ガーベラ
カメリアさんにユッカを任せたら水のやりすぎで枯らしてしまった。
カメリアさんはひどく悲しんだけれど、まあ枯れてしまったものは仕方あるまい、と背中をばしばしする。きょうもアルフォートとペットボトルの紅茶をちびちびやりながら、なんとかこの田舎でこの小さな花屋が生きていくすべを模索する。
「ほああー。よう寝た……んん? カメリア、それ枯らしちゃったのかね?」
いまさら起きてきたタチバナさんがでっかいあくびをする。カメリアさんは悲しい顔で頷く。
「生き返らせてあげようか」
「いらない。……いまになって、キヨ江さんがわんちゃんを生き返らせたくない気持ちがわかった」
カメリアさんはため息をつく。
「なんか簡単な観葉植物、また仕入れてこよっか?」
「――いえ。わたしってきっと、植物の世話をするのに向いていないんですよ」
「そうかな。水を欲しがるタイプの植物なら枯らさないで世話できるんじゃないかな……ガーベラはどう? あれ相当水やんないとすぐしおれるから」
「ガーベラって、あのかわいいやつです? きっとまた枯らしちゃって悲しいのでいいです」
「……カメリア。その理屈だと『動物を飼うと死んだとき悲しいから飼わない』っていう、その間の楽しみを度外視した結論と同じことになるぞ? 動物は飼っている間が幸せだから飼うものだ。死んでしまった悲しみと、飼っている間の楽しさをはかりにかけたら、確実に飼っている間の楽しさが勝つ」
「理屈はわかるけど、わたしはもういいって言ってるんだからもういいの」
「……ふむ。そこまで言うなら何も言わんよ。でも僕は個人的にガーベラが欲しい」
「フジノヤの花屋で秋咲きのガーベラ売ってたけど」
「いやアジサイくん、そこは自分で自信をもって仕入れたまえよ」
そんな雑談をし、タチバナさんにカルピスを出して、みんなでアルフォートをついばむ。そうやっていると郵便屋さんのカブの音がしたので、立ち上がって住居に向かう。
郵便受けを開けた瞬間ひどい悲鳴が出た。ぎゃっ、とも、ひえっ、とも、うぇっ、とも違う、もっと原初的おぞましさを感じた悲鳴だ。慌ててカメリアさんとタチバナさんが来る。
「――鳥の死骸かなにかだな?」
タチバナさんがそう言うので頷く。郵便受けには、鳥――おそらくスズメ――の死骸が、強引に突っ込まれていた。
「なんで郵便屋さんがこんなの届けてくのよ……わけわかまつ……」
「ちょっと貸してみたまえ」
タチバナさんは躊躇なく郵便受けを開けて、その鳥の死骸を取り出し、なにか呪文を詠唱した。しばし呪文を唱えるうちに、鳥の死骸は蝋封の手紙になった。
「また手の込んだイタズラを……こういうことをするのは悪魔教徒だ。やはり、か」
タチバナさんはそう言うと、これまた躊躇せずに蝋封をぺりりと剥がして封筒を開けた。
気味の悪い、何語とも知れない文字と、さかさまの五芒星。
「決戦は金曜日……か」
「えっタチバナさんそれ読めるの」思わず素っ頓狂な声が出る。
「この眼鏡は古今東西すべての言葉を翻訳できるから、甲骨文字から楔形文字から、あるいはヴォイニッチ手稿から、なんでも読めるのだよ? 魔術学の勝利だ」
「で、それは何語なわけ? アラブ語? タイ語?」
「これはどこかの、重篤な統合失調症の患者が作った言語体系によるものだな」
あっ、それ中学生のころライトノベルで読んだやつだ。って進研ゼミの広告かよ。
とにかくその文字が自然に発生した文字でないことがわかった。なんとも不気味なその手紙を、タチバナさんはジャケット――小さい女の子の見た目をしているのに、着ているものがばりっとしたテーラードジャケットにブラウスなので、入学式とか卒業式に見える――のふところにそれを仕舞った。
「タチバナ、決戦は金曜日ってどういうこと?」
「そのまんまだ。悪魔教徒とあの悪魔は、金曜日に決戦をしようと宣戦布告してきただけだ。まあ、魔術は悪魔を従わせる術だ。悪魔の一匹や二匹、それからその取り巻きの悪魔教徒ごときに負けはしない」
