第46話:すれちがい


*【ストレス展開箇所】です。



 

 試験まであと一週間。

 走り込みも、息切れをしなくなった。

瞑想にもすっかり慣れた。

 オーキスが参考本の翻訳を手伝ってくれたおかげで、知識的なことは全て頭の中に入っている。


 全ては順調と言えた。何の問題も無かった筈だった。


「……またか……」


 ロイドはため息交じりに、意図せず言い慣れてしまった言葉を吐き出す。

 彼の足元には、首を垂れるように萎れている花が、僅かな風を受けて揺れている。


――本題である回復魔法の行使が、殆ど上達していなかった。


 確かにロイドが回復魔法を放てば、萎れた花は多少元気を取り戻す。

しかし最後の一歩が及ばず、完全復活とは言い難い状況だった。


 焦りは募る一方だった。

もはや今のロイドがやるべきことは、回復魔法を上手く行使すること以外にない。

 更に最近は日差しが明るく、気温が温まり始めたためか、森では花が元気よく咲き誇っていた。

課題になりそうな”萎れた花”を探すことが、困難になり始めていた。


 今は可能な限り、回数を重ねて、問題点を炙り出し、確実に一つずつ潰さねばならない。

試行回数を重ねなければならない。


 そのために敢えて元気よく生育している花を傷つけようと考えたことさえあった。

課題が見つからないのなら、作ってしまおうと――それはロイドだけの都合であって、花には関係のないこと。


 寸前で思い止まり、走り込みをしつつ”自然と萎れてしまった花”を探し求める日々。


 いたずらに時間ばかりが過ぎて行き、試験がジリジリと近づいて来ている。

 彼は募る焦りを払拭するように、少し速度を上げて走り始めた。


「ぐっ……!?」


 途端、つま先が小石に引っかかって、あらぬ方向へねじれた。

足首へ激しい痛みが走り、その場に蹲ってしまう。

すると背中に響いた、慌てた様子の足音。


 鍛錬中のロイドへ朝食を届けようとしていたリンカは、バスケットを投げ捨て、彼に駆け寄る。


「だ、大丈夫だ。心配するな……」


 ロイドは青い瞳で心配そうな視線を寄せるリンカへ応える。

立ち上がろうとするが、足首に激痛が走り、再び尻もちを突いてしまう


 するとリンカはポシェットから羊皮紙の切れ端を取り出した。

炭の筆記用具で素早く何かを書き込み、その羊皮紙の切れ端をロイドの足首へ当てる。

 羊皮紙は緑の輝きを伴って燃え、足首の患部へ溶けて消える。

足首が一瞬で温まり、痛みが無かったかのように消え去ってゆく。


 どうやら回復魔法を施されたようだった。


 リンカは伺うような視線を寄せて来る。


「……ありがとう」


 ロイドは礼を言って、すっかり治った足で立ち上がった。


 声を失っていてもさすがはSSランク魔法使いのリンカ=ラビアン。

 今のロイドでは到底扱え無さそうな回復魔法を、羊皮紙の切れ端で、しかも威力は三分の一に低下する文字魔法で、あっさりと行使していた。


 花の回復さえ満足にできない、全力を尽くしても上手く行かない回復魔法を、さも呼吸をするかのように。


(もしもリンカに教えを乞うことができれば……)


 きっと才能のあるリンカならば、この状況を打開する術を持っているのだろう。しかし声を失っている彼女へどう聞けば良いのか、分からなかった。

 

第一、試験はロイド自身の問題である。これは自らで課した、自分自身への試練。自らの力だけで越えなければならない。

 

(早くなんとかせねば……)


 ロイドは立ち上がり、すっかり元通りに治った足で地面を蹴って走り出すのだった。




●●●



 もしかすると回復魔法が上手く行かないのは、基礎がまだまだ完璧ではないから、なのではないかと思った。

完璧と自分が思いこんでいるだけなのではないかと考えた。

また基本に帰るべきだと判断した。


 ロイドは自室として使わせて貰っている部屋へ引きこもる。

いつもは整然としている彼の部屋は、多数の”回復魔法”に関する資料で乱雑になっていた。


 勉強不足。きっと今の自分は何かが足りていない。

センスも才能も無いのは分っている。そうした先天的な事柄を努力でカバーするしかない。


 勉強不足。もっと知識を、もっと参考を、もっと今の自分に求められている何かを。


 何度も開いてくたびれ始めた本のページを開く。

 内容は頭に入っている筈。流し読みできる。そこにある重要点が何なのかは判別できる。

ならば何が足りないのか――分からない。


 違う参考に移ってみるか? 今から他の参考を手に入れるべきか?


