第12話:ざわめき


「ダメだ……!」


ロイドは額に汗を浮かべて身体を起こす。


「調子が悪いのですか?」


 彼の下で素肌を晒す馴染みの彼女は、真っ黒なセミロングの髪を揺らしながら首を傾げた。

身体は大人びているが、あどけない顔付をしている彼女を見ていると、リンカのことを思いだしてしまう。


 分かれる間際の切なげな顔。前に悪いことをしようとしてしまった最低な自分。

そんなことを思いだすと、雄としての本能が急激に萎えて行く。

 例え媚薬効果のある甘い麝香ムスクの匂いが部屋に立ち込めていても、今日のロイドは全く役立たずだった。


「もしかして他の女の子を考えてらっしゃいます?」


 察してくれるのは、例え”娼婦と客”ではあっても刹那的に心と体を、何度も重ね合わせた関係故か。


「【ニーナ】はなんでもお見通しだな。女といえば女だが、そんなのではない……」


 ロイドはせっかく高い金を払ったにも関わらず、今日は全くの役立たずな自分に辟易ながら、【ニーナ】の上から起き上がった。

ニーナは特に気にした様子も見せずに、ベッドから身を起こす。


 艶やかやセミロングで切りそろえられた髪。彫像のようにバランスの取れた美しい体つき。それに相反するかのような、少し幼い顔立ちは、合法ながら背徳感を抱かせる。彼女がこの高級娼館でも一番の人気なのは納得できるし、いつ来ても、まるで初恋の相手に出会ったかのように胸が高鳴りを覚える。

 いつもならそうなる筈。今日もそうなり、いつもより長い時間を楽しむつもりでいた。【ニーナ】を思う存分貪るつもりでいた

しかし役に立たねば、楽しむどころか貪ることもできやしない。


「どうぞ。凄い汗ですよ?」


 それでも良くできたニーナは、優し気な笑顔を浮かべながら、カップに入った水を差しだす。


「すまない」

「なにか至らない点がありましたか?」

「いやニーナは悪くない。俺のせいだ」

「そうですか……少し、心配です」


 ニーナは付かず離れずの距離から、そっと手を重ねてきた。娼婦と客ということを忘れさせる、甘く切なげな言葉がロイドの胸に突き刺さる。

だからこそ彼は、重ねられたニーナの手を、そっと握り返した。


「ありがとう。でも大丈夫だ」

「……なら良いのですけど……」


 切なげなニーナの声。その声音はロイドの胸の内を更に深く抉る。

あくまで金で時間を買い、刹那的に欲望を解消するための関係性だ。

それ以上でもなければそれ以下でもない。

寂しがり屋の大人が刹那の温かさを買っているだけ



なのにここまで心を激しく揺さぶられるのは、ニーナの営業手腕が優れているのか、それともまた別の意思が――


「こんなことを言ってはいけないと思ってはいるのですが……今日、ロイドさんが長い時間を私に下さると聞いて凄く嬉しかったんです……」

「……」

「ごめんなさい。こういうのずるいですよね。私と貴方はあくまでお金でつながった、刹那の関係ですものね。ごめんなさい……」

「なんだ、その……最近、客が良くないのか?」


 錯覚しそうな自分への戒めを込めた質問だった。

するとニーナはロイドの肩へもたれ掛り「ええ」と答えた。


「私ではないのですけど、ここ最近このお店に”キンバライト公爵”がいらっしゃって、随分酷いことをしているみたいなのです。中には孕まされた挙句に、無理やり降ろされた子もいるみたいで……だから長い時間と聞いて、もしかすると次は私なのでは無いかと思っていたら、扉の向こうに居たのがロイドさんで、それで……」


 危うく誤解をするところであった。あくまでニーナは今日の相手が、その公爵殿ではなく、ロイドだったことに安心していただけのようだ。


「酷い奴だな」

「ええ。名門キンバライトの名がなんだというのでしょう……って、すみません。今の話は忘れてください」

「分ってる。個人情報の流出は厳罰。特に貴族の陰口はマズいからな。そもそも俺はそんな阿呆のことに興味はない」

「ありがとうございます。で、どうですか? そろそろお元気になりましたか?」


 ニーナはロイドの顔を覗き込む。

童顔で、およそ娼婦らしくないあどけない顔つき。

そんな彼女に覗き込まれれば、いつもならばすぐに元気を取り戻す。

しかし今日はやはり調子が悪い。


「アクアビッテを一杯貰えるか?」

「わかりました。氷は?」

「頼む」

「まだ時間はたっぷりありますし、私はいつでもいいですからね」


 嫌な顔一つせず、ニーナはゆらりと立ち上がり、酒を注ぎだす。

それでもやはり今日のロイドは役立たずであり、頭の片隅には、切なげに笑うリンカの姿があったのだった。

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