第11話ラビアン教会



街の最奥にある創世神を祀る”薔薇のシンボル”が目印の立派な教会があった。

由緒正しい教会なのか、随所に豪奢な意匠が見て取れる。

しかし進んで孤児を受け入れ、立派に教育を施すといった慈善活動もあるためか、この教会を咎める者は殆どいない。


 そここそリンカがロイドへ依頼した最終目的――【ラビアン教会】であった。

 銀の鉄柵門の向こうにある、広々とした庭には人っ子一人いない。

どうやら勉学の時間らしく、窓の向こうで一様に、本とのにらめっこを展開している。


 ロイドとリンカは子供達の邪魔をしないようにそっと歩いて、立派に佇む大聖堂へ向かって行く。


「御免ください! 自分はロイド! 冒険者です! リンカさんの依頼を受けて、彼女をこちらまで送り届けに参りました!」


 重厚な扉の前でそう叫ぶ。ややあって、重厚な二枚扉がゆっくりと開いて行く。

扉の向こうから現れたのは、質素な装いの、初老の女性であった。


「初めまして。私はこちらの責任者の”ローズ=ラビアン”と申します。この度はリンカが大変お世話になりました」

「いえ。そのラビアンというのは……?」

「実の親子ではありませんが、この子が魔法学院に入る際に養子にしたのですよ。あそこで”姓”が無いのは何かと不便ですからね」


 魔法学院とは魔法使いを育成するための幼年学校である。

しかしその実態は、魔法教会における有力者の子息を育成する機関、という側面もあった。

もっとも、例え名家であろうとも、魔力特性が無ければ入学は許されない。

今の世の中はそうした才能もありつつ、家柄もしっかりした者が強い権力を持つことが多い。



「お帰り、リンカ。貴方が誰かを連れて来るなんて、学院の頃以来かしらね?」

「……」

「どうかしたの……?」

「その実は、今のリンカは声が出ないみたいなのです。だから彼女に依頼を受けて、ここまで連れてきました」

「早く、入りなさい!」


 ローズは慌てた様子でリンカを聖堂の中へ引き込んだ。

立派な女形の至高神の彫像が微笑みを浮かべる下で、ローズは血相を変えてリンカを脇の扉へ連れ込む。

 続くロイドがその扉を潜る。


 小部屋には沢山の麻袋が積まれていた。

香ばし匂いが充満している。袋の中身はお茶か、何かなのだろう。

しかし異様に慌てふためくローズの様子から、そんなことを聞く場合では無いように見えた。


「それでリンカ。声が出なくなったってどういうことなの!? 何があったの!?」


 ローズは怒る食ったかのようにリンカの肩を掴む。異様な語気の強さにリンカはたじろいでいる。


「ちょ、ちょっと待ってください! 今のリンカは話せないんですよ!?」


 見ていられなくなったロイドは割って入った。ローズは思い出したかのように、皺の浮かんだ目を瞬かせる。


「そ、そうね。そうですよね……急に怒鳴ってごめんね、リンカ」

「お茶でも淹れましょうか?」

「ありがとうございます。お願いしても良いでしょうか……」


 ローズは力なく椅子に座った。リンカは彼女の真正面へ座り、羊皮紙を取り出して、炭の筆記用具で文字を書き始める。

 リンカの筆音だけが響く中、ロイドは炎の精霊の力の一片が宿る魔石を火種に、銅のポットで湯を沸かす。

 近くにあった麻袋から茶葉を取出し、湯を当てながらカップへ注ぐと、部屋の中と同じく芳醇な香りが立ち昇った。


「良い香りですね。とても良い茶葉だとお見受けします」

「ありがとうございます。良い茶葉なのですよ。とても良い、ものなのですが……」


 そんな他愛もない会話をローズと交わしている中、リンカの筆音が止まった。

 羊皮紙へは相変わらずのまずい文字がびっしりと書きつづられている。

どうやら、内容は彼女が知りうる限りの、声を無くした経緯らしい。



 先日、リンカは魔竜の祠へ赴き、オリハルコンの採集を行っていた。精霊召喚に成功した彼女は聖王都と属する魔法協会より、更なる魔力向上を命じられていて、新しい装備品を作るために自主的に潜っていたらしい。

