第47話:リンカ=ラビアン(*リンカ視点)
*【ストレス展開箇所】です。
声さえあれば。
きちんと言葉で気持ちが伝えられたならば。
『頑張ってください! 傍で応援しています!』と言葉にできてさえいれば。
声さえあれば。
複雑な回復魔法行使のコツを言葉で彼へ伝えられたならば……
そうは思えど、今のリンカは声を失っている。想いを言葉にすることは決してできない。
それが歯がゆく、悔しく、そして悲しかった。
今口から出せるのはせいぜい獣じみた叫びのみ。
リンカは青い瞳から、涙を零しつつ、一人真っ暗な森の中を駆け抜けて行く。
ただ彼女は悩んでいるロイドを元気づけたかった。
声の出ない自分にできる精一杯のことをしたかった。
だけど想いは口にできず、すれ違ってしまった。
声を失ったリンカに呆れず、優しく、時には命を掛けてくれたロイドという冒険者。
彼には感謝しかなかった。彼がいなければ、もうとっくの昔にリンカは死んでいたに違いない。それに今では、感謝以上の気持ちさえ抱いている。
しかし今の彼女は声が無い。正しく想いを伝えることができない。
今日はいつも以上に、声を失ったことが辛かった。
やるせなかった。
「ッ!?」
急に体が宙を舞った。
足元には深い
無我夢中で走り続けたために、山の中にある危険地帯のことを失念していた。
身体が倒れ、急な斜面をリンカは転がり出す。
視界が激しく回り、暗い谷底へ落ちて行く。
彼女は吸い込まれるように闇へ飲みこまれるのだった。
●●●
リンカが生まれたところは、聖王国でも西の外れにあるスラム街だった。
五体不満足な元冒険者や兵士、盗賊まがいなE、Fランクの冒険者、脱走した奴隷に、生まれながらにして貧困に喘ぐ平民。
輝かしい聖王都の隅にある影の世界。怒り、嫉妬、悲しみなど負の感情が渦巻く、貧しい街。
そんなところでリンカは生まれ、そして育った。
両親の顔は何故か知らなかった。そもそも父や母といった存在がどういうものかさえ分から無かった。
でも分からなくても良かった
何故ならばリンカには、かなり歳の離れた”兄”という家族がいたからである。
とても優しく、そして逞しい兄という家族。
兄は腕利きで、危険な依頼であっても難なくこなす”冒険者”という仕事をしていたらしい。
そんな彼の庇護の下にいたリンカに、誰も手出しはしなかった。
盗みやゆすりは日常茶飯事。
人の命がゴミくず同然に奪われる環境でも、リンカが平穏無事に過ごせたのは、兄の庇護があったからこそだった。
例え兄が
そして幼い日の彼女は、唯一の家族である兄の帰りをいつも待っていた。
兄はよく煙草を吸っていた。その香りがリンカは好きだった。
だから香ばしい煙草の匂いが香ってきたら、それは帰宅の合図。
紫煙の香りを感じる度に、兄は家の扉を開いて帰還し、待ちわびていたリンカを優しく抱きしめてくれる。
できればいつも一緒に居たい。
しかし周囲の貧困に喘ぐ人と違って、豆ばかりだが毎日食事が取れ、綺麗な水が飲めて、誰にも襲われることなく平穏に暮らせるのは兄のお陰。強くて、逞しく、唯一の家族で、大好きな兄のお陰。
幼いリンカでもそれぐらいのことは分かっていた。
だからこそ、寂しいとわがままも言わず、ただ静かに兄の帰りを待つ日々だった。
帰還した兄に抱きしめて貰うことを心待ちにし、孤独に耐えながら、ただひたすら帰りを待ち続けた。
――そんなある日、煙草の匂いが無く、家の扉が開いてしまう日が訪れた。
姿を見せたのは白銀の鎧を着た”憲兵”と、やや年老いた優しそうな女性。
そこに兄の姿は無かった。兄の代わりなのか、彼が”聖王から賜った”という美しい【短刀】だけが戻ってきた。
いつも兄が大事そうに磨いていたソレは、刃こぼれだらけだった。
薄っすらと血の匂いを纏っていた。
それだけで幼いリンカは察する――兄はもう戻ってこないのだと。
悲しみが押し寄せ、幼いリンカは涙を流しながら、獣のように吠えた。
もう兄はいない。唯一の家族はもうリンカのところへ戻っては来ない。
二度と会うことは叶わない。
『大丈夫よ。私が貴方をもっと素敵なところへ連れてってあげるわ』
初老の女性はそっと幼いリンカを抱きしめ、優しい言葉を囁く。
彼女は【ローズ=ラビアン】と名乗り、慟哭するリンカを受け止めた。優しく抱きしめてくれた。
兄以外でそうされたのは初めてだった幼いリンカは、ローズへ身を委ね、ただひたすらに泣き叫び続ける。
やがてローズはリンカの手を引き、生まれ育った粗末な家へ分かれを告げるよう促す。
