第60話:英雄祭1


 リンカの意図はわからないが、これは願ってもないチャンスだとロイドは思った。

この機会にリンカの真意を確かめる。なによりも、今の自分が抱く好意の感情に決着を付ける。


「リンカ、行くぞー」


 そんな決意を気づかせないよう、至って普段通りを装って、ロイドは家に声を響かせる。

するとリンカが寝室として使っている扉の向こうからドタバタと不穏な音が聞こえて来た。


「おっ……」


 現れたリンカの姿を見て、ロイドは思わず声を弾ませた。

まるで妖精を想像させるようなふわふわとした今日のリンカの衣裳。

普段は質素なシャツとホットパンツ姿よりも、遥かに”女性”らしさを感じさせる。

 少し化粧をしてるのか、未熟な花のつぼみのような唇が鮮やかに色づいている。

加えて言うなら、どことなく今日の衣裳は、度々世話になっている娼婦のニーナのものに似ているような気がしてならなかった。


「に、似合ってるな」


 不安げに青い瞳を向けてくるリンカへ、ロイドは精一杯の賛辞を送った。

頬を赤く染めつつも、リンカは嬉しそうに微笑んでくれる。


「い、行くぞ」


 あまり直視し過ぎていると、頭がのぼせてしまうと思い、さっさと玄関口へ向かってゆく。

リンカは弾むように歩き出し、ロイドに続いて家を出る。

彼女は終始ニコニコとしながら、ロイドの隣をしっかりとキープするのだった。



 晴天に号法が幾つも鳴り響き、聖王国第二の都市アルビオンはいつも以上の人出で賑わっていた。

 軒を連ねる屋台からは威勢の良い呼び込みの声が響き、辺りを見渡してみれば、珍しい品の数々が所狭しと並んでいる。

街のあちらこちには大道芸人が芸で彩りを添えている。憲兵や兵士、はたまた冒険者は普段手にしている武器の代わりに楽器を持ち、心地よい音色を響かせていた。

 老若男女、誰もが明るい笑顔を浮かべ、騒ぎ、そして今日の祭典を心の底から楽しんでいる様子であった。


 そんな状況なものだから、当然、道は人でごった返しになっていて、立ち止ればたちまち人並みに飲まれそうになってしまう。


「離れるなよ」


 ロイドは隣に並んでいるリンカへ伝える。

彼の指先が細いが、柔らかく、そして暖かい感触を得た。


 リンカは絡めた指先へ僅かに力を込め、岩のようにごつごつとしているロイドの手をしっかりと握りしめる。

そうされただけでロイドの心臓が跳ねあがり、年甲斐もなくすぐさま手汗が浮かび始める。

 しかしリンカはまるで気にした様子を見せず、ロイドの手を離そうとしない。


「そ、そうだな。こうした方が確かに迷子にならなくて済むな……」


 リンカは顔を俯かせたまま、それでもはっきりと首肯をしてみせる。

ならばとロイドもリンカの絡めて来た小さな掌を握り返す。

僅かにリンカが肩を震わせたのは、気のせいだろうか。


 こうして女性の手を握って歩くなどどれぐらいぶりのことか。

緊張を、今はどうでも良さそうな記憶の掘り起こしで誤魔化しつつ、道を雑踏の中へ分け入ってゆく。


 しかしやはり、緊張のためか、はたまた人込みの熱にやられたのか、視界がぐらぐらと回って仕方がない。


「少し、本でもみてみるか?」


 たまたま視界の隅に入った本の露店を指し示す。

リンカも頷き、二人は一旦、人波から離れて行った。


 立ち寄った古本の露店は、どうやら”大図書館”の出店らしかった。

魔法や武術の専門書から、古典、はたまた少し前に流行した冒険小説の類まで並んでいる。

さすがは大図書館の出店で、圧倒的な品揃えである。しかしそもそも本を買う気は無かったし、ロイド自身はあまり興味を引かれない。


「……」


 対するリンカは珍しく、青い瞳を輝かせていた。

 魔法の専門書や、古典、はまたま冒険小説などを次々と手に取り、真剣な様子で品定めをしている様子だった。

しかし片手で本を取り、本を開くのに難儀していた。


「離そうか?」


 ロイドの提案にリンカはブンブンと首を横に振った。

更に手を強く握り締めてくる始末。

実は結構リンカは頑固だったと思い出す。


 仕方なしにリンカが手に取った本を、ロイドが表紙をめくる。

リンカは嬉しそうに笑顔を浮かべながら、ぺこりの頭を下げた。

 そんな素直で可愛らしいリンカを直視できず、ロイドは視線を逸らす。


「あっ……」

「あっ……」


 そうして幾つかの本を選んで、支払場所へ向かった時、そこの眼鏡をかけた女性とロイドは思わず声を重ねた。


 服装こそ地味な布製のものだが、纏う気品は質素な身なりであっても変わらない。

あでやかな黒髪は店外であっても、興奮をそそる。


 彼女はこの図書館の裏方で蔵書の整理をしている【モーラ】

しかしそれは昼の姿であり、夜は高級娼館で【ニーナ】という源氏名で、不動のナンバーワンの地位を確立する娼婦である。


 彼女とこうして合うのは実に数カ月ぶり。娼館へはリンカと出会って以降、不思議と一回も足を運んでいない。

 隣のリンカはどこか不安そうにロイドとモーラを交互に伺っている。


「ど、どうも、モーラさん」

「え、ええ……お久しぶりですね、ロイドさん」

「今日は出店の?」

「ええ。人出不足でして」

「大変ですね」

「仕事、ですから……それよりも今日はとても可愛い方を連れていらっしゃいますね。もしかしてロイドさんの奥様ですか?」


 ”奥様”という言葉の破壊力は相当なものだった。

手汗が更に滲み出て、心臓が激しく拍動を始める。


「この子はその……今の、俺の雇い主の……リンカって言います」


 出したその答えに、何故かモーラは苦笑いを浮かべる。


 やはりモーラを前にすると、娼館で何回も慰めあった【ニーナ】の姿を思い出してしまう。

ここ半年、すっかりと忘れていた情欲が湧き出て、妙な気分を起こしそうになってしまう。

早々にここを離れねばと、ロイドはリンカの代わりに支払いを済ませた。


「リンカさん! ロイドさんのことをお願いしますね! ロイドさんもちゃんとリンカさんをエスコートして上げてくださいね!」


 去ろうとした二人へモーラは声をかけてきた。


「ちなみに最近はおかげさまで予約がいっぱいで、ロイドさんが入る隙はありませんから」


 少し身を乗り出して、モーラは耳元で囁きかけてくる。

 どうやらモーラには、ロイドの真意を悟られていたようだった。

気恥ずかしくなった彼は、モーラへ会釈を返し、再びリンカの手を引いて雑踏の中へ入ってゆく。

 何故かリンカとモーラが互いに頷きあったような気がしたロイドなのだった。

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