第73話:魔女の最期


「痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 先生、痛いよぉ!」


サリスは全く余裕のない悲鳴を、石の床の上であげている。

希少素材で錬成されたブライトセイバーをあっさりとへし折った黒い籠手も、指先から溶け始めている。

黒い翼からは羽がどんどん抜け落ち、長耳は痙攣をおこして震え続けている。


 魔女と化したサリスが死へと向かっているのは明らかだった。

そしてそれはロイドも同じであった。


「い、良いの!? 先生本当に良いの!? ワタシは貴方だけは絶対に――! このままだと貴方も一緒に……かはっ!」

「覚悟の上だ!」


 ロイドの生命力が吸われ、輝きとなって魔を討ち滅ぼしている。

 キャノンから”破邪の短刀”を受け取った瞬間からロイドは気づいていた。

これが聖王国の未来を担う巨大な存在からの、矮小な存在でしかないロイドへの真の勅命だった。


 いざという時は、これを使って、魔女と――サリスと運命を共にしろと。

それが消えても誰も気にも留めない、居なくなっても世界になんの影響も及ぼさない無名の冒険者への”唯一の使い道”と言わんばかりに。


「世界は先生に冷たいんだよ!? こんなものまで先生に渡して、ワタシと一緒に死ねだなんて……そんな世界のために先生は命を捨てるの!? 誰も気にしてくれない、この世界を救う意味はあるの!?」

「……」


 サリスは怒りと憎しみ、そして悲しみを滲ませた声を上げる。

しかしサリスは以前の彼女ではなく、邪悪の道へ堕ちた魔女。ロイドは元教え子への憐憫の情を堪えて、短刀を更に強く握りしめた。


「だけどワタシは違う! ワタシは先生が欲しい! 先生が一番! 世界にとって先生が捨て石でも、ワタシにとって貴方は世界でたった一人だけの……!!」

「……そんなに高く見積もるな。俺はそんなに価値のある人間じゃない」

「そ、そんなこと! 先生はワタシにとって――ああっ!! んんっ!!」


 命の輝きを帯びた短刀を更に深く、根元までサリスへ差し込んだ。

サリスの肩が震え、身体をビクンと弓なりに反らす。


「俺はうだつの上がらない冒険者だ。俺はきっと子供の頃に思い描いた”勇者”になんてなれやしない。世界にとっては俺なんて道端に石ころに過ぎないのは分かっている」


 注げるだけの生命力を短刀へ。

輝きが増し、サリスの身体から白い蒸気が沸きあがる。


「だけどそんな俺でも、世界にとってできることがあるなら、すべきことがあるならする。ここでサリスと死ぬのが世界のためならば、俺は!!」

「そ、それは、違うよね……?」

「!?」


 サリスは僅かな笑みを浮かべながらロイドの手を黒い籠手に覆われた右手で取った。

短刀を僅かに抜け、眩い命の輝きが刃で繋がれた二人の間に迸る。


「世界なんてかっこいいこといってるけど違うよね……? 先生は世界のためなんかに自分を投げ出す覚悟を決めた訳じゃないよね……?」

「そ、それは……」


 声が濁った。

 胸がざわつき始める。

 死が怖いわけではなかった。


 自分でもこの覚悟が、世界の、世の中のためだと思っていた。

だけどサリスに指摘された途端、それは偽りの想いで、真実はまた別のところにあるのだと気づかされる。

 こうしているのは世界のためなんかじゃない。

勇者としての使命を果たそうなんて考えてはいない。

彼の、ロイドの胸にある想いはただ一つ。

それは――






「あ――――ッ!!」




 突然、獣のような叫びが響いた。

背中に何かがぶつかってくる。

ロイドの腰に回ってきたのは、既にあかぎればかりだったが、それでも美しさを抱かせる、両の腕。



 リンカだった。



 彼女は声にならない声を叫んで必死に何かを訴えかけようとしている。


 その意思を上手に説明できなかった。


 だけど、ただ一つ言えること。

それは、【彼女リンカロイドを強く欲している】という真摯な想い。







 ロイドの命の輝きの中で、リンカは獣のような叫びを、ただひたすら上げ続けて、彼の身体を激しく揺さぶる。


「先生……」


 目の前のサリスが切なげな声を上げて、赤い瞳にロイドを写していた。

その儚げな表情に、短刀を握る指先がわずかに緩む。


「あなたはどっちを選ぶの? リンカ? それとも……」

「……」

「聞かせて」

「俺は……ッ!」


 ロイドは言葉の代わりに再度短刀を握る指先へ力を込めたのだった。


「そっか…………。先生……ううん、ロイドさん、もう良いよ。分かった……」


 ロイドの下でサリスは表情を緩めて、そう言った。

 それは魔女になる以前の、それよりも穏やかなサリスの顔だった。

しかし穏やかだがどこか寂しそうな表情だった。


「だって、こんなの見せつけられたら諦めるしかないじゃない……もうどうやっても私はロイドさんとリンカの間に入り込めないんだね。私はロイドさんの胸に飛び込めないんだね……」

