第32話:麗らかな朝


 あれは確か村の武芸大会で優勝した翌日だったか。

賞賛の熱のためか。はたまたあまりに喜び過ぎて、度を越した大騒ぎをしたためか。

とにもかくにも、未だ幼かったロイドは熱を出し、床に伏せてしまっていた。


 熱は高く、身体の節々が痛い。せっかく優勝したのに、こんな様では情けない。

しかし身体が思うように動かない。


 そんな焦燥感を募らせる少年の手を、穏やかで優しい母が握りしめてくれた。


『焦らないで。どんなに凄い勇者様でも、風邪は引くものよ』


 母は優しく慰みの言葉をかけてきた。

心の中が見透かされているようで恥ずかしい。しかし、悪い気分ではなかった。

 母の思いやりの言葉。優しい熱。焦燥は収まり、次第に心が穏やかさに包まれてゆく。


 寂しい時、辛いとき、悲しい時。そんな時に誰かが傍にいてくれることの幸せ。

少年の心はすっかり洗われ、意識がまどろんでゆく。


『ロイドは凄いわ。貴方はいつかきっと素晴らしい”勇者様”になれる筈よ。お母さんはそう信じているわ』

「……うん。俺、絶対に”勇者”になるよ。お母さん……」


 少年は母へ決意を語り、深い眠りに落ちる。


 ひだまりのような香りと、温かさを持つ、母の存在をはっきりと感じながら。



●●●



「……」


 視界が僅かに朱を帯びた。ゆっくりと瞼を開けてみる。

見知らぬ、石造りの天上だった。


「ッ……」


 身体を起こそうとすると、全身に痛みが走り、思わず呻きをあげた。

身体の節々がひどく痛み、起き上がれそうもない。

 代わりに視界の隅でもそもそと何かが動き出す。


 黄金がゆらゆらと動き、透き通るような青い瞳が、病床に伏す彼を映し出す。


「リンカ……?」


 彼女は小さな手で、ずっと握りしめていた彼の手を胸に抱く。

声にならない、まるで唸りのような音が、愛らしい彼女の口から漏れ出してくる。

頬を伝う涙は幾重にも連なり、ロイドへ掛けられた真っ白なシーツへ染みわたってゆく。


「どうしたの!? おじさんに何かあったの!?」


 オーキスはポニーテールで空を切りながら、扉を壊しそうな勢いで飛び込んでくる。


「オーちゃん、不吉なこといわないにゃ! よく見るにゃ!」


 ゼフィは慌てたオーキスの肩を抱いて、ロイドの方へ向ける。


 ロイドが軽く腕を掲げてみせると、ようやく状況を把握してくれた様子だった。

そのまま手を、未だ嗚咽交じりで泣きじゃくる、リンカの頭へ添える。


「言っただろ? リンカを一人にしないって」


 ただリンカはひたすら頷きながら、涙を流し続ける。

 誰かがこうして傍に居て、身を案じてくれることが、どれほど幸福なことか。


 彼は彼女が落ち着くまで、ずっと絹のように柔らかな髪を撫で続ける。


「オーキス、悪いが状況を教えてくれるか?」




 やはりロイドはリンカの膨大な魔力に耐えきれなかった。彼は【詠唱代行】をした直後、倒れてしまったという。

そして病院へ担ぎこまれ、今に至るとのことだった。


そんな満身創痍のロイドではあったが辛うじて”炎の精霊サラマンダー”の召喚は成功させていた。おかげで魔神ザーン・メルは、アルビオンの街から遠く離れたところで撃退されたという。

 巷では”サラマンダーを見た”、”岩のように巨大な魔神と何かが戦っていた”などという、曖昧な噂が流布しているらしいが、真実は今ここにいるメンバー以外誰も知らない。




「どれぐらい眠っていたんだ?」

「一週間ぐらいかな。まったく、別れ際に無茶をするなって言ったのはどこの誰って感じだよね」

「すまん」

「まっ、生きてたから良いけどさ」


 言葉の端々にはやはりきつさを感じる。しかしそれでもオーキスはロイドの身を案じていた。

やはりこの娘は、良い奴なのだと思う。


「ステイとサリスはどうなったんだ? 無事か?」

「ごめん。サリスはよく分んないんだ。あの日以来、すっかりギルドにも姿を見せなくなっちゃって。あの子に限って、まさかは無いと思うけど……」

「そうか。それでステイは?」

「知らない」


 サリスの下りとは違い、きっぱりと冷たくオーキスは言い切る。


「たぶんしぶとくどっかで生きてるんじゃないの? アイツ、生命力だけはゴキブリ並みだから」


 もはやオーキスにとってステイはゴキブリ程度の存在らしい。

気の毒には思うも、これはオーキスとステイの問題なので、これ以上踏み込む必要は無い。


「さて、僕たちはそろそろ行くにゃ。ほら、オーちゃん立つにゃ!」

「えっ?」

「えっ、じゃないにゃ! まったく!」

「わわ!? ひ、引っ張んないでよ! 服伸びるって!!」


 ゼフィは無理やりオーキスを引っ張って、扉まで連れて行く。

そうしてオーキスを押し出すと、足を止めた。


「おっちゃん。またにゃ。例の件、検討よろしくにゃ?」


 ゼフィの笑みの中に、僅かに感じた妖艶さ。

そういえば、迷宮の安全地帯で、何故かそういうお誘いを受けたと思い出す。


 リンカが傍に居る手前、どう応えてよいか分からない。

そんな彼の様子が面白かったのか、ゼフィはくすくす笑いながら、そそくさと部屋を出て行く。

 何故Dランクの自分に、Aランクで”戦闘民族ビムガン”の族長の娘であるゼフィが目を付けたか皆目見当もつかない。


「……!」


 気づくとリンカは必死にロイドの袖を引いていた。

 

