第50話:救出、そして……


「リンカ! しっかりしろ! リンカぁっ!!」


ロイドの頬に添えられたリンカの指先が落ちた。

頬へ指先から滲んでいた僅かな血が、赤い軌跡を刻む。


 青ざめた唇からは僅かに呼吸が漏れ、胸は小刻みに上下している。

どうやら気を失っただけらしい。

 仕立ての良い服はローパーの触手で肌が切れるほど打ち据えられ、足や肩には鋭い牙の跡があった。

目を背けたくなるほどの酷い外傷だった。

しかし今の危険な状態は、外傷が主因ではなさそうだった。


 意識を失っても尚、身体は小刻みに震え、額には冷や汗が浮かんでいる。

恐らく毒に犯されているのだろうと、長年の経験からロイドは判断する。


 ロイドはすぐさまリンカの身体へ手を押し当てた。

自信は無いし、上手くできる保証はどこにもない。

それでも今のリンカを救おうとロイドは自らの魔力を燃やす。

燃やした命の力をここ一か月、必死に訓練を繰り返していた”回復魔法ヒール”に替えて放った。

 輝きが弱く、色合いが鈍い細かな光の粒がリンカへ降り注いでゆく。


 ロイド自身は必死で、ありったけの回復魔法を注いでいる。

確かに一か月前よりも勢いも、輝きもある。

しかしリンカの震えは収まらず、顔色は一向に優れない。


(俺の回復魔法ヒールではダメか……!)


