第67話:金で繋がった刹那の関係
もしかすると、以前出会ったエレメンタルジンは、サリスの仕込みだったのではないか。
目の前に出現した単眼の巨大で不気味な巨人を見上げながらロイドはそう思った。
(ならばあの時からサリスは魔女に……?)
そんな予感がロイドの頭を掠める。しかし今は、それを細かく考察している状況ではない。
相手には強い魔法耐性があるが、リンカの文字魔法ならば切り抜けられるのは実証済みだった。
しかし文字魔法には残数に限りがあるし、この先に未知の強敵をサリスが仕込んでいるかもしれない。
よって安易にリンカの強力な文字魔法を使ってでの突破は却下。
幸いこの数か月でエレメンタルジンの調査が進み、様々な撃退方法が確立されている。
それはきっとここにいる誰もが周知していることのはず。
「陣形変更! クラブセッション! モーラ、
「かしこまりました!」
モーラは声を弾ませ最前線へ向かった。
「ゼフィ、オーキスは引き続き両翼を! リンカは後方で補助を! 止めは俺が刺す!」
陣が組みなおされ、最前線にモーラ、その後方左右にゼフィとオーキスといった前衛組。
そしてロイドとリンカは後方で構える。
前衛が3人が敵の攻撃を受け止めつつ、後衛2人が立ち止まった敵を殲滅する攻防一体の陣形――それがクラブセッション。
「アタック!」
ロイドの指示が飛び、最前線のモーラが首肯する。
そして動き始めたエレメンタルジンへ銀の錫杖を鳴らしながら突き出した。
彼女の艶やかな唇が、耳では聞き取れないほどの速さで、高速詠唱を紡ぎ出す。
「時の流れを穏やかに――アラクネディレイ!」
かくして相手の速度を低下させる、白呪術が迷うことなく放たれた。
まるで蜘蛛の巣のようにみえる、光の網がエレメンタルジンの頭上から降り注ぐ。
「NUUUN!!」
瞬間、エレメンタルジンは低い唸りを上げて、赤紫の力を発する。
本来は光の網によって相手の速度を低下させる白呪術は、エレメンタルジンが放った赤紫の輝きによって、一瞬で塵へと変わる。
しかしその時既にモーラの後方から矢のように影が飛び上がる。ゼフィは既に脇を締め拳を構えて、エレメンタルジンの頭上を押さえていた。
「
緑の輝きを纏ったゼフィの拳が放たれる。
拳はエレメンタルジンとの僅かな間に存在する”魔法耐性の障壁”を叩いた。
障壁はまるでガラスのように”バリンッ!”と音を立てて砕け散る。
ゼフィ自身が編み出した、魔法破壊の技が見事に決まった。
更にゼフィは障壁の欠片をステップ代わりにして飛び、くるりと身を捻って体勢を整えた。
「続けて!
次いで繰り出された”銀に輝くゼフィの右足”
敵へ魔力の籠った蹴りを見舞い、物理攻撃の耐性を下げる効果のあるゼフィの得意技の一つである
巨体を誇るさすがのエレメンタルジンも、ゼフィの激しい連撃を浴びてよろめく。
その隙を百戦錬磨の闘術士は見逃さない。
「ギガサンダー!」
畳みかけるようにオーキスの鍵たる言葉が響き渡った。
メイスから放たれた激しい稲妻は、エレメンタルジンを頭上から撃ち貫く。
血走った巨眼の瞳孔が収縮し、巨人の動きが明らかに止まる。
状況を見届けたロイドは迷わず地を蹴った。
鞘から刃を抜き、ブライトセイバーを金色に輝かせながら、静止したエレメンタルジンへまっすぐ突き進む。
そんなロイドの背後で、リンカは羊皮紙を掲げて、その輝きを彼の背中へ目掛けて放つ。
稀代の魔法使いが発現させた【
それは輝剣を手に駆け抜けるロイドを、矢の如く疾駆させる。
「これでおわりだぁぁ!」
勢いのまま飛び上がり、ロイドは輝く剣の刃の切っ先をエレメンタルジンの魔眼へ向けた。
「NUN!!」
鋭い切っ先が血走った巨大な
巨人の巨体が痙攣したようにブルブルと震えだす。効果は抜群だった。
エレメンタルジンの魔法耐性も、物理耐性も全ては奴が纏っている障壁が正体だと分かっていた。
障壁さえ壊してしまえば、このモンスターはゴーレム以下の木偶に他ならず。
今ロイドが率いている
だがその時、突き立てた剣の先で、エレメンタルジンの魔眼が僅かに動いた。
自らの目が突き刺さった剣で切り裂かれようとも、魔眼は構うことなくロイドを視界に収める。
「ぐわっ――!?」
「おじさん!?」
「おっちゃん!」
「!!」
ロイドの悲鳴と、一党の悲鳴が同時に響いた。
彼はエレメンタルジンに叩かれ、地面へ叩きつけられる。
さすがのヒドラアーマーも、衝撃を吸収しきれなかったらしい。衝撃で体がしびれるロイドは満足に立ち上がることができない。
そんな彼へエレメンタルジンは巨大な腕を無慈悲に振り落とす。
「プロテクション!」
