第53話:お祝い【前編】(甘口)


「Cランク昇段おめでとう! 念願叶ったな!」


 ロイドの親友で、今は憲兵へ鞍替えしたジールは破顏しながらアクアビッテの入ったグラスを掲げた。


「ありがとう」


 ロイドは素直に礼を口にし、ジールとグラスを打ち鳴らし、同時に口へと含む。

強い酒精で口の中がいつも通りに熱を帯びる。いつも通り、酒は旨い。しかし今日はいつも以上に酒の旨さをロイドは感じる。


 見事Cランク昇段試験を突破したロイドは、その祝いにとジールに誘われて、街の酒場へ男二人で繰り出していたのだった。


「よく頑張ったよなぁ! 俺ぁ、自分のことにように嬉しいぜ。マジでよ! ほんとあのロイドがCランクだなんてよぉ~……。頑張ってりゃいいことあるし、精霊様も頑張るお前を見てたんだなぁ……グスン……」


 酒精で感情がたかぶっているのか、ジールはまるで自分がCランクへ上がったかのように喜び、目頭を熱くしている。

 普段は豪胆で、男らしいが、実は涙もろくて、心優しいジールという漢。

彼の涙に感謝しつつ、ロイドは酒を口にする。


 紆余曲折は確かにあった。今回のCランク昇段には運の要素も多分に含まれている。公ではCランクと認められた。しかしロイド自身はまだ自分をCランクに値する冒険者だとは思っていない。だからこそ、これからも驕らず、謙虚に事実を受け止め、これからも等級にふさわしい冒険者になるための努力は怠らない――とは思いつつも、今日はジールがロイドの昇段を涙ながらに祝ってくれている。


(今日ぐらいは素直に喜ぼう)


