ニラ
ムツゴロウの動物病院から帰ってきて、カメリアさんはヤスハルとマスタツにキャットフードを食べさせつつ、なにやら悲しい顔をしていた。思いつめている、といったような表情で、こちらも不安になる。夕飯の支度をしているので丁寧に話しかけられないのだが、いつもなら笑いながら観ているくだらないバラエティ番組を、無言で見つめている。
かきたまとニラの味噌汁と、ピーマンと肉があればすぐできる! タイプのチンジャオロースー。それからご飯。それらをお盆に乗せて茶の間に向かう。
「どしたのカメリアさん。思いつめた顔して」
「アジサイさん。わたしは、いつまでアジサイさんの友達でいられるでしょうか?」
「うーんそいつぁーわかんないなー。戦時中の女学校で一緒で、八十過ぎるまでちゃん付けで呼び合う関係だった人たちのことも知ってるし、中学で友達になって二十代で疎遠になる友達だってざらだし、そればっかりは時間が経ってみないとわからんなー」
「アジサイさん。わたしはアジサイさんと友達でいたい。ずっとずっと友達でいたい。どうすればいいですか? アジサイさんと同じ中学校に通いたかったし、アジサイさんと同じ高校に通いたかった。でももう二十八です、来月で二十九です」
「カメリアさん、友達になるのに年齢は関係ないと思うよ」
カメリアさんは明らかになにか思いつめていて、ご飯に箸をつけようとしない。あたしはお腹が空いているから食べたいのだが、ただただニラの味噌汁とチンジャオロースーとご飯から湯気が立ち昇るばかり。
「でも。獣医さん……ムツゴロウさん? は、アジサイさんを中学校から知ってるじゃないですか。わたしはアジサイさんを、今年の春の終わりからしか知らない」
べつにいつから友達だ、とかそういうのは関係ないと思うのだが、と答えたかったが、カメリアさんはそういう言葉に納得できないほど思いつめていることがありありと分かった。
「魔法の国から出てきて、隠れ宿の魔法を使って暮らそうとしたときに、二階の部屋を貸してくれたのがアジサイさんでした。アジサイさんがいなかったら、わたしはきっと野垂れ死んでいたと思います。ホタルノハカです」
火垂るの墓……っていまそんなにひどい時代じゃないと思うけどな。
カメリアさんは一向に、食事に箸をつけようとしない。
「ねえカメリアさん、夕飯……」
カメリアさんはあたしのセリフを食い気味に言った。
「わたしは、アジサイさんと、誰にも関係を割かれないような友達になりたい」
「それは……」
その感情があまりに巨大すぎて、あたしは何を言いかけたか忘れた。
あたしは一般教養程度のオタク知識しかないが、こういうのを「巨大感情」とか「クソデカ感情」とかいうんだっけか。カメリアさんは唇を噛んでうつむいている。
「ね、ねえカメリアさん。夕飯冷めちゃう――」
「わたしは!」
カメリアさんは強い口調で言葉を発した。
「アジサイさんと! ずっとずっと、いっしょにいたい! ずっとずっと、この花屋で暮らしたい! アジサイさんと、誰にも割かれない友達になりたい!」
分からない――分からない。なんであたしと? カメリアさんならもっといい友達だって、できるはずなのに。あたしになんかこだわる必要、みじんもないのに。
「カメリアさん、あたしの何がよくて、そんなこと言うの? 学歴もないしさ、性格ずさんだしさ、花屋の仕事だって花束つくるのめっちゃ下手だしさ、手荒れひどいしさ――」
「アジサイさん、そんなことは些末なことです。アジサイさんは、わたしのやりたいようにやらせてくれた。出かけたいって言えばフラワーハハキギ号でどこにでも連れていってくれた」
ふ、フラワーハハキギ号て……そんなアンパンマン号みたいな……。
そんなことはどうだっていいのだ。カメリアさんは、あたし以外の、ただの人間にやさしくされた経験がないからそう言うのだ。そう言いたかったが火に油を注ぐだけなので、黙った。
黙るしかなかった。カメリアさんからぶつけられる感情があまりにも巨大で、あたしは完全に言葉を失って、カメリアさんの涙目になっているブルーグレイの瞳に目を合わせられないでいる。
