第31話:精霊召喚【後編】


 巨大な魔神は尚も木々をなぎ倒し、両肩のカノーネで山を砕きつつ侵攻を続ける。

 空の覇者である飛竜も、大地の暴君であるサンドワームも、その巨体と放たれ続ける激しい邪気に怯え逃げ惑う。

 かつて世界を手に入れようとした魔神皇が産みだした破壊の化身。破滅の権化はゆっくりと、しかし確実にアルビオンへの侵攻を続ける。


 そんな中、高い断崖の上で、強大な魔神に対峙する小さな影があった。


 魔神ザーン・メルを真正面から捉えることのできる断崖。

その上でリンカは羊皮紙を掲げて、奇跡の魔法を発する。


 魔神へ打ち込まれたのは、激しい電光を伴った上位の雷魔法”ギガサンダー”


 先日は難敵であるエレメンタルジンを一撃粉砕した魔法である。

しかし稲妻は魔神の肩の上で弾けただけで、目立ったダメージを与えられていない。


 更にリンカは上級魔法の祝詞が記載された羊皮紙を次々と掲げる。


 火、水、風、土。

四大精霊の力を借りた、強力な魔法が次々と魔神へ向けて放たれる。

 だがいずれも目立った効果はなかった。


 幾ら弱点の頭部を撃っても、魔神は歩行を続け、リンカの文字魔法を歯牙にもかけない。

ポシェットにしまってあった文字魔法は全て使い果たした。

羊皮紙のストックも底を尽きている。

 羊皮紙があったとしても今さら超級魔法の詠唱を書き込む時間は明らかにない。



 これまでリンカの文字魔法は圧倒的な力の下、あらゆる敵を一撃で粉砕していた。

だから彼女は相手が例え伝説の魔神であろうとも、同じ結果が出せると思っていた。

だがその目論見は甘かった。甘すぎた。


声があったときなら、詠唱魔法で互角かそれ以上に戦うことができたかもしれない。


 しかし今のリンカは祝詞を紡ぐための”声”を失った魔法使い。


 もはや今の彼女に行使できる最大の魔法は一つしかなかった。

それでしか目前の強大な敵を倒すことは不可能だと判断した。


 決断したリンカは早速足元に転がっていた石ころへ飛びついた。

それを筆の代わりにし、砂の大地へ陣を描いてゆく。


 円と五芒星。その中心には雄々しく翼を広げ、炎を纏う神性の姿が描かれている。


 やがて陣を描き終えたリンカは、その中心に跪いた。

 ほぅ、と息を突き、改めて魔神と向かい合う。


 彼女は美しい青い瞳に魔神を写し、怯える自分を奮い立たせた。

震える指先で肩にかけたポシェットから、立派な装飾が施された短刀を取り出す。


 鞘から抜かれた刃は血のような夕陽を浴びて鋭く光る。しかしところどころ刃こぼれが見受けられた。そんな”奇妙な短刀”の柄をリンカはぎゅっと握りしめた。

 そして鋭い先端を自らの喉へと向ける。

 