 ストイックな態度はまた明日から。今日この場は親友の気持ちを全身全霊で受け止め、存分に昇段の喜びを噛み締めようと思った。


 ふと視界の隅に、鮮やかな華のような印象を感じた。視線が自然とその方向へ動き、意図せずわずかに心臓が跳ね上がる。


 メガネはかけておらず、髪型も服装も地下にいる時よりも遥かに派手であった。一瞬見ただけでは彼女が大図書館の閉架書庫にいる幽霊じみた女性であると誰がわかろうか。


 おそらく今のモーラは、【娼婦のニーナ】で、出勤前の食事を取りに来た、といったところだろう。

 酒場に入ってきたニーナのモーラは、カウンター席へ一人座り、ロイドへ背を向けている。

ずっとその背中を見ていると、色々と妙な気持ちを抱きそうだと思ったロイドは視線を逸らしたのだった。


「おい、ロイドなにぼーっとしてんだよ?」


 と、既にショットグラスでアクアビッテを3杯も平らげたジールが、真っ赤な顔を向けてくる。


「ああ、いや、すまん」

「なんだ、リンカの嬢ちゃんでもいたのかよ、おい?」

「っ!? な、なんだ、藪から棒に。どうしてそこでリンカが出てくる……」

「だってよぉ、今回おめぇがCランクを受けようって思ったのも、あの嬢ちゃんのためだろ?」

「た、確かにそうだが……」

「で、どうすんだよ、こっから?」


 すっかり酔いが回っているジールはぐいぐいと迫ってくる。

 ジールの質問の意図をなんとなく理解したロイドは、


「どうするもなにも、あの子が俺を雇い続けてくれる限り一緒にいる。それだけだ」

「はぁ!? そーいうことじゃなくてだなぁ!?」

「? 違うのか?」

「たりめぇだろうが! 何か月も一緒に暮らして、苦楽をともにすりゃとーぜん、芽生えるだろうがよ! その、なんだ……あれだよ! あれ!」

「……ああ」


 最初に思い描いた意図は少し的外れだったらしい。

しかし当たらずとも遠からず。確かにロイドは、今、リンカのことを雇い主以上に”大切”に思っている自覚はある。

それでもまだどこか心がふわふわとしていて、それにジ―ルが言わせたいだろう”適切な言葉”を当てはめて良いのかどうか分からずにいる。


「で、どーすんだよ! 嬢ちゃんのことをよ!」

「か、顔が近いぞ、ジール……」

「おめぇが本心を言うまで俺は離れんぞ! なんなら唇奪って、無理やり口を割らせても良い!」

「それは止めてくれ。俺にその趣味はない……」


 ロイドは自ら酔ったジールと距離を置き、立ち上がる。


「逃げんのか!」

「違う。用足しだ」

「そうか。ならよし! 出すもんだして、気合入れてこい! がははは!」


 ロイドは上機嫌なジールの笑い声を背中に向けながら、用足しへ向かってゆく。

実際は少し時間を置いたほうが、ジールが少しは冷静になってくれると判断した結果だった。


 とりあえず形だけでもと、手洗い場へ続く、店の裏口へ向かってゆく。


「あ、あの、ロイドさん!」


 華のような香りと共に、緊張気味の声が彼の背中へ響いた。

 その声は自然とロイドの胸を高鳴らせる。


「今はもうニーナ、だよな……?」


 踵を返すと、そこに妙に肩で息をする源氏名:ニーナこと、大図書館の閉架書庫係のモーラがいた。


「まだモーラで、良いです。ニーナはお店の中だけです」

「そ、そうか。それでどうかしたかモーラ? 何か用か?」

「えっと、そのぉ……」

「?」

「し、Cランク昇段おめでとうございます!」


 モーラは顔を赤く染めながら、笑顔を浮かべて、ロイドへ深々と頭を下げた。

正直、こうして祝ってもらえるのは嬉しい。


「ありがとう。しかしなぜ知ってるんだ?」

「今回の審査員の一人にケリー館長がいまして、それで、館長が教えてくださいまして……最近なかなかお店にいらしてくださらないですし、図書館で私は地下にもぐりっぱなしですし、だけど、どうにかお祝いをお伝えしたくて、その……」


 確かにリンカと暮らすようになってからは、自然とモーラがニーナとして勤めている高級娼館から足が遠退いていたと思い出す。閉架書庫も基本的には職員以外立ち入り禁止なので、仕事でなければ入ることは叶わない。


「ありがとう、モーラ。感謝する」

「すみません、本当は何かお祝いの品でも差し上げたいところなのですが、いつお会いできるか分からなくて、その……」

「気持ちだけで十分だ。本当にありがとう。君に祝ってもらえて嬉しい」

「ロイドさん……」


 モーラはリンカと似ているとは決して言えない。しかしそれでも、今目の前で、黒々とした瞳にロイドを写す彼女が、まるでリンカのように見えて仕方がない。


「おじさん、そこでぼけぇーっと間抜けな顔して何してるのかなぁ?」


 と、鋭い声が耳朶を突き、ロイドは背筋を伸ばす。

 いつの間にか裏口が開いていて、そこに居たのは、腕を薄い胸の前でがっちり組んで、鋭い視線をあびせかけるポニーテールがトレードマークの闘術士バトルキャスターのオーキスと、


