第49話:死の谷底


 闇を切り裂き、ロイドは森の中を駆け抜ける。


 未だ酔いは少しばかり残っていた。足元が僅かにふらつき、激しい嘔吐感がこみ上げてくる。

しかし立ち止まるつもりは一切なかった。


 今はただリンカと話がしたかった。

気持ちをに気づけなかったことへの、精一杯の謝罪がしたかった。

 そんな想いを胸に、彼は一目散に、リンカの家へ飛び込む。


 家の中は相変わらずシンと静まり返っていた。

時間は既に夜半を過ぎている。

 さすがのこの状況はおかしい。

 ロイドは素早く踵を返し、再び家を飛び出す。


「おわっ!? ど、どうしたの!?」


 家を飛び出して早々、またしてもオーキスとゼフィに鉢合わせする。

ずっと背後に僅かな気配を感じていたが、どうやらこの二人だったらしい。


「二人ともすまないが手伝ってくれ! リンカがまだ戻っていないんだ!!」


 ロイドはそう叫び、森の中へと飛び込んでゆく。


(全く……リンカはどうしてこうも、すぐにどこかへ行ってしまうんだ……)


 今までのように誰かの罠に落ちたわけではない。

今回の事態はロイド自身が招いてしまったことに他ならない。

だからこそ責任をもって探し出す必要があった。


 もし今回も彼女に危険が迫っているのなら、命を賭してでも助けたい。

その一心でロイドは必死にリンカの姿を追い求め、森中を駆け回る。

だが一向にリンカの姿は見つからない。


(もしかしてもう家に帰っているのか?)


 そうは思えど、嫌な予感が拭い去れなかった。


「おじさん! こっち!」


 すると、木々の間から必死めいたオーキスの声が響き渡ってくる。


 草木をかき分けて進むと、オーキスが地面に浮かんだ深い亀裂クラックを指し示していた。

月明かりの下に見えた、明らかに何かが滑り落ちたような痕跡。


「見て来る! 二人は引き続きこの辺りでリンカの捜索を頼む!」

「お、おじさん!?」

「おっちゃん!」


 オーキスとゼフィの声を背に受けながら、ロイドは迷わず亀裂クラックへ飛び込む。

靴底で岩の斜面を削りながら、暗く、凍えるように寒い闇へ向かって行く。

そして谷底に達すると薄い闇の中にぼんやりと浮かんだ白色を認める。


 千切れてからさほど時間の経っていなさそうな布の切れ端だった。

更に布の切れ端が落ちていたところから、谷底の奥へ向けて、地面に黒い斑点が浮かんでいる。


 この切れ端はいつもリンカが部屋着として着ているシャツのものでは無いかとロイドは直感する。


(もしもここにリンカがいるのなら早く探し出してやらないと!)


 ロイドはつま先に力を籠める。しかしすぐさま異様な気配を感じ取り、姿勢を整える。

そして数打ちではあるものの、ずっと手入れを欠かさず、大事に扱っている無銘の剣を抜いて構えた。


 闇の向こうに複数の不気味な影が浮かんでいる。

奇怪なソイツらが持つ鞭のような触手が薄闇の中で蠢いていた。


「FUSYUUU!!」


 肉塊に巨大な目玉と鞭のような触手を生やした低位の闇の眷属。

前後の道より、不気味な怪物”ローパー”が集団となって迫ってきていた。


 数は突破するのが難儀と思えるほど多い。

しかし相手がローパーで良かったと今日ほど思うことは無かった。


 ローパーの肉質は柔らかく、触手も威力は凄まじいが剣で簡単に切り裂ける。

奇怪で醜悪な怪物は、ロイドの得意とする斬撃が有効。剣にはめっぽう弱い。


 ロイドは剣を柄を強く握りしめ、地を蹴る。

僅かに降り注ぐ月明かりで鋼の剣を煌めかせ、まっすぐと、迷わず正面のローパーの集団へ突っ込んだ。


「そこをどけぇぇぇーっ!!」




●●●



「……」


 ひゅひゅうと、口からは荒く吐息が漏れ出した。

しかし伴うはずの声は無い。

 真っ暗な谷底の闇の中、天地も分からない谷底で、リンカの視界はぐらりと回っていた。


 恐らくこれは毒の影響。

先ほど出会ったジャイアントフロッグの吐き出した毒霧を吸ってしまったからだった。


 鋭い牙を持つ小型のワームがいるが、リンカにまるで興味を示さない。

散々リンカを追いかけまわし、衣装がボロボロになるほど触手で打ち据えて来たローパーも、リンカへ道を譲る。


 毒に犯された彼女は魔物にとっても”危険物”であり、”捕食対象外”となっていた。

リンカはもはや魔物が犯すことも、食べることも躊躇う、不浄の存在となり果てていた。


(毒で死ねるなら……痛くなくて、良いかな……)