もはやここに兄は戻っては来ない。待っていても、彼は帰ってこない。
リンカは兄の形見である”刃こぼれをした美しい短刀”を手に取った。
そしてローズに手を引かれ、聖王国の影である、スラム街を跡にする。
この日からリンカは聖王国の衛星都市の一つ:アルビオンにある【ラビアン教会】の子供となったのである。
教会での生活はスラムに居た頃よりも遥かに良かった。
無法者もおらず、温かい食事にあり付きながら、柔らかいベッドで眠る日々。
周りにはリンカの同じような境遇の子供が沢山いた。
孤独ではなかったし、不満を抱くところなど一つも無かった。
それでもやはり、リンカは空虚な感覚に囚われ続けていた。
唯一の肉親である兄がいない。
温かい食事を取る度に兄と分かち合いたいと思った。
いつもリンカに遠慮して、ソファーで寝ていた兄に、柔らかいベッドで眠って欲しかったと思った。
だけどそれは叶わぬ願い。兄は既に居ない。
兄が亡くなって、ラビアン教会に身を寄せて以来、リンカの心は空虚なまま。
しかし生活は向上し、栄養状態は確実に良くなった。
そのためなのか彼女は幼い身ながら、大人顔負けの、嵐のように激しい”ウィンドカッター”の魔法を発現させて、周囲を驚かせた。
高名な魔法使いでもあり、教会の子供達へ魔法の指導を行っていたローズ=ラビアンはすぐさまリンカへ、魔法学院への入学を勧める。
実は魔法など、リンカ自身はどうでも良かった。
しかしローズは、リンカの力が”多くの人”を助けられる偉大な力だと説いた。
リンカの偉大な力があれば、多くの人を救える。自分のように肉親を失う人を一人でも多く救える。
リンカにはその力がある。その才能がある。魔法を極めることことが、精霊からリンカへ与えられた使命である――と。
リンカは立ち上がることを決断した。
ずっと空虚だった気持ちへ火が灯った。
心にぽっかりと開いていた穴がようやく塞がった。
自分にできることがあるのなら、それを精一杯。
兄が守ってくれたように、今度は彼女が、より多くの人を、命を助けるために。
リンカはローズから”ラビアン”の姓を貰い、一人旅立つ。
聖王国の魔法学校の中でも最難関である”魔法学院”への入学を目指して。
魔法学院入学試験結果――第一位:リンカ=ラビアン
入学試験を受けて、リンカは輝かしい成果を収めた、魔法学院への入学を果たした。
特待生として迎えられた彼女が、高額な学院の学費を心配する必要はなかった。
持って生まれた天賦の才能を遺憾なく発揮し、学院で学び通せば良いだけ。
しかし、魔法学院はどこか居心地の悪さを彼女へ覚えさせていた。
魔法学院の生徒と言えば、高名な魔法使いの家の子供か、金持ちばかりであった
元々はスラム出身で、ローズから”ラビアン”の姓を貰ったとはいえ、リンカは施設育ちの孤児である。
そんな彼女が入学試験で一位を取ったことは、驚きや、奇異、そして嫉妬といったあまり良くない感情を集めてしまっていた。
こんな環境で、しかも全寮制で、五年間も学び通せるのだろうか。
入学して早々、リンカはラビアン教会へ帰ろうとさえ思った。
やはりここは自分には分不相応のところだと考えた。
『やっほー! 貴方、主席のリンカ=ラビアンさんだよねぇ?』
そんな彼女へ声を掛けて来る奇異な同級生がいた。
銀の長い髪が美しく、その間から長い耳を覗かせた少女は、赤い瞳にリンカを写し屈託のない笑みを浮かべる。
『私、サリス! 入学試験第二位で、貴方の同じ特待生のサリス様だよっ! 良かったら友達になってくれない?』
●●●
「ッ!?」
目を覚ますと、リンカは冷たい地面へ寝そべっていた。
亀裂が空を割るように、隙間に僅かな夜空が浮かんでいる。
周囲に人の気配はない。それでも彼女の脳裏には、学院で真っ先に声をかけてきた”サリス”の姿が残っていた。
生まれて初めての友達。聖王キングジムよりすぐに魔法使いになるよう命じられ、学院には二年足らずしかいられなかった。けれどもその期間、楽しく過ごせたのは入学早々、サリスが声を掛けてくれて、友達になってくれたからだった。
少し強引なところがあって、我がままなサリスだったけども、底抜けに明るくて、行動力があって――そんな自分に持っていないものを持っていたサリスがリンカはうらやましく、そして好きであった。
リンカとオーキスを繋いでくれたのも、ルームメイトのサリスだった。
かけがえのない友達だと思っていた。
『学院での主席はいつもリンカ!
