第48話:叱咤激励



 視界が霞み、周囲の喧騒がぼんやりと聞こえてくる。

久方ぶりのアルコール摂取は、ロイドのあらゆる感覚を麻痺させていた。


 酒は良い。飲んでいる時は余分なことを考えなくて済む。

嫌な気持ちも、疲れも、焦燥感さえ感じさせない。

ただ心地よく、まるで背中に羽根が生えたかのように軽やかだった。


 しかしそんな感覚も、酒が途切れればそこまで。

待ち受けているのは目を背けたい現実が迫ってくる。

だから彼は街の酒場で一人、度数のきついアクアビッテを飲み干した。

それでも足らず、給仕へぶっきらぼうに追加を頼む。

すっかり山となった灰皿を前に、煙草を咥え、火を点ける。


 そして紫煙と共に吐き出されたのは大きなため息だった。


(まるで昔に戻ったみたいだな……)


 万年Dランクの彼。決して”勇者”にはなれない中の下の冒険者。

リンカに出会うまでの、疲れ果てた自分。


 それなりの絶望と、無に近い希望――それこそがロイドの現実であり、真実であった。


 やはりCランク昇格への壁は越えられないのか。自分では無理なのか。


「おじさん、こんなところで何してるの?」


 不意に聞き覚えのある声が聞こえて、グラスから顔を上げる。

ぼんやりと視界の中に見えた、長いポニーテール。

 オーキスだった。そして彼女の隣には、神妙な面持ちのゼフィが佇んでいる。


「何って、酒を飲んでいるんだが……」

「ふーん。試験まであと一週間だよね? そんだけ余裕なんだ?」

「……」

「ねぇ、なんで黙るわけ?」


 まるでステイのパーティーに居た時のような、鋭い視線が向けられた。

 脇にいたゼフィは「まぁまぁ」となだめる。

しかしオーキスは鋭い視線でロイドを睨んだまま動こうとしない。


「もしかしてこのお酒ってやけ酒?」

「悪いが今は一人にしてくれないか……」


 酔いのせいか、ロイドは苛立たしげに応える。

するとオーキスはロイドの正面へ周り、椅子を引く。


「何の真似だ?」

「別に。ここに座りたかったから座っただけだけど?」

「……勝手にしろ」

「で、試験は大丈夫なわけ?」

「……」


 今日のオーキスは妙に突っかかって来ているように感じた。

正直なところ、今は目の前からいなくなって欲しかった。

しかしそれを頼んだところで言い争いになるのが関の山。

ロイドは無視を決め込み、煙草をもみ消して、並々注がれたアクアビッテで唇を湿らせる。


「ねぇ、おじさん、黙ってないで答えてよ! 本当は全然だめなんでしょ!?」

「いいから少し黙ってくれ!」


 大人げないのは分かっていたが、叫ばずにはいられなかった。

オーキスの眉間が波打つように振れた。


「うわっ、切れた。ダサっ……」


 オーキスの冷たい視線が突き刺さる。

パーティーに居た時は、いつもこんなものだったので、気にはならない筈だった。

しかし、ロイドは妙な居心地の悪さを覚え、口を噤んだ。


「あのさ、いら立つのはおじさんの勝手だけど、リンカだけは傷つけないでよね?」


 しかし”リンカ”の名が出た途端、グラスを持つ手が意図せず震えた。


「おじさん、もしかしてリンカに何かしたの!?」


 オーキスは身を乗り出しえ、明らかな怒りの視線を向けて来た。


「応えなさいよ!」


 そして男勝りな彼女はテーブル越しにロイドの胸倉を掴む。

流石はメイスを武器にする闘術士バトルキャスターだけあって、背丈で遥かに勝るロイドを軽々と持ち上げる。

 しかしロイドに抵抗する気力はなかった。


「ちょっとオーちゃん落ち着くにゃ! おっちゃんも、ちゃんと話すにゃ!」


 ゼフィが慌てた様子で間へ入ってくる。


「……何といってもな……特には何も。それに試験は俺自身の問題だ……。俺が自分で乗り越えなきゃいけないことなんだ。俺が自分の力で……」


 ロイドは絞り出すように声を出し、感情を露呈する。

するとオーキスは胸ぐらから手を離した。


「ごめん。あたしも頭に血昇ってた……」


 まるで熱を冷ますかのようにオーキスは口を閉ざす。

 周りの喧騒がどこか遠くに感じらたロイドは、この席だけがまるで別世界に切り離されたかのような錯覚を覚える。


「ねぇ、おじさんは……ロイドさんはどうして一人で抱え込もうとするの? でもそれじゃ上手くいかないんだよね? 全然ダメなんだよね?」


 先ほどとは打って変わり、オーキスは鋭い視線ではあるが、穏やかにに聞いてくる。突き放しているようには感じられなかった。


「……オーキスの言う通りだ。実際その……上手くは行っていない。翻訳を手伝ってもらったのに、応えられず申し訳ない」


 オーキスの妙に穏やかな口調に口が滑ったような気がするロイドだった。


「やっぱそうなんだ……良いよ、あたしなんかに気を使わないで。あたしは翻訳を手伝うことぐらいしかできなかったから。だったらさ、リンカには頼った?」

「リンカに? いや……」


 リンカに声は無く、気軽には聞けない。

羊皮紙に書かせると言った苦労も掛けたくは無かった。


「どうして?」


更に穏やかにオーキスは聞いて来た。


「どうしても何も、昇段試験は俺自身の問題だ。声の無いリンカに、俺の都合で苦労は掛けたくないんだ……」

「そだよね。年下のリンカには頼りづらいよね」

「……」

「でもさ、無理しないで。リンカを頼ったって良いんだよ?」

「えっ……?」



「たしかに試験はロイドさんの都合だよ。貴方が自身が頑張らなきゃいけないことだよ。リンカに迷惑をかけたくない気持ちもわかるよ。それでも上手く行かないんだったら、傍に居る人を頼るしかないじゃん。声が無くたってリンカは一生懸命、ロイドさんのために答えてくれる筈だよ?」