「アジサイさん。あなたの手荒れを、わたしが一生治しますから」
「お、おう……えっと……カメリアさん、お夕飯食べないと」
「あ、そうでした――お味噌汁、冷めちゃってますね。ごめんなさい」
冷えた夕飯をぱくぱく食べた。テレビではくだらないバラエティ番組が垂れ流されている。
「――この番組、面白い?」
「ふつうです。ときどきすごく面白い企画もやってますけど、おおむねふつうです」
「そっかあ。最近テレビは0655とか朝ドラとかしか観てないもんなー」
冷めた味噌汁は、ちょっとしょっぱかった。
「……出しちゃうとなんもできなくなるから出してなかったけど、こたつ出そっか」
「こたつ?」
「魔法の国にはないの? テーブルの裏に電熱線がついてて、テーブルに布団がついてて、すっごいあったかくて入ると出られなくなっちゃうやつ」
「こたつ……ですか。面白そう。出しましょうよ」カメリアさんはそう言って笑顔になった。しかしあたしは見逃さない。カメリアさんのお椀には、ニラがどっさり残っている。
「その前に味噌汁のニラきちんと食べてね」
「うう……ニラってギシギシして苦手なんです」
「ニラってすごく可愛い花が咲くんだよ」
夕飯を食べ終えて、スマホでニラの花を検索してカメリアさんに見せた。
「ニラってこんな花咲くんですか。ますます食べづらいじゃないですか」
「命に感謝していただく、ってことだね……肉だって家畜が犠牲になってくれるから食べられるんだ。感謝の心だよ感謝の心」
やわらか戦車初期のジミおじさんみたいなことを言いながら、ブラウザを閉じた。
カメリアさんは、
「ピ●ミンやりません? 対戦モードやりましょうよ」と、ニコニコで言ってきた。まるで、夕飯前の会話を忘れたみたいに。
「あうー……ごめん、テープ起こしまだあるんだわ」
カメリアさんとピク●ンの対戦モードをやっても絶対に勝てないので、逃げた。それ以上に、あれだけの感情をぶつけられた相手と、仲良くピ●ミンをプレイする勇気がなかった。
カメリアさんは一人でストーリーを進めるというので、レコーダーとパソコンをもって花屋のカウンターに座った。ストーブをつける。ぼわ、と温かくなる。
レコーダーの中の、郷土史家の爺さんはもう歳だというのに元気よく近隣を納めていた武士の話をしている。実に退屈だがこれを喜んで聞いている人がいるのだと思うとげんなりが止まらない。面白いんだろうか、戦国時代……。
停めて、巻き戻して、止めて、進めて、を繰り返して、言葉を原稿に打ち込んでいく。このアルバイトのおかげでブラインドタッチができるようになったのだが、そろそろパソコンが限界だ。もうOSのサポートが切れるまでそんなに長くないし、容量も足りなくなってきた。
なにか考えなきゃいけないなあ。テープ起こしのアルバイト代なんて大した額じゃないし、その大した額じゃないアルバイト代は生活費に消える。
それより問題はカメリアさんだ。
なんであたしにあんなに執着するんだろう。嫌ではないし、友達でいてほしいというのは実に嬉しいことだけれど、あたしは……あの感情に応えられる自信がない。
そして、カメリアさんが青春を取り戻そうとするのを見守ることしかできない私自身が悲しい。わたしも、花屋を継いで消えてしまった青春を、カメリアさんのように取り戻すしかないのか。
おりしも間もなくクリスマスだ。誕生日が来月ってことはカメリアさんって一月生まれなんだな。だからカメリア……椿なのだろうけれど。
クリスマスに、なにかささやかでもお祝いがしたい。でも魔法使いって反キリストだから、祝わないのかな。ハリー・ポッターだとホグワーツにクリスマス休暇があったけれど……。
あの巨大な感情から逃避する方法ばかり考えていることに気付く。
そんなので、カメリアさんと幸せに生きていけるのだろうか。わからない。わからないけれど、あたしにはあの感情と戦うすべがない。
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