刹那、誰かがロイドへ覆いかぶさり、鍵たる言葉を叫んだ。半透明の光の壁が展開され、ロイドを押しつぶそうとしてた巨人の拳が寸前のところで阻まれる。しかし巨人の腕力はすさまじく、展開されたばかりの光の障壁へは既にいくつもの亀裂が浮かび始めていた
「さ、下がれ、モーラ! 君も危険だ!」
「嫌ですっ! 貴方を死なせません」
身を挺して彼を守ったモーラは、ロイドを抱きしめたままはっきりとした口調でそう答える。
「確かに貴方と私はお金で繋がった刹那の関係です! ただの娼婦とお客でしかありません――ですけど!」
モーラの背後ではエレメンタルジンが更に拳へ力を込めていた。
障壁の亀裂が深まり、紫電を発する。
それはモーラの眼鏡へ亀裂を浮かべさせるほどの凄まじいものだった。
それでも彼女は決して、ロイドを離して一人逃げ出そうとはしなかった。
「貴方が買ってくれた時間は、仕事を忘れさせてしまうほどの、とても幸せな時間でした! あなたに買っていただいて時の私はニーナではなく、モーラでした! みんなのニーナではなく、貴方のモーラになっていました!」
「モーラ、お前……」
「だって貴方は、ロイドさんはとてもお優しくて、強い方ですから。だから気づいたら、貴方の熱が、肌の感触が、心地よい声が忘れられなくなっていて、もっと会いたくて! もっとそばに居たくなって! だけど私は娼婦で、閉架書庫の幽霊だから、会うこともなかなかできなくて。でも貴方の力になりたくて、少しでも傍で貴方を感じたくて……!」
ひび割れた眼鏡の向こうで、モーラの黒い瞳に涙が浮かぶ。
そして彼女は、優しくそれでいて切なげな笑顔を浮かべた。
「せめて、ほんの少しだけでも貴方の力にならせてください。そばに居させてください。ダメだとわかっていても、愛してしまった貴方のために……」
刹那、モーラの背後で巨人の拳を受け止めていた障壁が砕け散った。エレメンタルジンの拳が無慈悲に迫る。
ロイドは自分を庇おうとしているモーラを遮二無二横へ突き飛ばした。残った力を振り絞り、上へ飛ぶ。
目下ではエレメンタルジンが拳で地面を穿ち、砂煙を上げている。
モーラは宙を舞うロイドを見上げている――大事はなさそうだった。
「NUN!!」
エレメンタルジンは不快な唸りを上げながら、ぎょろりとロイドへ魔眼を向ける。
その時すでにロイドは空で拳を構えて、体勢をきちんと整え終えていた。
「消えろぉぉぉっ!」
「NUN!!」
落下の勢い任せに拳を突き出し、未だエレメンタルジンの目に突き刺さったままのブライトセイバーの柄を叩く。
拳は剣は鍔まで埋まった。拳を伝って確かな感触を得た。
エレメンタルジンはぴたりと動きを止め、数歩下がる。
やがて巨体にいくつもの亀裂が生じ、乾燥した泥人形のように瓦解を始めるのだった。
「ありがとうモーラ――いや、ニーナ。俺もお前には沢山世話になった。俺も辛いとき、ニーナが優しく抱き留めてくれたから、受け入れてくれたから頑張れた」
地上へ舞い戻ったロイドは背後のモーラへ、振り向かずに言葉を紡ぐ。
「だがすまん――もう君のところへは行けない。いや、行かない。そしてモーラの気持ちにも応えることはできない」
「……リンカちゃん、ですよね?」
背中に響いたモーラの伺うような声音がロイドの胸に突き刺さる。
確かにモーラの言葉を受けて、一瞬気持ちが揺らいだのは感じた。
しかし“リンカ”という名を聞くだけで、その揺らぎはぴたりと収まり、誰を一番愛しているのか再認識させる。
「……ああ。リンカだ」
「貴方とはもっと違う出会い方をしたかった、ですね……」
「……」
もしもモーラとの出会いが娼館で無かったならば。
もしも一介の冒険者同士で出会えたならば。
ニーナとして彼女に出会う前に、モーラとして閉架書庫での出会いがあったならば。
しかしそんなのは可能性の話であり、妄想の類と変わらない。
ロイドとモーラはあくまで客と娼婦の関係。金で繋がった刹那の関係。
寂しがり屋の良いの大人が、その寂しさを忘れるために、ほんのわずかな時間、仮初の逢瀬に興じる――それ以上の関係は無い。
「ヒール」
モーラの声が奇跡を呼び起こし、傷ついたロイドの身体へ回復を施す。
踵を返すと、モーラは壊れた眼鏡を捨て、黒々とした瞳で彼を見ていた。
「先を急ぎましょう、ロイドさん。戦いはまだこれからです!」
「ああ!」
モーラは凛然とした態度で先を行く。
そんな彼女の気高い気持ちに応えたいと強く思い、ロイドもまた気持ちを切り替えて先へと進む。
すると、突然先行していたモーラが立ち止まり、艶やかな黒髪をさらりと振りながら踵を返す。
「ロイドさん、ありがとうございました! すっきりしました! やっぱり貴方は心も体も強い、とっても素敵でかっこいい男性ですよ!」
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