マタタビ
カメリアさんが、唐突に猫を拾ってきた。
それはあたしがテープ起こしの締め切りを三日間違えていて、必死こいてテープ起こしをしていて、カメリアさんに買い物をお願いしたときのことだった。
フジノヤにはふだん軽トラで行くのだが、歩いていけない距離でもないので、あたしはカメリアさんに夕飯の買い出しを頼んだのである。ちょうどテープ起こしの原稿をメールで納品したころ帰ってきたカメリアさんは、二人暮らしの夕飯にしてはバカでかい段ボール箱をかかえていて、何ごとだろうと思うと、段ボールのなかから
「ニャー」
と猫が鳴く声が聞こえた。きっと子猫だ。カメリアさんは花屋の入り口によいしょ、と段ボールを降ろした。
「どうしたのこれ」覗き込むと、白黒のぶちの子猫が二匹、固まって震えていた。
「フジノヤのすぐ横に高校あるじゃないですか。その校門前に捨てられてたんです」
「あー……そうかぁ……寒そうだからあっためてあげよう。えーと、ペットボトルにお湯をいれてだな」即席湯たんぽをつくって段ボール箱に入れると、子猫たちはそれに集まっていって暖を取り始めた。
カメリアさんはニコニコで子猫をみている。うむ、たしかに可愛い。子猫二匹は、親を探しているのかニャーニャー鳴いている。
「えーと。SNSで飼い主になってくれる人を探すか」スマホを取り出して写真を撮ろうとしたら、カメリアさんは段ボールをすいっとどかした。むむむ? どういうことだ?
「うちで飼いましょうよ」
「あのねぇカメリアさん、うちはビンボーなんだよ! 潰れかけの花屋とテープ起こしでギリギリ生きてるレベルなんだよ! お昼ご飯だって最近ずっと具がネギだけの袋麺じゃん!」
「むう……しかしですね、飼いたいんですよ。こっちがヤスハルでこっちがマスタツ」
なんでカメリアさんは大山康晴や大山倍達が好きなのだろうか。分からない。
「まあ気持ちはわかる。可愛いもんね……しかしヤスハルとマスタツかあ……」
子猫たちは腹が減ったと主張し始めた。子猫に食べさせるようなものなんてあるかな。冷蔵庫をあけてみるもネギくらいしか入っていない。ネギは猫には毒だ。
しょうがないので軽トラを飛ばしてホームセンターから缶詰のキャットフードを買ってきた。どうせすぐ誰かの手に渡るのだし、大袋入りのキャットフードなんぞ買ってももったいないだけだ。
「はーいご飯ですよぉ」猫缶を適当な皿にあけて子猫たちに出す。子猫たちはお腹ぺこぺこだったらしくがっついて食べ始めた。がつがつとすごい食欲だ。
「おおーマスタツもヤスハルもよく食べるねえ。えらいえらい」
「でも飼い主は探すからね」
「ええー。うちで飼いましょうよぅ」
カメリアさんの駄々っ子発言を聞いていて、あたしにも思い出すことがあった。
それこそ中学二年生のころ。部活が終わって帰り道を歩いていると、側溝から子猫の声がして、それを拾って家に帰ったのだ。父さんに元の場所に捨ててこいと言われて大泣きしたっけ。
思い出しておかしくて、ふふふと笑ってしまう。
「どうしたんです?」
「なんでもないよ。よし、ヤスハルとマスタツを飼おうか。どっちもオス?」
ヤスハルとマスタツを持ち上げる。どっちもオスだ。というか顔の模様が愉快すぎる。ヤスハルはハチワレなのだが頭のてっぺんが白だし、マスタツのほうは漫画の猫みたいな鼻くそ模様である。可愛い。
「あの、アジサイさん。ヤスハルとマスタツでもいいんですけど、いまトーマとエーリクっていう案を思いついて」
「トーマとエーリクかあ……トーマのほうが自殺しちゃうからそれは却下だ」
「じゃあムッソリーニとヒットラーは」
「ますます悪くなってるじゃないの。却下だよ却下」
カメリアさんは口をとがらせて、
「むずかしいですね、名前をつけるというのは。わたしの母はなにを思ってわたしにカメリアとつけたんでしょうね?」
「さあ……あたしも相当変な名前だからなあ、アジサイなんて。漢字で書くと画数多くて面倒なんだこれが」
そう言って、また二人で考え込む。
