第7話:文字魔法



 十分腹が満ち、活力十分なロイドはリンカを連れ立って森の中を歩き始めていた。

もはやリンカが”美人局(つつもたせ)や詐欺師の仲間”などいう考えは彼の中から消え去っていた。

むしろ今は、この目を離すとすぐに転んで膝を擦りむいて泣き出しそうなリンカを、きちんと街の教会まで送り届けようと思っていた。

無事であることが重要で、強い使命感が沸いていた。


(しかし戦えるのは俺だけ。リンカは声がでないらしいから魔法は使えんだろう)


 たとえリンカがロイドよりも格上であっても、声の無い魔法使いはあまり強力とは言えない。

オーキスのように鈍重なメイスを杖代わりにした闘術士バトルキャスターなら未だ自分の身くらいは守れるだろう。

しかしリンカの得物は杖一本で、細身な様子からあまり物理攻撃が得意でないと見て取れる。

これではEかFランクの冒険者――いや、ただの村娘と変わらない。


「なぁ、リンカ。声が出ないのだったら【文字魔法スペルマジック】を使えば良いんじゃないか? 羊皮紙は持っているんだろ?」



文字魔法スペルマジック】――本来言葉として紡ぐ”詠唱”を”文字”として羊皮紙に書き込んで行使する魔法のことだった。

詠唱短縮のスキルも使えないし、詠唱魔法よりも威力が三分の一に低下してしまう。

が、リンカくらいのクラスなら、そこそこの魔法が発動できる筈。


 後ろに続くリンカは口元をへにゃりと曲げて、苦笑いを浮かべていた。


「字を書くのが、その……苦手だからか?」


 ロイドはリンカのミミズが張ったような字が脳裏をかすめ、思い出し笑いをかみ殺す。

するとリンカは顔を伏せた。


 字が下手なのが恥ずかしい、というのもあるだろう。だがなんとなく根本的な原因ではなさそうな気がしてならない。



「もしかしてお前”神代文字”が書けないのか……?」


 ロイドが可能性を口にすると、ややあって彼女は黄金の綺麗な髪を揺らした。

持ち上がった顔には張り付くような苦笑い。

どうやらこれが困ったときのリンカ独特のサインらしい。


「リンカは、魔法使い、なんだよな? 学院は出ているんだよな?」


 愛くるしい顔に微妙な苦笑いと、力の無い首肯。


 ”詠唱”を力ある文字へと変える神代からの御業。

”五十音のひらがな”と”数多の漢字”で構成されるものこそ――【神代文字】


 大体の魔法使いは10歳から15歳までの五年間、魔法学院でみっちり魔法の勉強をしてからその職に就く。

神代文字はその4年目から5年目にかけて、”詠唱魔法の補助”として教え込まれるものだ。

たしか卒業検定の一科目にもなっている筈である。


 そんな重要な【神代文字】に苦笑いを浮かべるとは、一体どういうことか。


 ロイドのつま先が目の細かい砂を踏んで、地面が揺れた。


「リンカ!」

「――ッ!?」


 ロイドは長年の経験に任せてリンカを腕を取り、思い切り引き寄せる。

瞬間、それまでリンカが立っていたところへ激しい砂柱が上がった。

 砂の中には不気味に蠢く”肉の触手”がわなないている。


 次いで背中でさらに大きな砂柱が立ち昇り、細かい砂を雨のように降らせた。

そしてロイドとリンカへ落ちる、黒くて巨大な影。


 巨大で不気味な芋虫――難敵の一匹と数えられる”サンドワーム”

リンカとのコミュニケーションに夢中で、うっかり森の中にあるおかしな砂場――ワンドワームのテリトリーへ踏み込んでしまっていた。


引き返そうにも後ろには、縄のようなサンドワームの幼体が地面から湧いて、奇声を発している。


 Dランクの冒険者と声も出ず、文字魔法も使えない魔法使いでは到底太刀打ちできない難敵。

しかし後ろは泉のように湧き出ているサンドワームの幼体に封じられている。

逆に前はサンドワームの成体一匹限り。


「走れ! 全力だ!」


 冒険者の鉄則。

無理をせず、どう戦うかよりも、どう生き残るか?