精霊召喚ができたのもリンカ!
世界で唯一のSSランクもリンカ!
なんでこのサリス様じゃないの!?
なんで人間風情が私を簡単に追い抜く訳!?
声を奪ったら死ぬと思ってたのに、今度はよりにもよって先生と!!
お前、なんなんだよ!!
どうしてお前ばっかが欲しいものを手に入れて、私は何にも手に入らないんだよ!!』
サリスの最後の悲痛な叫びが、未だに、鮮明に胸につっかえて取れてはいなかった。
サリスの闇に気づけなかった愚かな自分を今でも攻め続けている。結果、サリスは片腕を失い、今はどこで何をしているのかわからない。
しかし気づいたところで、リンカに何ができていただろうか……
リンカは危険な気配を察知し、飛び起きる。
それまで寝そべっていたところを、鞭のような触手が打ち、固い地面を鋭く抉る。
「FUSYUUU!!」
谷底の闇の中から、不気味な肉塊が、触手を震わせながら姿を現す。
ローパーだった。
生憎、勢いで飛び出したため、ポシェットは持っていない。
羊皮紙の持ち合わせも無い。
声を失い、詠唱することができない彼女は逃げるしかなかった。
リンカは谷底の湿った空気を切りつつ、できるだけローパーから離れようと走り出す。
(助けて、ロイドさん……!)
そう願いながら谷底を駆け巡る。
彼(ロイド)との出会いは本当に偶然だった。
声を失って途方に暮れていた時に香ってきた懐かしい煙草の匂い。
わずかな魔力の反応と、その香りを追って森の中を進み、リンカは彼に出会った。
兄とは似ても似つかない容姿ではあった。
しかしどこか、亡き兄を、ロイドから感じ取ったリンカは、慌てて要件を羊皮紙に書きなぐる。
そして彼へソレを提示し、今に至る。
彼は今やリンカにとってかけがえのない人となっている。
そんな彼は、もしかしたら自分のことをサリスのように疎ましく思っているのではないかと思った。
もしかすると、回復魔法の行使で苦しんでいた彼の前で、自分が行使して見せてしまったからではないか。
勉強の邪魔をしてしまい、嫌われてしまったのではないか。
そんなことを考えていると次は、親同前と信じていたが、彼女を売り飛ばそうとしたローズ=ラビアンの顔が浮かんだ。
リンカを殺そうとしたガーベラ=テトラの姿を思い出した。
そして、ずっと友達だと信じていた、憤怒するサリスの顔が浮かんだ。
そういえば学院へ入学したての頃も、こんな風であった。
どこの馬の骨とも分からぬリンカが主席。
誰もが彼女を温かく迎えず、不の感情を抱いて、放つ。
嫉妬、妬み、怒り――お前など消えてしまえ。お前さえいなければ何もかもが上手くゆく。
(そっか……私、いない方が良いんだ……)
ガーベラも、サリスも、ローズも、結局は元貧民なのに魔法だけが取り柄の自分が居たせいで、狂ってしまった。
そして今度は、大事にしてくれるロイドさえも苦しめてしまっている。
詠唱のできない魔法使いなんて、以前ローズに言われた通り、ただの魔石に過ぎない。
貧民出身で精霊召喚をしてしまったイレギュラーな自分は、いない方が良いのだと思った。
自分という存在がなければ、ロイドも、サリスも、ローズも、ガーベラも苦しめずに済んだ。きっとみんな、幸せに暮らすことができたはずだと思った。
しかし自分が生きている限り、これからもきっと多くの人を不幸にしてしまう。
自分なんていなくなった方が良い。その方が良い。
それがみんなのためになるのならば……。
リンカは走るのを止めた。まるで平穏な街中のようにゆっくりと、ゆっくりと歩き出す。
背中にローパーの気配を感じるも、逃げることはせず、ただ静かにまっすぐと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます