【閑章2】辛口と甘口と
第52話:Rose's Nightmare?(辛口)
ご要望をいただきましたので、執筆いたしました。辛口です。
【残酷で胸糞悪い話】です。苦手な方は飛ばしていただいて構いません。
代わりにぽかぽかと暖かい『お祝い(前後編)』(甘口)をご覧ください。
しかしながら1章で登場した「ローズ=ラビアン」が嫌いなどの感情をお持ちの方がいらっしゃいましたら、多少は楽しめるのでは無いかと思います。
あらかじめご了承ください。よろしくお願いいたします。
***
人身の不正売買。公文書の偽造。
そして巷で密かに広がりを見せていた”神の声”が聞こえると言う危険薬物の常習。どれ一つをとっても重大な罪であり、厳罰を処するに相応しいものである。
それら重大な罪を、かつてはAランク魔法使いとして名声を得て、慈善家としての皮を被っていた【ローズ=ラビアン】は、その全て犯していた。
身分審査の結果は当然――奴隷への身分転落である。早速、女としては旬の過ぎた彼女は競売に掛けられるため、城塞都市ソロモンの奴隷市場へ出品されることとなる。
曇天の下で月に一回行われる奴隷市は今回も盛況で、数多の貴族や豪商が品定めに訪れている。
その中で年老いたローズは、ほかの奴隷と同じく、麻の襤褸を一枚羽織らされ、枷で自由を奪われつつ、茫然と粗雑なむしろの上へ座らさている。誰もがローズの前を過るのみで、気にさえ止めない。
その日の競売は、ローズを除いて、他全てが若い商品ばかりだったからだった。
若い女の奴隷は、運が良ければマシな未来が描けるらしい。
淫乱な主人の枕事さえ耐え忍べば、人形のように愛でられ、中には側室や秘書に抜擢される者もいると聞く。
しかしそれはあくまでうら若く、肌艶がしっかりとした若い娘のみの話である。
皺と白髪が目立ち、肌の潤いが失われつつある中年の奴隷に、そんな未来などある筈もない。幸い買い手が付いたとしても、人間を使って行われる狩りの標的にされるのが関の山。
売れ残り続ければ、不衛生だと有名な城塞都市の奴隷管理棟で、ろくに食事も与えられず衰弱死を待つか、過酷な強制労働で命を落とすかのどちらかである。
もはや数多の罪を犯したローズ=ラビアンには絶望しかなかった。
最悪の結末しか用意されていなかったのである。
ローズは若い女奴隷ばかりを品定めをする買い手達をただ呆然と眺め続け、己が思考を意図的に停止させている。
しかし買い手の中に”彼”を見つけ、人としての思考を取り戻す。
「ワ、ワイアット! 貴方、ワイアット=グリーンでしょ!?」
突然叫んだ初老の女奴隷へ、買い手や他の商品は一斉に奇異の視線を寄せた。しかしローズが呼んだ彼だけは、驚きはするものの、すぐさま表情を引き締め、駆け寄ってくる。
「ローズ! やはり君だったか!」
彼もまた顔に皺が刻まれ、昔は青々とした髪にも幾つか白髪が見えた。しかし精悍な顔つきは老いて更に男ととしての磨きがかかり、姿は若い頃のままだった。
ワイアット=グリーン――彼はローズの魔法学院時代の同級生であり、若い頃は交際していた時期もあった。魔法使いにとって禁忌である、処女を捧げたのも彼であった。
そんな彼は今、聖王国九大術士の一人闇属性魔法の長【深淵のアデル】の補佐官として、聖王国の中枢で働いているらしい。
「でも、どうしてワイアットがこんなところに……?」
「今日の競売の一覧を見て君に良く似た名前をみつけたから来たんだ。まさか本当にローズだったとは……」
「私を……?」
「ああ。君を連れに来た」
絶望一色に染まっていたローズの胸へ、希望が差す。
しかもその希望をくれたのが、かつて愛し、そして今では絶大な権力を持つ男からである。
「か、買って! お願い! 何でもするから! だから!」
ローズは無我夢中でワイアットへ縋りつく。彼は嫌な顔を一つせず、優しげな笑顔を浮かべて――
「この再会は精霊様、いや創世神様の御導きだな。会えて嬉しいよローズ。俺のところへ来てくれ」
「ああ、ワイアット! これからは貴方のために生きます。何でもします!」
若い他の商品よりも、圧倒的に早く、老いたローズはかつての男に買い取られ、欲望渦巻く競売所を跡にする。
彼女はワイアットの導きで、彼の所有する
曇天の下、黒毛の馬が引く四輪馬車が、堅牢な城塞都市の城門を駆け出してゆく。
「さぁ、ローズ、これをお飲み」
隣に座るワイアットは昔と変わらず、爽やかな笑みを浮かべて、立派な銀の盃をローズへ差し出してきた。
盃の中には鮮やかな赤を呈して、芳醇な果実の香りを放つ飲み物で満たされていた。
「君はワインが好きだったろ? まずはそれを飲んで、気を落ち着けてくれ」
優し気なワイアットの声に、ローズは強く胸を打たれる。加えて彼は30年以上も前に別れた女の嗜好さえ覚えていて、かつてのように優しく接してくれている。
(この男をうまく利用すれば……)
上手く取り入って、今はかなりの身分にあるこの男を利用すれば、這い上がれるかもしれない。
このみじめな転落から脱し、自分を辱めたリンカとロイドとかいう冒険者へ復讐ができるかもしれない。
ローズはそう考えた。しかしそんな邪悪な気持ちを気取られないよう、わざとらしく弱弱しい笑みを浮かべたのだった。
「ありがとうワイアット。いただくわ」
盃からワインを流し込む。芳醇なブドウの香りと、はっきりとした口当たり。味わいも力強く、一口含んだだけで上質なものだとわかる。そんなものを惜しげもなく出せるほど今のワイアットは力があり、そしてローズへ施すほどの余裕がある。
希望は野望へと変わり、それまで暗く沈んでいた彼女の感情が、酒精の影響で激しく燃え始めた。
しかしすぐさま、睡魔がローズを支配し始める。
「良いんだよ、ローズ。少し眠りなさい」
「……!」
ワイアットの甘い言葉に、ローズは応えようとした。しかし不思議と声が出ない。
きっと酒精の影響で、言葉が出ないほどの眠気に襲われているのだろう。そう思ったローズは、ワイアットへ微笑みを送り、眠りに就くのだった。
●●●
「……?」
目覚めるとローズは薄闇の中にぼんやり浮かぶ石の天井を見た。鼻を突く黒カビの不快な匂い。
嫌な予感がしてローズは粗雑なベッドの上から飛び起きた。
周囲はすべて石壁に囲われていた。唯一の出入り口だろう鉄の扉には小さなのぞき窓だけがあって、太い鉄の格子がはめられている。
まさに”牢獄”という表現するに相応しいこの場所に、ローズは強い不安を覚える。
そして居てもたってもいられず、鉄扉へかけてゆき、格子のはめられた鉄扉へ飛びつく。
ヒュゥ、ヒュゥ、ヒュゥと、声の代わりに彼女の喉からそんな音が出た。
何度もワイアットの名を呼ぼうとした。叫びをあげようとした。しかし一向に声は出ず、せいぜい出たとしても、獣じみた唸りのみ。
すると扉の向こうから足音が聞こえてくる。いやに規則正しく、そして無機質な足音にローズは恐怖を感じて扉から離れる。
やがて足音が止まり、鉄扉が開かれると、不気味な二人がローズの前へ現れた。
形は人であるが、肌はまるで磨き上げられた剣のように冷たく鋭い光沢を放っている。
人に似せて人が作り出した人造生命体。人の代用として聖王都が密かに開発を進めていたという、無感情の道化――ホムンクルス兵。
ホムンクルスはずかずかとローズの牢獄へ踏み入り、強い膂力で彼女を拘束する。
ローズは必死に身をよじって抵抗するが梨のつぶて。
声を上げようにも、生憎、今の彼女はリンカのように声が出ず、唸りを上げるのみ。
おそらくは馬車で飲まされたワインへ”
あえなくローズは二体のホムンクルスに脇を抱えられ、強制的に牢獄から外へ出された。
引きずられるように回廊を行き、やがて正面に見えた扉の向こうへ押し込まれる。
巨大なホールの奥には突起物の多い禍々しい祭壇があった。
足元には巨大な不気味な魔法陣が描かれている。
(魔神召喚の陣……まさか!?)
