ニセアカシヤ
「ま、魔法を捨てちゃだめだよ。魔法使いの修行のために人間の国に出てきて、キヨ江さんの神経痛の薬とかハンドクリームとかタチバナさんの回復アイテムとか作ったんでしょ? 駄目だよ、カメリアさん、思いつめ方が間違ってるよ」
あたしは慌ててそう言った。カメリアさんはおそろいの手袋をはめた手をぐーぱーしながら、
「アジサイさん、わたしは……魔法使いであることを克服したい。魔法使いであるならば、いつかは魔法の国に帰らなきゃいけない。そんなのは嫌です。ずっとずっと、アジサイさんと一緒でいたい。アジサイさんは、わたしと青春を共にした親友ですから」
要するに、カメリアさんから見たあたしは、中学高校と同級生で部活もバイトも一緒で、一緒にしょうもないことをして遊んだ仲、ということだ。あたしはすっかり感性がおばさんになっていたから、カメリアさんに指摘されるまでそこに思い至らなかった。
親友。でもあたしは知っている。フレンド、の綴りの最後はENDなのだ(ミスターフ●スイングより引用)。いつか終わってしまうのだ。友達、という関係は、すごくはかないものだ。小中高と一緒だった友達ですら疎遠になる。そいつらはどんどん結婚して自分の世界を手に入れる。いつまでも友達でいられるわけじゃない。そりゃ同窓会で顔を合わせれば「あじす! なっつかしー! 相変わらずあの潰れかけの花屋やってんの?」くらいは言われるだろう。だけれどもう、そいつは友達でもなんでもなく、誰かの妻だったり夫だったり母だったり父だったりして、独り身でひたすらボーっと歳をとっていくあたしを無視して、同じく誰かの妻だったり夫だ(中略)するやつと育児の悩みとか会社の上司の愚痴だとかを話して、お財布的にあたしの行けない二次会に行ってウェーイして、明日からまただれかの妻だっ(中略)に戻るのだ。
「ねえカメリアさん、誤解してるかもしれないけど、友達っていつか必ず疎遠になるか、友達関係が続いてもいつかどっちかが先に死んじゃうんだよ」
「そう……ですけど。でもわたしには好きな人も、親しい友達も、アジサイさんしかいないんです。アジサイさんは、……好きな人、です……」
カメリアさんは耳まで真っ赤にしてそう言った。わお、とんでもないソドミーだ。
真意を測りかねて、うむむと唸り声が出る。こたつの上においてある落花生とみかんをちらっと見てから、
「なんかお夜食にしよっか。落花生とみかんばっかじゃ体に良くない」
とはぐらかそうとした。カメリアさんは小さく頷くと、ずっと洟をすすった。
どうすればいいんだろう。わからないまま、賞味期限の切れた食パンでフレンチトーストをつくる。カメリアさんはオーヤマブラザースをヨシヨシしている。
フレンチトーストをこたつのテーブルに乗せると、オーヤマブラザースが食わせろと騒ぎだした。どうせ食べたがるだけで食べないのであげないことにして、はちみつをたっぷりとフレンチトーストにかける。
「これ、アカシヤのはちみつなんですね」
「うん、去年隣町のはちみつバザールで買ってきたんだ。隣町はむかし鉱山で栄えたところで、アカシヤ……正確にはニセアカシヤなんだけど、アカシヤは鉱毒に強いから並木にして植えてあって、だからアカシヤ蜜が名産で、毎年はちみつバザールっていうイベントやってる」
「楽しいんですか? はちみつバザール」
「楽しいっちゃ楽しいよ。はちみつを激安で買えるだけじゃなくて、はちみつアイスとか、県内のB級グルメとかいっぱい売ってて……自衛隊の乗り物展示もあったな。小さい子供さんなら制服も貸してもらえるの」
「ジエータイって、あの軍隊みたいなやつですか?」
「そう。でも日本には軍隊はないことになってるから、自衛隊。海外で人道支援したり、災害現場に助けに行って避難所を用意したり行方不明の人を探したりしてくれる人たち」
フレンチトーストをぱくつきながらそんな話をする。オーヤマブラザースはフレンチトーストの匂いは嗅いだものの、無視してまたこたつに戻ってしまった。
「来年の目標は、アジサイさんとはちみつバザールに行くことにします」
「そうだね、二人で食べるようになったらはちみつだいぶ減っちゃった。一人だと三年持つんだけどねー」あたしはそう言ってエヘヘと笑った。カメリアさんは口に行儀悪くフレンチトーストを詰め込んでいる。まるでジブリアニメのご飯のシーンだ。
「アジサイさんは、一人で暮らしてるときは、どんな暮らしだったんですか?」
