第9話:空の小瓶



  目覚めると、今日もリンカは魔法の杖を置いて姿を消していた。


(今日はポシェットを持って行っていないのか。水浴びではなさそうだな)


 近くの川まではかなり距離がある。ポシェットを持って行っているところから、今日こそは単なる手洗いに思える。

 昨日に引き続き、手洗いの瞬間を目撃する訳にはいかない。目撃してしまってはさすがに申し訳ない。


 ロイドは麗らかな朝日の中、暇つぶしに煙草を口にする。

しかし待てど暮らせど、生き物の気配は感じられなかった。

 次第にロイドの胸の内がざわつき始める。

 手洗いにしては異様に遅すぎる。


(まさかリンカに何かあったんじゃ? この間みたいに魔物に襲われて、助けを求めたくても求められないんじゃ!?)


 辺りをうろついていた盗賊に襲われた可能性も考えられた。

考えれば考えるほど嫌な予感が湧き起こる。

 思い過ごしで、無事ならそれで良い。手洗いや水浴びの現場に遭遇しても仕方がない。


 ただただリンカのことが心配になったロイドは、リンカの杖を手に取り、樹木の間へと飛び込んでゆく。


「リンカ! どこにいるんだ! 聞こえてるなら返事をしろ!」


 ロイドの声は森に溶けて消えて行く。反応は返ってこない。

 声が出せない彼女は返事ができないのだと改めて思い知る。


 次から傍を離れる時は必ず自分を起こしてから行くように言いつけよう。

例え水浴びでも、手洗いでもちゃんと何かしらの反応をしてから、行くように頼もう。


 ロイドはリンカが無事であったら伝えようと思うことを考えながら、必死に森をかき分けて行く。


「嘘、だろ……?」


 そして見たくない現実を目の当たりにしてしまったような気がした。


 茂みの間から僅かに見える、ミスリルが縫い付けられたブーツ。

そのつま先だけが茂みの間から伸びている。


「リンカぁっ!」


 ロイドは悲痛な叫びを上げながら、遮二無二リンカのブーツへ向けて駆けて行く。

 ひょこっと、リンカの首が茂みの間から飛び出してきた。


「?」


 茂みの中からリンカはもそもそと立ち上がってくる。


「お、お前、ここで何してるんだ! ずっと戻ってこなかったから心配したんだぞ!!」


 安堵と怒りが入り混じった声が自然と飛び出してくる。

大声にリンカは肩を震わせ、蒼い瞳にじんわりと涙を浮かべる。

そして至極申し訳なさそうに頭を下げたのだった。


「す、すまん……急に怒鳴ったりして……その、何をやってたんだ?」


 声音に気を付けて聞く。

リンカは葉が沢山付いた肩かけポシェットから羊皮紙を取り出した。細く削った炭で字を綴ってゆく。



【サガシモノ、シテイマス】

「何を?」


 新しい羊皮紙を取り出して、再び炭を走らせる。


【サンカクノ、カラノコビンデス。オトシタミタイナノデ】

「なんでそんなものを?」


 リンカは更に羊皮紙を取り出し、


「待て。羊皮紙はしまってくれ」

「?」


 ロイドの言葉に従って、リンカは羊皮紙を出す手を止めた。


 羊皮紙はその素材と製造に大変な手間のかかる代物であった。文字魔法スペルマジックの土台ともなるアイテム。

特に声を失っているリンカにとっては、魔法の杖以上に強力な武器になりえる。

そんな希少品を、つまらない会話で消費するのは非常に勿体ない。


「良いか、リンカ。これから俺は言葉で色々と質問する。そうなら首を縦に、違うなら振ってくれ。良いな?」


 リンカは分かっているのかいないのか、首を傾げる。


「分ったら首を縦に。分からなかったら横だ」


 ロイドが蒼い瞳をじっとみつめると、リンカは顔を少し赤くしてゆっくり首を縦に振るのだった。


「落とした小瓶の素材はガラスとミスリルの混合品か?」


 きょとんとした顔。

どうやらあまり素材関係にも詳しくは無いらしい。

魔法学院は飛び級で卒業というよりも、殆ど何も知らないまま駆り出されたのが正しいのかもしれない。


「では、その瓶は本体はガラスで、陽の光に当てるとてかてかと光るような色を付けられていたか?」


 しっかりとした首肯。睨んだ通り、魔法薬を封じるためにミスリルで加工された瓶のようだった。

リンカが魔法使いということで、見当をつけて質問して正解であった。


「この辺りで落としたのか?」


 肯定のような、否定のような。

首がぐるりと動いて苦笑いを浮かべるばかり。

 どうやらリンカ自身もどこで落としたのか分かっていないらしい。


(ものを落としそうなところといえば、あそこか)