 もはや一刻の猶予も無かった。無力な自分に絶望している場合ではなかった。


 ロイドは想像以上に軽いリンカを抱えて、立ち上がる。

すると、彼の背後から大きな影が伸び、唯一の光源である月を覆い隠す。


 巨大な何匹もの蛇が寄り集まって、一つとなった危険な魔物の一つ。


 恐らくこの谷底の主であろう多頭龍ヒドラが、18もある黄金の目で睥睨していた。

生臭い息を吐きながら鋭い牙を覗かせ、リンカを抱えるロイドを狙っている。


 今、リンカを下ろして剣を抜く訳には行かない。

だが応戦しなければ、一貫の終わり。


 数多の状況を潜り抜けて来たロイドであっても、早々に判断が付かなかった。

正直なところ、どう判断してよいか分からず手をこまねく。


「ウィンドサイズっ!」


 そんな中、凛とした精霊の力を発現させる”鍵たる言葉”が谷底に引き渡った。

ロイドの頭上を、鎌のように見える”空気の刃”が過ってゆく。


「SYAAA!!」


 多頭龍(ヒドラ)の首の一本が刃によって跳ね飛ばされる。

残った8本の首は、忌々しげに唸りを上げる。


「うみゃぁー!」


 次いで聞こえたのは裂ぱくの気合を伴った、独特の掛け声。


 リンカを抱えるロイドへ向かっていた多頭龍の首の一本が、激しい蹴りを浴びて、風船のように弾けた。


「おっちゃん! こいつはオーちゃんと僕に任せるにゃ!」


 ロイドの目の前に降り立った格闘家のゼフィは、やや後退をした多頭龍を見上げたまま叫ぶ。


「モタモタしてないで早く行って!」


 メイスを持ったオーキスがロイドを過り、ゼフィに並ぶ。


「言っとくけど、リンカに何かあったら怒鳴る程度じゃ済まないからね! 分かった!?」

「クッ……済まない。頼む!」


 今の状況でとやかく言える立場にないロイドは、オーキスとゼフィに背を向けて地を蹴る。



「いくよゼフィ!」

「はいにゃー! 僕たち姉妹の恐ろしさをみせつけてやるにゃ!」

「だから姉妹はやめてって!! せめて”元・勇者パーティー”とかにしてよねっ!!」


 オーキスとゼフィはいつもの調子で首が二つ無くなった多頭龍へ、勇敢に飛び出していった。


 ロイドは足へありったけの魔力を注いだ。そして彼が行使できる最大魔法を発現させる。

Dランクへの昇段要件魔法であった”加速アクセル

 オーキスとリンカが呼吸をするかのように発動できる極めて低位な、初歩的な魔法。

そんな力へロイドは全力を注ぎ、リンカを抱えたまま谷底を突き進む。


「FUSYUUU!!」


 目前にローパーが現われた。

本来ならば剣を一薙ぎすれば、あっさりと倒せる低位の怪物だった。

しかしリンカを手放すわけにはいかない。

 彼は体を丸めてリンカを強く抱き寄せ、猛牛のようにローパーへ向けて突っ込んで行く。


「ぐっ!?」


 ローパーの触手が”ぴしゃり”と鋭い音を響かせながら、激しくロイドの背中を打った。

背中がじわりと熱を帯び、痛みが背中から広がり始める。

しかも一発ではない。

 無数のローパーの触手が絶え間なく彼の背中を打ち据える。

視界へ僅かに赤い飛沫が飛び込んでくる。

背中の感覚が殆ど無い。意識が茫然とし始める。

それでもロイドは頭を振って、視界の霞を吹き飛ばした。

 目前のローパーを蹴り飛ばし、踏みつけて、その場を過ぎ去ってゆく。


 胸に抱くリンカが、どんどん氷のように冷たくなり始めていた。

呼吸を現す胸の上下も次第にその勢いが弱まっている。


 散々ローパーの触手に打ち据えられたロイドも、体力的に厳しくなりつつある。

それでもここで立ち止まる訳にはいかない。

一刻の猶予も許されない。


 ロイドは立ち止まりそうになった体へ、鞭のような激で叱咤し、走り続ける。

すると今度は闇の中から”巨大なカエル”の魔物――ジャイアントフロッグが姿を見せた。

しかしロイドは臆することなく、まっすぐと谷底を突き進む。


 ジャイアントフロッグの溶解液を浴びて、太腿が焼けた。

ローパーの触手が、ロイドの背中を切り裂いた。

小型ワームが鋭い牙で肩にかみつき、僅かに肉を持って行かれた。


 満身創痍であった。ロイド自身にも命の危険が迫りつつあった。

だが、腕の中にいる少女は、ロイドよりも遥かに危険な領域にまで達している。


 その時、ようやく目的地が見えた。

深い谷底の中で、唯一斜面が緩い箇所。

 ロイドが駆け下り、そしておそらくリンカが滑り落ちて来ただろうソコ。

 腕を使わずとも駆け上がれそうな比較的緩い斜面へ、迷わず靴底を付けた。

全身の力を足へ注いで、登り始める。


「うっ……!」


 思わず呻きが漏れ、倒れそうになった体を踏ん張って止める。

足が一歩も動かない。ジャイアントフロッグの溶解液で焼けただれ、ワームに食いちぎられた太腿に激痛が走っていた。

皮のパンツを伝って、赤黒い血がしたたり落ちる。


 それでもロイドは痛みを堪えて、一歩を踏み出した。

足が千切れてしまいそうな痛みに、思わず悲鳴を上げた。

しかしそれに耐えて、もう一歩、斜面を登った。


「FUSYUUU!!」


 血の匂いにつられて、ローパーが斜面の下に群がり始めている。

 ここで転げ落ちてしまえば、それこそ一貫の終わり。

しかし今の速度ではローパーの触手に足を絡めとられ、谷底へ引きずり戻されてしまう。



「おおあああ!!」


 ロイドは獣のような叫びをあげて、やぶれかぶれに魔力を放った。

全ての力を”回復魔法ヒール”の発動に、特に動かなくなっていた足へ集中させて放つ。

相変わらず輝きは弱く、色合いはひどく鈍い。

 粗末で粗雑な、殆ど力のない回復魔法ヒール


 それでも僅かに傷口が塞がり血が止まった。

痛みがほんの少し和らいだ。


 ロイドは勢いよく一歩を踏み出す。力任せに更にもう一歩を踏み出して、一気に斜面を駆け上がる。

刹那、背後で”ぴしゃり”ローパーの触手が空しく岩ばかりの斜面を打つ。

 満身創痍のロイドは、それでもリンカを抱えたまま、辛くも斜面を登り切るのだった。


 ロイドは朝もやが立ち込める森に達する。

しかしここが終着点ではない。

 彼は足を引きづりつつも、確実に前へ進んで行く。


 意識が朦朧としてようとも、足にほとんど感覚がなかろうと。

それでもまっすぐ、一刻も早く、リンカを胸に抱いたまま歩き続けた。

やがて森を抜け朝陽に照らされた目的地を視界に収める。



「た、頼む! 開けてくれ…! 急患だ……!」


 ロイドは森から最も近い診療所の扉を必死に頭で叩く。

早すぎる時間のためか、すぐに反応は帰ってこない。

ロイドはただひたすら木の扉へ頭を打ち続ける。


 やがて扉の向こうからわずかな足音が聞こえてきた。

僅かに扉が開いて、隙間から初老の治癒士が顔を覗かせる。

そして勢いよく扉を開けた初老の治癒士はロイドの成りを見て絶句した。


「俺のことよりも、この子のことを! 頼む……!」


 ロイドの必死な声を受け、治癒士は彼とリンカを見比べた。

治癒士はすぐさま診療所の中へ声を放った。

すぐさま助手の女性が現れて、治癒士の指示の下、真っ先に項垂れるリンカの肩を担いで中へ連れて行く。


 こんな辺鄙なところに診療所を構えているが、状況判断がきちんとできる腕は確かな治癒士のようだった。

彼に任せればきっと大丈夫だとロイドは思った。


 すると急激に体が力が抜けた。

波が引くように意識が遠ざかってゆく。

 限界を迎えたロイドは、跪いたまま、まるで死んだように眠りに落ちるのだった。




*明日で3章終了です。よろしくお願いいたします。

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