ローズが気が付いたとき、ホムンクルスの一体が彼女から離れた。
鈍色をした奇怪な生命体が、冷たい眼でローズを静かに見下ろす。
そして腕に格納されていた”剣”を伸ばし、刃を光らせた。
「……! ……!!」
ローズは必死に身をよじる。だがホムンクルスの拘束は解けなかった。
声さえあれば――詠唱さえできれば、魔法でこの異常な事態から脱することができたかもしれない。
しかし今のローズは声を失った、詠唱のできない、魔力が高いだけのただの人間。
膨大な魔力を内包する魔石の類とさほど変わりはない。
そんなローズへ向けて、ホムンクルスは刃を装着した腕を突き出す。
「っ、がぁっ……!」
腹を貫かれ、ローズは獣じみた声と共に、血反吐を吐き出した。
ホムンクルスは腕の刃へ横向きに力をかけたのだった。
やがて足元の魔法陣はローズの腹から零れ落ちた血で赤く染まった。
すると魔法陣と正面の禍々しい祭壇が妖艶な輝きを放ち始めた。
(どうしてワイアットが魔神の召喚を……?)
まさか自分は魔神の召喚のためにワイアットに買われたのか? しかし聖王国の有力者である彼が何故魔神召喚を?
そんな疑問を抱きつつ、ローズの意識は、絶望の中緩やかに閉じられてゆくのだった。
……
……
……
「……?」
目覚めるとローズは薄闇の中にぼんやり浮かぶ石の天井を見た。鼻を突く黒カビの不快な匂い。
嫌な予感がしてローズは粗雑なベッドの上から飛び起きた。
周囲はすべて石壁に囲われていた。唯一の出入り口だろう鉄の扉には小さなのぞき窓だけがあって、太い鉄の格子がはめられている。
まさに”牢獄”という表現するに相応しいこの場所に、ローズは強い不安を覚える。
そして居てもたってもいられず、鉄扉へかけてゆき、格子のはめられた鉄扉へ飛びつく。
ヒュゥ、ヒュゥ、ヒュゥと、声の代わりに彼女の喉からそんな音が出た。
そしてここに至って、ローズは既視感を覚えた。
まるで時間が戻ったかのような感覚だった。腹を切り裂かれた感触はまだある。しかし、腹を見ても傷もなく、纏っている襤褸には血痕一つない。
(なんのこれは……? 私は悪夢でも見ていたの……?)
すると扉の向こうから足音が聞こえてくる。いやに規則正しく、そして無機質な足音にローズは恐怖を感じて扉から離れる。
やがて足音が止まり、鉄扉が開かれると、不気味な二人がローズの前へ現れた。
現れたのはやはり2体のホムンクルス。ローズの抵抗もむなしく、彼女は牢獄から連れ出され、そして再び魔神の祭壇の前へ立たされた。
「っ、がぁっ……あっ!」
再び、ホムンクルスがローズの血を流す。魔神の祭壇は妖艶な輝きを帯びる。二回目の同じ光景を見ながらローズは意識を閉ざす。
(なんなのこれは……?)
……
……
……
「……!?」
同じ牢獄の、同じベッドの上でローズは再び目覚め飛び起きる。
やはり声は出ず、ヒュゥ、ヒュゥと空を切る音が漏れ出すのみ。
そしてまたしても2体のホムンクルスが現れ、ローズを連れ出し、魔神の祭壇へ連れ行く。
「っ、がぁっ……ああっ!」
三度目であっても、やはり腹を切られる感覚は不快極まりないものだった。
相変わらず魔神の祭壇は妖艶な輝きを帯びる。
何故か祭壇の輝きが、今までの中で一番強かったように感じた。
……
……
……
今度もまた同じ牢獄で目覚めた。相変わらず声は出ず、体には傷一つない。
(これはなんなの……? 夢? 現実?)