「どうかしたか?」


 リンカは少し考えるしぐさをして、辺りを見渡す。やがて、ぽんぽんとベッドを叩いた。


「まだ寝ていろと?」


 瞳が輝き、激しく首肯。どうやら体のことを気遣ってくれてるらしい。


「ありがとう。遠慮なくそうさせて貰うよ」


 ロイドは再びベッドへ身を委ねる。リンカはロイドが眠りに就くまで、ずっと手を握り続けていた。

彼は幼い頃、母親に同じことをして貰ったことを思いだしつつ、再び眠りに就いたのだった。




 それからリンカは毎日、ロイドのところを訪れては献身的に看病をしてくれた。

水が欲しそうな様子を見せれば先回りして用意してくれたり、花の活け替えもまめに行ってくれていた。


 食事も三食一緒に取り、眠る時は必ず手を握ってくれる。


 ここに来ても至れり尽くせり。まったくどちらが雇い主なのか、未だによく分からない。

しかしこれが雇い主であるリンカの意志ならば無下にするわけにはいかない。

それにこうして献身的に支えてくれるのは満更ではなかった。おかげで、ロイドは驚くほどの速さで回復をしてゆく。


 加えてオーキスやゼフィも度々ロイドの様子を見に来てくれた。

ゼフィはまだしも、オーキスは見舞に来るたびにロイドの回復を喜んでくれた。

以前、ステイのパーティーに居た時とは比べ雲泥の差の扱いである。


 もしかするとお互いに、偏ったイメージを持っていた。

お互いに相手の一面だけを、その人の全てだと思いこんでいただけなのかもしれない。



「おじさんまたね! くれぐれもリンカに無理させないでね。させたらただじゃおかないから」

「あ、ああ……」

「じゃリンカまたね! おじさんも早く身体治してね!」


 きつさは相変わらず。もしかするとオーキスはロイドではなく、リンカに会いに来ているだけなのかもしれないと思った。

 そんなオーキスは扉を飛び出した途端、誰かと鉢合わせしたのか「ごめんなさい!」と素直に謝って出て行く。


「おいおい、あの子ってメイガ―ビームのお嬢さんじゃねぇか!? こりゃいったいどういうことだよ!?」


 オーキスの代わりに入ってきたのは、屈強な男。

以前はロイドとコンビを組み、今はアルビオン憲兵隊の第八小隊の小隊長を務めているジールである。


「知り合いか?」

「昔憲兵隊の練兵所で暫くの間一緒に訓練を……と、いってもあっちゃ俺のことなんて全く覚えてないだろがな」


 きっとオーキスはそこでメイスの扱いを覚えたのだろう。しかも男所帯の憲兵の練兵所に交じって。

男勝りなオーキスらしいとロイドは思う。


「最近お前どうしたんだ? こないだは部屋からビムガン族の女が出て来るわ、いつ来てもリンカちゃんがいるわ。春どころか、これじゃ天変地異じゃねぇか!」

「たまたまだ。気にするな」

「かーっ! 俺ももうちっと冒険者続けてりゃ、こんな美味しい想いができたってか?」

「さぁな。ジール、それよりも」


 ロイドは意図して声を低く打つ。なにもジールは見舞いに来ただけではない。

ジールもそれまでのとぼけた顔を、真面目に引き締める。


「リンカ、悪いが花瓶の水を代えて来てくれないか? 今朝代え忘れてしまったんだ」


 丁寧にロイドの服を畳んでいたリンカは頷いて、部屋を出て行く。

ロイドははリンカが花瓶を持って出て行ったのを確認し、改めてジールへ向き合った。


「で、何か分かったか?」

「ああ。まぁ、まだ調べなきゃならんことはあるが、とりあえず分かったところまで話すよ」


 ジールは腰の雑嚢から綺麗な装飾が施されている”空の小瓶”を取り出す。

 リンカの声を奪った液体魔法リキッドマジックが封じられていた、小瓶。

ロイドはこれの詳しい調査を憲兵であるジールに依頼していた。


「まずこれと同じものが”キンバライト”の邸宅で見つかったんだ。出先が奴のポーション工場ってのは確実だな」

「ポーション工場で、液体魔法が?」


「どうやらそこで”液体魔法”の開発が行われたみたいなんだ。だから今、参っちまってるんだよ。確かにキンバライトは少女趣味なド変態だが、液体魔法なんて便利なもん開発しやがったからよ。下手すりゃ聖王都はその功績に免じて、無罪放免にしやがるかもしれねぇんだ」


「……そうか」

「で、こっからが実は本題なんだけどよ。この瓶に入ってた”沈黙サイレンス《”の液体魔法の術式は、どうやら滅んじまった”妖精《エルフ”由来のものらしいんだ」

妖精エルフだと……?」


「ああ。術式が異様に複雑に見えたのも、解除が無茶苦茶困難なのも、それが理由らしい。妖精の魔法は複雑で、人間には理解しがたいものらしいからな。しかも妖精は口頭だけで術式の継承をしてたみたいで、資料もなにも残ってねぇ……おい、ロイドどうかしたか?」


 気が付くと、ジールが心配そうにロイドの顔を伺っていた。


「あ、ああ、大丈夫だ」


 そう言って平生を装う。しかし彼の胸の内はひどくざわめいていた。


 あくまで可能性でしかない。結び付けるのは強引と言わざるを得ない。そうだと決めつけることは困難だった。


 しかし引っ掛かりがあるのも確かだった。


(いずれ、アイツを探し出して、確かめねばな……)


 そう思う、ロイドなのだった。




*いつもありがとうございます。明日より2日間(もしかすると3日)【12:00~自動更新】になります。月末月初は多忙を極めるためです。何卒ご理解ください。


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