 そんな中、突然迷宮の石室に閉じ込められて、意識を失った。そして気が付くと、声が出なくなっていたと言う。


 日時は、ロイドが勇者ステイの一向に”クビ”を宣告された日と同じ。

もしも、そこで先にリンカと出会ってさえいれば、彼女は声を無くさずに済んだのかもしれない。


そして、


「これが近くに?」


 ロイドはリンカが机へ置いた”空の小瓶”を指す。リンカははっきりと首肯した。先日、リンカが落としたと大騒ぎしていたものであった。


「これを調べて欲しいのね?」


 リンカは頷き、ローズは小瓶を手に取った。途端、痩せ細った肩が、厳冬の風に打たれたかのように震える。


「な、なによ、これ……? こんなにも魔力の残滓があるだなんて……」


 ローズは恐る恐る空の小瓶へ手を翳した。


解析アナライズ開始スタート


詠唱を短縮し”解析魔法”が発動した。この婦人も難解な解析魔法を”詠唱短縮”ができる、相当な使い手らしい。


 ローズの翳した手から扇状の光が発せられた。それは空の小瓶の分厚い底部と天辺の硬く封じられた栓の間を何往復もする。


「主成分は純度の高いアルコール。術式は沈黙サイレンス液体魔法リキッドマジックね」

「液体魔法?」

「ごく最近に開発された新しい補助魔法の方式のことです。高価な羊皮紙へ文字を記入するのではなく、純度の高いアルコールへ詠唱で魔法を刻みつけて、振りかけたり、気化させたりして使うものなのです。コストパフォーマンスも良いので、来年から魔法学院のカリキュラムになるのだとか……」


 確かに生き物の皮を使う羊皮紙よりも、アルコールの方がコスト的には安価で済む。特に大麦の生産量が多く、アクアビッテという蒸留酒が国民酒となっている聖王国では、これほど手に入りやすいものは無い。


「おそらく、リンカは気化した液体魔法の沈黙を吸い込んで言葉を失ったようですね」

「では喉を傷つけられた、などではないんですね?」

「ええ、恐らくは……」


 たとえ治癒魔法であろうとも、深い体の傷を治すには相応の時間がかかる。

しかしリンカが声を失っている原因が魔法由来ならば、解呪ディスペルを施せば良い。

不意に現れた陽だまりのような穏やかなをくれた彼女。

短い旅路の、極僅かな付き合いでしかない。それでもロイドはリンカの回復を心から願い、望み、その光明がみえたことを喜ぶようになっていた。



「良かったな、リンカ! 声治せるかもしれ――」

「リンカの声を戻すのは、すぐには無理、だと思います……」


 ローズの言葉が静寂を齎し、ロイドの口を閉ざす。


「どういうことですか? 声が無いのが魔法由来なら、解呪さえかければなんとかなるのではないですか?」

「リンカにかけられている沈黙の魔法が異様に複雑なのです。例えば……あなた、海に落とした小さな指輪を探せる自信がありますか? もしくはこの施設程度大きさの毛玉があったとして、その毛玉を一本一本の毛に戻すのにどれぐらいの時間がかかるか予想できますか?」

「それは……」

「つまり、そういうことです。しかも術式の一変にも隙が無いようでして……聖王都の九大術士が集い、途方も無い時間とお金をかければあるいは……」


 非現実極まりない話であった。それこそ聖王都の財政を揺るがしかねない、状況しか想像できなかった。

例えリンカが世界で唯一のSSクラスで、精霊召喚に成功させた逸材であろうとも、あくまで一介の冒険者でしかない。

そんな彼女へ、そこまでの施しを国がするとは到底考えられなかった。


「リンカ、もう冒険者はできないのよね……?」


 ローズの不安げな声が溶けて消えた。

リンカはいつもの”苦笑い”を浮かべた。道中と変わらない、困ってはいるが相手を気遣う彼女独特のサイン。

自分が絶望的な状況に立たされているのに、道中と変わらない苦笑い。

 そんな健気なリンカを見て、ロイドはまるで自分のことのように胸を痛めた。



「そうよね。あなた魔法使いだものね……声がでないのでは、ダメよね……」


 ローズは肩を落とし、頭を抱えた。

 沈黙が部屋を支配し、香ばしく感じていた茶葉の香りが、妙に甘ったるく感じられ、気分が悪くなってくる。

そんな中、机の上にばらばらと、金音が響いた。


 リンカは肩にかけたポシェットから虹色に輝く鉄片を取り出し、指差しで数を数える。

そして全部で10枚あった”オリハルコンの欠片”をロイドへ差し出し、笑顔を浮かべた。


 どうやら依頼主からの要望はこれでお終いということらしい。


 あくまでロイドはリンカに依頼をされて、ラビアン教会まで連れて来た。依頼主と請負者。ただそれだけの関係であったと改めて思い知る。それに幾らロイドが心配しても、力になりたと思っても、Dランクの彼では何もできることはない。


「多すぎだ。金は大事にな」


 ロイドは差し出された鉄片を一枚だけ取る。リンカは慌てて残りを差し出してくる。

しかしロイドは小さな手へ一杯に握られた虹色の欠片をそっと押し戻す。

ようやく諦めたリンカは苦笑いを浮かべて、深々と頭を下げてきたのだった。


「声、戻ると言いな」

「……」

「ありがとう。元気でな」


 これ以上ここに居ても、彼ができることは何もない。

ロイドはリンカとローズへ頭を下げて、踵を返す。


 その瞬間、横目に見えたリンカの顔はどこか寂し気であった。

先日、涙を流しながら眠っていた時の顔と全く同じであった。


 ロイドは逃げるようにその場を跡にするのだった。


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