「あああっ!! 嗚呼! AあAaaaaーーっ!!」
ローズは牢獄の中で獣のような慟哭を上げた。そして現れた、無機質な2体のホムンクルス。
相変わらず老いた女の魔法使いは、魔神の祭壇へ連れて行かれ、血を流す。
そして気が付けば、同じベッドの上へ戻され、同じことが繰り返される。
同じ風景で、同じ苦痛を味わい、同じ死を経験する。
ホムンクルスの立ち位置や、祭壇の放つ輝きには若干の差異があるように思えた。
しかし過程も、結果も、苦しみも等しく、変わらない。
そんな中でもローズの精神のみは、同じ事象を繰り返すうちに変化してゆく。
精神はすり減り、感情がなくなり、疲弊の一途を辿る。
夢か現実か。そんな奇妙な世界で、ローズは延々と同じことを繰り返し、同じ結末を迎える。
(これが悪夢なら早く冷めてほしい……)
そう願ってやまない彼女の意思など関係なく、同じ苦しみが延々と繰り返されるのだった。
●●●
「ワイアット補佐官! 深淵のアデル様が視察にいらしております!」
衛兵の声が聞こえ、数多の水晶が据えられた”監視室”で補佐官のワイアットは居住まいを正す。
すると聖王都九大術士の一人、闇属性魔法の長【深淵のアデル】は楽にするよう、彼へ促した。
「実験の状況はどうですか?」
「順調です。いい結果が得られています」
ワイアットは嬉々とした様子で、これまでの経過をまとめた羊皮紙をアデルへ差し出す。
「ご覧の通り、血の召喚による魔神召喚のリスクに関しては、負の精神状態が深く関与していることがわかりました。外傷の治癒は時間をかけて完ぺきに行った上ですので、間違いありません」
「なるほど。では魔力の高低のほかに、召喚時の精神状態が、召喚される魔神の脅威と密接に関係している。そういうことですね?」
「その通りです。現在、施行回数は100回目を迎えましたが、対象の精神はすっかり荒廃しており、ロクな魔神も召喚できない状況です」
「ふむ。ならば対象魔法使いの精神状態を常に良好に保つ、もしくは荒廃させれば脅威となる魔神召喚のリスクは少ないと」
「その通りです! 流石はアデル様です!」
魔法使いの、特に女性の魔法使いに関しては”血の召喚”というリスクが存在していた。
処女であれば精霊を、非処女であれば魔神を召喚してしまうというこの現象。
世の中に男女というものが存在する以上、必ず”性行為”が発生するのは避けようもないことだった。
故にこれまで、非処女と判定された女性の魔法使いは引退を余儀なくされ、更に強制的に遠隔地の男性と婚姻させられていた。
女性が魔法使いとして活躍し続けるためには、処女を貫き通し、婚姻を避けねばならなかった。
しかし近年、その扱いを不当と叫ぶ女性魔法使いが多く、現場復帰の陳情も数え切れないほど上げられていた。
果たして”非処女”というだけで、世界に仇名す、脅威となる魔神ばかりが召喚されるのかどうか。
実際、非処女魔法使いによる魔神召喚は、召喚される魔神の脅威にばらつきがあるとの報告が多数寄せられている。
そんな状況と過去から通説が対立していて、聖王国でも、この問題は大きな課題の一つとなっていた。
そこで九大術士のアデルが筆頭となり、魔法研究で数多の実績があるワイアット=グリーン補佐官へ、非処女の血の召喚が果たして本当にリスクとなりえるのかどうか、という研究をさせていた。
命を受けたワイアットは以前より非処女による魔神召喚は、対象魔法使いの精神状態が深く関与しているのではないかという仮説を打ち立てていた。そんなワイアットは奴隷市場でローズを見つけ、彼女を使って繰り返し魔神召喚の儀式を行い、精神状態と召喚される魔神の脅威との関連性を調べていたのである。
「しかし幸運でしたね。元Aランクで、非処女の、しかも奴隷の女魔法使いが手に入るなど。この研究結果で数多の女性魔法使いの希望を叶えることができるかもしれませんね
「アデル様がこの研究を認め、ご支援してくださったおかげです。ありがとうございます」
「検証が終わり次第、すぐに論文にまとめてください。迅速に陛下へご報告いたします。共に女性魔法使いの未来のために頑張りましょう、ワイアット君」
「はっ! このワイアット=グリーン、アデル様のご期待に添えられますよう粉骨砕身、職務に邁進いたします!」
アデルとワイアットは固く握手を交わした。
そんな彼らの脇の水晶の中では 憔悴しきり、ベッドの上でうなだれる、くたびれた女奴隷が映っている。
「ところでワイアット君、この奴隷の処分はどうするのですか? もはや使い物にはなりませんよね?」
「はい。ですので最後は魔力のみを抽出して、残りは獣の餌にする予定です」
「私が言うのもアレですが、君は根からの研究者ですね」
「はて? 何故にそう思われるのですか?」
「君とあの奴隷は数十年前、恋仲だったそうではないですか」
「ああ……」
ようやくワイアットは水晶の中で憔悴するくたびれたローズへ関心を移す。
しかしそれは人を見る目では無く、物に対する無感情なものだった。
「所詮は過去の話ですよ。それに声のない魔法使いで、更に奴隷など、もはや魔石と変わりありませんからね」
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