 再び当たりを付けたロイドは歩き出す。


「なるべく俺の傍を離れるなよ。良いな?」


 そう言い付けるとリンカは笑顔を浮かべてしっかりと頷くのだった。


 昨日はサンドワームに襲われ、なるべく他のモンスターと遭遇しないように、敢えて険しい岩場を通るといった回り道をしていた。

足元の悪い岩場でリンカは何度も足を隙間に挟んだり、滑って転びそうになっていた。

正直、危ない場面もそこそこあった。

おそらく、その小瓶とやらは、”岩場”で落とした可能性が高い。


 ここ数日一緒に歩き、意識をしないとリンカはどうしても少し遅れがちになってしまう。

もう肝を冷やしたくはないロイドは、歩幅をいつもよりも狭めた。

視界から彼女を外さないように、歩調を合わせて、昨日来た道を戻ってゆく。


 そうして森を抜け、ロイド達は緩やかな坂へ、大きな岩や小さな石が転がっている”岩場”に到着する。


「ここで待ってろ。良いな?」


 一瞬きょとんとし、ゆっくりと首を横へ振る。


「昨日みたいに転びそうになっても知らないぞ? ものを探しながらだから助けてやれないぞ? ここから落ちたら擦り傷程度じゃ済まないぞ? 岩の間には毒蛇もいるし、噛まれた手足は諦めるしか無いな」


 あえて脅かすようなことを言ってみた。

 落っこちる想像や、毒蛇に噛まれる想像でもしたのか、リンカの顔が青ざめる。

それでもまだ首を縦に振ろうとはしない。

自分のものは自分で探したい、といったところだろうか。

リンカは責任感が強くて、少し頑固なところがあるのかもしれない。


「気にするな。俺の仕事はリンカを無事に街まで連れてくことだろ? 依頼を受けた以上はきっちりこなすのが俺の流儀だ。危険なことは俺に任せてくれないか?」


 リンカはようやく首を縦に振った。それでも、やはり申し訳なさが表情から見て取れた。


(こういう切なげな顔は苦手だな……)


 やや後ろ髪を引かれつつも、ロイドは彼女に背を向けて岩の斜面へ踏み込んだ。

滑って落ちないよう、靴底を岩の横へ押し付けながら慎重に下ってゆく。

記憶を頼りに、昨日昇って来ただろう道順の予想を付けて、下りながら目的の小瓶とやらを探してゆく。


 視界からリンカが外れると、妙に気になってしまい、斜面の上を見てみた。


 斜面の上でリンカは近くの岩の前で屈みこんでいた。

岩の上には尻尾が丸い小動物が、全くリンカを気にせず、木の実をかじっている。

リンカはニコニコと小動物を見つめ続けている。


 同族とでも思われているのか、はたまた野生の勘はリンカが危険で無いと知らせているのか。


(動物好きか。やっぱりリンカはいい子なんだな)


 まるで冷たい冬の夜に、ふいに現れた温かい陽だまりのような。

小動物を眺めるリンカを見て、ロイドはそんな感覚を得る。


 最初は美人局や詐欺師の仲間と思っていたことを改めて反省した。


 ふと、視界の隅にきらりとした光を感じ取る。

屈みこむと、岩と岩の間に、銀の縁取りを施されたガラスの小瓶が転がっていた。

そういえば、昨日はこの辺りでリンカが足を挟んで転びかけたと思い出す。

どうやらこの瓶が目的のものらしい。


 ロイドは毒蛇が岩の間に居ないことを確認し、岩の間に転がっている”魔法薬”を封じていただろう空の小瓶を手に取った。


「ッ!?」


 一瞬、岩の間から現れた毒蛇に手を噛まれたのかと思った。

しかし噛まれたような痛みは無い。

それでもまるで毒を流し込まれたかのように指先と膝が震え、胸から腹にかけては圧迫感のようなものを感じる。

喉の奥が渇いて、息苦しさを覚えた。



 強力な魔法薬は一滴でも残っていれば、効力の残滓を感じることがある。


 そんな高価な代物についぞ縁の無かったロイドだったが、この状況はそれに当てはまるような気がしてならなかった。

 リンカは稀代の魔法使いSSクラス。対するロイドは中の下であるDランク冒険者。


 きっと自分が一振り掛けられただけで、何かしらの異常をきたすだろう魔法薬を持っているのも当然といえる。

 ロイドは異様な不快感に囚われつつも、慎重に岩場を昇って、リンカの下へと戻る。


「探し物はこれか??」


 リンカはこくりこくと頷き、大事そうに手に取る。

平然としている様子から、やはり強力な魔法薬が込められていたものだと思う。

 もしかすると、一介の冒険者程度には縁のない、最高クラスの魔法使いが所持する貴重な道具なのかもしれない。


「みつかって良かったな」


 ロイドがそういうと、リンカはいつもの笑顔を浮かべる。

しかしその笑顔には、どこか陰りがあるように見えたのだった。


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