それに則りロイドはリンカの手を引いて、前へ向けて全力で走り始めた。


 動きの鈍いサンドワームの成体が振り返るよりも早く、その脇を走り去る。


 しかし安堵する暇も無く、目前の砂から紐のように細い幼体が飛び出してくる。

ロイドは空いた手で剣を抜き、瞬時に自身へ”パワー”の魔法を施した。


 ぶよぶよとした見た目に反して、サンドワームの体表は鉄の鎧よりも硬い。

それは幼体にもいえることだった。だが、あくまで幼体は幼体。

自強化の魔法と、鍛え上げた膂力の下に数打剣を薙げば、サンドワームの幼体は刈草のようにびっしりと牙を生やした首を宙へと飛ばす。



(行けるぞ! あと少し!)



 砂場から出てしまえばサンドワームは追っては来られない。

林間まであと少し。

 その手前で、つま先に違和感を覚えたロイドは、リンカの手を離した。

無我夢中で小柄な彼女を突き飛ばす。


「ぐわぁぁぁー!」


 体が逆さにつられ、砂場で起き上がリンカが唖然と蒼い瞳を向けている。


「フシュルー……」


 生臭い息く、湿った息が風のように吹き付けて、ロイドは顔を引きつらせた。

 どうやらこのサンドワームの成体は異様にすばっしこく、地中を潜行して、先回りをしていたようだった。


 ロイドは足に絡まる触手を剣で必死に打つも、肉々しい外見からは想像もできない金音が鳴り響くだけ。

何度も同じような状況の冒険者を見てきた。SやAクラスの冒険者一派なら切り抜けられるが、ロイドのようなDランクでは末路は一様であった。

こうなってしまってはもはや手の施しようがない。


「お、俺に構うな! これを使ってさっさと逃げろ!!」


 ロイドはリンカへ、遮二無二ステイから貰った転移魔法の羊皮紙を投げた。


(ああ、くそ! 昨晩、リンカに悪いことしようとした罰か……!)


 因果応報。天罰覿面てんばつてきめん


 これは例え気持ちだけであっても、いたいけな少女に悪いことをしようとした自分への罰か。

死を容易に受け入れることはできない。

しかしこの状況ではもはや受け入れるしかない。


(すまない、リンカ。無事に街へたどり着いてくれよ……!)


 せめて最後くらいは誰かのために――そう覚悟したロイドの目が強烈な輝きを感じたのは、下の砂場からであった。


 輝きの発生源はリンカだった。


 羊皮紙を広げた彼女は全身から髪色と同じ金色の輝きを発している。

そして意を決した青い瞳でサンドワームの成体を見上げ、輝きを帯びる羊皮紙を投擲した。


「ブジュ――……!?」


 サンドワームが口から盛大に粘液を吐き出し、ロイドの脚に絡まった触手がたるんだ。

 巨大な芋虫は崩れるように倒れ、ロイドは砂の上へと舞い降りる。


 砂場にはまるで魔神の鉄槌が落としたかのような穴が開いていた。

おそらくそこにあっただろうサンドワームの下半身が無い。

すると後ろの林間から、不快な咀嚼の音が聞こえた。


 そこには巨大な肉塊が木々を押しつぶしながら横たわっていた。

サンドワームの幼体は我先にと肉塊へ集り、食い荒らしている。

どうみても”サンドワーム成体の一部”であった。


 おそらくリンカが投げた”転移の文字魔法”が、サンドワームの下半身を丸ごと転移させたのだろう。



 総魔力量に応じて転移する範囲を選べる文字魔法の転移。

ロイドならば自分だけ転移がやっとで、効果範囲は半径一メートルが良いところ。


 しかしリンカのは倍以上の範囲を転移させ、サンドワームの下半身を砂もろとも移動させていた。


 そんな軌跡を遣って退けた少女は薬草の束を握りしめて、砂に足を取られつつ、必死な様子でロイドのところへ駆けてきている。




 ロイドは強大な魔法の力を見て、ようやく彼は【リンカ=ラビアン】の名前を思い出した。


 あれは半年前のこと、この世界の魔法使いで初めて魔力の根源である”四大精霊の一角、炎のサラマンダー”を顕現させた魔法使いが誕生したということを。


 彼女は魔法学院在籍中にその類まれなる魔法の才能を見出された。

飛び級で学院を卒業し、すぐさまSランク魔法使いに任命されるなり、様々で困難な依頼クエストに当たっていたという。

そんな彼女の力に目を付けた王国は、数百年の間研究し続けた”精霊召喚”の実験に彼女を誘い、悲願を達成する。


 その功績をたたえた版画には、可憐なまるで女神のような若い女魔法使いの現身が描かれていた。


その魔法使いの名こそ【リンカ=ラビアン】


史上初めての精霊召喚に成功し、世界で唯一のSSランク魔法使いとして認められた、偉大な魔法使いの名前である。


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