クリスマスローズ

 こたつを出してきた。

 そこに入るともう永遠に脱出できない悪魔の暖房器具である。こたつで、ぼーっとテレビを眺めるのが最高に幸せだ。こたつの上にはみかんと落花生の入ったカゴが置かれ、みかんの皮や落花生の殻はチラシで折った箱にぶちこむ。そしてもちろん、猫のオーヤマブラザースも、こたつに入りたがる。オーヤマブラザースはときどきこたつの中でへそ天で寝ていたりする。


「はあ……極楽極楽……カメリアさん、ポット取ってきてよ。コーヒー飲もう」

「いやですよ。アジサイさんが行ってください」カメリアさんもこたつから出る気はない。


 しょうがないのでこたつを出て、台所に置きっぱなしのポットを持ってくる。マグカップにインスタントコーヒーをざらららーっと入れて、だばーっとお湯をそそぐ。


 テレビはクリスマスイルミネーションをやっている県都のデパートの様子を映している。目がちかちかする。どうにもイルミネーションは好きになれない。

「クリスマスかぁ……どうせこの国のクリスマスなんてカップルがホテルになだれ込むだけでしょ……なにが聖夜だ、性夜じゃないの」

「アジサイさん言うことがなかなか下品ですね。わたしにもコーヒーください」

「いいけど――あ。冷蔵庫にバッカス入ってるよ。食べよう」

「それは遠まわしにわたしにとってこいと言っているのですか?」

「だってポット持ってきたのあたしだよ」


 カメリアさんはしぶしぶと言った表情でこたつを脱出した。冷蔵庫から、冬の楽しみである限定チョコレートのバッカスを持ってくる。それをつつきながらコーヒーを飲む。


「んんーバッカスうんまぁーい」呑気にそんなことを言っているが、実はカメリアさんの巨大感情にはまだ決着がついていない。カメリアさんはずっとずっとあたしと一緒にいたいという。なぜかは知らない。あのニラの味噌汁の晩から何日か経つけれど、カメリアさんの感情に、あたしはただただ打ちのめされていた。


「あのさカメリアさん、」

「なんですか?」聞いていいのかわからないが、訊ねないことには何も始まらない。

「なんでさ、青春を取り戻したいって思ったの?」

「わたしに青春が、なかったからです」


 青春がなかった。なるほど十四で病気になって二十八まで寝たきりなら、青春なんてものはなく、事実カメリアさんの青春を食べてあの悪魔は巨大化したわけであるから、青春がなかった、と表現してもいいかもしれない。


 カメリアさんは青春、という歳でないのに、まるで女子中高生のやるようなことをしている。それはカメリアさんの人生に女子中高生の時代がなかったからだ。

 テレビではコマーシャルを流している。最新鋭のゲーム機だ。


「これ、このすいっち? とかいうゲーム機って、高いんですか?」

「まあ……いちばん安くて手ごろな、携帯専用のやつでも二万円くらいするかなあ。うちにはこれを買う予算はないぞ?」

「分かってますよ。欲しいなんて言ってません。でも最近これのCM増えましたね」

「いまはクリスマスシーズンだからね……世のお子さんたちはサンタクロースとかいう虚構に、これを買ってくれってお願いして、サンタクロースは虚構だから親が買うんだよ」

「親、ですか。クリスマスにもらったものなんて野暮ったいセーターくらいですね」


 魔法の国もクリスマスってあるんだ。そう訊ねるとカメリアさんは頷いた。

「形骸化してますけどね。この国のクリスマスと何ら変わらないです」

「何ら変わらない……か。魔法の国のクリスマスもやっぱり性夜なの?」

「魔法の国では婚前交渉は罪ですから、未婚のカップルが性夜しちゃうと捕まります」


 へえー。ちらりとカレンダーを見る。あさってはクリスマス・イブだ。テレビでは、フライドチキンのCMをやっている。クリスマスってチキンを食べる日ではない気がする。


「あの」カメリアさんは、小さくつぶやいた。

「クリスマスに、プレゼント交換しましょうよ」

「……プレゼント交換?」あたしがそう尋ね返すと、カメリアさんは笑顔で頷く。


「わたしも大したものプレゼントできないですけど、気分だけでもクリスマスしましょうよ」

「お、おう。懐かしいな、小学生のころ教会学校でやって以来だ」


 そう答えて、なにをプレゼントしたものか、割と真剣に悩む。なにか花にしよう。そうだ、クリスマスローズとかどうかな。あれならそろそろ安くなりはじめているはず。

 あした花卉市場に行ったらクリスマスローズをひと鉢買おう、とそう決めた。それからそろそろ正月に向けて、福寿草を仕入れてこなければ。


 翌朝、花卉市場の下げ競りマシン相手に戦って、それなりにいいクリスマスローズを手に入れた。これで喜んでもらえるか分からないが、明日にはカメリアさんに渡そうと決める。バレるといやなので店のすみっこに置いておく。