「うーん……ヤスハルとマスタツはさすがに猫につける名前じゃないような気がするんですよね。もっとこう、親しみやすい名前……というか」
「でもカメリアさんの第一感がヤスハルとマスタツなんだからそれでよくない? っていうかこの子ら目ヤニひどいね?」
「……言われてみれば確かに。これってまずいんでしょうか」
あたしはスマホで「猫 目ヤニ」とググってみた。風邪をひいているかもしれない、と出た。
「……頑張って獣医さんいくか……うう、カメリアさんとネズミーランドにいくために蓄えてたへそくりが……」
泣く泣く、ちょっとずつ貯めていた「カメリアさんとネズミーするへそくり」を取り出す。
「ネズミーランド?」カメリアさんはよく分からない顔なので、遠くにあるすごく大きな遊園地で、中学の修学旅行以来行っていないものの、でたらめに楽しいのだと説明した。
「でもわたしはアジサイさんといっしょならどこでも楽しいですよ?」
「お、おう、ありがと……猫は洗濯ネットにいれればいいんだっけか」
というわけでヤスハルとマスタツをそれぞれ洗濯ネットに入れる。
特に抵抗もせず大人しく洗濯ネットに入って、カメリアさんの膝の上でぷるぷるするヤスハルとマスタツをちらと見、軽トラに乗り込む。
近所にある動物病院を検索してみると、さびれた飲み屋街にいたって良心的なことで評判の動物病院があって、そこのお世話になることにした。もうすでに飲み屋街のネオンがちらほらともり始めていて、獣医さんは店じまいの準備をしているところで――
「あれっ、あじす?」
獣医さんはそう声をかけてきた。え、同級生? 顔をよく見ると獣医さんは中学の同級生で、犬やら猫やらカエルやらカメやらヤモリやらハエトリグモやらを自宅で飼育し、小学校のころは徹底して生き物委員を選んでいたという、通称「ムツゴロウ」という男子だった。おっさんの顔になっていたのですぐには分からなかったが、まちがいなくムツゴロウだ。
「拾った猫を診てほしいんだけど」というと、ムツゴロウは笑顔で、
「よしきた。きょうも結局農場の衛生管理だけで終わるところだったからさ、ちゃんと患者がくるのはうれしいぞ。名前は? 二匹ともオスの子猫だね。生後二か月ってとこか」
「ヤスハルとマスタツです!」カメリアさんが力強く答える。ムツゴロウは、
「オーヤマ……か。この人は?」と納得し、あたしはざっくりとカメリアさんのことを説明する。それから子猫二匹の診察が始まった。
「軽い風邪だね。飲み薬と目薬を出しておきます。それくらいかな。特に耳ダニとかもいないし、わりと最近まで屋内で飼われてたんじゃないかな。捨てるぐらいなら産ませるなっつうの……というわけで、去勢もぜひ当院で」
動物の医療費にしてはずいぶん可愛い値段の診察料や薬代を支払い、ちょっとだけムツゴロウと喋った。ムツゴロウは動物が好きなのが高まって獣医になり、比較的土地代が安かったというさびれた飲み屋街で開業したのだという。経営はカツカツらしい。うちの花屋と一緒だ。
「じゃあ、これからもうちをごひいきに。あ、これサンプルのマタタビ」
「それじゃまた」マタタビのサンプルをもらって動物病院を出る。子猫に効くかどうかはわからないがいずれ試してみよう。キャットニップも店にあったような気がする。
カメリアさんの表情がネオンに照らされる。すこししょげているように見えた。
「どしたのカメリアさん」
「アジサイさんは、友達がいるんだなあ、って思ったら、羨ましくなってしまって、でも妬むのはやっちゃいけないことなので、その」
「友達っていうかただの同級生だよ。大丈夫。カメリアさんみたいにすごく大事な友達じゃない。ま、良心的に手当てしてもらえて助かったじゃん」
「アジサイさん……わたしは、どうすればいいですか?」
カメリアさんは、なにかを思いつめている、そんな顔だった。
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