 いずれにせよもう時間が無い。もっと勉強を、もっと知識を、もっと参考を。


 時間が無い。いや、それは言い訳だ。寝ずに勉強をすればまだ間に合うはずだ。

 努力のやり方が間違っていたのか? だったら正しい努力とはなんなのか。

闇雲にやっているつもりはない。しかし結果がでないということは、やはり何かが間違っているのか。


 そういえば新しい”回復魔法”に関する情報があったと思いだす。

起死回生のヒントになるかもしれない。

今の彼にはソレが必要なのかもしれない。


 ロイドは椅子から立ち上がる。肘が資料の山に当たって、がらがらと崩れた。

部屋が更に乱れた。しかし構ってはいられない。


 彼は床に散らばっている資料や書籍をひっかきまわして、必要な情報を探す。

しかしどこに何があるのか分からず、目当てのものが見つからない。


 時間が無い。しかしこういう時に限って、必要なものが見つからない。


「くそっ!!」


 たまった鬱積が口から弾けるように飛び出す。

すると、目の前からカタリと陶器が揺れる音が聞こえてくる。


 気が付くと、目の前には盆へティーカップを乗せたリンカが佇んでいた。

いつもは宝石のように透き通っている瞳に、少しの陰りがあるようにみえる。


「す、すまない……何か用か?」


 ロイドはリンカをこれ以上怯えさせないよう、努めて優しくそういった。

リンカはおずおずとつま先を蹴りだす。


「!?」


 リンカのつま先が散らばった本に引っ掛かり、姿勢を崩す。

寸前のところで彼女は立ち止まる。代わりに盆からティーカップが零れ落ちた。


 カップは床へ吸い寄せられるように落ち、バラバラに砕け散る。

褐色がかった茶が書籍や資料へ飛び散り、白い湯気を上げていた。



「気にするな。俺が片付けるから」


 ロイドは静かに言葉を絞り出す。

それでもリンカは破片へ手を伸ばす。

しかしロイドは彼女よりも早く破片を手に取った。


「すまないな。俺が脅かしたから、驚いたんだよな。ここは良いから……」

「……」

「頼む。今は一人にしてくれるとありがたい」


 これ以上リンカを怯えさせないよう、努めて冷静に言葉を紡ぎだす。

今にも爆発しそうな感情を押さえ、飲みこんで。

 いけないのは自分自身。回復魔法が上手く行使できないのも自分の努力が足りないせい。自分で乗り越えるべき、試練だとロイドは思う。


 リンカはおもむろに立ち上がり、背を向ける。

そして足音を立てずに、ロイドの下から去って行った。


 ロイドは一人黙々と砕けたティーカップの破片を拾い集めて行く。

そうして一通り片付けが終わった頃、家の中が妙に静かなことに気が付いた。


「リンカ……?」


 リビングへ向かい、彼女を呼んでみる。

しかし声は空気に溶けるだけだった。どこにも彼女の姿が見当たらない。

ただまとわりつくような、ねばつく静寂が流れているのみ。

どこかへ出かけてしまったのかもしれない。


「疲れた……」


 思わず本音が零れ出た。焦りの代わりに、無気力感が沸き起こる。

久々の一人になったロイドは思いだす。


――自分は魔法がロクに扱えない、万年Dランク冒険者、ということを。


 決して子供の頃に夢見た”勇者”にはなれていない自分。


 それなりの絶望と、無に近い希望。


 まるでリンカと出会う前の自分に戻ってしまったかのようだった。


 少し気を休めよう。そう思ったロイドもまた家を跡にし、街へ向かってゆくのだった。

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