第35話:黒幕
「きゃ!? お、おじさん、なに!?」
飛び起きた肌着姿のオーキスは、ベッドの上でシーツを深くかぶった。
「なんにゃ~……ようやく僕とする気になったにゃ~……」
装備を外したほぼ裸同然のゼフィもベッドから起き上がる。
しかし今はそんなことに構っている暇は無かった。
「力を貸してくれ! リンカとサリスがどこにもいないんだ!!」
もう一度そう叫んで、思い切り扉を閉める。
扉の裏からは慌ただしい衣擦れの音が漏れ出し始めた。
やがて二人は装備を整えて、リビングへ飛び出して来る。
「お待たせ!」
「二人を探しに行くってどういうことにゃ!?」
ロイドはことの次第を話す。
ゼフィはすぐさま険しい表情を浮かべたのだが、
「お、おじさんのさ、考えすぎなんじゃないのかな? 二人っきりで話したいことがあるかもしれないし……」
「だったらなぜこの辺りから姿を消したんだ?」
「そ、それは……」
「でも、探すっていってもなにかあてはあるにゃか?」
ゼフィの云うことは最もだった。
迷宮の時のようにリンカには鈴を持たせていない。
しかし闇雲に広い森を探すわけにも行かない。
何か、当たりを付けなければならない。しかし皆目見当もつかないのが現状だった。
「あ、あのさ、おじさん……もしかすると二人は崖にいるかも」
「崖?」
「うん。この辺りってさ、学院時代に冒険者実習をしたところなんだ。でね、近くに眺めの良い崖があるの。みんな、そこが気に入っちゃったから、良くそこに集まって話をしたりとか……」
「それはどこだ?」
ロイドは机の上へ、すっかり納品を忘れていた小屋周辺の地図を広げた。
オーキスはこの小屋から少し離れたところにある、でっぱりの箇所を躊躇い気味に指さした。
「オーキス、案内を頼む!」
「う、うん」
もはやここに可能性を掛けるしかなかった。ロイドは念のために腰へ数打の剣を指した。
オーキスを先頭に、ゼフィを伴って伴い、小屋を飛び出した。
未だ朝もやに包まれた森の中へ、
杞憂であればいい。本当にただ二人きりでお喋りをしに行っただけならば、素直に疑ったことを謝ればいい。サリスの願い事なら、できる限り聞くつもりでいる。
だが――それ以上に、妙な不安に駆られたロイドは、オーキスの先導に従いながら、森の中を駆け抜けて行く。
やがて靄が僅かに薄まり、樹木の先にぼんやりと影が二つ浮かび上がる。
奥側の影が膨張した。
まるで”竜の爪”のようなシルエットが浮かび上がる。
「お願い。死んで!」
聞きたくは無かった言葉が、親しい声に乗って、ロイドの耳朶を突く。
「
迷わずロイドは、自強化魔法を重ね掛けし、剣の柄を握りしめながらオーキスを追い抜いた。
森を抜け、切り立った断崖へ飛び出した彼は遮二無二抜刀する。
五本の禍々しい爪とロイドの数打の剣が激しくぶつかり合い、白い靄の中へ赤い火花を散らした。
「だ、大丈夫か、リンカ!?」
ロイドは彼の後ろで尻もちを突いていたリンカへ問う。
首肯は無いが、大事は無さそうな気配だった。
「サリス、これはどういうことだ?」
「……」
サリスは腕に発生させた”
返答は何もない。
「ど、どういうことこれって……?」
遅れてやってきたオーキスは、目の前の状況にただ戸惑うだけだった。
「おっちゃん、リンカちゃんは無事にゃ。安心するにゃ」
ゼフィの頼もしい言葉を背に受けて、ロイドは剣を構えたまま、更に真正面へ意識を集中させる。
「あは……あははは! なーんで来ちゃうかなぁ……二日酔いっぽかったから、来ないって思ってたのにさぁ……」
サリスは笑った。いつものように。変わらず。彼女らしく。
口元は確かに笑っている。しかし、瞳だけは暗い闇を湛えているようにまるで笑ってはいない。
「てかさ! オーキスが来るならまだしも、なんで先生が来るわけ!? なんで真っ先に先生が飛び出してくるわけ!? ホント、むかつくんですけど! なんで!!」
サリスは長く美しい銀の髪を振り乱しながら、金切り声を上げた。
「マジむかつく! 超むかつく! なんでリンカはいつも、私が欲しいものを先に手に入れるわけ!? このハイエルフの末裔のサリス様を差し置いて、ただの人間風情のあんたが!!」
「サリス、やっぱりお前……」
可能性の一つとしては考えていた。点は無数にあった。しかしそれらを結ぶ線が見当たらなかった。
だからこそサリスを疑いはするものの、否定する材料を必死に探していた。
だがこの状況は、もはや点を結ぶ線と言わざるを得なかった。
「ねぇ、先生……」
サリスは静かに声を紡ぎ出す。
「なんだ」
「いつぐらいから私に目を付けてたのかなぁ?」
どこか悲しみを感じさせる、切なげなサリスの苦笑い。
この期に及んで、もはや甘い言葉を囁く訳にはいかなかった。