「こんばんにゃ、おっちゃん!」


 オーキスのパートナーで、Aランクの格闘家、獣の耳を持つ戦闘民族ビムガン族長の長女ゼフィ。そして、


「……?」


 小首を傾げてロイドを見上げるリンカだった。


 突然裏口から現れた三人の娘は、それぞれ違った視線でロイドを見上げていたのだった。


「な、何故裏口から来た!?」

「正面から入るとナンパとかウザいから裏から入ってるの。いつものことなんで。店主さんも了承済みなんで」


 今日のオーキスは不機嫌なのか、かつてのように言葉に刺々しさを感じる。


「うしし。オーちゃん、なにカリカリしてるにゃ。どーしたにゃ?」

「してないっ! いつも通り!」


 オーキスはにやにやと訳の分からないことを言うゼフィの言葉を、ぴしゃりと跳ね除ける。そんな二人の間でリンカはオロオロしていた。


「だいたいおじさんが他の女の人とデレデレしてるのがいけないんじゃない!」

「い、いや、モーラと会ったのはたまたまで……」


 モーラに助け舟を依頼しようと視線を移す。

すると彼女は幽霊のようにいつの間にか姿を消していたのだった。


「なんだなんだどーした、モテ男よぉ? 修羅場か、修羅場なのか、がはは!」


 と、ここで更に面倒くさい男、酔っぱらったジールの登場である。


「にゃーん! 混沌カオスにゃ! おっちゃんを巡っての熾烈なバトルロイヤルの開始にゃ! 闘わなきゃ生き残れないのにゃ!」


 ゼフィは楽しげに状況を引っ掻き回し、


「……! ……!」


 リンカは本当にどうしていいのか分からないのか、ただオロオロし続けている。


「嬢ちゃんたちもロイドを祝いたいか!?」

「もちろんにゃー!」

「ま、まぁ、そのつもりで、さっきまで買い物してたんだけど……てか、鉢合わせしたのはたまたまだし……」

「!」


 しかしロイドを取り囲む皆は一様に、Cランクへ昇段した彼へ祝いの気持ちを持っているらしい。


「おーし! 分かった! じゃあみんなでロイドを祝ってやろう! 金は任せろ! 今夜は第08憲兵小隊隊長ジール様の奢りだぁ!」

「にゃーん! ジールのおっちゃんふとっぱらにゃー! ならお相伴にあずかるにゃー! リンカちゃん、行くにゃー!」


 ノリの良いゼフィは、何故かおろおろとしているリンカの背中を押して、ジールに続いてゆく。

そして、パートナーのオーキスへ八重歯を覗かせながら笑顔を送り、親指を立ててみせた。


「ちょ、ちょっと、ゼフィ! あの子はもう……」

「行かなくていいのか?」


 そう問うがオーキスは動こうとせず、まるで怒っているかのに肩を震わせていた。

少し顔が赤いのは怒りのためか。


「ごふっ!?」


 突然、腹へ強い衝撃が伝わり、ロイドは噴き出す。

 オーキスは鋭く拳を突出し、彼の腹を穿っていたが――殴られた訳ではなさそうだった。


「あげる……」

「ん?」

「あげるっ!!」


 ロイドの腹へ当てられていたのは、鈍色に輝く金属の塊だった。


「これは……?」

「剣を使ってる癖に”玉鋼たまはがね”も知らないの!?」 

「いや、それは知ってるが、何故急に?」

「お祝い! だから、その……Cランク昇段の……」


 さっきまでの勢いはどこへいったのやら、オーキスは消え入りそうな声で、玉鋼を渡してきた理由を語った。


「お、おじさんの剣、大事に使ってそうだけど痩せてたし……だから、玉鋼で直して、もっと長く使ってほしいっていうか……お、おじさんの使ってる剣ね、うちの! メイガ―ビーム工房作の剣だし、これからも大事にして欲しいなって……」


 そういえばオーキスは、聖王国正規軍へ100年に渡り正式採用装備を供給し続けている、武器商メイガ―ビーム家の次女だったと思いだす。確かに玉鋼を使えば、痩せた剣をある程度蘇らせることができる。今のロイドにとってはありがたいプレゼントだった。


「ありがとう、オーキス。嬉しいよ。それに君には感謝している。あの時、君が叱ってくれなければ俺はCランクになれなかったと思っている」

「全くだよ、年下のあたしに怒られるなんてさ」

「面目ない。迷惑をかけた。すまん」

「大丈夫。だっておじさん……ロイドさんはちゃんと立ち直ってくれたもん。あとさ……」


 少し身長の高いオーキスは僅かに、ロイドを見上げた。


「アイツの、ステイのパーティーに居た時は、たくさん酷いこと言ったり、冷たくしたりしてごめんなさい。あの時のあたしはただのガキだった。反省してます。そしてこれからもリンカのことをお願いできると、とても嬉しいです」


 オーキスはロイドへ深々と頭を下げる。

そんな彼女の真摯な気持ちへ、ロイドも応えるべきだと思った。


「俺だってあのパーティーに居たこと、君へは良い印象を持っていなかったんだ。お互い様だ。君が煙草を嫌っているのに、分かるところで吸ったりして申し訳なかった。俺の方からも、オーキスには末永くリンカにとっての良い友達でいて欲しいとお願いしたい。よろしく頼む」


 ロイドもまた誠意を込めて、頭を下げた。


「お相子だね」

「そうだな」


 互いに合図も無しに頭を上げる。やはりこのオーキス=メイガ―ビームという少女は――いや女性は、強く気高い、勇者の資質が十分にそなわなった逸材であると、ロイドは感じた。


「じゃあおじさん、行こっか?」

「ああ」


 ロイドとオーキスは、既に主役を抜きにして大盛り上がりしているジールのいる卓へ向かってゆくのだった。



*後半に続く



続きは夕方~夜頃掲載予定です。

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