 自嘲は少しばかり毒の苦しみを和らげた。


 既にリンカは自ら死を覚悟していた。


 しかし存外にローパーの触手で打たれるのは想像以上に痛かった。


 小型ワームの鋭い牙で肩を噛みつかれた時は、その場で卒倒しそうだった。

それでも痛くて、苦しいばかりだった。一向に死の気配が迫ってこなかった。

自ら死を覚悟したにも関わらず、なかなか死ねない状況だった。


 やがてそれは未熟な彼女に”死の恐れ”を抱かせていた。


 そんな中、浴びせかけられたジャイアントフロッグの毒霧。しかし毒を浴びせてきたジャイアントフロッグは、長い舌でリンカを拘束して捕食する前に、背後から現れた小型ワームが群がられ食い殺された。

 死を望むリンカも、流石に凄惨な怪物同士の食い合いに恐れをなしてその場を立ち去る。


 暫くすると意識が朦朧とし始め、呼吸が全力疾走をした後のように苦しくなった。

悪寒が沸き起こり、不快感が体中を席巻し始める。

 すぐさまリンカはジャイアントフロッグの進行の遅い致死毒を浴びたことで、命は刻一刻と削られ始めているのだと気が付いた。


 死が一歩一歩確実に迫ってきていた。ローパーや、小型ワームの痛みに耐える必要はもう無かった。


 あとはこのまま時が過ぎれば望み通り、この世から消え去ることができる。

兄がいる世界へ旅立つことができる。


 卑しい身で、魔法の才能だけが長けてしまっていた自分。

自分という存在があり続ける限り、周りに不幸をまき散らしてしまう。

しかし死んでしまえば、これ以上、嫉妬したり、怒ったり、悲しんだりする人は生まれない筈。


 消えるのが正解。ここで死ぬことが最良である。

そうだと自分で判断した。そう決断した。


「…………!」


 遂に歩くことができなくなったリンカは、湿っぽい地面の上へ倒れた。


 もうすぐ終わりになる。死ぬことができる。

自ら望んだ状況であった。

 しかし地面を濡らしたのは、蒼い瞳から零れ落ちる大粒の涙であった。


 死を覚悟した。ここで終わることを選択し、それが最良だと判断したはずだった。

だが死が真近に迫った途端、胸が張り裂けそうな痛みに襲われた。

寒さからではない震えが沸き起こり、涙が絶え間なく零れ落ちる。


――死ぬのが、怖い。


 実のところ、それが本音であると気づいたのだが、今更であった。

終焉はもう間もなくで、死への恐怖で震え上がっていたとしても、選択の結果を冷酷にリンカへ示す。


「リンカッ!」


 生と死の狭間で怯える彼女を呼ぶ声が聞こえた。

意識は朦朧としている。

しかし呼ばれた名前と、その響きに、リンカの胸は確かに高鳴った。


(ロイド、さん……?)


 兄を思い出す煙草の匂い。その匂いに惹かれて森を歩き、リンカはロイドに出会った。


 ぶっきらぼうだけど、心優しくて、傍に居ると安心できる彼。

リンカがピンチの時、必ず助けに来てくれる彼女だけの勇者ヒーロー


(やっぱり、まだ、ロイドさんと一緒に居たい……)


 彼の姿が脳裏に浮かんだ途端、決断が霧散した。


 自分でも都合が良すぎると思った。

我がままで、無責任で、おろかな選択をしてしまったと後悔した。

結果としてまた彼に迷惑をかけてしまっているし、死は目前だった。


それでもリンカは、やはりまだ”死にたくは無い”と思った。

まだ彼と一緒にいたい、と強く願った。


 ふわりと身体が地面から離れた。

 兄を思い出させる、香しい煙の香りが鼻を掠めて、思わず笑みが漏れだす。

そしてリンカは失った声の代わりに手を伸ばした。


 震える指先は自分を抱き起し、必死に呼びかけけてくれている”ロイド”の頬に触れる。


 少し乾燥はしているし、髭の剃り跡もあるため、指先からざらついた感覚が伝わってくる。

だけどその感触はリンカにとって心地よく、安堵と幸福を抱かせるものだった。


 もしも声があったのならきちんと謝りたい。


 また迷惑をかけてしまったことを。


 そう思いながら、リンカは安心感を抱いたままロイドの腕の中で意識を失うのだった。

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