不意打ちだった。カメリアさんがやってきた今年の春からこっちの出来事が印象的すぎて、あまり覚えていない。んーと、と思い出す。
「そうだね、花卉市場で花を仕入れて、菊の花とかが売れるくらいで、ときどき葬儀屋さんから大口の発注があって……暮らしは単調だったよ、二日にいっぺんご飯炊いて、適当にインスタントの食べ物も使いつつ普通に食べて、普通にお風呂に入って、普通にテープ起こしして、うん……あんまり楽しいことってなかったかな。カメリアさんと一緒に暮らすようになってから、いろんなことが起きるようになって、すごくすごく楽しくなった」
カメリアさんの表情が、ぱああと明るくなった。
「……まあ、郵便受けに鳥の死骸が突っ込まれてたときはぎょっとしたけど……」
「それです! それ!」カメリアさんは明るい表情のままツッコんできた。
「わたしが魔法使いでいるかぎり、悪魔と共存しなくてはいけません。悪魔と共存するということは、すぐそばに悪魔がいるということです。わたしは、悪魔によってアジサイさんが危険な目に遭うのはいやなんです」
「え、でもカメリアさんに憑りついてた悪魔はいなくなったんでしょ?」
「そうです。でも、これをみてください」
カメリアさんはポケットから豆本を取り出した。一見して、百均で売っているディスプレイ用の学術書風の豆本にしか見えないが、それと違って中にはびっしりと字が書かれている。
「これが、わたしと悪魔をつないでいます。悪魔とひと口に行っても、わたしに憑りついたりアジサイさんを苦しめたりしたああいう下等なやつから、もっと高度な知恵をもった、哲学や数学を司るものまで、さまざまです。魔法使いになると誓願を立てて、魔法の国を出て修行を始めるときに、これを親、あるいは師から渡されます。わたしは母からこれを貰いました」
カメリアさんはその豆本をめくって見せた。
「ここにある通り、有名な七十二柱の悪魔や、邪教とされ追いやられた神々である悪魔が、いつもこれを通してわたしに魔法を使う力を与えます。でも、魔法使いでいるということは、悪魔から供給されるエネルギーで、普通の人間よりずっとずっと長く生きる、ということです」
よく分からないのだが、カメリアさんはあたしより長生きするのが悲しいらしい。
「わたしはアジサイさんが死んでしまうところは見たくない。普通の人間になりたい。まだ見習いの魔法使いで本当の魔力を手に入れていない今なら、引き返せるんです」
「……カメリアさん、本当にそれでいいの? 一人前の魔法使いになるために人間の国に出てきたのに、あたしみたいなちっぽけなもののために、故郷のひとを裏切っていいの?」
「裏切りなんかじゃない。そうやって人間になった魔法使いはたくさんいるんです」
「……ふむ。でもさ、人間になるなら――あたしみたいなもののためじゃなくて、もっともっと好きな人のために、人間になりなよ」あたしは、そう言ってカメリアさんを見た。
カメリアさんは大きな涙を、そのブルーグレイの瞳に溜めて、そして白い頬にぽろりと一粒涙が転がっていった。もう一粒、水晶のような涙が転がり落ちる。
「アジサイさんは、わたしのために魔法の国にまで行ってくれた、すごい人です。わたしはそれに応えたい。ずっとずっと一緒にいたい」
カメリアさんはそう言った。カメリアさんは、あたしが好きなんだ。
そう思った瞬間、顔がばあーっと赤くなるのを感じた。まるで、中学の時、「ナントカくん(名前こそ忘れてしまったがすごいイケメンと記憶している)、あじすのこと好きらしいよ」という噂を耳にしたときみたいに。それは噂で終わったし、ナントカの野郎は別の、もっと可愛くてもっと頭のいい女の子と付き合いだして、ときめき損した、と思ったのだった。
でも今回のカメリアさんは、本気だった。中学の噂話とはわけの違う、どろりと濃い感情。好き、なんてライトな言葉じゃおかしいような、もっともっと本気の感情。
「……まいったなこりゃ」そう答えて頭をぽりぽり掻く。冷めたフレンチトーストをもぐもぐ食べて、食器を下げる。まだカメリアさんの調合した強力な洗剤があったので、さっさと溜まっている食器を洗う。
カメリアさんはこたつに温められすぎてうつらうつらしていた。頼む、そのまま眠ってぜんぶ忘れてくれ。
食器を洗い終えて、それからカレンダーに線を引いた。もうすっかり年末である。
今年中に、カメリアさんに対する結論を出そう。けじめをつけよう。そう決めた。
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