「サリス……」

「まぁ、仕方ないよね。私はリンカの声を奪った張本人だし、色々と滅茶苦茶にしちゃった魔女だし……先生がわざわざ、こんな私を選んでくれるはずないよね……」


 ロイドの肩越しにサリスはリンカへ視線を移す。

赤い瞳が僅かに鋭く歪む。


「リンカ。私はお前が昔からすっごく嫌いだった。学院の主席はいっつもお前。みんなからの羨望も何もかもお前はいっつも手に入れる。卑しい出の人間の分際で! 精霊に愛された、ハイエルフの末裔の、このサリス様を差し置いて!」


「……!」


「そんな凄いやつなのにリンカはみんなに優しくて、私みたいな女にもニコニコ接して……先生も、リンカを支えにしてて……だけどね、そんなリンカがいっつも傍に居たから私は頑張れたような気がするの」


「……!?」


「凄いリンカに追いつきたい、いや、超えたいって。リンカと一緒にいたから、私はここまで来られたんだと思う。嫌いだったけどずっと傍に居たんだと思う。そして魔女になってでもリンカを超えたいって思った」


「ならその気持ちを素直にぶつけていればよかったじゃないか。どうしていいライバル関係になろうとしなかったんだ?」


 ロイドの言葉にサリスは苦笑いを浮かべて、こう言った。


「ごめん、そういうの私っぽくないからさ。だって私は超優秀なサリス様だから。みんながそう言うから……」


 サリスはロイドのへ手を重ねて来た。

細い指先が優しく、しかし確りとロイドの手を包みこむ。漆黒の籠手で覆われた右腕は冷たい筈なのに、まるで生身のような暖かを帯びているように感じられた。



「私みたいな将来有望で、絶対に尽くす女を振ったんだからその分リンカを幸せにしなきゃ駄目だよ!」

「……」


「もう、そこは男らしく”分かった”っていってよ……まぁ、そういう曖昧で、ちょっと影があるロイドさんが好きだったんだぁ……なんか、私に似てるなって。寂しいくせに素直になれなくて、力を借りたくてもカッコつけて一人で頑張って。そんな私とロイドさんだったら気持ちを補い合いながら、ずっと一緒に幸せで居られるような気がして……」


 サリスの身体から、嵐のような赤紫の風が吹きすさんだ。

ロイドは風に吹き飛ばれながらも、リンカを強く抱きしめ、石の床の上を転がった。


 サリスはゆらりと立ち上がる。

腹に突き刺さった刃を両の手でしっかりと握る。


「――ッ! あっ! ……ううっ、くっ……!」


そして自ら短刀を深く突き刺し、横へ裁いてゆく。

腹からこぼれ出た真っ赤な血が、サリスの足元で彼岸花のように広がって行く。

しかし彼女は赤紫の雲が立ち込める空を見上げた。


「キンバライトに処女を奪われなきゃ良かったのかなぁ……力が欲しいからって、魔神皇に身体を許したのが悪かったのかなぁ……どうしたら、私は、ロイドさんと一緒になれたのかなぁ……」


 寂しげな声をと共に、白磁のように輝く頬へ、涙の軌跡が刻まれる。

そして既に魔女ではなくなった、儚げな少女は赤い瞳にロイドを写し、弱々しい笑みを浮かべた。

 

「ばいばい、ロイドさん。貴方が欲しかった……そして、こんな私を最期まで魔女じゃなくてサリスと思ってくれてありがとう」


 魔女の居城である”東の魔塔”

その頂上に眩い輝きが迸った。輝きは金色の矢となって赤黒い空を打ち、一瞬で霧散させる。

 代わりに空へは星々が命の輝きを瞬かせる、満点の星空が広がっている。


「言えるじゃないか……どうしてお前は最期になって……。さようなら、サリス……俺の方こそありがとう。俺とお前がもっと素直だったら、あるいは……」


 光の中へ消えた、少女へロイドは語りかける。

 彼は舞い散るサリスの黒い羽の中で、星々が命の輝きを放つ夜空を見上げ続けるのだった。



***


【ご案内】


 各ヒロインに対する個別エンド章を設けました。(随時追加)


 以下に従って、お好みのラストへ進んでください。



★リンカエンド

【最終章74部:最後の選択*(選択肢あり)】

 こちらが“トゥルーエンド扱い”になります。



★各ヒロイン個別エンド(モーラ、ゼフィ、オーキス)

【個別エンド章79部:運命の三叉路*(選択肢あり)】

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