を、彼以外の醜悪な誰かに無理やり破らされた。


 気づいた途端、空虚だった心に感情が舞い戻る。


 当初はただただ辛く、そして悲しいだけだった。

しかしそれはやがて怒りに代わった。


 どうして自分だけ――

 何故自分がこんな目に――

 こんな理不尽が許されるわけない――


『機会が欲しいか?』


 不意に檻の中へ、聞いたことの無い女の声が響き渡った。


 気づくと壁には、赤い双眸をした青い鎧の女が見えたような気がする。


『憎むか、この状況を、この理不尽を、そして世界を』


 サリスは頷く。


『ならば己の手で、その力で世界を変えよ。そして見せよ、貴様の力を。さすれば我が君の祝福が必ずや訪れよう。このまま沈むか、闘うか、選べ!』


 この奇怪な存在の正体も分からない。何を言っているのかも理解はできない。しかし――サリスはこのままで終わるつもりなど毛頭もなかった。


 彼女はしっかりと頷いて見せる。刹那、“ヒュン”と闇の中へ煌めきが過る。


 これまでサリスの自由を奪っていた拘束が、瞬時に砕け散る。

そして影は手の上へ湧かせた“赤紫の靄”をサリスの胸へ押し当てた。


 痛みもなく、靄はサリスの体の中へ溶けて行く。

不快感は全くなかった。むしろ逆だった。

沈んでいた心に灯が点く感覚。無性に身体を動かしたくて仕方のない衝動がサリスの中を駆け巡った。


「あは! 何これ? すっごく気分いいんだけど!」


 久方ぶりの自由に笑みが零れた。これからの期待で、胸が一気に高鳴った。


「ねぇ、今なにしたの?」

「力を与えた。サリス=サイ。君ならばその力を存分に発揮することができるだろう」

「ふーん、そうなんだ。まっ、くれるんじゃ貰っとくわ。あとさぁ、アンタ何者なの?」


 サリスは赤い目で薄闇の中に居る存在へ聞く。


『我が名はトリア・ベルンカステル。精霊を超える偉大なる御君の配下。また会おう、サリス=サイ。君に期待をしている……』


 影はまるで幻のように消えて行く。

 そしてサリスは、自分と外を隔てる分厚い金属の扉を睨んだ。

唇は人の耳では正確に聞くことはできない“高速詠唱”を謡う。


錆爪ラスティネイル……」


サリスの細腕を魔力が多い、竜のような巨大な爪を形作る。


 爪を一薙ぎしただけで、 分厚い鉄の扉が切り裂かれ、バラバラに砕けた。

 一瞬、サリスは自らの行いに唖然とした。


 確かに錆爪は高い威力を誇っている。だが、金属の扉を、まるで木の葉のように切り裂けたことは無い。

そして彼女は――笑みを浮かべた。


「へぇ、良い力じゃん。最高じゃん……」


サリスはゆらりと薄暗い回廊へ踏み出してゆく。


「何事――ッ!?」


 回廊の向こうでは、サリスの存在を認めた衛兵が息を飲んでいる。

しかし次の瞬間にはもう、サリスが放った上位雷魔法“ギガサンダー”を浴びて、文字通りの消し炭へと変わり果てる。


「さぁて……私を……このサリス様を散々おもちゃにしてくれた人はどこかなぁ……? きひ!」


 地下牢の異変を聞きつけて、次々と重武装した兵士たちが押し寄せてくる。

しかも装備品はどれも立派なモノばかり。どうやらここは相当な権力者が住む場所なのだと、サリスはここに至って知る。

相手がいかに強大で、多勢であったとしても――


「あは! あははは! 雑魚がいくら集まったってかなうわけないじゃん! だって私ハイエルフの末裔の、強くて、美しいサリス様なんだあぁ! あははは!!」


 サリスの魔法が、錆爪が、数多の兵士の首が一瞬で飛んだ。

 

 切りかかってきた騎士は鎧ごと火属性魔法に巻かれて死んでゆく。


 邪魔な壁や扉はすべて風属性魔法で吹き飛ばし、破壊してゆく。


 城塞はただ成すがまま、成されるがまま崩れ落ちてゆく。

もはや誰もサリスを止めるすべを持たなかった。

 サリスは蹂躙を繰り返し、城塞の中にあった立派な邸宅へと踏み込んでゆく。


 襲い掛かる兵士を退け、放たれた狼の魔獣を魔法で焼いて進み、上へと向かってゆく。

そしていつも苦しみと悲しみ、そして怒りの中で嗅いだ麝香の香りが漏れ出す、立派な扉の前へと至った。


 扉を蹴破り、中へと進む。そこでは薄いローブを羽織った、腹がでっぷりと膨れた中年の男がいた。

既に腰が抜けてしまっているのか、肩を震わせるだけで、逃げ出すそぶりは見えない。


「お前だな……お前がずっと、このサリス様を……」

「わ、わるかった! これまでのことは謝る! か、金ならいくらでもやる! 望むものならなんでも、だか――ひっ!」


 短距離の転移魔法を使って、醜悪な男の頭を錆爪で掴む。

そしてゆっくりと、丁寧に力を加え始める。


「あ、あぎっ! ああっ!」


 ぎりぎりと男のちっぽけな頭が締まり、情けない悲鳴を上げ始める。


「お前みたいなやつに私は、ずっと……」

「あ、い、痛い! やめっ……!」

「お前のせいで私は……もう、私は先生と……!」

「や、やめてくれぇぇぇぇーー!!」


 男の絶叫がこだまし、サリスは力を緩める。

ここで殺すのは簡単だった。しかし、どこか冷静な自分がいることも自覚していた。

だからこそサリスは血のように赤い瞳に、醜悪な男を写す。


「お前、さっき望むものはすべて与えると言ったな?」

「あ、ああ! もちろんだとも! な、なんでもやる! だから命だけは……!」

「じゃあさぁ……お前の全部を、私によこせ」

「ぜ、全部?」

「そうだ、全部だ! お前の持ち物も、地位も、名誉も、金もだ!」

「し、しかし、それ……あぎぃ!」


 再び頭を締め付けられ、男は奇声を上げる。その様子が面白おかしく、サリスは頬を緩ませる。


「大丈夫。全部私が貰ったからって、お前の生活が変わるわけじゃない。ただお前はこれから私の言うとおりにすればいいんだよ。そうすれば命だけは取らないでいてあげるからさ。いい条件だと思わない?」

「……」

「思うだろうがっ!」

「ぎぃっ!! お、思う、思います……!」

「そうだね、そうだよね、あは! じゃあ、これで交渉成立!」


 サリスは男を開放し、窓の外に浮かぶ赤い月を見上げる。そして魔女のような高笑いを上げた。


 こうしてキンバライト公爵はサリスの傀儡となり、暗躍を始めるのだった。


 サリスはキンバライトの財力を利用し、液体へ魔法を転写する“液体魔法”を開発する。

そして彼女の声を直接流し込む“伝心”の魔法をそれへ転写し、薬物として聖王国中にばらまいた。


 超えられないならば、亡き者にして、自分が頂点に立てばいいだけ。

不意に湧き起ってきた邪悪な感情に、サリスは完全に支配されていたのだった。

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