「――タチバナさん、もしかしてそれを見越してここに来たの?」
「ほぅえっ?」
タチバナさんは完全に虚を突かれた顔で、眼鏡の向こうの青みがかった目をぱちくりした。
「もしかしてだけど、タチバナさん、ぜんぶ知ってた? 悪魔が巨大化してしまったことも、悪魔教徒のことも」
「知っていた――というのは正確ではない。僕は『予測して』いたんだ。天体の運行や、野の生き物から――なにか危険が、カメリアに降りかかることを」
「なんでもっと早く言わないの。心づもりができてたら鳥の死骸を郵便受けに押し込まれてもどうとも思わなかったのに」
「さすがにそこまではわからんよ。今回の件はしっぽが反応しなかった。それに悪魔教徒がなにをするかなんて、天体による占いじゃわからない」
タチバナさんはそう言ってため息をついた。
「僕はなにがなんでもカメリアとアジサイくんを守らなきゃいけない。そのためには手段を選ばないつもりでいる。そうか、決戦は金曜か……」
あたしは、しばらく考えてから、
「タチバナさん、なにか力になれない?」
と声をかけた。タチバナさんはしばらく困った顔をしたあと、
「とりあえず一般ピーポゥのアジサイくんにできることはないな。しいて言うなら、カメリアを守ってほしいんだ。カメリアに危険が降りかかることを知ったとき、叔母上に相談したら『カメリアは子供だからどんな無茶をするかわからない』と言われてね。金曜の夜は、絶対にカメリアをここから出しちゃいけない」
「そ、そしたらタチバナさんがやばくなったらどうするの」
「やばくならない」なんだその無根拠な自信は。まるっきし、初めて自転車に乗る小学一年生じゃないの……。
あたしはタチバナさんにこんこんと説教をした。タチバナさんが一人で戦うなら、それすなわち残機ゼロだ。もしそうなったらタチバナさんがやられたらだれがバックアップするのか。
「タチバナ、わたしも一応魔法使いのはしくれだから、なにか役に立つことをさせて」
カメリアさんがそう言うと、タチバナさんは眼鏡をくいと上げて、
「カメリア、カメリアはそういう無茶をする――そうだな、傷薬でも調合してもらおうか。魔法性の外傷に効くやつと、内臓のダメージに効くやつ」
「……わかった。わたしを戦力として期待してないってことね」
「そりゃそうだ修業も終わっていない半人前もいいとこの魔法使いに、悪魔とそのとりまきの悪魔教徒と戦えというほうが無茶だ。そんな無茶させられんよ」
超正論。さすが数字と文字を操る魔術師だけのことはある。論破はできないだろう。
「しかし金曜夜かあーっ、ボーっと生きてると怒る五歳児最後まで観て間に合うかな。あっ、ていうか金曜ロードショーがある。たしか天空の城なんとかじゃなかったか。バ●ス!」
……タチバナさんよ。どこまでこの国の人間になってるのよ。
「違うよタチバナ、今週の金ローは風の谷のなんとかだよ」
「むぎぎ……ますます見逃したくないやつ……!」
しょうがないので、しあさっての金曜日に放送される夜の番組を、いくつか録画した。っていうか金ロー録画してもCMといらん企画が多すぎて面倒ではないだろうか。
そんなこたぁどうだっていい。決戦は金曜夜だ。なんかそういう歌があったな。元歌のほうより、それを本歌取りしたロックなアイドルソングのほうが印象深いのが正直なところ。まあアイドルといってもたまたまラジオで流れていただけで、紅白とかに出てくるタイプじゃないらしいけど。
決戦は、メイビー金曜。
アイドルソングの一節を口ずさみ、あたしは明日花卉市場に行ったら秋咲きのガーベラを探してみることにした。何色がいいかな。
店内のラジオは南国情緒あふれるボサノバに乗せて、のどかにお悩み相談のコーナーをやっている。タイトルすら覚えてないけど、またあの歌、流れないかな。
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