「点はたくさんあった。液体魔法、お前がハイエルフの末裔であること、何故拘束していたガーベラが突然逃げ出したのか……なによりも友達という癖に、端々にリンカへの冷たい態度が見えた。リンカも最近のお前にはどこか怯えているようだった。そしてこの状況だ」
「はぁ……先生さ、リンカのことはよく見てるんだねぇ……私のことなんてさっぱり見てないくせに。なんでそいつばっか……」
「リンカは俺の雇い主だ。雇われた以上、目を離さないのは当然だ」
「私の誘いはいっつも断るくせに…………ああ、もうっ!!」
再びサリスは頭を抱え、銀の髪を振り乱し、地団太を踏む。
「学院での主席はいつもリンカ! 精霊召喚ができたのもリンカ! 世界で唯一のSSランクもリンカ! なんでこのサリス様じゃないの!? なんで人間風情が私を簡単に追い抜く訳!? 声を奪ったら死ぬと思ってたのに、今度はよりにもよって先生と!! お前、なんなんだよ!! どうしてお前ばっかが欲しいものを手に入れて、私は何にも手に入らないんだよ!!」
「声を奪う……? どういうことだ……?」
「あは! そのまんまの意味だよ! ガーベラにリンカの声を奪わせたのは私! 祠で殺させようとしたのも私! あいつが”神の声”っていってたのは私の声なのぉ! テトラ家のアイツを思い通りにしてたのは私なの! 今や魔法協会でとーっても偉いテトラ家は私のお人形なの! それだけじゃないよ! もっとたくさんの人が私の声を”神様の声”って信じてるの! ねぇ、凄いでしょ? リンカなんかより凄いよねぇ!? ねぇ? ねぇ!?」
まるで何かが上手にできて褒めて欲しい子供のような。
しかしそこに愛らしさはなく、ただ狂気がにじみ出ていた。
サリスの狂気の前にロイドは剣の柄を更に強く握りしめる。
それを見るや否や、サリスはつまらなそうにため息を零した。
「あの女さえ、ガーベラが失敗さえしなければ……魔神だって大したことなかったし……だからもう……」
ゆらりとサリスは、竜の爪をだらんと下げたまま、一歩を踏み出してくる。
「仕方ないから
狂気の笑みを湛えたサリスは、錆爪を掲げて地を蹴った。
「ああっ!!」
刹那、サリスの悲鳴が響き渡り、錆爪が宙を舞った。
油が良く浸み込んだ数打無銘の剣は、真っ赤な血で染まり、乾いた地面へしたたり落ちる。
どさり、と音を立てて、白磁の肌に包まれた細腕だけが地面へ力なく落ちる。
「ううっ……いったぁ……!」
ロイドの剣で右腕を錆爪ごと跳ね飛ばされたサリスは、彼の目の前で力なく膝を突いた。
躊躇いは一瞬だがあった。サリスは元教え子で、妹のような存在だった。
だが、発せられた強い殺意の前に、ロイドの身体は脳を介さず反応してしまっていた。
今更後悔をしたところで、切り飛ばしたサリスの右腕はもう彼女のところへは戻らない。
「せ、先生、私なのに容赦ないねぇ……さすがに躊躇ってくれると思ったのにさ……」
「……クッ……お前がむやみやたらに突っ込んでくるからだ」
傷口からはぼたぼた血が滴り、サリスの顔色はどんどん青ざめて行く。
すぐに止血をしなければと、手を差し伸べる。
だがサリスは残った左手で弾き、否定する。
「先生、いーこと教えてあげる……リンカの声を元に戻す方法だよ?」
「!?」
「あ、いー顔。それがみたかったぁ……きひ!」
サリスはゆらりと立ち上がる。その顔は狂気に染まっていた。
「リンカの声の呪いはね、実は私の命と繋がっているんだぁ。これ妖精(エルフ)の秘術なんだぁ……だからね!」
サリスの左腕に嵌められている腕輪型の魔法の杖が輝きを放った。
青ざめた唇から、理解しがたい速度で詠唱が紡がれる。
「アースブレイド」
鍵たる言葉と共に、偉大な力が発せられた。
それは岩の剣となって隆起し、そして砕け散る。ロイドとサリスは
切り立った崖が崩壊を始め、サリスの銀の髪が宙を舞った。
「奪えないなら刻むだけ。私が死ねばリンカの声は戻る。この子の声が戻るのは私のお陰。満足でしょ? 嬉しいでしょ? だけどきっと先生は記憶するの! 私の命を引き換えに、リンカは声を取り戻した! 私の命に替えて! だから先生は私を忘れない! リンカの声を聞くたびに私のことを思いだすの! きっと、死ぬまで、永遠に!」
「サリス!」
ロイドは断崖と共に落ちて行くサリスへ手を伸ばした。
しかし空を切るばかりで、もはやサリスは手の届かないところまで落ちている。
「あはは! 先生、刻んでぇー! 私の生きた証を、私の存在を永遠に! きゃはは!!」
次第にサリスの姿が瓦礫に埋もれて行く。
目下で広大に広がる森に砂柱が沸き起こる。
山の向こうから、昼の神が目覚めの輝きを放つ。
切り払ったサリスの右腕は、朝陽を浴びて、真っ赤に染まるのだった。
*明日エピローグを更新して2章終了となります。
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