 オーキスは真摯な視線を寄せ、ロイドを瞳へ映す。その強い意志が込められた視線に彼の心は引き込まれる。



「自分だけで頑張ろうとしないで! 抱え込まないで! リンカは必ずロイドさんに応えてくれるよ! 信じて! だって今のロイドさんとリンカは唯一無二の、かけがえのないパートナーなんだからっ!!」



 オーキスの声が響き、ロイドの全身へ行き渡る様な感覚を得た。

胸のつっかえが取れ、頭が明瞭になって行く。


 瞬間、これまで応援してくれたリンカのことが思い出された。


 走り込みと瞑想の時は、必ず食事を用意してくれた。

書物で座学をしている時も、常に傍に居てくれた。

 回復魔法がロクに行使できないのをみても、笑顔を送ってくれていた。


 頼らないことが美徳だと思う彼がいた。

自分の都合に、他人を巻き込むことが迷惑だと思い込む彼もいた――そんなのは言い訳だった。カッコつけであった。


 やはり心のどこかではリンカと自分が釣り合ってはいないと思い込む彼がいた。

その焦燥感があったのは確かだった。


 ロイドは冒険者歴20年近くで未だにDランク。

しかしリンカは若くして認められた世界で唯一のSSランク。更に歳も一回り以上離れている。きっと、普通に暮らしていればめぐり合うことの無い二人。

 そんな二人が何の縁か出会い、そして共に時間を過ごしている。



 ここ数か月、ロイドはリンカと共に駆け抜けた。


 一緒に死を覚悟して貴族の屋敷から逃げた。


 一つ屋根の下で、協力して生活をした。

 

 勇者パーティーを驚異の怪物エレメンタルジンから救った。


 伝説の魔神ザーン・メルでさえも二人の力で撃退し、アルビオンを守った。


 きっとDランクのロイドだけでも、声を失ったリンカだけでさえも成しえないことを、二人で手を取り合って切り抜けてきた。


 苦楽を共にし、ここまでたどり着いた。

それが事実である、二人の、二人だけの確かな記録であった。


 立場とか、年齢とか、経験とか――確かにそれらはロイドとリンカの間にある純然たる差なのかもしれない。


 しかしロイドとリンカは、互いに歩み寄り、手を取り合って、様々なことを乗り越えてきた。


ならば今度も、ただ今まで通りにすればよい。

いつものように、立場も、年齢も、経験も、それぞれだけが持っているものを突き合わせ、手を取り合って。

そして立ち向かえば良いだけ。


 その上で彼は強く想う。


 ロイドは万年Dランクの冒険者。彼は決して周りが認める”勇者”ではない。

今更、おおやけが認める”勇者”になんてなれやしない。


 だが、それでも――”勇者”になりたかった。


 例え周りが認めなくても。


 肩書がDランクであろうとも。


 困難に立ち向かう【勇敢なる者】に。


 そのためにも、今は一人では無く”二人”で立ち上がる時。

彼女リンカの力を素直に借りるべき時。頼るべき時。


 ロイドは立ち上がり、テーブルヘ金を叩きおいた。


「ありがとう、オーキス。目が覚めた。恩に着る! リンカと会ってくる!」


 酔いで視界がぐらつく。しかし四の五の言ってはいられない。


 まずは一人で抱え込んでいたことを謝る。そしてその上で、二人で、力を合わせて前へ進む。その話がしたい。

 その気持ちで酔いを押さえこんだ。ロイドは無理やり正気を保ち、店を飛び出して、リンカの家へ目指して走り出す。



「全くもう年下の小娘に言わせないでよねぇ……リンカの時はちゃんと力を借りれる癖に……」


「相変わらずオーちゃん、男前にゃね」


「あはは、男前って……まぁさ、なんとなくロイドさんの気持ちわかるから。実はさあたし、リンカよりも一つ年上なんだ。浪人ってやつ。学院の入学試験に一回落ちちゃっててさ」


「そうだったにゃか……」


「あたしも昔はあんな感じで、自分のことだからって、一人で何とかしようとしてて、焦って、それでもダメで……だけど学院でのルームメイトだったリンカと……サリスが助けてくれて……最初は年上として年下のあの子たちに頼るのが恥ずかしかったんだけど、なんか馬鹿なプライドだったなぁって。だから、あたしは、リンカやサリスのおかげで、今こうやって魔法使いとして冒険者ができてるから……」


「オ-ちゃん……じゃあ、オーちゃんは名実ともに僕よりも”お姉ちゃん”にゃね」


「そだね。嫌? ゼフィは長女だもんね」


「ぜんぜん! オーちゃんがお姉ちゃんにゃんて最高にゃ! でも僕はお姉ちゃんだからって遠慮はしないにゃよ?」


「あたしだって遠慮されるつもりはないよ! だってゼフィはあたしにとって対等なパートナーなんだから!」


「うにゃん!」


「さて! 不器用なお二人さんがちゃんと仲直りできたかどうか見に行こうか、ゼフィ!」


「はいにゃー!」

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