 頭の中に、カメリアさんの悲しい笑顔がよぎる。カメリアさんは青春を取り戻し、そしてわたしと一緒にいることを望んでいる。それがいつまでできるかは分からない。


 あたしだってカメリアさんとずっと一緒にいたいし、カメリアさんと青春ごっこをしたい。でもそれは青春「ごっこ」だ。中学生高校生のみずみずしい感性とは違いすぎる。


 あたしは親が死んで、大好きだった祖父が始めたこのフラワーハハキギを継いだ。祖父はあたしが幼いころに死んでしまったけれど、花が好きで優しくておだやかなおじいさんだった記憶がある。


 この店を継いだのは、二十歳になるかならないかくらいのころだった気がする。下げ競りのやり方も値段の付け方も知らないままここの店を継いだ。ある意味、あたしの青春も、この店に食われていると言えるかもしれない。


 でも生きていかねばならないから、青春を喰いつくされることを認めた。

 カメリアさんだって、生きるために青春を失ったわけで、そこはあたしと同じなんだよな、と思う。カメリアさんは、生きているから、青春を取り戻そうとできるのだ。


 青春を、人生でいちばんまばゆい時代を、失ってしまったから、いまこうして狂い咲きみたいに青春を取り戻そうとしているのだ。カメリアさんの人生は、狂い咲きなのだ……。


 その日は店番をしながらテープ起こしをし、久しぶりに葬儀屋の同級生が来て菊の花を大量に発注していった。フォトショで眼精疲労がやばいと、そいつは三十前相応にくたびれた顔で笑った。同級生のようにくたびれた三十前になるのが、正しいことなのだろうか。分からない、分からないけれど、くたびれた三十前にはなりたくないと思った。



 クリスマス・イブになった。夕飯を食べてから、プレゼント交換をすることになった。


「あたしからはこれ」と、クリスマスローズの鉢植えをでんと置く。

「わ、こんな季節に花をつける花があるんですね」

「なんか色が薄いけどね……簡単には枯れないと思うから大事にしてね」

「わかりました。わたしからはこれです」カメリアさんは手編みの手袋をあたしに渡した。実に細かい編み方で編まれていて、凝った模様が施されている。

「わ、すごい。これもしかしてカメリアさんが編んだの?」

 カメリアさんは照れたような顔をして頷いた。さっそくはめてみる。ピッタリサイズだ。


「おそろいです」カメリアさんは違う色合いの手袋を取り出した。模様の入れ方がおんなじだ。なんだか、中学生のころ友達とニコイチファッションをして遊んだことを思い出した。

 その、ニコイチファッションをした友達は、都会に出ていってしまった。


「やっぱり、……カメリアさんしか、あたしの友達っていないんだね」

「いきなりどうしたんですか」それはこっちの言いたいことだ。ニコイチファッションの話をし、そいつが都会に出ていってしまったことも話す。


「わたしはぜったい、アジサイさんを捨てたりしませんから」

「い、いや、捨てるとか捨てないとかそこまで重い問題じゃないから大丈夫だよ」

 でも、とカメリアさんは語気を強める。


「アジサイさんより素敵な人をわたしは知りません。アジサイさんは、わたしの『青春を取り戻したい』とかいう訳の分からない願いをかなえてくれました。アジサイさんは、わたしの命の恩人といっても過言ではありません。アジサイさん、わたしは――わたしの人生を取り戻してくれた恩人を忘れません。ずっとここにいます。そのためなら魔法も捨てる覚悟です」


 あたしはびっくりして噎せた。しばらくゲホゲホしてから、

「ま、魔法も捨てる覚悟ってどういうこと」と、カメリアさんに訊ねた。


「そのままです。わたしは、魔法のためにあの国にいつか帰らねばならないなら、魔法を捨てます」


 カメリアさんは、力強くそう語った。

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