――血の召喚。もはやこの方法以外で目の前の脅威を倒すことは叶わない。



●●●



「今月分の10,000Gを未だ、頂いてないのだが……」


 間一髪、リンカのいる断崖に到達したロイドは、いつもの調子で声を掛けた。

 リンカはびくりと肩を震わせ、ロイドへ視線を移してくる。


 ロイドはゆっくりと、慎重に、せっかく描かれた魔方陣を消さないよう歩を進める。そして短刀を握る、小さな手をそっと包む。


 震えていた。横顔からは決意がうかがえたが、やはり死ぬのは怖かったのだろうとロイドは思った。

リンカの命を懸けた”血の召喚”は未然に防げたようだった。


「ようやく良い雇い主様に出会えたんだ。簡単に死なれては困る」

「……」


 嬉しいような、戸惑っているような。

リンカは視線を右往左往させている。

 確かに目の前の魔神を倒す方法として、血の召喚は選択肢としてありえる。


 目には目を。歯には歯を。相手が強大ならば、強大な力をぶつければ良いだけ。それを今できるのは、稀代の大魔法使いリンカ=ラビアンのみ。

しかし、その力を発現させるための方法は未だ他にあった。


「”詠唱代行”をしよう。俺がリンカの声になる」

「!!」


 ロイドの提案を聞き、リンカは短刀を落とした。

 リンカはブンブンと首を横へ振り、明らかな否定を現す。


「安心しろ。これでも俺は昔”勇者”を目指して鍛えていたんだ。そんなに柔じゃない。サリスと詠唱代行で超級魔法を発動させたこともある」

「……」

「それに……まだリンカには教えていない神代文字沢山あるんだ。それまで俺は死なない。君を一人にしない。約束する」


 ロイドは敢えて強くそう語り、リンカの肩を叩く。

青い瞳には未だ戸惑いが浮かんでいる。しかしロイドは決意を込めて、更に強い視線を注いだ。

するとリンカの青い瞳から戸惑いが消えた。


「さぁ、リンカ、君の力を。その力で皆の命を守ってくれ!」


 ロイドは手を差し出した。

リンカは細い指先を伸ばし、彼の手を取る。


 手を結んだ二人は立ち上がり、そして目前に迫った災厄の魔神を睨む。


 そしてロイドとリンカは【詠唱代行】を始める。



【詠唱代行】――他者が魔法使いと肉体的な接触を行い、魔力供給を受けて、詠唱を行い魔法を行使する術。主に魔法学院で、祝詞を覚えきれない生徒のために、教師が行い魔法の実現を見せるための手段だった。ただし詠唱を代行する者が、相応の頑強さを持っていなければ実現せず、逆に命に危険が及ぶ慎重さが求められる方法である。更に互いの”信用と信頼”が必要であった。



 詠唱でサラマンダーを呼び出したリンカの血ならば、その命をもって精霊を召喚できただろう。

魔神の撃退を最優先で考え、確実性を考えるならば、その判断は全くもって正しい。

だが、ロイドはその選択が許せなかった。選ぶことができなかった。


 

 万年Dランクの冒険者とSSランクの稀代の魔法使い。世界に必要とされるのはどう考えてもリンカ。

血の召喚でリンカが命を落とすよりも、詠唱代行でロイドが危険に身をさらすほうが、世界にとっていかに有益か。

それ以上にロイドはリンカの命を守りたかった。


(かつてサリスと超級魔法の詠唱代行ができた俺ならば、できる!)


 ロイドは自身へそう言い聞かせ、奮い立たせる。


 詠唱代行を行ったのはもう数年も前。確かにその時も”超級魔法”を成立させた。

しかし今回は超級魔法さえ超える”精霊召喚”

 リスクが伴うのは確かだった。命の危険があると断言できた。



 そうではあっても――



 それなりの絶望と、無に近い希望――だけど不意に舞い込んできた小さな希望と暖かさ。

そんな大事な気持ちを与えてくれた彼女に命を懸ける。

それこそ今のロイドの成すべきこと。彼がしたいことの全て。


「リンカ、頼む! 俺に力を貸してくれ!」

「……!」


 リンカはロイドの手を更に強く握りしめる。彼女由来の真っ赤な輝きが、迸り、腕を伝って流れ始めた。


 途端、身体が焼けるような熱さに見舞われた。心臓の鼓動が早まり、迫る魔神の威容が霞んで見える。だが、ここで呻きを上げれば、リンカは驚いて手を離してしまう。

 ロイドは平生を装い、魔神を睨む。


 そしていつかは自分も召喚できると信じて暗記した、偉大な祝詞を謡い出す。





『時に厄災を、時に叡智を授けし偉大なる炎の力。


 その祖たる四精霊の赤き一角よ!


 我が声に乗りし、鍵たる力を贄にし、我が願いを聞き届けよ! 


 望むは万物一切を滅却せしむ、紅蓮の焔!

 

 正しき怒りの業火! 聖なる炎の力!』



   そして二人は真っ赤な炎に包まれた。



現世うつつよへ降臨召され、炎の精霊サラマンダーッ!』



   瞬間、世界が真っ赤に染まった。

 

   魔神の邪気が霧散し、動きを止める。





 魔神の目前に現れたのは天をも貫く火の柱。

やがて火の柱は”強靭な翼”に、”鎌のような爪を巨大な持つ後ろ脚”に、”鋭い牙を持つ鎌首”へ拡大変化してゆく。


「GAAAA!」


 ソレは咆哮と共に炎を吹き飛ばし、雄々しく翼を開いた。

 夕陽へ雄々しく滞空する大空の覇者。炎の精霊であり、炎の絶対支配者――その神性を人々は【サラマンダ―】と呼ぶ。


 召喚された赤竜ファイヤードレイクは飛び立ち、魔神へ向かってゆく。


「成功、か……」

「!」


 急激に全身から力が抜け、ロイドは崩れるように倒れた。

リンカは蒼い瞳に、虚ろなロイドを写して手を伸ばす。


 そんな二人の脇では赤竜の強靭な顎が魔神の肩をかみ砕いていた。

強大な筈の魔神は怯み、両肩のカノーネから破壊の力を渦状にして放つ。

しかしサラマンダーは渦を腹で受け止め吸収した。その力を真っ赤に燃え盛る火球に変えて吐き出す。


 魔神ザーン・メルの肩で、自慢のカノーネが爆発し、巨体が倒れた。

 巨大な二枚の翼を羽ばたかせて、サラマンダーは更に上昇し、倒れたザーン・メル目掛けて、無数の火球を吐き出し、降らせる。

災厄の魔神は圧倒的な精霊の力の前に、成す術もなく砕かれるのみ。


 きっとサラマンダ―なら、リンカの呼び出した神性の力なら魔神に勝てる。

目の前の脅威から、アルビオンを、聖王国を守ってくれる。


 ロイドは召喚に成功したサラマンダーの雄姿に勝利を確信する。

そして安堵の中、緩やかに気を失うのだった。

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